あたらしい比喩をつくるように

わかった気になる――反差別の手立てとしてのアート鑑賞

羽生結弦、其は「時代の子」

scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第7回 鳥葬とナイフの男(1)

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あれは9歳の頃。

6畳一間の子供部屋が僕と弟の部屋で、そこにはそれぞれの勉強机が置かれ、2段ベットがあった。2段ベッドの上が弟で、下が僕。

その日も「お父さん、お母さん、おやすみ」といつものように言って、下の段の布団に潜り込み、寝ようと目を閉じた。だけどその日はなぜかなかなか寝付けなくて、しばらくゴロゴロしていた。

弟はすでに寝息を立て始め、夢の中。いつまでも眠気がやってこない僕は規則正しく聞こえてくる弟の寝息を聞きながら、すっぽりと布団を被り、身を潜めるように膝を抱えじっと丸まった。

弟の寝息も布団に遮断されてもう聞こえてこない。暗闇と静寂。その中でじっとしていると、楽しかった図工の授業のことや、祖父母の家に行って楽しかったこと、そして両親の顔なんかが浮かんでは消えていった。

布団の中という小宇宙の中でいろんな思い出が巡りめぐって、それはそれは楽しかった。しかし思い出の中をひとしきり駆け巡ってはみたものの、なかなか睡魔がやって来ない。妙に冴えた目を無理やり閉じて、僕は暗闇の中に沈もうと試みた。

その時ふと、あることが頭の中に浮かんだ。

「じいちゃん、ばあちゃんってもうすぐ死ぬっちゃろうか」

今まで考えもしないことだった。じいちゃんもばあちゃんも生きていることが当たり前で、週末になればまた会えるとばかり思っていた。でもいつか会えなくなる日が来るんじゃないだろうか。

「ということはお父さん、お母さんもいつか死ぬと?」

それは恐ろしいことだった。みんな死んだら僕は独りぼっちになるじゃないか。そんなことあり得ないと強く目を閉じた。

右も左も分からない暗闇の中に一人取り残されたような気分になった時、僕はあることに気づいた。それは本当にごく当たり前で、でも当時の僕にはまったく現実味のない事実だった。

「僕もいつか死ぬんじゃないだろうか」

ショックだった。でも確かにその通りだった。原っぱで捕まえてきたバッタやクワガタやイモリや魚たちはみんな死んでいった。いつも見ていたテレビや映画や漫画の中ではたくさんの悪者たちが死んでいった。しかしその死が自分自身にやってくることなんて考えてもみなかった。

自分には関係のない遠い遠い出来事で、生き続けるのが当たり前だと勝手に思っていた。それだけにその事実を自分ごととして捉えた時、それはあまりにも恐ろしく衝撃的だった。

もし死んだらどうなるんだろう。どこに行くんだろう。誰とも会えなくなって、独りぼっちなのか。別の世界があってそこで生きるのだろうか。それともこの布団の中みたいな真っ暗闇の世界なのか。僕の思い出も、今こうして考えていることも、意識も、布団と体が擦れる感触も、すべて消えてなくなるんだろうか。一体僕はどうなるんだろう。

死の先にある「何か」がまったく想像できなかった。想像できないから怖くて怖くて仕方なかった。僕はその恐怖心から布団の中でしくしく泣き始め、そしてそのまま泣き疲れて眠ってしまった。それは僕が初めて「死」を意識した瞬間だった。

 

     *

 

「吉田さん、鳥葬見に行きましょうよ。」

そう声をかけてきたのは日本人の大学生の女の子だった。

2011年夏、僕は中国は四川省のリタンという町にいた。チベット文化が色濃く残り、チベット人たちが多く暮らすこの町の安宿で、某有名大学に通うKさんと出会ったのだった。

「え? ちょーそー? 何それ?」

標高4000メートルにあるこのリタンに到着して早々、高山病にかかってしまった僕。ひどい頭痛と吐き気に襲われ、弱った体をドミトリーベッドに横たえながら死にそうな声で彼女に聞き返した。

「知らないんですか? 鳥葬ですよ。鳥葬。ほら、お葬式の後に火葬とか土葬とかしてお墓に入れるでしょ? それと同じで鳥に屍体を食べさせて処理するのが鳥葬なんです」

弱った人間を前にこいつはいったい何の話をしているんだ。体がだるすぎてそれどころじゃない僕の事情を察するわけでもなく、Kさんは話を続ける。

「私たちが火葬するのと同じように、チベット人って鳥葬で死んだ人を送り出すみたいなんですよ。このリタンでもやってるみたいで……。それで、一緒にその鳥葬を見にいかないかなと思って。どうですか?」

「どうですか」って言われても、僕は今こんな体だし、行けるわけがない。そもそも何で君は高山病にかかってないんだ? と元気に話す彼女の姿を見て恨めしく思う僕。

「いや、そういうのあんまり興味ないしさ、俺はいいよ。一人で行ってきたら?」

僕はそう断って、寝返りを打って彼女に背を向けた。

「えー行きましょうよー。私これ見たくてチベット来たんですもん。でもさすがに一人だと何か怖くて……」

「って言われても。俺は鳥葬見たくてチベットに来たわけじゃないから、いいって」

背を向けて冷たく彼女に言い放った。そもそも僕がチベットくんだりまでやって来たのは、チベット人たちの暮らしや精神世界をこの眼で見て、写真に撮ってみたいと思ったからだ。

きっかけは図書館で偶然手に取ったある1冊の写真集だった。その写真集を開いて、僕は圧倒された。民族衣装のような服を着て、広大な大地を鍬で耕す人々。数珠を持って祈る老人。深い皺を刻んだ老婆と子供のポートレイト、凍える手を温めながら川で水汲みをする女性。収穫を喜ぶ人々の姿。モノクロで捉えられたそれら写真の1枚1枚が深く心に突き刺さってきて、ページを捲るごとに、名状しがたい感情が僕の中を渦巻いた。

その写真集は『Four Seasons』というタイトルが付けられ、ある中国人写真家が何年にも渡ってチベット人たちの生活を撮影したものだと書かれてあった。

僕はどれほどの間、その写真集を眺めていただろう。厳しい自然の中にあって慎ましくも逞しく、優しい眼をしながら生きる人々の姿にすっかり魅了され、気づけばチベット文化、チベット仏教関連の本を読み漁っていた。そして知れば知るほど、彼らの生活と文化、とりわけ精神世界を探訪してみたいと思うようになったのだった。

「そうですか、でも私は絶対見たいんですよね。まあそれはいいとして、じゃあ一緒にゴンパ(寺)とか回りませんか。あ、吉田さんが元気になったらで。それじゃお大事に!」

そう言うと彼女は元気にドミトリーを出て行った。

とりあえず高山病から脱してから考えるわ。そう心の中でつぶやいて僕は目を閉じた。

 

あれから数日寝込んだ後、ようやく高山病から脱した僕は、カメラを携えてリタンにあるゴンパ(寺)や、僧侶たちが住んでいる宿坊、そして街の人々の家などを訪れては写真を撮っていた。

もちろんKさんも一緒に。Kさんは中国語ができたので、僧侶たちや街の人々とのコミュニケーションにおいて非常に有能な通訳として活躍してくれたのだ。おかげでいろんな情報を詳細に手に入れることができた。さらに「女性」という彼女の存在と、彼女自身の人柄の良さがチベット人たちと良好なコミュニケーションを築く上での潤滑油となり、撮影をスムーズに行うことができたのはとてもありがたかった。

そんなKさんは毎回どの人にも必ず、「鳥葬っていつ、どこでやるの?見に行きたいんだけど」と聞き回っていた。

しかし、「さあ、いつやるかは分からない。運が良ければ見られるんじゃない?」と、どの人も首を傾げるばかり。

なぜそこまで彼女が鳥葬にこだわるのか僕にはまったく理解できなかった。怖いもの見たさか、未知のものに対する単純な好奇心なのか。とにかく僕にとっては鳥葬はまったく興味のない対象だったし、わざわざそんなものを好奇心を満たすために見にいくという行為自体にいい気持ちがしなかった。だからその話が出るたびにその話題から意識的に遠ざかった。

そんな折、一人のラマ(高僧)と出会う機会があった。

40代とおぼしき彼はリタンのゴンパを取りまとめる僧侶で、何十人もの僧侶を指導する位の高いお坊さんだった。何度もゴンパに通ううちに僕たちの顔を覚えてくれていたようだ。

「どこから来たんだ?」と彼から声をかけてくれたのがきっかけで、親しくなった。

僕たちのことを日本人だと知ると彼はさらに親しみを持って接してくれた。日本は仏教と馴染みの深い国だということが彼の印象を良くさせているようだった。

ふだんは宿坊に住んでいる彼だが、それとは別の彼の実家にも連れて行ってもらった。そこでチベットで一般に飼われている家畜、ヤクのミルクから作るバター茶と、チベット人たちの主食であるヅァンパを振舞ってくれて、静かな時を過ごした。

「最近の若者は中国から大量に入ってくるモノに囲まれて暮らしているだろ。仏教への信仰心がないわけではないが、薄くなってきているのは確かだ。ゴンパにコルラ(お参り)しに行くよりも楽しいことが多いからな」

彼はバター茶を啜りながら最近の若いチベット人たちの傾向や、中国の影響、そして仏教について熱く語ってくれた。

彼の言うようにもともとチベット人たちの暮らしていたところに、中国の同化政策により漢民族が大量に流入し、中国式の街が形作られ、地方政府が置かれ、チベット人たちの生活はこの数十年で大激変したのだそうだ。生活の変化とともに、人々の考え方もゆっくりとだが着実に変化してきているという。

「まあそれでも、私たちチベット人たちから仏教への帰依心が消えることはないよ」

ラマは穏やかな表情で静かに語った。僕は彼に聞きたいことはたくさんあったが、何だかこの話題について必要以上に突っ込むのは気が引けた。僕はバター茶を一口飲み、目線を落として、しばらく沈黙した。

「あの……、ところでチベットの人たちって、今でも鳥葬やってるんですか?」

沈黙を破ったのはKさんだった。

ラマはきょとんとした顔をして、「鳥葬?」とつぶやいた。

「鳥葬か。ああ、やってるよ」

Kさんは目を輝かせて、「リタンでもやってるんですか?」と聞くと、ラマはコクリと頷いた。

「今度の月曜日にやる予定じゃなかったかな。行きたければ案内するよ。街のはずれにある小高い丘でやるんだ」

「本当ですか? 行きたいです! ありがとうございます!」

さらに目を輝かせたKさんはラマの手を取り、何度もありがとうを繰り返し、その後のスケジュールを調整し始めた。

(つづく)

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