フェミニズム恋愛論
- 第5回 性革命は何を目指してきたのか──脱恋愛ではなくセクシュアルポジティブであるという話 2024-11-01
- 第4回 性的情熱とは区別される恋愛的情熱とは何なのか──美と恋愛について 2024-10-11
- 第3回 「愛」はどのくらい必要なのか──愛着から考える 2024-10-04
- 第2回 現代人にとって「人とのつながり」はどの程度必要なのか——「孤独」から考える 2024-09-27
- 第1回 「ジェンダー平等な恋愛」について考えよう 2024-09-14
ポリアモリー編集見習いの憂鬱な備忘録
- 第6回 それぞれの人生、それぞれの石丸 2024-08-19
- 第5回 だから私はレスバする 2024-06-04
- 第4回 ケアワーカーとしての編集者 2024-05-15
- 第3回 結婚式なんて大嫌いだ 2024-04-05
- 第2回 とにかく定時に帰りたい 2024-03-02
- 第1回 地獄の釜でたらふく食いたい 2024-01-31
膝の皿を金継ぎ
- 第15回 10月の日記(前半) 2024-10-30
- 第14回 着回さない 2024-10-02
- 第13回 シャウエッセイ 2024-08-30
- 第12回 祝いと熊 2024-07-31
- 第11回 犬、カレー、子ども? 2024-06-27
- 第10回 2人もいる! 2024-05-30
- 第9回 牡蠣が見せる夢 2024-04-27
- 第8回 2月の日記(後半) 2024-03-28
- 第7回 2月の日記(前半) 2024-02-27
- 第6回 わからなさとの付き合い方 2024-01-29
- 第5回 サバイバル煮物 2023-12-28
- 第4回 ところでペットって飼ってます? 2023-11-30
- 第3回 喋る猫はいなくても 2023-10-31
- 第2回 夢のPDCA 2023-09-29
- 第1回 ここではない、青い丸 2023-08-31
アワヨンベは大丈夫
- 第12回 アワヨンベは大丈夫 2024-07-17
- 第11回 モンスター 2024-06-17
- 第10回 ごきげんよう(後編) 2024-05-15
- 第9回 ごきげんよう(前編) 2024-04-18
- 第8回 ウサギ小屋の主人 2024-03-17
- 第7回 竹下通りの女王 2024-02-15
- 第6回 ママの恋人 2024-01-11
- 第5回 Nogi 2023-12-11
- 第4回 セイン・もんた 2023-11-15
- 第3回 私を怒鳴るパパの目は黄色だった 2023-10-13
- 第2回 宇宙人とその娘 2023-09-11
- 第1回 オール・アイズ・オン・ミー 2023-08-11
旅をしても僕はそのまま
- 第8回 オルセー美術館のサイ 2024-09-25
- 第7回 受難のメキシコと今村 2024-07-28
- 第6回 ジャワ島のミコの家で 2024-05-03
- 第5回 アシジと僕の不完全さ 2024-01-27
- 第4回 ハバナのアルセニオス 2023-11-15
- 第3回 スリランカの教会にて 2023-09-16
- 第2回 クレタ島のメネラオス 2023-06-23
- 第1回 バリ島のゲストハウス 2023-05-31
おだやかな激情
- 第13回 踊るように 2024-08-02
- 第12回 わたしの青空 2024-06-01
- 第11回 なめらかな過去 2024-04-04
- 第10回 ちぐはぐな部屋 2024-03-05
- 第9回 この世の影を 2024-02-02
- 第8回 映したりしない 2024-01-11
- 第7回 とばされそうな 2023-12-04
- 第6回 はらはら落ちる 2023-11-01
- 第5回 もしもぶつかれば 2023-10-02
- 第4回 つややかな舌 2023-09-02
- 第3回 鴨になりたい 2023-08-01
- 第2回 かがやくばかり 2023-07-04
- 第1回 いまこのからだで目に映るもの 2023-05-31
- 第4回 うまくいかなくても生きていく──『十二月の十日』ジョージ・ソーンダーズ 2023-09-25
- 第3回 元恋人の結婚式を回避するために海外逃亡──『レス』アンドリュー・ショーン・グリア 2023-04-21
- 第2回 とにかく尽くし暴走する、エクストリーム片思い──『愛がなんだ』角田光代 2023-01-17
偏愛百景
- 第12回 捨てられない物 2024-01-10
- 第11回 響け、鍵盤ハーモニカ! 2023-10-13
- 第10回 高校野球を見ると泣いてしまう大人たち。 2023-08-09
- 第9回 毒をもって毒を 2023-06-21
- 第8回 春うららと畑仕事 2023-04-05
- 第7回 おかまいなくの店 2023-02-20
- 第6回 A面B面 2022-12-27
- 第5回 割れ物注意 2022-10-13
- 第4回 うちわの少年 2022-09-08
- 第3回 夏の月とラジオ体操 2022-08-08
- 第2回 ありがたい人 2022-06-24
- 第1回 賞味期限 2022-05-23
B面の音盤クロニクル
- 第10回 過去とはつながれていない誰かに──Keith Jarrett,”My Song” 2024-07-29
- 第9回 それが自由でなくてなんなのだろう──Aretha Franklin, “Amazing Grace” 2024-06-06
- 第8回 その日はあいにく空いてなくてね──Bobby Charles, “Save Me Jesus” 2024-03-08
- 第7回 クリスマスのレコードはボイコットする 2023-12-22
- 第6回 とうとう会得した自由が通底している 2023-05-06
- 第5回 あれからジャズを聴いている理由──”Seven Steps to Heaven” Feat. Herbie Hancock 2023-04-04
- 第4回 「本質的な簡素さ」の歌声──Mavis Staples “We’ll Never Turn Back” 2023-03-01
- 第3回 我が家にレコードプレイヤーがやってきた──Leon Redbone “Double Time” 2023-01-08
- 第2回 手に届きそうな三日月が空に浮かんでいる──Ry Cooder “Paradise and Lunch” 2022-12-07
- 第1回 きっと私たちが会うことはもうないだろう Allen Toussaint “Life, Love, and Faith” 2022-11-04
- 第16回(最終回) 「本物の詐欺を見せてやるぜ」@ジョン・ライドン 2022-07-04
- 第15回 文明化と道徳化のロックンロール 2022-06-10
- 第14回 ミスマッチにより青年は荒野を目指す 2022-06-02
- 10 もうひとつの現実世界――ポスト・トゥルース時代の共同幻想(後編) 2021-07-06
- 9 もうひとつの現実世界──ポスト・トゥルース時代の共同幻想(前編) 2021-05-03
- 8 あるいはハーシュノイズでいっぱいの未来 2020-05-05
第3回 バングラデシュのレンガ工場(3)
結局僕はこの工場に4日間滞在した。
エクボルのおかげで顔見知りも増え、彼らと寝食を共にしながらスムーズに撮影することが出来た。
彼らの1日は朝起きて、肉体を酷使しながらレンガを作り、工場内に建てた簡易の小屋で束の間の休息と仲間との語らいで癒し、また陽が昇ると働く。僕はそれをたった4回見ただけだが、彼らの世界を体感できたことで、僕の中の世界が一つ広がった気がした。と、同時にこの世界を前から知っているような懐かしい気持ちにもなるのだった。
この懐かしさの正体は一体何だろう? 思い出せそうで思い出せないそのモヤモヤの正体が分からなくてずっと気になっていたのだが、それは日本に帰国してしばらく経ったある日、実家の宮崎に住む両親と電話で話している時に気付いたのだった。
「どんげやったか、バングラデシュは?」
電話口で父が言った。
「レンガ工場行ったっちゃけど、すごいところやったよ」
「そんなところ行ったとか?」
「うん、全部手作業でレンガ作るとよ。大人も子どももとにかくみんな一生懸命働いてた。すげーところやったわ」
そう言うと感心したように「ほー手作業でか」と驚き、「写真見てみてたいね」とつけ加える父。
その後も父相手にバングラ見聞録を小1時間ほど話し、そろそろ電話を切ろうかというとき父が言った。
「みんな一生懸命働いて生きちょるっちゃなあ。こうやって父さんたちが話してる今もその人たちは働いてるっちゃろうね。父さんもレンガ工場の人たちに負けんごつ頑張らんといかんが」
その後何を話したかは忘れてしまったが、この言葉だけが電話を切った後も妙に残った。そして「あぁそうだった」と思い出したのである。
僕の両親はかれこれ30年以上、実家の宮崎で小さな中華料理店を営んでいる。家は自宅兼店舗を兼ねた住居だったため、いつでも両親がいて、火と格闘しながら中華鍋を振る父と、お客さんに明るく振る舞いながら忙しく動き回る母の姿を幼い頃から見て育った。
忙しい時には、勉強そっちのけで手伝いに駆り出されることもしばしばで、それが嫌でしょうがない時期もあったが、親が何の仕事をしているかわからないという子どもも多い昨今、両親の働く姿を真近で日常的に見ることが出来たのはよかったのかもしれない。
とにかく朝から晩まで厨房に立って料理を作り続け、働いてきた両親の姿は今も鮮明に思い出される。いわば僕の原風景とも言うべきその光景。環境も境遇も違うけれど、レンガ工場で働く彼らを見て、どこか懐かしい気持ちになるのはこの原風景のせいではないだろうか。その日その日を一生懸命働き、眠り、また働くという彼らと両親の姿には一分の差もないような気がするのだ。
「すべては家族のために働くのさ」
そう言っていたレンガ工場の労働者の言葉が思い出される。その言葉は両親が僕たち兄弟を育て上げるために身を粉にして働いていたあの姿とそのまま重なる。
それがわかったとき、妙に自分の中で合点がいったのだった。そして、改めてこう思うのであった。働くのは生きるためなんじゃないかと。
「もう帰るのか。次はいつ来る?」
帰る間際、エクボルをはじめ、皆が別れを惜しむように言ってくれた。
「次は家族連れてこいよ」
ここに家族を連れてくるのはハードルが高いなあと思いながら、必ずまた来ることを約束して彼らと固く手を握り合い工場を後にした。
いつまでも手を振ってくれる彼ら。僕も何度も手を振りながら4日前に来た道を戻る。そして近くの幹線道路に出て、ミニバスを捕まえて乗り込んだ。
座席に着くとゆっくりと出発するミニバス。車窓からさっきまでいた工場が見える。バカでかい煙突の下で、小さな人影が蠢く。あ、あれはあの人だな、今あの作業してるんだなと思いながらその景色を眺める。4日前にここに初めて来てこの景色に立ち会った時とはまったく異なる景色がいま僕の前には広がっていた。
ミニバスが速度を上げる。段々遠ざかっていく煙突群。
“今度は写真持ってくるからなあ”と心の中でつぶやいて、いつまでも外を眺めていた。
(「バングラデシュのレンガ工場」了)