scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第7回 姉は死に向かっていった。私は泣きながら生きていく。

アーティスト、イ・ランによる世界初(?)のAI翻訳日記。韓国語で書いた日記をPapago翻訳機で日本語に翻訳する。誰かに会えなくなってしまうきっかけは日常に溢れている。今すぐ会えない誰かとつながるために「あまり役に立たないチング(友達)」を使ってつづられる、人間とAIの二人三脚連載。

2021年12月10日午前。 姉が死んだ。 姉が死亡した。 姉が天国に行った。 姉がこの世を去った。来た所に帰った。何と書けばいいのだろうか。このことについてこの事件についてこの死について姉は遺書を書いた。動画も残した。映像の中の演技に満ちた真っ暗な部屋の中で姉は泣いていた。誰に向ているのか分からないが、敬語で話していた。

「私の話を聞いてみますか?」

姉は途中で酔っ払った人のように言った。途中で酒も薬も飲む姿が見えた。「飲んでいるお酒がおいしい」とも話した。 突然泣き出したりもした。

「ランちゃん、私寝たい、死にたい。 どうすれば死ぬことができるの?」

姉は泣いていた。鼻水を流して涙を流しながら泣く姿がとても痛かった。 姉が死に向かって熱心に進んでいる姿が誇らしかったりもした。それで私は泣けなかった。姉の意志を、選択を尊重したかった。 姉のいない人生を生きていかなければならない時間については知らないまま、この時は泣かなかった。 葬式が終わった直後に見た夢では、いや夢から覚まそうとした時姉の声が聞こえたようだった。 それとも私の意識の中で姉が言いそうな言葉だったかもしれない。

「私は自由だよ、私は大丈夫だよ」

 

でもお姉さん、私はかわいそう。 私はもっとかわいそうになった

姉の夫は何度も「私は滅びた」と言った。 葬儀場でもメッセンジャーでも、今日一週間ぶりに再び会った時も「私は終わった」と言った。 姉の夫がかわいそうだった。私もかわいそう。姉の犬のマルもかわいそうだ。母のいないマル。マルは本当にかわいい。動画の中の姉はマルの話を持ち出す度に「マルはかわいい!」と叫んだ。しかし、かわいいマルを置いて姉は死に向かった。マルは姉の部屋の外にいた。マル姉の夫が退勤する前まで7〜8時間をどのように過ごしたのだろうか。煙がもやもや漏れる部屋のドアを(しかも部屋のドアはまともに閉まっていなかった)頭で押し込むつもりはなかったのか。マルはとても臆病で、姉も臆病だ。姉は死ぬのが怖いと言った。そのため、頻繁に試みて失敗した。 姉が憂鬱な人であることもがあまりにも昔からのことで私も忘れていた。姉がどれほど死にたがっていたかを。私があまりにも死にたかった時は、周りの誰も思い浮かばなかった。それでも姉は遺書を残した。遺書にはお母さん、お父さん、私、ワン(弟)、ソンハン(姉の夫)、マルの名前だけ書いてあった。私はなぜ姉の面倒をもっと見ることができなかったのか。私はなぜ姉が私の人生に入ろうとする時間を阻んだのか。

 

近くにいるとの深い悲しみに耐えられなくて大変だったけど。姉はあまりにも心が弱くて愛が多い人だった。姉は私が一人で自立する姿が嬉しかったので、友達にたくさん自慢したようだ。 障害があって面倒を見なければならなかった弟の存在について、葬儀場で会った姉の友人たちはよく知らないようだった。弟がいたという事実自体をだ。とにかく姉が私の自慢をたくさんしたためか、姉の友達は私を見てセレブを見たように喜んだ。「さすが、やっぱりスルの妹」という話をたくさんした。

葬儀2日目、喪屋の隣の小さな部屋についた浴室でシャワーを浴びながら「姉は私をどう思っただろうか」という考えを止めることができなかったもし。もし姉が私に残念なことがあったんじゃないか気になったんだけど、シャワーを終えて姉の友達に話を聞きながら何かやりがいがあった。私がお姉さんにとって誇らしい妹だったんだなって。姉の自慢なので、私は最後まで姉が誇らしくなれるように姉が喜ぶように、葬儀場で喪主の役割を最善を尽くしてやり遂げた。私はなぜ姉の面倒をもっと見ることができなかったのか。

 

いつからか姉に文を書いてみなさいと言いたかった。次に作る本に姉の文を載せたかった。同じ家族を共有した家庭内暴力被害者同志として、お互いが記憶する記憶について記録してみたかった。その話をお姉さんに先にすればよかったかな。前もって文を書けと言えばよかった。どんな目標があったら、お姉さんがもっと生きることができただろうか。どんなものが姉をもっと生きさせたのだろうか。考えて考えても、姉の人生を延長するようなものが特に思い浮かばない。私にも必要ない明日が姉だって必要だったろうか。私が強要できない明日は、私が生きている以上、必ず来てしまう。 とうとうひょっこり現れる。日が暮れて、日が昇って、いや、地球が回って、時間が過ぎ、明日が来てしまう。

 

今日の考えが昨日の考えになり、人々が死んでいく。 それなのに私は生きている。ジュンイチも生きている。 お金を稼がなければならず、お金を使わなければならない。 区役所に行って自動車も登録しなければならない(姉から自動車を相続した)。ダイエットもしなければならないし、服も新しく買わなければならない。パンツも買わなければならないし、ズボンも買わなければならない(太ってズボンが合わない)。長く着ない服を捨てなければならず、本もそうだ。 読む本が多すぎて、一日読むニュースも多すぎる。 連絡する人、会う人も多く会いたい人も多いが、それでも明日は来なくてもいい。明日来なくてもジュンイチに会えなくても、愛する友達に会えなくても私は大丈夫だ。明日が来なかったらいいな。 今日、世の中が終わってほしい。

 

姉は死に向かっていった。泣きながら行った。私は泣きながら生きていく。友人が付けてくれた「泣き虫戦士」というニックネームを持って泣きながら生きていく。姉のいない一日を生きていく。街を歩きながら特に派手な服がかかっている服屋を見たりアクセサリーを見る度に「これは姉のスタイルだね」と繰り返していた習慣なくなるだろうか。 いや、なくならないと思う。

久しぶりにピアノを弾いた。指が痛かった。ギターを弾くと指が痛くてピアノに変えてみたが、ピアノも指が痛いことを知って挫折した。

 


(このページはPapago翻訳で翻訳されました。機械翻訳は完璧性が保障されていないので、翻訳者の翻訳の代わりにはなりません)

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。