夏みかんとデカビタと夕張メロン
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母が作った夏みかんゼリーを姪っ子や姉と食べていた。テュルリンとしたゼラチンの海を、裂いた夏みかんの黄色が均等に美しく埋め尽くしている。
「ん? なんかいつもと違うなあ」
「なんか入れたん?」
母はニヤリと悪げな顔をしよる。私はその甘みの奥にあるケミカルなCを感じ取る。決して夏みかんのCとは混ざらない何か。余っているもんは何でも混ぜるのが母である。
「分かった。デカビタ!」
瞬間、弾けたヨーヨーみたいに母は笑い転げる。私たちは、あーあ、入れん方が美味しいのになんで最後の一手で台無しにしてしまうんだろなあと思いながらも、黙ってゼリーを食べる。まずいわけではなくて余計なのだ。
そのデカビタは、先週日曜日の産物。その日、私たちは黒糖の新しい製糖所を立ち上げるため納屋の2階部分を解体した。手伝いに来てくれた友人男性二人のうちのIさんは、いつも珍しいというか懐かしい飲み物を持ってきてくれるが、この日はなかったのでホッとして私の持ってきたレモングラスのお茶をみんなで飲んだ。
ところが、Iさんが仕事場まで鉄を切る機械を取りに帰ってくれて、戻ってきた瞬間、
「甘いもんでも飲むでー」
き、きたー! カラフル族きたわー! Iさんがいつも飲んでいるデカビタ、果汁5%のりんごジュース、そして今日イチは、メローイエロー×アンバサ×ファンタという平成ミックスよ。これ絶対四十代をターゲットにしとるやん。青春の三重奏やんか。北海道から来ていた三十代前半の女性はアンバサとメローイエローを知らなかった。桃天が流行ってましたーと言うから、いや、それは私の青春の味よ。何歳で飲みよったん? と聞いたら、小学生ですと言った。高校時代の甘酸っぱさを思い出しながら、そうか彼女は小学生で桃天とミニモニ。に出会ってるのだから、やはり、私とあなたの炭酸の勢いは違うのだと思った。
一本全部同じ味はきついと思い、みんなでコップに分けて全部の甘々ドリンクを堪能する。今は、私の周りで甘い飲み物を飲んでる人ってIさんくらいだ。そりゃあコカ・コーラもいろはすを出す時代です。幼少期、あの甘々の飲み物を家では飲ませてもらえず、友達の誕生日会とかで飲んで、おいしーと思っていた、みたいな話は同世代でよく聞く。
うちもそうだった。うちのジュースは母の作った梅シロップやしそジュースや冬の間に家のみかんを絞って凍らせていたのを飲んだ。果汁100%とは潰した果物である。甘々で元気を取り戻した私たちは、夕方まで解体を続けて家路についた。正統派すぎて何故か開けなかったアクエリアスと半分余ったデカビタと一緒に。アクエリアスのようなさりげなくどこにでも存在できる飲み物は、後の人に残しておいてあげた方がいい気がして、私は真っ先に甘々へ手をつけてしまう人だ。割とみんなも同じように思うのか、Iさんのドリンクタイムでは、アクエリアスが遠慮の塊として最後まで残っている。だったらそれにしたらよかったわと、思ってるけど誰も言わない感じが日本っぽいよな。
半分余ったデカビタは、何となく夏みかんと融合しそうで、かつ砂糖の代わりもしそうだったので、母の手によりゼラチンと一緒に固まった。タッパー何個分ものゼリーだったので、味もわからなくなるだろうと思ったそうなのだ。しかし、どんなに薄まってもデカビタは存在を0にはできなかった。抜群の個性。商品としては成功である。
それはこの世界の巡りと似ている。私は、この場所に新しい製糖所を作るということの作用を考えていた。とてもとても小さな製糖所だけどデカビタのように、近隣の人たちやこの場所に元からあるものと自動的にセッションするのだろう。一つの要素が加われば、否応なしに作用し合う。ご迷惑をかけることもあるかもしれないが、きっと良い場所になるように頑張りたい。
眠っていた倉庫が動き出し、夏みかんはまだ冷蔵庫で静かに実を保っている。ところで、夏みかんは、愛媛県内では八朔よりもさらに肩身の狭い存在だった。紅まどんなや甘平のような甘々スパースターたちの誕生によって、どんどん隅っこに追いやられて、食べらもせずマーマレードにもしてもらえない場合は、捨てられるか、もっと酷いと木ごと伐採された。
母は、夏みかんを近所の人や友人に「いるで?」と聞けない、「夏みかんなんて食べない世代」である。子どもの頃に甘い柑橘がなく、散々食べてきた世代なのだ。実際に、近所で「いるで?」と聞いて、いるという人はほとんどいなかった。「懐かしいなあ。酸っぱくて炭酸かけて食べたなあ」と言いながら、みんな断るのだった。いや、うちの夏みかんは甘いんですよ。思っている半分くらいの酸っぱさです。と言いたいが、そこまでして食べてもらわなくてもいい。「夏みかんなんて世代」は幼少期に一生分の夏みかんを食べてしまっているのだ。
前記の北海道の友人がうちに泊まっている間、毎日夏みかんを食べて、美味しい美味しいと目を輝かせた。それは、これまでの夏みかんの歴史を塗り替えるような喜び方だった。北海道では柑橘はまず育たないので、彼女の目に映る柑橘は、私が彼女の持ってきた夕張メロンや花咲蟹を見るときのような輝きを放っているのだ。夕張メロンと夏みかん比べたらいかんだろ。100-0で夕張メロンだろ。と愛媛県民は思うだろうけど、北海道の人にとっては夏みかんが珍しいのよ。自信を持って!
私は東京に出てきた時点で、同じような、目から鱗の瞬間を何度も体験していて、20年もいれば、夏みかんへの偏見を持っているのは、愛媛県民とみかんの産地の人だけだと気づく。東京の人たちも夏みかんへの偏見はほぼなくて、私がおずおずと差し出す「夏みかんなんて」を、夕張メロンと同じように受け止めるのだ。
夏みかんの重みは、確かに東京や北海道の人たちに届いた。それはあの日、誕生日会で一杯のファンタをもらったときの重みと同じだ。私たちはいつでも他者が羨ましく、それと同じだけ他者は私やあなたが羨ましい。それに気づけたのは私が外に出たからだった。
メロンの皮がペラペラになるまで食べる私を見て、彼女は笑いながら「北海道じゃ蟹もメロンもスーパーでかなり安く売られているんですよ」と、驚くような値段を言って、私たちは、ええなあ! と叫んだ。