「赤ずきんちゃん」ゴシップ説
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「焚火を囲む」という物語
ファンタジー小説『ゲド戦記』の作者アーシュラ・K・ル・グィンは、こう問いかけている。
〈なぜ私たちは焚火のまわりに群がっているのだろうか? なぜ私たちは物語や、物語についての物語を語ったりするのだろう──なぜ私は真実であるとか、偽りであるとか証言するのだろうか?〉(「暗い嵐の夜でした、あるいは、なぜ私たちは焚火のまわりに集まるのか?」(1979)篠目清美訳)
ル・グィンがこう書けるのには、理由がある。彼女の父親は文化人類学者アルフレッド・クローバーであり、彼女自身、父の師フランツ・ボアズに由来する文化相対主義の思想的空気のなかで育った。「人間としての根っこは共通している。でも枝葉の広がりに優劣はない」。『ゲド戦記』が世界じゅうで読まれるのも、この発想が作品の骨格を作っているからだろう。そしてこの発想は、「世界じゅうに似たむかし話が存在するのは、印刷以前から人々が物語を語り伝えてきたからだ」という考えかたと親和している。
口承説の立場に立つ研究者は、おおむね同じイメージで、むかし話がどのようにして広まったかを描写してきた。
歴史家ロバート・ダーントンによれば、19世紀末まで農村では、一日の農作業が終わったあと、人々が集まって世間話や聴き伝えの話を語り合っていた。字が読めない人たちが多くても、この「集い」の場で物語はみんなのものになっていた。それは17世紀から19世紀末まで、ほとんど変わらなかった──と。
フランス文学者・新倉朗子によれば、19世紀末フランスのブルターニュ地方では、夜なべのあいだに眠気を覚ますために民謡を歌ったり、なぞなぞを出したり、むかし話を語ったりした。ラングドック地方では、語り手たちが交代しながら競うように話をした。船乗りや退役軍人、外国から来た旅の商人たちが、遠い土地の珍しい話を伝えてくれた──と。
翻訳家・岩倉千春によれば、20世紀半ばでもそんな「集い」が残っていた。1940年スコットランド生まれの伝承者スタンリー・ロバートソンは、子どものころ、冬には母親の語りを聴き、夏には焚火を囲んで父親や他の男たちの話を聴いた。だれかが話を始めると、別の人が同じ話の違うヴァージョンを語ってみせることもあった──と。
「集い」は農村の専売特許ではない
焚火。夜なべ。旅の商人。農村の「集い」。このイメージは一貫している。そして気づけば、ここに登場するのは農民、漁民、職人、兵士ばかりだ。こういった「集い」の話は、口承採話を庶民の「拾得物」に見せる効果がある。
でも「集い」は、農村の専売特許ではない。都市にも「集い」はあった。字が読める人たちも、集まって物語を語り合っていた。教養ある平安貴族だって、和歌を競ったり物語を披露しあったりしていた。ペローが「赤ずきんちゃん」を書いた17世紀パリには、まさにそのための場所があった。
7歳までローマで育った帰国子女カトリーヌ・ド・ヴィヴォンヌは、17世紀初頭、若くして結婚し、アンリ4世の宮廷に出仕した。先進国育ちの彼女には、後進国フランスの蛮風は我慢ならないものだった。出産を機に宮仕えをやめ、1610年前後から教養人を自邸に集めて、「サロン」を開きはじめる。このオフ会で、
「おイタリアではこうしますのよ」
などと、さぞ出羽守風を吹かせたことだろう。のちにランブイエ侯爵夫人として知られる人だ。
サロンという文化装置
この貴族のサロンは、先進地域イタリアから伝わった「文明化」の感覚を取り入れつつ、男女が学問や文学を語り合う空間として発展し、座談や言葉遊びの場ともなった。女性は男性に伍して、いや男性以上に、知性・教養を披露できた。文化人たちの「集い」の場が、平安京から六世紀ほど遅れてパリに発生したわけだ。
追随する形で他の貴族女性たちもサロンをどんどん開き、カルチャーな社交界が形成された。そこでは紳士であり「パリピ」であるソフィスティケイテッドな教養人(honnête homme(オネットム))たちが、芸術や政治や道徳や恋愛を論じ、新作の詩歌を朗読し、やがては大きな文化的影響力を持つようになっていく。
赤ずきんとサロンの噂話
「赤ずきんちゃん」を、こういったサロンでの噂話と同じ場所に置いてみたら、どう見えるだろうか?
この物語には、ペロー以前のヴァージョンはない。文学ではこういうとき、ふつうは「じゃあその作家の創作だろう」と見なす。ところがフォークロア研究では、「じゃあペローは元ネタを本で読んだのではなく、耳で聴いたのだろう」とするのだ。なんにでも「元ネタ」がある、最終的には口承に行き着く、というわけだ。このやりかたなら、日本国憲法だって古くから口承で伝わってきたことにできる。
しかもことペローにかんしては、文学研究サイドでも長らく、フォークロア研究の判断を鵜呑みにしていた。ペローのおとぎ話は文学ではなく民俗学のフィールドだよ、と文学研究者自体が認めてしまったのだ。これにはフランス文学の特殊事情もあった。
グリムはその法制史・比較言語学・文献学などの幅広い業績からドイツ学の祖として崇められたし、アンデルセンやルイス・キャロルを持つデンマークや英国が、自国の文学史から児童文学を排除することはない。
いっぽう、ペローのおとぎ話は子ども向けに書かれたわけではなく(そもそも彼の時代には児童文学というものがなかった)、あとになって児童文学として読まれることになっただけなのだが、その結果、フランス文学の研究対象と見なされるまでに時間がかかった。英独や北欧諸国と違って児童文学の太い柱やスター作品を持たないフランスらしい、迂闊な線引きだと思う。フランス児童文学のもうひとつの看板作品『星の王子さま』だって、子ども向けに書かれたわけではない。
ショワジーという仮説
カナダの研究者ジェラール・ジェリナスは、「赤ずきんちゃん」は口承に由来するという主張に異議を唱え、べつの仮説を提示している。この物語は聖職者ショワジー(1644–1724)を揶揄しているのではないかというのだ。ショワジーは幼少期から母親に女装させられて育ち、成人後も女性の服を好んで身にまとい、社交界で「貴婦人」として振る舞った。これで聖職者だったというのだから、17世紀フランスの多様性やクィア文化には目を見張るものがある。
ショワジーはこの変装を利用して若い女性を誘惑することもあり、歿後刊行の回想録(1727)にはその大胆な行動が記されている。「赤ずきんちゃん」の筋(無邪気な少女が母親に送り出され、誘惑者のもとへ導かれる)はショワジー周辺の状況そのもので、これが物語の着想源だったのではないかと、ジェリナスは示唆している。フェミニストのアライ(当事者ではない連帯者)である男性が女性に性暴力を振るうケースを想起する。
物語を寓話的に読めば、狼はナンパ師を象徴する。この時代は女子教育や性的純潔が社会的関心の的であり、若い娘の「無知」や「無垢」が危険と隣り合わせであることが繰り返し語られていた。
「赤ずきんちゃん」もこうした道徳的教訓を含むいっぽうで、ショワジーの伝記的事実を重ね合わせると、より現実的で生々しい誘惑劇の告白のようにも読める。変装した「善良な婦人」(言われてみればオネエ言葉は、使う人によっては老女を演じているようなしゃべりかたになることもある)として孤児や娘たちを家に迎え入れ、母親の信頼を得て近づいた行為は、まさに「母が娘を狼のもとへ送る」構図に重なる。ショワジーは回想録で、少女たちの無知ぶり(「子どもは耳から生まれると思っていた」など)に接して「彼女たちの純粋さに快楽と痛みを感じた」と記しており、赤ずきんの無防備さが狼の食欲を刺戟したことを連想させる。
狼の正体
また、ペローの「赤ずきんちゃん」の物語末尾には韻文の教訓がついていた。
もっとも、ひとくちに狼といってもいろいろで、
狼ならみんなおなじ、というわけではありません。
なかには、ぬけめのない性質(たち)で、
ものしずかで、毒がなく、おこったりせず、
人なれしていて、愛想がよく、やさしげで、
若いお嬢さんがたのあとをつけまわし、
家のなかまで、寝室のなかまで、はいってきてしまうのもいます。
いやはや! ごぞんじのように、さもやさしげなこのての狼こそ、
あらゆる狼のなかで、いちばんあぶないやからなのです。この巖谷國士訳はほんとによくできていて、〈ものしずかで、毒がなく、おこったりせず、/人なれていて、愛想がよく、やさしげで〉のあとなんて、ついつい〈サウイフモノニ/ワタシハナリタイ〉と続けてしまいそうになる名調子だ。
ここで〈寝室〉と訳されているruelle(リュエル)という単語は、一般的には路地とか細い道の意味だが、17世紀には〈壁に頭をつけるようにして寝台を置いたときに、ベッドの両脇にできる空間を指す。寝室に客を迎えるというのは奇妙であるが、病身のランブイエ侯爵夫人のとった習慣が真似されてひろまったのである。もちろん寝所に通されたのはごく親しい友人たちに限られていた〉(フランス文学者・川田靖子)。なんと! サロンがベッドを中心に成立している可能性もあったわけなのか。
サロンに集う才媛をプレシューズ(précieuse)と呼んだ。当初は「教養ある、垢抜けた才媛」という肯定的な意味だった。けれど17世紀中盤以降、サロンの気取った風儀を揶揄する文脈で、名詞としては「才気をひけらかす、鼻持ちならぬ気取り屋」という意味が発生してしまったのだ。肯定的な形容語が揶揄の意味へと転じたあたり、「意識高い」とかwokeといった語が辿った運命に似ている。
恋愛とはどういうものであるべきかについて理論を構築し、純愛を標榜したプレシューズたちの会話の場「リュエル」が、じつは誘惑や偽善の舞台であるという噂もあった。教訓を締めくくる〈最もさもやさしげなこのての狼こそ/あらゆる狼のなかで、いちばんあぶないやからなのです〉という一節は、そうしたプレシューズの社交の裏を突く皮肉だとジェリナスは見る。
物語のなかの「無防備な少女と狡猾な狼」は、17世紀上流社会が抱えていた偽善と欲望の寓意でもあった。
「赤ずきんちゃん」の成立には、もうひとつの説もある。また、なぜグリム兄弟が「赤ずきん」をハッピーエンドにしたのかについても、興味深い推測がある。次回はそのお話。
(つづく)