赤ずきんには作者がいる
誰もが知る「赤ずきん」「シンデレラ」は、本当に民衆が口伝えで守ってきた物語なのか? ペロー、グリム、そして民俗学の「常識」をたどり直し、おとぎ話の作者と伝承をめぐる長い調査の旅が始まる──。

【編集部より】『青ひげ夫人と秘密の部屋──「見たな」の文学史』(光文社)で第79回日本推理作家協会賞(評論・研究部門)を受賞した千野帽子さんの次のテーマは、おとぎ話! 本連載では、現在準備中の受賞後第一作『赤ずきんには作者がいる』の刊行に先駆けて、そのエッセンスをギュッと凝縮してお届けします。
第11回

赤ずきんは「拾いもの」じゃなくて「細工もの」だった

2026.07.10
赤ずきんには作者がいる
千野帽子
  • 先人との対話こそ腕の見せどころ

     平安期以来、和歌では先行作品を引用したり仄めかしたりする「本歌取」が「細工」の腕前として評価されてきた。先人への応答という対話的な側面が重視されたわけだ。近世の西洋も同じで、創作の主流は先行作品を現代ふうに仕立て直す二次創作にあった。

     で、ペローが「赤ずきんちゃん」を、同時代のある作品へのアンサーソングとして書いた可能性が指摘されている。スイスの比較文学者ウテ・ハイドマンの読みだ。その「ある作品」とは、ラ・フォンテーヌの短篇韻文物語「鈴」(1685)。

     ラ・フォンテーヌは、古典や先行文学をネタに艶っぽくアレンジした韻文物語を量産していた。「鈴」の舞台はトゥーレーヌの田園。イオという名の牝牛と、牛追いの少女イザボーが出てくる。イオといえば、オウィディウス『変身物語』(西暦8年完成)で最高神ユピテル(ゼウス)にレイプされ、牝牛に変えられた乙女と同じ名前。イザボーもイオと同じく「イ」で始まり「オ」で終わる。当時のサロンに集うカルチャー人種にとってオウィディウスは知ってて当然の教養で、読者がこの連想をすることをラ・フォンテーヌは前提にしていた。

     「鈴」では、イオに恋した若者が少女を口説くが、少女はうぶすぎてナンパの言葉が通じない。そこで若者は少女の世話する牝牛を1頭こっそり連れ去る。牛が足りないと母親に叱られたイオは、泣きながら夜の森へ牛を探しに入り、若者の仕掛けた罠——カウベルの音——に誘われて森の奥へ引きこまれ、力ずくで襲われる。語り手は「女性は森の奥には行かないように」と警告を残して、物語をぶった切るように終える。教訓でも救いでもない、突き放した幕切れだ。

    戯れから教訓へ——ペローの応答

     「鈴」と「赤ずきんちゃん」は、「少女が森に入り、男の策略で性暴力にさらされる」という共通の構図を持つ。ただし語りの姿勢がまったく違う。

     ラ・フォンテーヌは危険を軽やかな戯れ(バディナージュ)として描き、意味を固定せず読者を放り出した。ペローはその10年後、危険を危険として描き、「だから若い娘は知らない男を信じてはいけない」という教訓へ回収する。狼のモデルはショワジー(前回参照)個人ではなく、無害なふりをした男一般だったのかもしれない。

     もうひとひねりが母親の設定だ。ラ・フォンテーヌのイオの母からは、夜の森に入る娘を気づかうようすが見えない。赤ずきんちゃんも母親からなんの注意も受けず、道を外れ、見知らぬ男と言葉を交わし、祖母の家のベッドへ近づいていく。ハイドマンはここに「母の責任」の問題を見る。赤ずきんちゃんの母は〈この子をたいそうかわいがっていたけれど〉、なにも教えず、目立つ赤いフードを着せて危険な森へ送り出す。これは8年前に神学者フェヌロンが『女子教育論』(1687)で批判した、娘の教育を疎かにする母親像そのものだ。

     ペローは民間伝承を採集したのではない。同時代の文学に応答し、批判し、書き換えていた。そのラ・フォンテーヌ自身も、古典文学に応答していたのだ。

    グリムの猟師はどこから来たか

     グリム版「赤ずきん」(1812)の結末(猟師が腹を切り裂き、石を詰める)は、同じ『子どもと家庭のメルヒェン集』初版第1巻の「狼と七匹の仔山羊」からの借用、というのが一般的な説明だ。ただしペロー→グリムの直線では説明できない。そもそも猟師は、どこから来たのか?

     グリム自身が初版の註釈で、出典としてペローの原作と、ドイツロマン派の作家ルートヴィヒ・ティークの戯曲化を明記している。猟師をはじめて赤ずきんの話に持ちこんだのはティークだった。ティークはペロー作品3つ(「赤ずきんちゃん」「青ひげ」「長靴をはいた猫」)から劇を4本書いており、グリムの猟師は戯曲『小さい赤ずきんの生と死』(1800)経由と考えられている。

    赤い帽子は革命の色

     ティークの戯曲にはもうひとつ見逃せない仕掛けがある。赤ずきんが帽子の赤色に異様にこだわるのだ。「赤より美しい色はない」がライトモティーフのように繰り返され、大人たちが咎めても「神さまだってこんなきれいな帽子を嫌いなはずがない」と聞かない。

     この「赤」を、1800年当時のドイツの読者はすぐ政治的に読んだはずだ。赤は革命の色、自由の帽子(ボネ・ド・ラ・リベルテ)の色。フランス革命以降、赤い帽子はジャコバン派と共和主義の象徴で、保守派はくり返し攻撃していた。ドイツ文学者ハンス゠ヴォルフ・イェーガーは、ティークの戯曲はこの文脈で読まれるべきだと主張した。

     ティークの〈狼〉はラディカルな存在だ。体制に従う〈犬〉(これもティークの新キャラ)との対話で、俺は「奴隷になりたくない」、「追放され、弾圧された」進歩的理想主義者なんだと仁義を切る。犬は「理窟は理窟、生活は生活、混ぜるな危険」と説く日和見主義者で、狼はそんな犬を「自由も意志もない」と批判する。アイデンティティ・ポリティクスでよく見る光景だ。猟師が狼を「ムッシュー狼」と呼ぶくだりは、狼をあからさまにフランス人として刻印していた。

     ただしティーク自身は立場を明確にしない。警告する大人たちはむしろ権威主義的で滑稽に描かれ、「知りすぎた」生意気な赤ずきんは最終的に狼に喰われる(進歩的な政治運動内部のセクハラ問題?)。猟師の銃は間に合わず、狼は射殺するが赤ずきんを腹から救出はしない。革命への警告か、弾圧側への皮肉か、宙吊りのまま作品は終わる。

    占領下のグリム兄弟

     グリム兄弟が『子どもと家庭のメルヒェン集』第1巻を編んだ1806年から1812年は、ナポレオンによるヘッセン占領と完全に重なる。兄弟の暮らすカッセルは、ナポレオンの弟ジェロームが王として君臨するヴェストファーレン王国の首都だった。兄ヤーコプは後年、この時代を、ドイツが鉄鎖につながれ祖国の名すら消された時期と規定している。屈辱的なことに、当のヤーコプはジェローム王のもとで前例のない高給を得ていた。伝承や文学伝統の蒐集は、この抑圧の時代を乗り越えるための行為だったと弟ヴィルヘルムは述懐している。

     イェーガーによれば、当時のドイツでは狼はナポレオンとフランス人を指すイメージとして流通していた。アルントは「時代精神」(1806)でナポレオン体制を〈鋭い歯〉を持つ〈狼〉と呼び、クライストは「ヘルマンの戦い」(1808)で〈おおドイツよ、きみの住む囲いに狼が入りこむ〉と歌い、翌年には〈狩人たち〉に〈狼〉を〈撲殺せよ〉と檄を飛ばした。

     この文脈では、猟師による救出は単なる物語上の解決ではない。占領から解放されるドイツへの政治的希望として読まれえた、とイェーガーは論じる。これが正しければ、グリムのハッピーエンド化は、占領下で救いの希望を物語に与える政治的パフォーマンスだったことになる。

     狼の腹から救出された赤ずきんが「ふたたび立ち上がるドイツ民族」(MGGA=メイク・ジャーマニー・グレイト・アゲン)の象徴だったとしたら、19世紀の神話学者が「沈んでまた昇る太陽」だの、20世紀の精神分析家が「死と再生の表現」だのと解釈したのもよくわかる。そういうものとしてグリムが書いたものを、そういうものとして読んでいるだけだ。ただしその意味を込めたのは「古代民族」でも「集合的無意識」でもなく、19世紀を生きたふたりの兄弟だった。

     なにがおもしろいって、この読みを示したハンス゠ヴォルフ・イェーガー、ハンスの愛称はヘンゼル、ヴォルフは狼、イェーガーは狩人。耳で聴くと「ウルフハンター・ヘンゼル」になるんだ。

     ラ・フォンテーヌの道徳的宙吊りにペローが明確なメッセージで応答したように、ティークの政治的宙吊りにグリムが応答した、と考えていいだろう。グリムのスタンスが単純な「ドイツ上げ」でなかったことは、あとの章で論じる。

    もうひとつの結末——祖母と孫の返り討ち

     グリム版にはもうひとつ見落とされがちな特徴がある。猟師の救出で話が終わったあと、例外的に〈こんな話もあります〉と異本(ヴァリアント)が続くのだ。

     この異本の赤ずきんは狼に騙されない。声をかけられても道を外れず、祖母の家に着くとすぐ狼のことを報告。祖母は戸を閉めさせ、屋根で待ち伏せする狼にたいして、ソーセージの煮汁を家の前の石の桶に運ばせる。匂いに釣られた狼は首を伸ばしすぎて屋根から滑り落ち、桶で溺れ死ぬ。受け身だった赤ずきんが、今度は祖母と連携して捕食者を返り討ちにするわけだ。

     ハイドマンは、グリムの情報提供者たちが、ペロー作品として流通していた「フィネットあるいは明敏な王女さま」を記憶していた可能性を示唆する。「フィネット」は実はレリティエという別の作家の作品で、18世紀に誤ってペロー作品集の末尾に置かれたものだった。グリム版が複数の書かれた作品の痕跡を抱えていることは確かだ。

    紙と活字とインクの痕跡

     振り返ろう。ペローの「赤ずきんちゃん」はラ・フォンテーヌへの応答として書かれ、グリムの「赤ずきん」はティーク経由で猟師を取りこみ、「狼と七匹の仔山羊」の結末を借用し、レリティエ作品の記憶を異本として抱えている。この話の周囲には、いたるところに紙と活字とインクの痕跡がある。

     起源は17世紀のペローの書物であり、それが18世紀最後の年にティークへ、1812年にグリムへと書承され、最後になって、1885年にニエーヴルで語られることでアシル・ミリアンへと口承された(連載第1回参照)。口承されたと思ったら、もうミリアンはそれを書き留めてしまった。

     にもかかわらず、赤ずきん研究の多くはこの文字の連鎖を素通りして、農村の夜なべや焚火のまわりに「原話」を求めてきた。文書として確認できるものを、確認できないものの証拠として読む、という逆立ちした手続きだ。赤い頭巾を、19世紀の学者は太陽だと言い、20世紀の学者は経血だと言い、21世紀の学者は胞衣(えな)だと言っている。

     書かれたものは、書かれたものとして読む。それだけのことだ。ノスタルジックな民俗社会のイメージを押しつける前に、確実に存在する書かれた言葉を、書かれた時代と場所の文脈のなかで読む。そこから始めれば、赤ずきんはまったく違った顔を見せてくれる。

     ダンダスは「文学研究者は民俗学に馴染みがないから、わかんなくてもしょうがないよなあ」と上から目線で書いた。でもその論文を読むと、民俗学者が17世紀フランス文学(だけじゃなく、文学作品)に馴染みがなかったことがわかる。

     ダンダスは民俗学の門外漢に苦言を呈したけど、ダンダスが立ってた場所は、文学研究の門外だった。

     もちろん、民俗学のドグマをそのまま受け入れた僕ら文学研究者の知的怠慢も、同じくらい重いものだった。

    (つづく)

誰もが知る「赤ずきん」「シンデレラ」は、本当に民衆が口伝えで守ってきた物語なのか? ペロー、グリム、そして民俗学の「常識」をたどり直し、おとぎ話の作者と伝承をめぐる長い調査の旅が始まる──。

【編集部より】『青ひげ夫人と秘密の部屋──「見たな」の文学史』(光文社)で第79回日本推理作家協会賞(評論・研究部門)を受賞した千野帽子さんの次のテーマは、おとぎ話! 本連載では、現在準備中の受賞後第一作『赤ずきんには作者がいる』の刊行に先駆けて、そのエッセンスをギュッと凝縮してお届けします。
赤ずきんには作者がいる
千野帽子
千野帽子(ちの・ぼうし)

兼業文筆家。フランス政府給費留学生としてパリ第4大学に学び、博士課程修了。著書に『人はなぜ物語を求めるのか』『物語は人生を救うのか』(ちくまプリマー新書)、『俳句いきなり入門』(NHK出版新書)、『読まず嫌い。』(角川書店)、『文藝ガーリッシュ』『世界小娘文學全集』(河出書房新社)、『文學少女の友』(青土社)、共著に『東京マッハ 俳句を選んで、推して、語り合う』(晶文社)、編書に『富士山』『夏休み』『オリンピック』(角川文庫)、『ロボッチイヌ 獅子文六短篇集モダンボーイ篇』(ちくま文庫)、訳書にマリー=ロール・ライアン『可能世界・人工知能・物語理論』(水声社)、トマス・パヴェル『小説列伝』(水声社)がある。『青ひげ夫人と秘密の部屋──「見たな」の文学史』(光文社)で第79回日本推理作家協会賞受賞(評論・研究部門)。