斧原孝守『赤ずきんの運命、シンデレラの謎』第1部を読む
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口承論者の書物
斧原孝守『赤ずきんの運命、シンデレラの謎——東アジアにたどるメルヘンの源流』(三弥井書店、2026年5月)の第1部を読んだ。「赤ずきん」の源流を東アジアに求める、4つの章からなる論考だ。
まず前提を確認しておく。斧原氏は口承論者だ。つまり、おとぎ話の本体は民衆の口から口へ伝わってきた話であり、ペローやグリムの本はその流れの一部を汲み取って文字に固定したものにすぎない、という立場。日本の学者の多くはこの立場だ。
したがって氏が扱う資料の大半は、19世紀末から20世紀にかけて世界各地で採集された「類話」——民俗学者や採集者が現地の語り手から聞き書きした話——になる。書物から書物へという僕の追いかけかたとは、そもそも見ている対象が違う。
この本を読んだ理由
あまたある類書のなかでこれを選んだのは、以下の理由だ。
・最新(刊行されて3か月しかたっていない)。直近の研究動向(とくにデジタル人文学 による新しいアプローチ、ATU への再批判など)が反映されている可能性がある。古い本では見落とされる論点が拾えると期待した。
・『猿蟹合戦の源流、桃太郎の真実 東アジアから読み解く五大昔話』(三弥井書店、2022)、『昔話「力太郎」ユーラシアを翔ける 比較民話学の試み』(同2024)と、すでに何冊も本を出している著者。ぽっと出ではない(昨年3月からおとぎ話研究を始めた僕のほうがよほど「ぽっと出」)。複数著作の積み重ねがある著者なら、一度きりの仮説ではなく、学説の変遷・検証・修正の過程が見える。単著よりも信頼できる指標になる。2年に1冊これを出すというのはなかなかすごいことだ。
・註がついていて、学術論文の様式を満たしたものの集成。脚注・参考文献の「かたちの厳密性」が、推論の質を浮き彫りにする。比較民話学の方法論的に無意識な部分(循環論法、定義としての話型vs仮説としての話型の混同、など)が顕在化しやすい。
・1冊で赤ずきんちゃんとシンデレラというおとぎ話ヒロインの2トップ+長靴をはいた猫というトップスターをあつかっている。赤ずきんとシンデレラは、比較民話学のなかでもっとも研究が集中した領域であり、文学研究者による「ゆるふわ文化論」(いずれ別稿で取り上げる)の好餌にもなってきた。3例を同時に扱う著作は、著者が「横断的な視点」を持っているか、あるいは従来のパラダイムの枠内で処理しているかが見えやすい。
足に紐を結ぶ
議論の骨格はこうだ。
ヨーロッパの「赤ずきん」といえば、ふつうは狼に食べられて終わる(ペロー版)か、猟師に助けられる(グリム版)。
ところがフランスの地方で採集された類話には、それとは別の型がある。連載第1回で取り上げた「お祖母さんの話」だ。少女が祖母の家に着くと、化け物(狼、あるいは人狼)がすでに祖母を食い殺して待ちかまえている。おなじみの「おばあさん、なぜそんなに手が大きいの」という問答があり、少女は自分が食われそうだと悟る。そこで少女は、外で用を足したいと言う。化け物は逃げられては困るので、少女の足に毛糸を結びつけ、その端を握って外に出してやる。少女は外に出ると毛糸を木か家畜にくくりつけ、そのまま走って逃げる。化け物が毛糸を引っぱっても、返事があるばかりで少女は戻ってこない——。
これが「逃げる赤ずきん」だ。狼に食われて終わらない。少女は自力で逃げおおせる。
そして中国には「老虎外婆」(虎婆さん)と呼ばれる話が、それこそ無数にあるという。母や祖母に化けた虎が家にやってきて、子どもを食おうとする。子どもたちは正体に気づき、逃げようとする。ここで虎は、逃げられないように子どもの足に紐を結びつけ、その端を握ったまま外に出してやる。子どもは紐を木にくくりつけて逃げる。
足に紐、だ。
ただ「化け物に追われて逃げる」だけなら、世界中どこにでもある話だ。だが「逃げないように足に紐を結ぶ」という奇妙に具体的な段取りが、中仏双方に出てくる。しかもそれが同じ位置(正体露見と逃走のあいだ)に嵌まっている。斧原氏はここに手応えを感じている。
〈同一の主題を持ったむかし話が遠く離れた地域で偶然に成立することはあり得るが、同時に複数の特殊なモチーフまで偶然に一致することはあり得ない〉(32頁)。
この判断は正しい。特異な装置が複数、同じ順序で共起していれば、それは偶然ではなく、なんらかの接触の結果である可能性が高まる。問題は、その接触が何によって媒介されたのかだ。
旧石器時代への道
斧原氏の答えは、こうなっていく。中国の「虎婆さん」は東アジア全域に厖大な類話をもち、その周縁部(日本、韓国、琉球、チベット、雲南)には、逃げた子どもが天から下りる鎖で天に救い上げられるという結末をもつ一群がある。氏はこれを「月の鎖」と名づけ、こちらこそ古形だとする。さらに「人食い妹」(ATU 315A)という別の話型を持ち出し、両者が同一の月の起源神話から分化したものだと論じて、最後にこう書く。
〈この神話の成立は旧石器時代にまで遡るということになる〉(155頁)
旧石器時代だ。ペローの1697年から、一気に何万年か遡った。
おもしろい本だと思う人もいるだろう。それは間違いない。東アジアの類話を集めて分布図を描き、モティーフの一致を丹念に拾っていく手つきには、職人的な快感がある。ATU分類が「赤ずきん」をヨーロッパに閉じ込め、中国の「虎婆さん」や日本の「天道さん金の鎖」を類話に含めなかったことへの批判も、まったく正しい。著者は自分の方法についても、驚くほど自覚的な一文を書いている。
〈古いテキストがあったとしても、それがその時代に語られていた話をそのまま記録したものであるという保証はないのである〉(20頁)
さて、この一文のあとに何が起きたかを見なければならない。
原則の裏面
さて、いま引いた一文は、じつはドイツ文学者・橋本嘉那子への反論として書かれたものだ。ペロー版のほうが記録年代が古いからといって、19世紀以降に採集された「逃げる赤ずきん」より古い形式だとは言えない、という論だ。
この論理そのものは不可能ではない。本文の記録年代と、そこに書かれた形式の古さは別物だ。ペロー版が1697年に存在することは、1697年時点でその形があったことしか証明しない。それがそれ以前に遡るかどうかは、本文の存在からは決まらない。当たり前だ。
だが、この原則には裏面がある。記録年代が形式の古さを保証しないのなら、採集の年代もまた、形式の古さを保証しない。1935年に喜界島で採集された話は、1935年に喜界島でそう語られていたことしか証明しない。それが100年前からそうだったのか、500年前からそうだったのか、この資料からは何もわからない。
斧原氏はこの原則を、ペロー版を退けるためには使う。しかし東アジアの類話に対しては使わない。本文の記録年代と、そこに書かれた形式の古さは別物だ。20世紀に採集された話が「古層」だと言うとき、その古さはどこから来るのか。
答えは「周縁部残存論」だ。氏はこれを明示的に定式化している。
〈およそ同一類型のむかし話の分布を見たとき、その分布圏の周縁部に特異なモチーフが共通して現れ、中央部にそれが欠けている場合、周縁部に現れる形式は中央部のそれより古いと考えることができる〉(123頁)
これで、採集年代の問題は迂回される。喜界島の話が古いのは、記録が古いからではなく、喜界島が周縁だからだ、というわけだ。
しかしこの原理は、どこから来たのか。
なぜ周縁に古い形が残ると言えるのか。周縁だから、と答えることはできない。それでは同語反復になる。
ではどうすれば確かめられるか。「この形は古い」を、周縁にあること以外の方法で(たとえば古い文献に見えることによって)独立に示し、それが周縁部に残っているのを確認すればいい。だが、そんな文献があるなら、そもそも周縁部残存論など要らない。文献自体が根拠になる。
つまりこの原理は、検証できる場面では不要であり、必要な場面では検証できない。斧原氏はこれを検証せずに使う。というより、この原理を使うことによってのみ、氏の年代論は成立している。
もっとも厄介なのは、この原理が言えることの範囲だ。周縁部の分布から、何が出てくるのか。
ひとつだけ出てくる。各出現は互いに独立ではない、ということだ。遠く隔たった土地に同じ特異なモティーフが現れる以上、それぞれ偶然に生まれたのではない。この推論に文句はない。氏の言うとおり。
でも、それはそれらの話が歴史的につながっていると言っているだけで、どちらが先かは何も言っていない。
「Xが先に届き、中心で後からYが生まれてXを追い出した」を出すには、隠れた前提がふたつ要る。伝播の源がひとつであること。その源から放射状に広がったこと。このふたつを認めれば、たしかに遠いところほど古い波が残る。
では斧原氏の言う「周縁」は、なんに対する周縁か。漢族居住地帯に対する周縁だ。琉球、雲南、チベット、朝鮮半島、ニコバル諸島。
漢族から見れば、辺境だろう。だが世界地図の上では辺境ではない。海に開き、陸で他文明と接する、接触帯だ。
もし話が外から来たなら——インド洋から、中央アジアから、あるいはもっと西から——それらの土地は周縁ではなく最前線になる。外来のXが縁に取りつき、内陸までは届かない。すると分布図は、氏の描くものとまったく同じ形になる。中心になく、縁に散在する。同じ図が、正反対の歴史を意味しうるのだ。
読み分けるには、Xの起点を独立に知っていなければならない。そして氏には、それを知る手段が分布のほかにない。つまり氏は、「漢族が中心である」という前提を、証明せずに置いている。中心を漢族に固定した瞬間、その外側は自動的に「周縁」になり、周縁部残存論が作動し、そこにあるものが「古層」になる。だが、中心をどこに置くかこそが、証明を要する当の問題なのだ。
伝播の波が紀元前に出発したのか、18世紀に出発したのか。周縁に届き、中心が作り替える——その一巡が数万年かかったのか、二百年で済んだのか。分布図は、そのどちらとも区別できない。
斧原氏には、その物差しがない。あるのはペローより100年新しい『廣虞初新志』と、20世紀の採集記録だけだ。物差しを持たないまま、氏は層序を年代へ読み替える。跳躍はそこにある。「先」から「旧石器時代」までの距離が、支えられていない。
最古の「虎婆さん」は、いつのものか
では、年代のほうはどうか。氏が「中国最古の『虎婆さん』」として挙げるのは、「虎娼伝」という一篇だ。出典は黄之輿(黄承増)編『廣虞初新志』(1803)。
1803年といえば、グリム兄弟がブレンターノと出逢った年だ。「最古の『虎婆さん』」は、ペロー版(1695)より108年新しい文献に載っている。
『廣虞初新志』は、張潮編『虞初新志』(康熙年間、1683年初刊、1700年ごろ完成)の続篇・増補版にあたる。張潮版はペローとほぼ同時代。もし「虎娼伝」が張潮版にあるなら、斧原氏はそちらを引くはずだ。引いていない。ということは、張潮版にはおそらくない。つまり「虎娼伝」は、清代後期になって初めて文献に現れる。
さらに、氏が挙げる東アジアの類話は、韓国の「三兄弟と狐妹」も、琉球の各島の話も、雲南やチベットの少数民族の話も、採集はほぼすべて20世紀だ。孫晋泰の朝鮮採集が1920年代、岩倉市郎の喜界島採集が1935年、中国の民間故事集成にいたっては1980年代の事業だ。
つまり、こういうことになる。氏が「ペロー版より古い形」として提示する資料は、ひとつ残らずペロー版より新しい記録だ。
反証できない説
これは、口承論者にとっては当たり前のことだから、決定的な弱点ではない。口承は記録されないから口承なのであって、記録が新しいことは話が新しいことを意味しない。氏はそう言うだろう。反論としては成立している。だが、口承は本当に古形を保存するのか。
連載第5回で述べたように、ジャック・グディが報告した、ガーナのゴンジャ族の例がある。この国の建国者には7人の息子がいたと語られていた。それぞれが7つの行政区画の始祖である。ところが60年後、息子は5人になっていた。そのあいだに2区画が消滅していたのだ。消えた区画に対応する息子たちは、いつのまにか「初めからいなかった」ことになっていた。
ナイジェリアのティヴ族でも同じことが起きている。英国人が書き留めた系譜と、数十年後に当人たちが語る系譜が、大きく食い違っていた。当人たちは、同じだと言い張った。嘘をついていたのではない。彼らにとって、それはほんとうに同じだったのだ。
口承は、現在に合わせて過去を作り直す。そして作り直した痕跡は、作り直しと同時に消える。だから語り手は、自分がいま語っているものが「むかしから変わらぬもの」だと信じることができる。
ここに、書物との決定的な非対称がある。書かれたものは、書かれた時点で固定される。だから古い版と新しい版を並べれば、変化が見える。見えるから追える。追えるから系譜が立つ。
口承は固定されない。古い語りと新しい語りを並べることができない。並べられないから、変化が見えない。そして変化が見えないことが、変化がなかったことの証拠であるかのように扱われる。
斧原氏が20世紀の採集記録に「古層」を読むとき、氏はゴンジャの語り手と同じ位置に立っている。目の前のものが古いという保証は、それが古く見えるということのほかに、ない。
対して、書物から書物への伝播という説明は、反証できる。ペロー版が中国に届く経路がなければ、その説は死ぬ。実際、僕はいま『廣虞初新志』とペローの間に接触があったなどとは、まったく主張していない。それは検証すべき問いであって、答えではない。だが、少なくとも問いとしては、答えが出せる形をしている。
斧原氏の説には、その形がない。
第4章の末尾で、氏は旧石器時代に到達する。ケット人の言語が北米のナ・デネ語族と親縁関係にあるという言語学の説を引き、ベーリング海峡を渡った初期人類がこの神話を新大陸に運んだのだとすれば、成立は旧石器時代に遡る、と。
ここには、もはや反証の余地がない。1万数千年前の口承について、誰が何を確かめられるというのか。
そして、この帰結は偶然ではない。「記録の新しさは話の新しさを意味しない」という原則を一度受け入れれば、遡及に歯止めがかからなくなる。どこまで遡ってもよいのだから、どこまでも遡る。旧石器時代は、この方法の失敗ではなく、この方法の完成形だ。
僕がこの本から得たのは、そういう認識だった。
等高線と、それを引いた手
もっとも、公平を期すために言っておかなければならないことがある。
この本の分布分析は、精緻だ。それは認める。
たとえば第三章。「人食い妹」の類話を、韓国、対馬、壱岐、九州、奄美、沖縄本島、粟国島、徳之島、宮古島……と地図の上に並べていく。すると、韓国では呪的逃走型と呪物・樹上型、九州では樹上逃走型、琉球では中央部に呪的逃走型と樹上逃走型、南北の端(徳之島と宮古島)にだけ呪物・樹上型、という妙にきれいな分布が浮かび上がる。
これは、そこそこ見ものだ。斧原氏はさらに、九州で呪的逃走モティーフが脱落したのは「三枚のお札」の流行に押されたからではないか、と推測する。呪的逃走を売り物にする話が別に流行すれば、そちらに需要が吸われる。ありそうな話ではある。
こういう観察は、資料を大量に見ている人間にしかできない。氏はそれをやっている。僕にはできない仕事だ。
問題は、この精緻な観察が、どこにも接続されていないことだ。
分布は現在の分布であって、歴史ではない。地図の上に等高線を引くことと、その等高線がどうやってできたかを言うことは、別の作業だ。斧原氏は前者をやり、そして後者を、周縁部残存論という一枚の公理で一気に飛び越える。等高線を見れば歴史がわかる、というわけだ。
申しわけないが、わからない。
分布から歴史を読むには、分布がなんによって作られたかを言わなければならない。人が動いたのか。本が動いたのか。それとも、採集者が動いたのか。
話が動いた、とは言えない。話に足はない。話が動くというとき、実際に動いているのは人か本のどちらかだ。「話が広まった」という言いかたは、その担い手を伏せたまま、結果だけを述べている。説明ではなく、説明の省略だ。
そして、この省略こそが口承説の常套句なのだ。担い手を問わずに済ませられるから、便利に使える。斧原氏の本にも、この種の言い回しは繰り返し現れる。「東アジアに広がっていた」「西方に伝わった伝承の末流が」。だれが運んだのかは、書かれていない。
考えてみてほしい。喜界島に「人食い妹」があると我々が知っているのは、1935年に岩倉市郎がそこへ行ったからだ。行かなければ、分布図に喜界島は載らない。中国の少数民族の類話が大量に「発見」されたのは、1980年代に中国民間文学三套集成という国家事業が動いたからだ。動かなければ、雲南も青海も分布図に載らない。
分布図は、伝承の分布図である以上に、まず採集事業の分布図なのだ。斧原氏はこれを区別していない。というより、区別する方法をもっていない。
主張されない説
さて、では僕はこの本の第1部をどう評価するか。
一言でいえば、これは口承起源説の、きわめて誠実な標本だ。
誠実というのは皮肉ではない。斧原氏は隠していない。周縁部残存論を明示的に定式化しているし(第4章)、自分の年代論の根拠がそれであることも書いている。「現在の類話の分布と形式からみた、この物語の歴史についての大まかな見通しである」(112頁)と、限界も述べている。わからないことはわからないと書く。「このことが何を意味するのか、今の私には答えられない」(156頁)という一文まである。
つまり、この本を読めば、口承起源説がどういう前提の上に立っているかが、はっきり見える。隠されていないから見える。
そしてそこに見えるのは、こういう構造だ。
口承起源説は、主張されていない。
証明されていないという意味ではない。主張されてすらいない、という意味だ。斧原氏は「これらの話は口承で伝わってきた」と論証しない。論証しないまま、それを前提にして話を進める。中国の類話も、琉球の類話も、シベリアの類話も、口承であることは自明のこととして扱われる。書承の可能性は、否定されるのではなく、そもそも視野に入らない。
だから反論のしようがない。反論すべき命題が、どこにも立てられていないのだから。
口承起源説とは、主張されるものではなく、主張されずに済むものなのだ。
この本の第1部は、その最良の実例だった。
本書第2部はシンデレラだ。ここでは事情が少し変わる。「葉限(しょうげん、あるいはようげん)」が控えているからだ。9世紀、段成式『酉陽雑俎』に載る、継母にいじめられ、魚の骨の助けで美しく装い、片方の靴を落とす娘の話だ。
こちらはペローより800年古い。しかも、口承の採集記録ではなく、書物だ。
さて、斧原氏はこれをどうあつかうのか。これについての評はnoteで公開している。