むかし話は作れる──「フォックスさん」のケース
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グリム兄弟は『子どもと家庭のメルヒェン集』初版第1巻(1812)の序文で、〈昔話は作り出すことができないものなのだ〉と書いた。でも、「蛙の王さま」(連載第9回)、「赤ずきん」(第11回)など、グリムのメルヒェンの多くは印刷物として誕生し、民間伝承としての箱書きをつけられたものだ。つまりちゃんと「作者がいる」。
連載第7回、第8回をお読みになったあなたは、18世紀後半の英独両地は、山ほどの偽書、贋写本、架空伝承、箱書き偽造、産地偽装の実例集となっていたことを知っている。おとぎ話がどのような経路を辿って「民間伝承」「口承起源」に見せかけられていったか、19世紀の人たちがどのようにしてそれを信じていったか、どれほど彼らがそう信じたかったか、おわかりいただけたのではないかと思う。そして第9回は、「蛙の王さま」がどのように作られたか、というケーススタディだった。
それでは、あの偽書の実例集を踏まえて、「むかし話の作られかた」のケーススタディをもうひとつやってみよう。舞台は英国に飛ぶ。
シェイクスピアの謎の台詞
シェイクスピアの喜劇『から騒ぎ』(1599?)第1幕第1場で、ベネディックがある奇妙な台詞を口にする。
クローディオはヒアローに惚れていることを友だちのベネディックに打ち明けている。ところがベネディックが、主君に「こいつは恋してます、相手はヒアローです」とバラしてしまう。クローディオは「そうだとしたら、そういう言われかたになるんだろうね」と、認めも否定もしない体裁だけを取る。ベネディックはその言いかたに笑う。「いやいやいや、明らかに気になってるくせに、『え? そんなんじゃないよ……』って必死で白を切ってるじゃん(笑)」
そこで、クローディオに向かって言うのだ。
〈あの古い話みたいに、「そんなことはない、そんなことはなかった。神さまどうかそんなことがありませんように」とくるか〔Like the old tale, my lord: it is not so, nor ‘twas not so; but, indeed, God forbid it should be so.〕」〉
〈神さまどうかそんなことがありませんように〉……「ほんとに恋なんかじゃありませんように」ってこと? なにこの胸がキュンキュンするせりふ……。さすがは世界文学史上ラブコメを発明したとされる文豪シェイクスピアである。
(じつは僕の説では、ラブコメは世界文学史上、3回発明されている。英国で2回、フランスで1回。『ラブコメは3度生まれた』という本を書きたいと思ってる)
名探偵ブレイクウェイ、快刀乱麻を断つ
さて、〈あの古い話〉というのがわからない。シェイクスピアが言ってるのは〈あの古い話みたいに〉、だ。どの話かは特定してない。シェイクスピアは観客が「ああ、あの話ね」とわかることを期待してこの台詞を書いたのか、それとも単なる慣用句として使ったのか。そこが問題の核心。
で、『から騒ぎ』が初演されてから220年以上経って、1821年に名探偵があらわれて、快刀乱麻を断つがごとく「私は知っている、それはこういう話だ」とこの謎を解明したわけだ。
大見得切った探偵の名はジョン・ブリックデイル・ブレイクウェイ(1765-1826)。
〈これまでどの註釈者も、この台詞を理解していなかったと思う。これは話者が言っているとおり、ある古い話への仄めかしであって、その話はおそらくいまもこの種の話を集めたコレクションのどこかに現存しているか、あるいはシェイクスピアが私と同じように、幼少期に大おばから聴かされた話かもしれない〉
サミュエル・ジョンソン(連載第7回で『オシアン』のマクファーソンを詐欺師と呼んだあの男)を含む、これまでの全註釈者を雑魚呼ばわりするかのようなこの宣言。新本格ミステリに出てくる高飛車な名探偵のようだ。
ブレイクウェイはシュルーズベリーの聖職者でもと弁護士、郷土史の著作もある地方知識人だった。聖職者で名探偵とか、ブラウン神父や『薔薇の名前』の「バスカヴィルのウィリアム」みたいでかっこいいね。
ここからブレイクウェイは、「フォックスさん」の話をしてくれる。
「フォックスさん」はこんな話
〈むかしむかし、二人の兄をもつ若い令嬢がいた(話のなかではレイディ・メアリと呼ばれる)〉。
メアリは近隣のフォックス氏と親しくなり、屋敷を見に来るよう繰り返し誘われる。メアリは供も連れず単身で訪ねる。
応答がないので自分で扉を開けて入ると、広間・階段・回廊と、進むたびに同じ警句が掲げられている。
〈勇気をもて、勇気をもて、されど勇気に走るな〔Be Bold, Be Bold, But Not Too Bold〕〉。
最奥の部屋の扉には〈さもなくば汝の胸の血も凍りつかん〔Lest That Your Heart’s Blood Should Run Cold〕〉という句が加わる。
扉を開けると骸骨と血の桶。逃げ帰ろうとすると当のフォックス氏が剣を手に、娘を髪で引きずって戻ってくる! 謡曲「黒塚」を男女逆にしたみたいな展開だ。
階段下に隠れたメアリの膝に、切り落とされた娘の手が腕輪ごと落ちてくる。ウェス・クレイヴン監督作品のようだ。メアリはそれを持ち帰る。
数日後の会食の席で、メアリは「見た夢の話」として一部始終を語る。一区切りごとに「でも、そんなことはない、そんなことはなかった〔But it is not so, nor it was not so〕」と打ち消しながら。
〈やがて死体だらけの部屋のくだりに至ると、フォックスさんが話のリフレインを引き取ってこう言った、
「そんなことはない、そんなことはなかった。神さまどうかそんなことがありませんように〔It is not so, nor it was not so. And God forbid it should be so〕」。
以後、この恐ろしい話のひと区切りごとに、フォックスさんはこの文句を繰り返しつづけた。そしてついにレイディ・メアリが、フォックスさんが若い娘の手を切り落とした場面まで来たとき、フォックスさんが前と同じように
「そうではない、そうではなかった、そしてどうかそうでありませんように」
と言うと、レイディ・メアリはこう切り返した。
「いいえ、そうなのです、そうだったのです、その手ならここにお見せできます」
そう言いながらレイディ・メアリは膝から手と腕輪を取り出して見せた。すると客たちは剣を抜き、その場でフォックスさんを千々に切り刻んだ〉恐ろしい話だ。
と同時に、たいへんよくできている。この物語は、いったいなんだろうか。
〈勇気をもて、勇気をもて、されど勇気に走るな〉(Be Bold, Be Bold, But Not Too Bold)と〈そんなことはない、そんなことはなかった。神さまどうかそんなことがありませんように〉(It is not so, nor it was not so. And God forbid it should be so)という、ふたつのリフレインが、フーガ形式のようなサスペンス効果を盛り上げている。奇妙に技巧的だ。
でも、その技巧的な要素を剥ぎ取ってみると、こんどはだいぶ印象が変わる。タブロイド紙に登場する煽情的な犯罪実話のようなテイストだ。魔法とか超自然が出てこない。ここまで連載のメインターゲットだった一七世紀末フランス妖精譚発のミームとは、発生源が違うかもしれない。ただ、ペローの「青ひげ」に似てるという声はけっこうある。
民俗学者・柳田國男ならこれを〈世間話〉と読んだかもしれない。〈世間話というのは、同じ一夜の火の傍の夜話に、昔話でない今一種あったハナシをいうのである。「何か変った話はないか」という言葉は、世間話を好む者の昔からの常套語であった〉(『民間伝承論』[1934])。
ブレイクウェイ説、学説として認定される
怪人フォックス氏の最期を物語ったあと、ブレイクウェイはこのように註を閉じる。
〈シェイクスピアが明らかに仄めかしている「古い話」とはこの話であり、私が子どものころ何度も若い血を凍りつかせた話である。私以前に、おそらくシェイクスピアの血も凍っただろう。この話を繰り返したことをお詫びするつもりはない。このようなおばあさんの話が、この作家がなにを言おうとしているのかを解き明かす最良の手がかりとなることは明らかなのだから〉(下線強調は原文のまま)
〈おばあさんの話〉(old wives’ tales)は、なにも幼いブレイクウェイにフォックスさんの話をしてくれた大おばさんが老女だったってことを言ってるのではない。「荒唐無稽な話」とか「根拠のない迷信」くらいの意味なのだ。ドイツ語のAltweibergeschichte、フランス語のconte des vieillesも、字義・転義ともに同じ表現。
これが活字媒体における「フォックスさん」のワールドプレミアだ。つまり、シェイクスピアが仄めかしたのは「フォックスさん」という血なまぐさい話だった、というのがブレイクウェイの説明。
ブレイクウェイがこの註をつけたのは、第3ヴァリオラム版シェイクスピア全集(1821)の第7巻。シェイクスピアはたびたび、複数の註釈者の註を綜合して作る「ヴァリオラム版全集」が編まれてきた。そのパイオニアがマローン版(1790)だ。編者は、4年後にアイアランドの新発見シェイクスピア戯曲の化けの皮を剥がすべく、上演2日前に400頁の論文を書き上げることになるあの男、エドマンド・マローンだ(連載第7回参照)。
マローン版シェイクスピア全集は、従来のジョンソン博士らの註を綜合しつつも、初期の刊本を徹底的に調査し、本文の信頼性を飛躍的に高めたとされている。実質これが最初のヴァリオラム方式の沙翁全集なんだけど、ナンバリングされてない。ブレイクウェイの註を含む第3ヴァリオラム版は、マローン歿後に、ジェイムズ・ボズウェルJr.が増補したものだ。
この28年後、シェイクスピア学者ジェイムズ・O・ハリウェルの『俗謡童話集』(Popular Rhymes and Nursery Tales、1849)に「フォックスさんの話」(The Story of Mr. Fox)が収録されている。内容はほぼ同じ。註にはこうあった。
〈素朴だが非常に興味深い話で、かなりの古さを持つ。この話はシェイクスピアが仄めかしており、ブレイクウェイがヴァリオラム版に寄稿した〉。
19世紀末には、この種の説話が「民話」として記録されはじめる。フランスやオーストリアで、さまざまなヴァージョンが採集されているのだ。「ヒロインが3人姉妹」版、「証拠物件が女の手ではなく男の腕」版、「夢語りのギミックなし」版……。ただ、仏墺両国のこれらの採集例に、”Be Bold”および”It is not so”に相当するリフを含むものはない。
英国でこの物語が決定的にビッグになったのは、オーストラリア生まれのユダヤ史家ジョウゼフ・ジェイコブズの『イングランドおとぎ話集』(1890)に収録されたときだ。ジェイコブズは口承採集を標榜せず、書誌学的な透明性を意識している。各話の出典を叮嚀に註記し、どの文献からなにを取ったかを明示しようとした。ここには、グリム流の「口から直接採集した」という曖昧な権威づけへの批判的距離があったとも読める。
ジェイコブズはレイディ・メアリ担当の最初の2回の”It is not so”も全部フォックスさんのシラ切りリフに統一し、全回を直接話法で劇化、その他こまごまと調整して、現在英語圏で知られる形に整えた。
グリム第2版の「どろぼうのお婿さん」
さて、ブレイクウェイの註を含む第3ヴァリオラム版が出るより2年前、グリムの『子どもと家庭のメルヒェン集』第2版(1819)が出ている。そこに収められたKHM40「どろぼうのお婿さん」は、こういう話だった。
粉屋の娘は金持ちの求婚者に、日曜日に森の奥の家に来るよう命じられる。道しるべに灰を撒くという花婿に対し、娘は両ポケットに豌豆(えんどう)とレンズ豆を詰め、歩きながら道に撒いていく。
たどり着いた家は人気がなく、籠の鳥が「引き返せ、若い花嫁よ、ここは殺しの家だ」と二度警告する。地下室で老婆に会うと、「ここは盗賊の巣、お前は殺されて喰われる」と告げられ、大きな樽の蔭に隠してもらう。
やがて盗賊たちが別の娘を連れて帰り、ワインを飲ませて殺し、死体を刻んで塩を振る。その際、切り落とされた金の指輪がはまった指が宙を飛び、隠れていた娘の膝に落ちる。盗賊が探し回るが、老婆が「朝まで待て」と引き止め、睡眠薬入りのワインで全員を眠らせる。
娘と老婆は脱出。灰は風で消えていたが、撒いた豌豆とレンズ豆が月明かりの下で芽吹き、道を示していた。ふたりは無事に粉屋の家に到着。
婚礼の日、宴席で各自が話をする順番になると、娘は「夢の話をします」と前置きしながら、体験したことをすべて語り、最後に「これは夢の話です。でもこの指がここにあります」と言って切り落とされた指を取り出す。花婿は青ざめて逃げようとするが、客たちに捕らえられ、盗賊一味もろとも裁かれる。
「フォックスさん」とは、最後の夢語りのギミックにいたるまで構造が一致している。違うのはふたつのリフレインがないことと、強盗団の下働きの老婆という要素があることくらいだ。委細は省くけど「強盗団の老婆」はアプレイウス『黄金の驢馬』の影響と見られる。
ブレイクウェイはグリムを読んでパクったのだろうか? ここが難しいところだ。
1821年の時点でグリムの英訳はまだ存在しなかった。グリムのメルヒェン選訳の刊行は1823年と1826年、「どろぼうのお婿さん」はブレイクウェイが歿した1826年の巻に収録されている。
ブレイクウェイが学んだ18世紀末のオックスフォード神学部ではドイツ語は要求されなかった。1820年代末のイングランドを舞台とするジョージ・エリオットの小説『ミドルマーチ』(1872)には、当時ドイツ語ができなかったせいで歴史研究の新潮流についていけず、学者として時代遅れになってしまう牧師が登場する。
エリオットが念頭に置いた「新潮流」の牽引者には、グリム兄弟も含まれていただろう。裏を返せば、1820年代イングランドでドイツ語ができない学者にとって、グリムはまだ遠い存在だったということだ。
それでも、フォックスさんの話とKHM40「どろぼうのお婿さん」は似すぎている。
そもそもブレイクウェイの物語紹介は、幼時に聴いた話にしては細部がやたら整っている。筋の運び、表現の段取り、リフ、すべてがくっきりしてて、やけに具体的だ。ブレイクウェイは56歳。幼時にかぎらず、印象深い話の細部なんて、年月が経てば「こういう感慨(恐怖であれ、感動であれ、悲しみであれ)を受けた」のほうが残って、本文の字面の記憶は、部分的にぼやけていくものではないだろうか? このくっきり感はたぶん、たぶんだけど、彼がグリム第2版の情報を持っていたことをあらわしている。
探偵じゃなくて、犯人だった
ブレイクウェイは註の冒頭で、「これまでの註釈者はだれも理解していない」と宣言し、シェイクスピアの台詞が「古い物語」への言及だと断じた。そして、大おばから聴いたというその物語を自ら語り出し、シェイクスピアもこの話を口承で聴いたのだろうとつけ加えた。これは、「ほかの註釈者と違って自分はシェイクスピアと同じミームを受け継いで育ったのだ」と言ってるに等しい。
グリムパラダイムに立つ歴史家ロバート・ダーントンは『猫の大虐殺』(岩波現代文庫)で、〈ラシーヌの芝居やリュリの音楽を楽しむ人々も、幼年時代にはミルクとともに民間伝承を摂取していた〉と夢見たようなことを書いたが、まさにロマン派時代を生きたブレイクウェイは、自分とシェイクスピアとは同じ伝承を聴いて育った乳兄弟なのだと主張するために、「フォックスさん」という架空の民話を捏造したのだろう。
ちなみにジェイコブズ版(1890)はグリム、ブレイクウェイ、ハリウェル、フランスのエマニュエル・コスカンを参照しており、グリムに合わせて証拠を手ではなく、指輪をはめた薬指に変えている。「戻し交配」だ。
基本的に口承論者である民俗学者は、こう言うだろう——スコットランドのジョン・レイドンが報告した「蛙の王さま」の話がドイツにも分布していたように、これだけ似た口承説話が英独両地に独立して伝わっていたとしても不思議はない、と。
でも、この連載ではすでに第9回で、「蛙の王さま」をジョン・レイドンが紹介(捏造?)した話の改作、つまり書承と見なしている。
「どろぼうのお婿さん」とフォックスさんの話の双方の最後の「夢語り」のギミックも、双方に同じ口承があったとする説明を受けつけない。殺人者である花婿を前に、花嫁がすべてを「夢の話です」と前置きしながら語り、最後に切り落とされた指・手を取り出して突きつける——この技巧的な結末構造は、細部の一致が偶然の域を超えている。
16世紀末に英国でメジャーだった話が220年間一度も記録されず、そのままのリフレインを完璧に残したまま、19世紀初頭になって、ドイツでそれにそっくりの話が出版された2年後に急に活字化する──そんなこと、あなたは本気で信じることができるだろうか。
(A)英独にまたがる巨大な口承ネットワークが16世紀末から19世紀初頭まで存在した。
(B)ブレイクウェイにドイツ通の知人がいた。どっちの説明コストが低いかは言うまでもない。「フォックスさん」はブレイクウェイがグリムからパクった公算が高い。
径路はどこにあったのだろうか。1814年にグリムと文通したことが判明しているウォルター・スコットや、1819年にグリム紹介記事を無記名で発表したフランシス・コーエン(のちのフランシス・ポールグレイヴ)とブレイクウェイのあいだに、直接の接触があった証拠はない。でもコーエンの記事は、ドイツ語のできる英国知識人のあいだで『子どもと家庭のメルヒェン集』がすでに一定の注目を集めていたことを示している。そういう人物を経由して、KHM40の存在がブレイクウェイの耳に届いていた可能性は、十分にありえる。証明はできないけど。
この類似を前にしても、口承論者はおそらく痛くも痒くもないだろう。これくらい複雑な話でも文字記録なしに広域分布すると、彼らは本気で信じているからだ。夢語りのギミックも、口承の過程で自然に洗練されたと言い張りそうだ。
ただ、それを言い張るにはなにかを示す必要がある。KHM40とフォックスさんの話のあいだにある一致を「偶然」と呼ぶなら、その根拠を口承論者の側が出さなければならない。僕も書承経路の最後の一歩は詰めきれていないけど、書承連鎖の可能性が排除できない以上、立証責任は口承論者の側にある。
そもそもマローン版沙翁全集って、見てみたらあのジョージ・スティーヴンズ(連載第7回参照)が書いた註もたくさん入ってるんだよ? 書簡捏造・墓石偽造・毒性植物デマの下手人のくせに、シェイクスピア贋写本問題でアイアランド父子を糾弾したスティーヴンズだ。スティーヴンズの註は1821年の増補版にもしっかり残っている。
つまり、シェイクスピア学者という人種にもまた、けっこうな割合で同時代人のグリム兄弟と同種の喰わせものが混じってる、と考えたほうがいい。
ところで、大陸の類話になくて「フォックスさん」にあるもうひとつのリフレイン、〈勇気をもて、勇気をもて、されど勇気に走るな〉こちらの謎がまだ解けてない。
これについて、次回踏みこんでみる。
(つづく)