第12回 薬の副作用の話

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

私が初めて精神薬を服用したのは高校生の時だった。抗うつ薬と睡眠薬を処方され、毎日飲んでいた。症状はいくらか緩和されたが、体重が1ヶ月で3キロ太った。私はびっくりして次の診察で主治医に

「体重が3キロ太ったんですけど、薬が関係あるんでしょうか?」

と聞いてみたら

「関係ありません。あなたの不摂生じゃないの?」

と言われた。

私は薬を飲み始めてから、これといって生活習慣を変えたわけではなかったが、薬が関係ないとわかったので、激しいダイエットを始めた。ちょうど夏休みだった。私は友達がいなくてなんの予定もないので、ひたすら腹筋やスクワットをして、食べる量を大幅に減らした。夕食のトンカツの衣は剥いで食べた。ご飯は半分以下にした。その甲斐があって体重は1ヶ月で3キロ減った。しかし、夏休みが終わって、また普通の生活を始めたら体重は元に戻った。まだ、10代。思春期。私は辛くて、辛くて、仕方なかった。

成人して、勤めた会社がブラック会社だったため、私は自殺未遂をして会社をやめた。そのあと、しばらくしてから、精神科のデイケアに医師の勧めで通い始めた。デイケアには太っている人が多くて少し不思議に思った。

そして、デイケアの「お薬教室」という薬の勉強の会で、精神科の薬は副作用で太ると初めて知った。そのほかにも口渇といって、口がやたら乾いたり、眠気が強くなったり、便秘になったり、手指が震えたりと、数え切れないくらいの副作用があることがわかった。私も何個か心当たりがあった。私の最初の主治医は「あなたの不摂生」と切り捨てたが、本当は副作用だったのだ。なぜ、正しい薬の知識を主治医は教えてくれなかったのだろうか。

私の副作用で特に酷かったのは、便秘と体重増加だった。一週間便が出ないのは当たり前になり、いつもお腹が張って苦しかった。体重もみるみるうちに増加して、薬を飲む前は47キロだった体重はいつの間にか60キロ近くなっていた。そして、頭がボーッとしていることが多くなった。このままではいけないと、私は一念発起して、ダイエットに取り組んだ。

ネットで、食物のカロリーを全て調べ上げ、1日のカロリーを1200カロリー以下に抑えた。毎日ウォーキングを欠かさず、雨が降っても外を歩き続けた。お腹が減ったら寒天ゼリーを食べた。まるで強迫神経症のようだったと思う。体重を減らすことしか頭になく、お腹が減っていつもイライラしていた。母に対しても冷たく当たった。社会復帰するには痩せてからでないといけないとすら思っていた。太っていることは許し難かったのだ。

半年で10キロのダイエットに成功したが、また数年たつと薬の変更や、増量で体重が前にも増して増えた。最高で80キロ近くあった。その頃の薬の量は1日で30錠近かった。この頃が人生で一番辛かったと思う。太りすぎてしまい、着る服がなくなって、ウエストがゴムのズボンばかりを履いていた。流行っている洋服は入らないので、おしゃれはできなくなった。薬の副作用で動作は緩慢になり、足を引きずるようにして歩いていた。頭はぼんやりしていて、考えるスピードが遅くなった。それなのに、食べることばかり考えてしまう。薬の副作用で食欲が増加していたのだ。

この頃、母に誘われて、九州の方に旅行に行った。現地で牧場を見学した後、牛肉のカレーの試食があった。みんな遠慮して少ししか食べないのに、私は一人でガツガツと全種類のカレーを貪っていた。

母に、

「みっともないからやめなさい」

と叱られた。

精神薬によって、増幅された食欲は、公共のマナーすら守れなくなっていた。一番太っていたこの頃、私は一番、外界との接触がなく、引きこもっていた。それを案じてか母は随分と旅行に連れて行ってくれた。写真が残っているが、その写真の私は見たことがないくらい膨れ上がり、どの写真も目が死んでいた。楽しいリンゴ狩りをしているのに、目が笑っていない。もう、病気が悪いのか、薬が悪いのかわからなくなっていた。

便秘がひどいのも大きな問題だった。とにかく一日中苦しく、トイレにこもっても便が出ないのが当たり前で、私はとうとう下剤を処方された。それで幾分か楽になったが、結果的に薬の量は増えた。抗うつ剤に、睡眠薬に、下剤。下剤を処方されても、しばらくすると効きが悪くなってきて、また便が出なくなってくる。そして、さらに強い下剤を出してもらう。そういう悪循環にハマっていた。私は最終的にイチジク浣腸を自分で使用するようになった。病気を治すために薬を飲んでいるだけのはずなのに、なんでこんな屈辱的なことをしないといけないのだろう。

母が色々と勉強してくれて、全ての食事を作る時に、オリゴ糖を入れるようになった。オリゴ糖は便秘解消にいいのだ。私はしばらくして、お腹が楽になった。

薬の副作用で体重が増えたり、便秘になったりしているのだから、原因の薬を減らせばいいのだがそううまくいかない。薬は、増やすのは簡単だが減らすのはとても難しい。増えた薬に慣れきった体から薬が抜けると、離脱症状というのが起こる。私は耳鳴りがひどくなったり、落ち着かなくなったり、頭痛がしたり、とにかく苦しかった。シャンシャンと耳の奥から音が聞こえてきて、どこかの家がサッシを開け閉めしている音かと思い、外を見るとそんな気配はない。自分が聞こえているのが幻聴なのかと不安になった。

薬が減ると、鬱の症状が出てきて、死にたい気持ちが強くなるし、睡眠薬を減らすと、眠れなくなる。結局、どっちをとるのかということなのかもしれない。私は豚のように太り、死にたい気持ちを抱えて、眠れない夜を過ごしていた。常に喉が乾き、ペットボトルが手放せない。どこから手をつけたらいいかわからないというのは、医者の方も同じだったのかもしれない。

他にも統合失調症と診断された時に、投薬された薬の副作用でアカシジアというのがあり、始終、体がムズムズして動かさずにいられなかった。気晴らしに映画をみようと思い、勇気を出して映画館に行ったのだが、椅子の上でじっとしていることができない。足や手をずっと動かしていないと気持ちが悪い。私は2時間椅子の上で体を動かしていた。映画の筋は頭に入ってこなかった。薬を飲むことによって奪われる楽しい日常。楽だったのは寝ている時くらいだった。眠るのも難しいが、寝てしまえば、意識がなくなる。私はずっと意識がない状態に憧れていた。だから私は自殺したかったんだと思う。

医者に副作用のことを伝えるのも考えものだ。伝えれば副作用止めが出るが、結局、薬の量は増えてしまうのだ。体に良いわけがない。

薬を服用している人は血液検査を定期的に行ったほうがいいそうだ。肝機能にも影響が出ると聞く。一番良いのは、最小量で最大限の効果が出る薬の量を処方することだろうが、そういう名医にはなかなか出会えない。

それに、薬のことを患者側から伝えるのは勇気がいる。医者が患者から「あなたの処方は少しおかしい」と言われたらいい気分はしないだろう。医療ではどうしても医者と患者という力関係が働くので、患者が満足のいく医療が提供されないことが多い。医者が全ての情報を開示して、「あなたの病気はこれこれで、この病気にはこの薬が効きます。でもこういう副作用があります。それでもこの薬を飲みますか?」と説明してくれたらどんなにいいだろうか。

今の主治医はいい主治医で、薬の説明をしてくれるし、副作用が気になると薬を減らしてくれる。今の主治医にたどり着くまで10人以上の医者にかかった。私は今だに太っているのだが、すでに、副作用なのか、中年太りなのか、不摂生なのかわからない。ただ、今は、よく眠ることができ、着る服のサイズがあり、便秘もそんなにひどくないので、これでよしということにしている。ダイエットをしようか悩むが、ダイエットをしている時の、焦燥感、強い自己否定の気持ち、不安定な精神状態を思うと、ダイエットに踏み切れない。

納得のいく医者と薬に出会うまで、20年近くかかっている。恵まれない時があったからこそ、今の幸せを噛みしめることができ、症状がそれなりに落ち着き、健康で毎日を送れることに感謝できる。体重が80キロ近くあり、虚ろな目をした私は過去の写真の中に埋葬されたのだ。私は今、とても元気だ。

 

1977年生まれ。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。自殺未遂の体験から再生までを振り返った著書『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)が大きな反響を呼ぶ。ツイッター:@sbsnbun、note:https://note.mu/sbsnbun、ブログ:http://sbshinbun.blog.fc2.com/