膝の皿を金継ぎ
『空芯手帳』『休館日の彼女たち』、ユニークな小説2作を発表し、国内外で注目を集める作家・八木詠美。本書は著者初のエッセイ連載。現実と空想が入り混じる、奇妙で自由な(隠れ)レジスタンス・エッセイ。

第24回 膝の皿を金継ぎ

2025.10.08
膝の皿を金継ぎ
八木詠美
  • 3か月だけ英会話スクールに通ったことがある。イギリスの文学祭に招待され、ついでに書店や大学などでもイベントを行うことになり、せっかくならば、と通ってみた。

    自分は英会話が苦手だ。海外の出版社とメールのやりとりをしたり、自著の翻訳に関する感想をSNSで見つければ読んだりはするけど、会話をすることはほぼない。学生のときの授業でも、なるべく先生に当てられないようにずっとうつむいていた。恥ずかしい、聞き取れない、といったことよりも、自分が話したことの意味の通じず、相手が困ったような顔をしているのがつらかった。相手がこちらの意図を汲もうとていねいに聞き返してくれると、そんなに大した内容でもないのに、と勝手に委縮した。

    だから30代になってわざわざマンツーマンの英会話スクールに行くのは自分としてはそれなりに勇気のいることで、とにかく現地の読者の言葉を少しでも理解したいというそれなりに切実な願いと、あとは海外のイベントのための英会話スクールということであれば確定申告でも経費扱いになるのではないかというケチな思考からだ。わたしは某英会話スクールの夏の短期プランに、入会金半額キャンペーンも併用して申し込んだ。

     

    そうして迎えた最初のレッスン。講師のジョン(仮名)はアメリカ出身の優しそうな男性だった。お互いに簡単な自己紹介をし、テキストの内容に入っていった。その日のテキストのテーマは「習慣」だった。運動や家事、バーベキューなどさまざまな「習慣」やその頻度を話せるようになるというのがこの単元の狙いらしい。ジョンはさっそく習慣について尋ねてくる。(以下は英語で話されている想定でお読みください)

    「あなたはラーメンが好きですか?」

    「はい、好きです。ときどき食べます」

    「あなたはどのくらいの頻度でラーメンを食べるのですか?」

    「年に3、4回くらいです。味は好きなのですが、胃腸が弱いのです」

    「あなたは何のラーメンが好きなのですか?」

    「しょうゆラーメンが好きです」

    ジョンはわたしとラーメンの関係性についてさまざまな角度から質問を繰り返す。もちろんジョンは途中で英語の表現について解説をしたり、わたしが質問をすれば答えてくれるのだが、基本的にはわたしが自分について話す時間が長い。

    やがて話題はラーメンから「運動」「掃除」「昼寝」などに代わっていくのだが、いずれにしてもわたしは自分の習慣について話さなければならない。レッスンの終わりに「わたしはコーヒーよりも紅茶が好きです」「毎朝、仕事をするときに紅茶を飲みます」「紅茶にはよくミルクを入れます」と話しているときには、シャツの背中は汗で濡れ、視界がチカチカと点滅していた。もうわたしの話はやめましょう、と言いたかったが、そんな主張をする気力も英語力もそのときのわたしにはなかった。

     

    よく考えれば英会話と同じくらい、自分の話をすることが苦手だった。日本語でも苦手なのだ。子どものころからずっと。わたしは明るくもないし、口達者でもない。こんなこと言ったら怒られるかな、せめて変なことは言わないようにしよう、とやたらと緊張し、小学校に入る前後からわたしはなるべく会話を短く、かつ相手が返事に困らないようにしようとし始めた。

    「ペット飼ってる?」「ハムスター」

    「好きな食べ物は?」「クッキーかな」

    どちらも微妙に本当ではなかった。ハムスターは確かに以前飼っていたが既に死んでおり、そのとき飼っていたのはわかめだ。味噌汁に入れた乾燥わかめが大きくなる様子を見て「成長」しているのだと思い、自分でも古いジャムの瓶でわかめを入れて飼っていたのだ。食べ物で一番好きなのは母方の祖母が作ってくれたあられ餅で、特に茶色っぽくて甘辛い部分が好きだった。しかしクッキーの方が女の子っぽくて話のおさまりがいいし、わかめを飼っていると話すと気持ち悪がられるかもしれない。とにかく相手が嫌な気持ちにならないうちに会話のキャッチボールが終わらせようとわたしは言葉を選んだ。相手がこちらについて尋ねるのをやめ、昨日見たテレビの話をし始めてくれるとようやく安心した。

    大人になってからも自分の話をするのが苦手だった。仕事のように話さなければならないテーマが明確ならば問題ない。けれど個人的な話題になると困る。わたしが感じたこと、経験したことを話したところではたして相手は楽しいのだろうか。相手はわたしの話を聞こうとしてくれるけれど、本当は相手はこちらに1ミリの関心もなく、気遣いゆえに話しかけてくれているのではないかと不安になった。

    いつのまにかわたしはよくある話題ごとに相手が納得し、適度に笑ってくれるような定型の受け答えを決めてそのパターンに則って話すようになった。くだらない思いつきもどこかで見つけた美しい言葉も、そっと手帳に書きつけるだけで口から飛び出さないように注意し、一人になったときにときどき取り出して眺めるものの、誰かと出会うとまた急いでしまいこんだ。

     

    しかし英会話のレッスンでは逃げられなかった。レッスンによってはテキスト上の地図を見て道順を尋ねたり(「一番近い地下鉄の駅にはどのように行けばよいですか?」「通りをまっすぐ歩いて、2番目の交差点で曲がってください」)、家電量販店で洗濯機を買ったり(「この洗濯機は大きすぎます。もう少し小さいものはありませんか?」)したが、基本的には自分の話が中心だ。飼っている猫について、週末の過ごし方について、最近観た映画について。

    もちろんわたしは話しながら何度も苦痛を感じる。わたしの話ばかりして申し訳ない。ほら、こんな話つまらないでしょう? そんなふうに思い、わたしは英語の表現についてやたらと質問をしたり、相手にも話を振ってみる。そうすればもちろんジョン(仮)やアビー(仮)、ダニエル(仮)たちはこちらの質問に答え、自分の話もしてくれるのだが、やがてわたしが話すように巧みに誘導していく。彼らがこちらの話に興味があろうがなかろうが、わたしが話せるようになることがこのレッスンのミッションだからだ。

    だから仕方なくわたしは話す。飼っている猫はラグドールという種類でとても大きいことを、週末は本を読むか平日のために料理の作り置きをすることを、『バービー』に主演していたマーゴット・ロビーのことを。英語で話さなければならないし、いくつも質問されるのでいつもの定型パターンではなくその場で考えながら話す。そうすると彼らは文法の誤りを指摘したり、より適切な単語を教えたりしながら、再びわたしに質問をする。わたしは冷や汗をかき、視界がチカチカと点滅し始める。

    しかし毎回話していれば少しは慣れるもので、20回のレッスンを終えるころには視界の点滅はそこまでひどくなくなった(汗は最後まで止まらなかった)。少し面白いことや珍しいことがあると、次のレッスンではこれを話してみようかなと考えるようになった。そうして気づいた。一連のレッスンは自分について話すことを許すための練習だった。あるいは自分自身を許すための。

     

    英会話のレッスンが始まるのと前後して、このエッセイの連載の依頼が来た。最初は断ろうと思っていた。小説とちがってエッセイは自分の話だし、ある決まったテーマについて書くのではなく、毎回自由に書くとなると難航するのは目に見えていた(わたしが普段どのように生活し、感じているかを自由に書いてほしい、という依頼だった)。実際、難航した。馬鹿みたいなんじゃないかとか、こんな話誰が読んでくれるのだろうと考えては書いたものを次々と消し、けれどそんなに取り繕っても仕方ないのだからと思って結局書いた。

    WEB連載のタイトルを決めるとき、いくつか案を出す中で「膝の皿を金継ぎ」というフレーズが頭に浮かんだ。金継ぎ教室に通い出したという知人が「そういえば最近太り過ぎて膝の皿が割れそう」と話していたので、膝の皿も金で継げればいいのに、と思って手帳にメモしていたのだ。本当にくだらないと自分でも思うのだが、気づいたときにはそれを口にしていた。

    かつての自分だったらまず言わなかったと思う。けれどそのときの自分は言ったのだ。自分のことも少しは話してみようと思った。この忙しくて乱暴な世界で、自分に言葉があることを、ともすれば自分がいることすら忘れそうになるけど、まずは自分のことを書いてみよう。もしかしたらわたしはもう少し自分のことを許せるかもしれないし、ひょっとしたら誰かが読んでくれるかもしれない。あなたが今この文章を読んでいるように。

    そうして書いてみたところで、煮物をよく作るとかピラティスに通い始めたとかどれも大した話ではないけれど、思い返せばわたしのまわりの人はそういう話を面白がってよく聞いてくれていた。もちろんそうでない人もいて、わたしはそういう人の表情ばかりつい気にしてしまうのだけど、多くの人はこちらが楽しそうに話せば楽しそうに聞いてくれて、困って相談すれば真摯に耳を傾けてくれた。勝手に諦めていたのはたいていわたしの方だった。

    とはいえ、だからといってあなたにもこれらの話を楽しく読んでほしいとはとてもお願いできない。けれど叶うならば、何かの縁で今この文章を読んでいるあなたが、安心してあなたのくだらない話も大切な話もできること、そういう場所にいることを、わたしはずっと願っています。

     

     


    いただきありがとうございました。し、ります。どうぞおしみに。
八木詠美(やぎ・えみ)

1988年長野県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。2020年『空芯手帳』で第36回太宰治賞を受賞。世界22カ国語での翻訳が進行中で、特に2022年8月に刊行された英語版(『Diary of a Void』)は、ニューヨーク・タイムズやニューヨーク公共図書館が今年の収穫として取り上げるなど話題を呼んでいる。2024年『休館日の彼女たち』で第12回河合隼雄物語賞を受賞。