モヤモヤの日々

第79回 ピアノを習っている男子

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

後悔の話をしだしたら、文字数がいくらあっても足りない。ある程度の年月を生きていれば、誰でもそうなのではないか。「人生とはつまり後悔である」と言いたくなるくらい、人生に後悔はつきものだ。そして、後悔する頃には、だいたいはすでに取り返しのつかない状態になっている。

先日、家に友人たちが遊びに来た。その中のひとりに会社員をしながら宅録(自宅録音)を続けている男がいて、ふと習い事の話になった。その友人はいろいろと楽器を弾けるが、ピアノだけは苦手らしい。小学生の頃、両親にピアノを習えと言われたものの、猛抵抗して習わなかったという。「あの時、ピアノを習っていれば、もしかしたら人生が変わっていたかもしれない」と言っていた。

その話を聞いて思い出したのが、僕もまったく同じ経験があったということだ。気になって母に電話して聞いてみると、「6歳の6月6日に習い事を始めるといい」という情報をどこかで仕入れた母は、まさにその日から僕にピアノを習わせようとしていた。しかし、先生が家に来ると僕は大泣きして、ピアノの鍵盤や椅子の上を転げ回り、最後には「死んだふり」までキメたという。

なぜ、そこまで嫌だったのか当時の記憶は定かではないが、妙なジェンダー意識として、「男の子がピアノを習うのは恥ずかしい」というものがあったように思う。前述の友人も同じことを言っていた。今考えてみれば、性別で判断するような内容ではないけど、当時はなぜかそう思ってしまったのである。しかし、高校生、いや中学生くらいになると、ピアノを弾ける男子はカッコいい存在になる。大人になった今では、なおさらカッコいい存在だ。僕も友人と同様、「あの時、ピアノを習っていれば人生が変わっていたかも」とは思わないまでも、もっと精神的に豊かで楽しい人生になったのではないかとは感じる。やっぱり習っておけばよかったと、少し後悔している。

だが、この後悔は、「取り返しのつかない」種類のものではない。コンクールに出たり、プロになったりを目指すわけではないのだから、むしろ今こそ音楽を楽しめるようにも思う。ピアノを弾けるとカッコいいよなあと憧れる。風貌からよくバンドマンに間違われるので、ギターにも興味がある。管楽器もやってみたい。子どもの頃は喘息気味で肺が強くなかったから、健康にいいかもしれない。

「あの時、ちゃんと習っておけばよかったなあ」と、70歳くらいでまた後悔するような気もしている。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid