第5回 NHK(5)

失踪をくり返す父を撮り続けた衝撃の作品『father』を世に問うた若き写真家、金川晋吾さんが、「ひとのわからなさ」「わからないひと」との撮影の日々を描く。
シャッターを切る「まえ」と「あと」で生まれ出る世界とは。

2月16日(木)

富士本さんたちだけで父の家に行ったときに撮影してもらったフィルムをスキャンしてみた。父はお客さんを迎えて若干緊張しているように見えるが、いつもとまったく変わらないようにも見える。父の自撮りのカットがあいだに挟まっていて、この自撮り写真の異様さが際立つ。ギャラリーでPENTAXで撮ってもらったときにも思ったが、富士本さんの写真はどこか視線が定まっていないような感じがあっておもしろい気がした。

 

2月18日(土)

東京の街のなかを歩いている姿を撮りたいということだったので、今日は上野で撮影だった。「歩きながら写真を撮ったりしますか」と訊かれ、そういうことはほとんどしていないのだが、なぜか「やらないこともないですね」と答えてしまい、歩きながらスナップショットを何枚か撮ってみせたりした。路上で客引きをしているケバブ屋の外国人のお兄さんとすれちがいざまにハイタッチを試みたりもしたが、それは結局うまくいかず握手しかできなかった。

けっこうな時間をかけてアメ横界隈を歩いているところを撮られたが、こんなところを撮ってもしょうがなんじゃないかと私はずっと思っていた。

 

2月19日(日)

富士本さんから「今度は金川さんがご飯を食べているところを撮りたいと思っています」という連絡が来た。私の普段の生活を撮ろうとしてくれているのだと思ったが、あまり気乗りしなかった。ご飯を食べている姿というのは、どことなくみじめな雰囲気が出てしまうような気がした。

 

2月21日(火)

最寄り駅の本蓮沼駅周辺で撮影するということなので、お昼頃に行ってみると丘山さんはおらず富士本さん一人だけだった。「丘山さんは撮影させてくれそうな店を探しにいっています」と富士本さんは言った。私は「行き当たりばったりだ」と思ったが、その適当さに安心もしていた。5分ほどで丘山さんは戻ってきたが、目ぼしい店はないとのこと。「ここらへんで行きつけのお店とかありますか」と訊かれたので、私は「松屋かな」と答えた。富士本さんが「チェーン店は撮影がむずかしいんですよね。個人でやられているお店とかはありませんか」と言うので、数日前にたまたま入ったバーというかカフェというか、なんと呼べばいいのかわからない少しおしゃれな感じの店でなら撮影させてもらえそうだと思ったので、とりあえずそこに行ってみることにした。

富士本さんがお店の人と交渉すると、撮影はすんなり了承してもらえた。「ローストビーフ丼」や「イカ墨カレー」など、メニューは充実していて、私は「ホタルイカとトマトのパスタ」を注文した。丘山さんは私が食事をしているところを近くから、またお店の外から、さまざまなアングルでたっぷりと時間をかけて撮影した。ホタルイカのパスタはとてもおいしかったが、私は普段からこうしたものを食べているわけではなかった。

「僕は普段は一人ではこういうところで食事をしてないんですが。僕がこういうお店でパスタを食べている映像って、一体何なんだろうと思ったんですけど」と富士本さんに言うと、富士本さんは「そうですよね。実は私もそう思って見ていました」と少し顔をしかめながら言った。私が普段は富士そばなどの蕎麦屋によく行くと言うと、富士本さんはそれに食いつき、「富士そば、いいですね。それでいきましょう。蕎麦屋で撮影しましょう」と言った。

本蓮沼には富士そばはなかったので新宿までタクシーで移動することに。タクシーのなかでは、丘山さんや富士本さんがカラオケで録音したというラップを聞かされた。実際に聞いてみるとラップというよりも、ユーロビートみたいなエモーショナルな四つ打ちに、酔っ払っている富士本さんのポエトリーリーディング(というかただ喋っているだけ。酔っ払うことについてに何かを訴えている)が乗っかっているというものだった。丘山さんがトラックをつくっていて、歌も歌っていた。甘い歌声だった。ラップと聞いて私が期待したものとはかなりちがったが、曲としての完成度は高かった。

30分ほどタクシーに乗って新宿に着く。立ち食い系の蕎麦屋なんていくらでもありそうだが、いざ探そうとするとなかなか見つからなくて少しうろうろした。その様子も丘山さんは撮影していた。

蕎麦屋では、丘山さんと私の二人だけでゲリラ的に撮影をした。私は蕎麦がちゃんとカメラに映るように気をつかって食べた。私が食べているところを見て食べたくなったのか、丘山さんもざる蕎麦を注文した。富士本さんはそのあいだ一人で寒そうに外で待っていた。

別れ際、今度の京都での撮影の話になった。「次が最後の撮影になると思います。最後に改めて金川さんがお父さんを撮られるところをじっくり見せてもらいたいと思っています。それを見せてもらえば、何かがわかるんじゃないかなと。あと、もしできたらお二人に京都市動物園に行ってもらいたいと思っています」と富士本さんは言った。

私はなぜ京都市動物園が出てきたのかよくわからなかった。理由をたずねると、「この前お父さんに、『金川さんとの思い出って何かありますか』とお聞きしたら、『京都市動物園に行ったことかな』とおっしゃっていたので、改めて行っていただこうかなと思いまして」と言った。

 

私はたしかに父と京都市動物園に行ったことはあるが、それはつい3,4年前のことだった。その頃私は、蒸発癖のある男を父に演じてもらって劇映画を撮ろうとしていて、その映画の撮影のために父と一緒に京都市動物園に行ったことがあったのだ(その映画は完成していない。というかほとんど編集すらしていない。動物をじっと見ている父の断片的な映像がたくさん残っている)。その数年前の印象があるから、父は「京都市動物園」と言っているだけなのではないのかと私は思った。富士本さんが考えていた「思い出」というのは、そういう簡単に思い出せる思い出ではなくて、私と父とのつながりを象徴するような昔の特別な思い出ではないのか。

私は富士本さんに言った。

「えーっと、僕は京都市動物園に対しては何の思い入れもないんですが。子どものころに父に連れて行ってもらったという記憶もないですし。数年前に撮影のために行ったことはあるので、父はそのことを言っているだけじゃないかと思うのですが」

そう聞かされた富士本さんの表情を見ると自信をなくしているのがわかったが、「いや、でもお父さんは子どものときにも連れて行ったとおっしゃっていましたよ」と彼女は答えた。そう言われると自分が覚えていないだけなのかもしれないと思った。私も記憶にはまったく自信がない。ただ、たとえそうであったとしても、今改めて父と一緒に行くだけの意味がある場所とはあまり思えなかった。

「やっぱり父は数年前に行ったときのことを言っているだけだと思うのですが」と私はもう一度言ってみたが、「まあ次の撮影では動物園はおまけみたいなものなので、とりあえず行ってみたらいいんじゃないかと思っています。お二人が動物園を歩いている姿というのは、なかなかいいと思うんですよね」と富士本さんは言った。

私は不安を覚えたが、自分は被写体であって演出するのは富士本さんなので、それ以上は何も言わないようにした。富士本さんが作ろうとしているこのドキュメンタリー番組も、「father」という作品の一部のような気がしているので、私はつい口を出してしまいたくなる。でも、そんなことをするのは余計なことで、他人が自分のことを撮ろうとしているのだから、その人に身を委ねるべきなのだ。そうやって他人に委ねることで出てくるものを、自分は見たいと思っていたはずだ。

 

2月24日(金)

向日町駅に10時に待ち合わせ。富士本さんはいなくて、丘山さんだけだった。「富士本はお父さんの家に先に行って準備をしています」とのこと。もうすっかり富士本さんと父は慣れた関係になっているのだと思った。

今日も前回と同じく改札を通るところから撮影がはじまった。もう何度もこの撮影をくり返しているような気がした。電車のなかでは、座席に座って今月発売の「群像」を読んだ。思いのほか読書に集中できてすぐに山崎駅に着いた。

山崎駅からはタクシーで向かい、父の家から少し離れたところで車を降りた。少し打ち合わせをして、私が歩いて父の家に向かうところから撮影を始める。私は「おはようございます」と言って、鍵のかかっていない父の家のなかに入った。カメラはもう一台すでに父の家のなかにあって私を正面から迎えた。父も「おはようさんです」と言ってカメラと一緒に私を迎えた。

「今日は金川さんがお父様を撮影するところをじっくり見させてもらうために来たので、こちらのことは気にせず心置きなく撮影していただければ」と富士本さんは言った。富士本さんにはそんな意図はなかったと思うが、私はその言葉に何か挑発的なものを感じ、それに応えてやろうと思った。

集中して、ワンカットずつ、丁寧に撮っていった。こんなに集中して父を撮ったのはひさしぶりだった。テレビでは国会中継がやっていて、安倍晋三が森友学園について何か喋っているのが聞こえてきた。この撮影の背景というかBGMとしては抜群だと思った。富士本さんたちも集中して見ていることが伝わってきた。しばらく撮ったあと、「国会の映像や音声が流れていたら、番組では使いづらいかもしれない」と勝手に気を利かせ、テレビを消して撮影をつづけた。父はいつもと変わらず、何も考えていないように見えたというか、何かを考えているようには見えなかった。父は私に言われるがままに動き、ポーズをとった。撮ろうと思えばいくらでも撮れるけど、撮れば撮るほどフィルム代がかかるので、これ以上撮ってもそんなに変わらないだろうと思ったところで撮影はやめにした。この日は10枚撮りのフィルムの3本目、25枚ぐらい撮ったときにもういいかなと思ったが、とりあえず3本目の10枚を撮り切ってから撮影を終えた。

 

撮影を終えると、富士本さんは「すごいよかったです」「見れてよかったです」とくり返し言った。こうやってちゃんと撮影しているところを見せればよかったのだと今さらながら思った。でも、それをなかなかやる気にならなかったわけだが。

出来上がった写真は悪くはなかった。だが、父を撮り始めたころにはあった、父の写真を撮る必然性のようなものが、今はなくなっている、あるいは何か別のものになっているのかもしれないと、私は思った。今の写真には、あえて誰かに見せるだけの何かがあるようには思えない。しかし、だからと言って撮影をやめようとも思わない。時間が経てば、これらの写真がもつ意味というか見え方も変わってくるんじゃないかと私は思っている。それがどういう変化なのかはまだよくわからない。

今日の私の撮影を見た富士本さんはとても満足をしたようで、父や私に何か話を聞くこともなく早々に帰ろうとした。そんな富士本さんを丘山さんは「こういうときは、今日の撮影の感想とかを訊くもんじゃないの?」と咎めた。富士本さんは「もう別に話を聞いても一緒かなと思って」と言った。私もとくに話すことはなかったのでインタビューがなかったのはありがたかった。

富士本さんたちが父の家にやって来るのは今日が最後なので、帰る前にみんなで集合写真を撮っておくことにした。今回の京都での撮影にやって来たのはまた新たな音声さんで、名前を日暮多佳子さんと言った。日暮さんも写真を撮られることはすんなり了承してくれた。富士本さんたちが事前に説明をしてくれていたのかもしれない。

 

2月25日(土)

朝、父と一緒にタクシーに乗り合わせ、京都市動物園まで向かった。天気も快晴で、市内をタクシーで走るのは気持ちよかった。

動物園は土曜日ということもあってか、小さな子どもがいる家族連れがたくさん来ていた。私たちのように64歳の父親と36歳の息子の二人で来ているような人たちは他に見当たらなかった。

富士本さんはとくに具体的な指示をするでもなく、「お二人で自由に動物を見ながら、撮影をしていただけたら」と言った。親子水入らずで動物を見ているところを撮るのが富士本さんの狙いなのだろうか。富士本さんの目的、意図がよくわからない。それは今日に限ったことではないが。

とりあえず父と一緒に動物を見てまわったが、いい年をした親子が二人で動物園にいるということが、私にはなんだか気持ちが悪かった。父を撮る気にもなかなかなれなかった。園内を歩いてみても、保育園や小学校のころに遠足で来たことはなんとなく思い出すのだが、家族で来たことはやっぱりまったく思い出せない。とりあえず象やキリンやライオンと父を並べて撮ったりしてみた。このまったく無意味な組み合わせがおもしろいかもしれないと思い何枚か撮ってみた。撮っているうちに、「そんなものがおもしろいはずないだろう」と我に返る。

父は動物の厩舎の前にある解説パネルにひとつひとつ目を通していた。たまになにやらブツブツとつぶやいている。「絶滅危機の動物、けっこう多いな」と言って父は笑った。父はひさしぶりの動物園をそれなりに楽しんでいるように見えた。やはりこの人はどこでも適当に楽しむことができる人なんだと思った。楽しそうにしている父はなおさら撮る気にならなかった。

 

私は全然楽しくなかった。なぜ、今、自分は、まわりの他の男たちと同じように、妻や子どもと一緒ではないのか。なぜ、いまだに息子としてこの場にいるのか。私はいたたまれない気持ちになっていた。自分と他人を比べるなんて馬鹿げたことだということはわかっているつもりだった。もし自分が実際に家族をもち、休日に動物園に連れて行かないといけくなくなると、私はおそらくひどく面倒くさいと感じてしまうだろうということ。そして、そういう人間だからこそ今のこの現状もあるのだということ。それも自分ではわかっているつもりなのだが、どうしても他人を羨む気持ちが抑えきれないのだった。私も自分の愛する妻や子どもと一緒にいたいと思った。実際には愛する妻も子どもも、彼女と呼べる人さえもいないのだが。

結婚したいと思うことや子どもが欲しいと思うことと父を撮ることは本当はまったく何の関係もないことなのだが、私は父を撮るモチベーションを維持することができなくなっていた。10枚撮りのフィルム2本目の途中で、私は撮影をやめてしまった。

 

私は富士本さんに尋ねた。「僕としてはもうこれ以上撮る気にはならないのですが。このあとはどうしますか」。それに対し、富士本さんはあっさりと「金川さんがオッケーなら、こちらとしてはもう大丈夫です」と答えた。そもそも動物園に来ることはまったく私の意向ではなかったので、自分としてはオッケーも何もないのだが。富士本さんは一体何を考えているのか、というか何も考えていないんじゃないだろうかと私は思った(これは父に対してもよく思ったことだ)。だが、実際には「何も考えていない」なんてことはおそらくありえない。というか、「何も考えていない」のかどうかなんて、他人はもちろんのこと、その人自身にもよくわからないことであり、「何も考えていない」なんて原理的に言えないことだ。でも、そう思わせるところが富士本さんにはある。そしてそこが富士本さんの魅力でもある。 

富士本さんたちとの撮影もこれが最後だと思うと、私としてはこのままあっさり帰りたくはなかったので、記念写真的な集合写真をいろいろと撮ることにした。この撮影はそれなりに楽しかった。

撮影が終わって動物園を出ようとしたときはちょうどお昼時だった。打ち上げも兼ねてみんなで食事でも行けたらと私は思ったが、富士本さんたちは動物園に残ってもう少し撮影をし、さらにその後は京都の風景の撮影をするとのことだった。あっさり断られて私は寂しい気持ちになった。富士本さんたちがここにいるのは仕事のためだったのだと、いまさらながら気づかされた。別れ際、富士本さんと丘山さんは父に何度もお礼を言っていた。私とは今度東京で飲もうという約束をした。

 

帰りのタクシーのなか、私は父に今日の撮影について「やっぱり危惧していたとおりのよくわからない撮影だった」と愚痴を言った。それに対して、父は「ひさしぶりに動物園にいけてよかったけどな」と特に不満をもらすでもなかった。この2か月間にわたる撮影の感想を父に訊いてみると、「やっぱり撮られるのは緊張するし疲れるな」と言った。私には父が緊張しているようには見えず、けっこう楽しんでいるようにさえ見えていたので意外だった。私が「でも別に嫌というわけではないやんな」と訊くと、「まあ別に嫌というわけではないけどな。ふじもっちゃんやおかちゃんたちもよくしてくれたし」と言った。「おとんはけっこう楽しんでもいるんかなと思ってたんやけど」と私が言うと、父は「まあな」と答えたが、それ以上はとくに何も言わなかった。

この日の動物園も、父は楽しんでいるにように私には見えていたが、こうやって書いているうちに、実は父も単に手持ち無沙汰だっただけなのかもしれないような気がしてきた。父は自分が手持ち無沙汰であるとかそういうことがとくに気にならないというか、楽しいとか楽しくないとかもはやそういうことをあんまり気にしないというか、だからそれなりに楽しんでいるように私には見えたのかもしれない(ただし、そういったことはこうして書いているから言えることであって、言い始めるとキリがない)。

 私は撮影が終わってほっとする部分もあったが、一体どういう番組になるのだろうという不安が強かった。そして、物足りないようなさびしいような気持ちにもなっていた。とりあえず撮影の打ち上げとして飲みに行かなければならないと思った。