信仰の経緯(2)

失踪をくり返す父を撮り続けた衝撃の作品『father』を世に問うた若き写真家、金川晋吾さんが、「ひとのわからなさ」「わからないひと」との撮影の日々を描く。シャッターを切る「まえ」と「あと」で生まれ出る世界とは。

■牧師の部屋

諭牧師の部屋は十五階建ての公営マンションの十五階で、ベランダからはスカイツリーと隅田川が一望できた。妻の明子さんと二人で住んでいて、部屋は新しく、物が少ないので余計に広く感じられた。叶うならば自分もいつかこんな部屋に住んでみたいと彼は思っていた。そんなことこれまで誰にも言ったことはなかったが。

諭牧師は毎朝五時に起きて一時間以上お祈りをしている。そう聞いていたのでその様子を撮ってみようと思い今日はやって来た。そのことは諭牧師にも事前に伝えてはいた。家にお邪魔するなりすぐに撮影とはいかないので、妻の明子さんが用意してくれたお茶を飲みながら祈りについての話を聞いた。諭牧師は起きてすぐにお祈りをするという。寝間着姿のままで祈っている姿というのは写真としては悪くない気がした。

明子さんは六時ごろに目覚め、そのままベッドのなかで簡単にお祈りをしてから起きる。リビングで朝の支度をしていると、隣りの部屋から諭さんのお祈りが聞こえてくることがあると明子さんは言った。 明子さんは教会で見かけたことはあったがちゃんと話すのは初めてだった。明子さんのお腹はいつ生まれてもおかしくなさそうなほど大きかった。

お祈りはやりたいからやってるだけで修行みたいなものではないですよ、と諭牧師は言った。たしかに諭牧師の毎週の礼拝の様子を思い出すと、それは本当にそうなんだろうと思った。

 

「そろそろ撮影を」と言い出すのはいつも唐突な感じがしてしまうと彼は思っていた。写真の撮影には何か不自然なことをしようとしているという感覚がつきまとう。

彼が「それではそろそろ撮影を」と言って中判カメラを取り出すと、二人は「大きいですね、すごいですね」と言ってカメラを褒めた。カメラを褒められると誇らしいような恥ずかしいような気持ちになった。カメラは男性自身の象徴なのだと聞いたことがあるが、この気持ちももしかしたらそういうことに関係しているのかもしれないと彼は思った。でもそれはただそう思っただけで、本当にそんなことを思っているわけではなかった。

いつものように祈っているところを撮りたいという彼の要望に応えて、牧師は上下ともに紫のスウェットに着替えた。そして、机と椅子と本棚がそれぞれひとつだけ置かれた小さな部屋へと移動した。おそらく諭牧師の書斎だろう。明子さんはいなくなって彼と牧師の二人きりになった。

諭牧師は入口のドアを閉め、窓を開け、椅子を部屋の真ん中に移動させた。椅子の背もたれは細長く十字架の形にくりぬかれていた。裸で座ると背中に十字架が刻まれるんです、と牧師は言ったが、紫のスウェットを脱ぐことはなかった。諭牧師は前屈みになって手を合わせ、ぶつぶつ小さく呟くように声を出した。何を言っているのかは聞きとれない。ヨシュという音が耳につく。意味のある言葉なのか、何の意味もない言葉なのかわからない。

彼はそのまま五分ほど待ってから、カメラを牧師に向けてファインダーごしに眺めてみた。祈っている姿を写真という静止したイメージにしてしまうと、どうしてもそこに何かが秘められているような意味ありげなものに見えてしまうように思えた。それはおそらく自分にとっては回避したいことのような気がしたが、そもそも撮ってみないとわからないのでとりあえず撮った。近づいたり離れたりしながら数枚シャッターを切った。できるだけ距離をとって牧師を部屋の風景の一部のようにして撮ってみたりもした。フィルム一本十枚を撮り終え、次は祈っているところではなくて、ポーズを決めたりやり取りをしながら撮影したいと思った。

諭牧師にガラス戸の側に立ってもらい、外へと視線を向けるように指示をして写真を撮った。いわゆるポートレート写真と呼ばれるようなものだった。彼は今日の撮影にあたり、視線をどこかに向けているポートレートを撮ろうと思っていた。視線を向ける先があるということ、神という目に見えない存在に視線を向けているということが、信仰をもっている人たちの特質、写真という視覚に限定されたメディアにおいて表現することのできる特質ではないかと考えたのだった。逆に言うと、それぐらいの考えしか彼の頭のなかにはなく、とりあえず写真を撮ってみてそれから考えようと思っていた。

カメラを向けられても、牧師はいつもと変わりがないように見えた。どういう顔をすればいいのかと訊いてくることもなく、彼に言われたとおりにじっと外を見ていた。毎週の礼拝で人に見られることに慣れているからなのだろうか。それとも祈り続けてきたことによって、もはや意識は自動的にどこか外へと向かうようになっているのだろうか。

牧師は見られている自分も、見ている自分もあまり問題にしていないようで、その佇いは被写体として魅力的だった。ただ、遠くに視線を向けている写真は祈っている写真と同じく、何かを内に秘めているような雰囲気を余計に漂わせてしまうような気がした。それは写真としてはちょっと微妙なことだと思った。彼は今度はまっすぐにカメラを見てもらって写真を撮った。こっちのほうがより直接的でいい写真になるような気がした。

 

明子さんの写真も撮らせてもらおうとリビングに声をかけに行くと、明子さんはソファにもたれながら雑誌を見ていた。写真を撮らせてほしいと言うと、明子さんは快く応じてくれた。普段の様子を撮りたいという彼の要望に応え、明子さんも上下セットアップの黒のスウェットに着替えてくれた。明子さんがベッドで横になって祈っているところと、窓際に立っているところを撮った。諭牧師同様、明子さんも見られるということに戸惑いを感じていないようだった。むしろカメラを向けている彼自身のほうが諭牧師を見ているときにはなかった何かが自分の視線のなかにあることを意識せざるをえなかった。それはカメラを通して女性を一方的に眼差すことへの戸惑いと快感だったかもしれないが、それだけではないような気もした。

 

撮影を終え、明子さんが淹れてくれたお茶を飲みながら三人は話をした。床に敷かれたカーペットの上に三人とも座っていたので、ガラス戸に目をやると空を見上げるような格好になった。日は沈みかけていたが、諭牧師も明子さんも立ち上がって電気をつけようとはしなかった。

彼は自分が子どもだったころ、日が沈んで部屋が暗くなっても電気をつけずにいるのが好きだったことを思い出していた。それは今でも変わらないはずなのだが、あのころの自分と今の自分が連続しているという実感はとてもおぼつかない。自分が今こうしてここにいることがおかしなことのような気がしてくる。何がおかしいのかはよくわからない。

諭牧師に教会に来ようと思ったきっかけを訊かれ、彼はとりあえず自分の父親の話をした。彼の父親は彼が中学、高校のころに失踪をくり返していた。彼が大学に入った二〇〇〇年ごろ、父親は家族とは離れ一人で生活するようになった。一人になってからは平穏に生活していると思っていたが、数年前の二〇〇八年にまた失踪した。このときは数日で戻ってきたが、仕事を続けようという気力はもう失せてしまっていた。消費者金融からの借金も家のローンもあったので、仕事をしなければ路頭に迷うしかないにもかかわらず、父は何もせずに家にいるようになった。

父親がこの危機的な状況を乗り越えて、さらにその後もちゃんと生きていくには、何か心の支えとなるようなもの、信じるものが必要なんじゃないかと彼は思った(家族がそういうものとして機能しないことはこれまでのことで明らかだった)。ただ、当の父親自身は心の支えとなるものや信じるものが必要だとは思っていないようだった。

諭牧師も明子さんも彼の父親のことを憐れに思ったのだろう。話を聞きながらとても痛ましい顔をしていた。ただ、彼自身は父親が信じるものも救いも必要としていないことをむしろ好ましく思っていたが、そのことは二人には言わないようにした。

彼はそんな父親を目の当たりにしたことで、ではその逆に信じるものをもっている人たちに対して興味をもつようになった。また、彼自身、そんな父親をもったことが影響しているのか、まったく信心深くなかった。誰も見ていないところであれば墓石を蹴ることだってできるような人間だった。神様を信じることがどういうことなのか、どうやったらそんなことが可能になるのか彼にはよくわからなかった。だが、わからないからこそ惹きつけられ、信仰についての作品をつくってみたいと思うようになり、教会にやってきた。彼はそんな話を二人にした。

彼は自分が救いを求めて教会に来たわけではないことを、角を立てずにちゃんと伝えたいと思っていた。彼の意図が伝わっているのかいないのか、諭牧師は「Sさんが神を求めて教会に来られたことに感謝します」と言った。彼もそう言われるとそういう部分もあるような気がしたので、とりあえず何も言わなかった。諭牧師はさらに言葉を続けた。

 

神とつながっていない人間なんていないんです。そのことにその人が気づいているかどうかだけで。自分もかなり長い間、神から遠く離れていました。うちはクリスチャンホームだったので物心ついたときには教会に通っていたのですが、中学校に入ったころにはキリスト教に、もっと言うと宗教というものに違和感を覚えるようになりました。高校に入ったころにはもうまったく教会にも行かなくなっていました。自分はこのまま神とは無関係に生きていくと思っていました。

でも、大学を出て、就職をして、働いているうちに、実は神はずっと自分のそばにいたということにだんだんと気がついていったんです。自分では遠くに離れたと思っていても、神からすればそんな遠さなんて何の意味ももたないんです。神はずっといます。いたりいなくなったり、離れたり近づいたりするものではないんです。人間がそう感じるというだけです。聖書に書かれていることもつまりそういうことです。あとはそのことに気づくかどうかだけなんです。Sさんは何かそういうことに気がついたから、教会にやって来たんだと思います。

諭牧師の言葉に対して、彼は何を言えばいいのかよくわからなかった。彼は自分のような神の存在を前提としていない人間には、諭牧師が言っていることを本当に実感することはできない思った。と同時に、そこで語られていることは否定できるようなことではないとも思った。

 

日は沈み、二人の黒い輪郭がガラス戸から入ってくる弱い光を背にしてぼんやりと浮かびあがっていた。諭牧師と明子さんの顔はもうほとんど見えなかった。にもかかわらず、諭牧師も明子さんも立ち上がって電気をつけようとはしなかった。彼は疲れてきていたが、この時間がずっと続いてほしいような気にもなっていた。

明子さんも両親がともにクリスチャンで幼児洗礼を受けていた。彼がこれまでに神さまを信じることが難しくなったことがあったかどうか尋ねると、明子さんは、それはもちろんありましたよと言った。そして、少し考えてから明子さんは次のような話を彼に向かってした。

明子さんは小さなときから教会学校にも通っていたので、物心ついたときには「イエスさまはすごく立派な人だな。ああいう人になりたいな」と思っていた。でも、それは神を信じるというのとはちょっとちがうものだったと今となっては思う。

明子さんが神の存在を実感したのは小学校五年生のときだった。そのころ、明子さんの家族は隣町に引っ越すことになったが、ある事情があって明子さんは前に住んでいたときに通っていた小学校にそのまま通い続けることになり、通学のために毎日一時間近くバスに乗らないといけなくなった。

別にバス通学が理由でいじめに遭っていたわけではなかったが、小学生の明子さんにはバス通学が精神的にも体力的にもきつかった。バス通学を始めて一か月が過ぎたころ、バスのなかで本当に苦しくなった。胸がどきどきしてきて、これ以上はもうだめだと思ったときに、神さまに向かって助けてほしいとお祈りをした。すると神さまがその祈りに対してはっきりと答えてくれたのだった。

声を聞いたとかそういうわけではなかったが、今まさにここに神さまが来てくれたということを感じた。この広い世界のなかにはとんでもない数の人間がいるのに、神さまがそのとき自分のところに来てくれたということ、そのことに深く感動した。それ以降、神さまに対する感じ方が変わった。神さまはやっぱりいるのだ。

 

外はもうすっかり暗くなっていた。彼は大学生だったころ、友人たちと集まっては一緒に幻覚作用をもたらすキノコを食べていた。キノコの作用で、さっきまでは明るかった空が気がつけば真っ暗になっているというただそれだけのことに深く感動して笑いがとまらなくなったことがあった。笑い続けているうちに、自分の感動が空気の振動を通して他の三人にも伝播されたのがわかった。他の三人も彼と同じように笑い続けていた。そのとき自分たちはまったく同じことに感動しているのだという確信があり、この確信をこの場にいる全員が持っているのだという確信があった。だがその確信はある瞬間に突如ぐらつき、次の瞬間、他人が何を考えていようがそれは自分の思考には何の関係もないのだという新たな確信を得た。そして、そのことにまた深く感動した。

そんなことが思い出されたのは、部屋の暗さと雰囲気のせいもあったが、二人が自身の信仰の経緯を語ったことに感化されたからでもあった。自分は昔から信仰というものに興味をもつような人間だったのだろうか。彼は今自分がここにこうしていることと過去の自分とのあいだに何らかの因果関係を見いだそうとしていた。そうして出てきたのがキノコのことだった。でも、それはとりあえず出てきただけで、見当ちがいだろうと彼は思った。

「それでは最後にお祈りをしましょう」と諭牧師に呼びかけられ、彼は考えるのをやめた。諭牧師の呼びかけには彼も一緒に祈ることが暗黙のうちに前提とされていた。彼もその前提を自然と受け入れていた。

牧師は彼が今日この家にやって来たことを神に感謝し、彼の神に対する理解がより深まることを、彼の教会での撮影が今後もうまくいくことを神に祈り、それに対して残りの二人がアーメンと唱えた。祈りはそれで終わらず、今度は明子さんが今日のことを神に感謝し、彼と彼の父親のことを今後も神が見守ってくれるようにと祈り、それに対して残りの二人がアーメンと唱えた。彼は、今度は自分の番だと察し、今日このような場を与えてもらったことを神に感謝し、これからもどうか自分を見守ってほしいと神に祈り、それに対して残りの二人がアーメンと唱えた。

牧師が彼の手を握り、そのまま彼と抱き合い、明子さんも彼の手を握り、同じく彼と抱き合った。明子さんの大きなお腹が彼にふれた。諭さんと明子さんは抱き合わなかった。彼は二人から歓待を受けたのだと思った。

電気が灯けられると、酩酊状態から覚醒しようとしている自分に気づいたときのような残念な気持ちと安堵の気持ちが同時に訪れた。

 

Profile

1981年、京都府生まれ。2006年、神戸大学発達科学部人間発達科学科卒業。2015年、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻博士後期課程修了。2010年、第12回三木淳賞。著書に写真集『father』(青幻舎)。近年の主な展覧会「悪い予感のかけらもないさ展」あざみ野市民ギャラリー(2016年)、「STANCE or DSTANCE?わたしと世界をつなぐ『距離』」熊本市現代美術館(2015年)など。
website

第7回 信仰の経緯(1)

失踪をくり返す父を撮り続けた衝撃の作品『father』を世に問うた若き写真家、金川晋吾さんが、「ひとのわからなさ」「わからないひと」との撮影の日々を描く。シャッターを切る「まえ」と「あと」で生まれ出る世界とは。

最初の礼拝

教会は渋谷駅から歩いて十分もかからないところにある雑居ビルの地下にあった。

教会というのは建物のことだと思っていたが、そういうことではないのだと知った。階段を下りていくと入口の扉は開いていて、大学生ぐらいの若い男女が並んで立って受付をしていた。笑顔で声をかけられ、白いシールとペンを渡された。

女性のほうが自分の胸を指さしながら、よかったら名前を書いてくださいと言った。胸には「三上しょうこ」と書かれたシールが貼られていた。男性には「向井たけし」と書かれたシールが貼られていた。ひらがなで書くか漢字で書くか迷ったが、二人を真似て名前だけひらがなで書いた。

この教会に来られるのは初めてですかという質問に「はい」と答えると、向井たけしは彼のそばへと身を寄せてきて握手を求めた。その握手は力強くて優しくて、彼は頼もしさを感じた。向井たけしは彼の腰にそっと手を添えて建物のなかへと導いた。

室内は天井が低くてライブハウスのようだった。そう思ったのは前方にステージがあってドラムセットやギターなどの楽器が用意されていたことも影響していた。天井には照明装置もついていたので、彼は自分のファーストインプレッションに自信を深めた。

前方の壁に木でつくられたシンプルな十字架がかけられている以外は、ここが教会だという目印になりそうなものは見当たらなかった。ステージの前にはスピーチ台があり、それと向かい合うようにしてパイプ椅子が百脚ほど並べられていた。

「席はどこに座ってもらっても大丈夫です。礼拝は十時にはじまります。なにかわからないことがあればまわりの人に気軽に声をかけてみてください」

そう言って向井たけしは受付へと戻っていった。彼はとりあえず後方の端っこのほうの椅子に座り、まわりの様子を眺めた。

彼と同じように一人で椅子に座って礼拝が始まるのを待っている人も少しはいたが、ほとんどの人が立ち歩いて教会の仲間たちと握手をしたりハグをしたり談笑したりしていた。みんなとても楽しそうにしている。

二〇代か三〇代ぐらいの若い人が多かったが、それは事前に調べてわかっていたことだった。男女の割合は意外なことに女性のほうが多かったが、彼の気持ちがどこか高揚していたのはそのこともおそらく関係していた。

 

しばらくするとステージ上で楽器のチューニングが始められ、その音が合図となっているのだろうか、立ち歩いて談笑していた人たちも次第に自分の席へと戻っていった。

一〇〇脚ほどあったパイプ椅子はすべて埋まり、座りきれずに後ろや横の壁際に立っている人たちもいた。照明が落とされ、ステージにスポットライトが当てられると、まずゆっくりとピアノの演奏がはじまった。

話し声はやみ、有線放送のイージーリスニングチャンネルから流れてきそうなピアノ曲が空間を満たしていった。ピアノの音に、ベース、ギター、ドラムが加わり、演奏は徐々に盛り上がっていった。

ビートが刻まれるようになると、マイクをもった男性三人と女性三人のコーラス隊がステージの上にあらわれ、ハミングと言えばいいのか、スキャットと言えばいいのか、意味のない言葉を自由に発しながら即興的にメロディを口ずさんだ。それに合わせてパイプ椅子に座っていた人たちもみんな立ち上がり、体をゆらして歌いはじめた。

歌うといってもとくに歌詞があるわけではないので、それぞれが思い思いに、しかし全体の調和は乱さないように心がけながら自由に声を発していた。片手を上げている人もいれば、両手を上げている人もいれば、胸の前で手を合わせている人もいた。

彼は初めてのことにうまくついていけなかったが、とりあえず手拍子をしながら体を揺らしてゆっくりとリズムをとっていた(あまりそういうふうには見られないが、彼は中学生のころからダンスホールレゲエを愛聴していたので音楽に合わせて体を揺らすことは嫌いではなかった)。

みんなが思い思いのやり方で何かに向かって声を出しているなか、コーラス隊のうちの女性の一人が

「主の御名をたたえます。こうやってみなさんと礼拝がもてることを主に感謝します。アーメン。みんなで主の御名を宣言しましょう。せえの、ハレルヤ!」

と叫んだ。それに応えて会場全体も

「ハレルヤ!」

と叫び、拍手とともに曲が終わった。と思うと、ドラマーの人が「ワン、ツ、スリ、フォ!」と声を上げ、すぐにロック調のアップテンポなの曲が始まった。今度は歌詞もメロディもちゃんとあった。みんながを懸命に歌っていた。戸惑っている彼に隣りの席の男性が声をかけた。

「今日はじめて来られたんですよね。壁に歌詞が投影されるので、とりあえずそれを声に出して読んでください」

とアドバイスをくれた。たしかに壁にはプロジェクターで歌詞が投影されていた。彼は手を叩き、体を揺らしながら適当なメロディーで歌詞を口ずさんだ。

 

十字架の血で暗闇は消えた

主の手 我がため裂かれ

主の足 我がため刺された

今は私が生きることなく

ただ主のため生きる

主と共に死に

主と共に生きる

主のために永遠に生きる

永遠に生きる主のために

永遠に主のために生きる

 

さらに同じようなロック調の曲が二曲続いた後、バラード調のメロウな曲が二曲続いた。正直なところ、彼はその場で懸命に歌われている歌に馴染むことができず、リズムに合わせて揺らす体も重く感じるようになっていた。そろそろ終わってくれないかと思っていたが、さらにアップテンポな曲が二曲続き、会場の盛り上がりも最高潮になってきたところで、マイクをもったひとりの男性が顔中に笑みをみなぎらせながら登場した。

「ハレルヤ!感謝します!」

とその男性が言うと、会場の人たちも拍手をしながら口々に

「ハレルヤ!」

と言ってその男性に応えていた。

「今日この場でみなさんと恵み深い主を讃える礼拝がもてることを感謝いたします」

男性はゆったりめのジーンズに白のセーターというどこにでもいる大学生のような格好だったが、左手にもっている分厚い本がその姿に知性を与えていた。

この人が牧師だということは初めて参加した彼の目にも明らかだった。年齢は彼と同じかそれよりも若いぐらいに見えた。どうして分厚い本をもっているだけで知性を備えた人間に見えてしまうのだろうか。そんな考えが彼の頭に浮かんですぐに消えた。

牧師は人々に向かって「それではまず『聖霊よ、この国をあなたの風で満たしてください』と七回唱えましょう」と呼びかけた。

「七というのはキリスト教で完全数なんです」

と隣りの人が彼にそっと教えてくれた。会場の人々すべてが

「聖霊よ、この国をあなたの風で満たしてください」

と声を上げ、回を重ねるごとに部屋の温度が高くなっていった。力の限り叫んでいる人もいれば、自分自身に語りかけるように声を出している人もいた。彼も声を出した。照れもあって全力で叫ぶことはできなかったが、そうやって声を出しているとだんだんと気持ちよくなっていった。

五回目を叫んだあたりで彼は笑ってしまったが、まわりを見ると同じようににやけている人がたくさんいた。この行為がおかしくて笑っているのか、楽しくて笑っているのか、それとも恍惚にひたっているのか。でもそんなことは厳密に区別できるものでもないだろうと思った。現に彼自身がそうだった。

七回叫び終えたときには会場内に連帯感と達成感が生まれていた。すでに大量の汗をかいていた牧師は「大きな声を出すのは気持ちがいいですね」と言って笑い、会場の人たちも一緒になって笑った。自分たち自身を笑っているようにも感じられた。彼も声を出して笑った。会場全体が大きな拍手で包まれ、コーラス隊もバンドの人たちも拍手をしながら自分の席へと戻っていった。

 

「これまでに何度も言ってきたように、今年はこの国におけるリバイバルが現実となって動き始めるとても重要な年になります」

そんな予言めいたことを口にして、牧師は説教を始めた。

「これまでの歴史のなかでリバイバルは世界の至るところで起こっています。最近では中国が今まさに世界的霊的大リバイバルのなかにあり、一九四九年には一〇〇万人程度だったクリスチャンが今では六千万人近くになっています。また韓国でもリバイバルが起こり、今では総人口の四人に一人以上がクリスチャンとなっています。アフリカでもリバイバルは目前で、この数年で北アフリカの数万人のイスラム教徒がイエス・キリストを信じるようになりました」

「リバイバルが起こる前には必ずあることが起こっています。それは何か。殉教です。大規模なリバイバルの前には大規模な殉教が必ず起こっています。多くのクリスチャンの血が大地に沁み込むことによってその地にリバイバルが引き起こされてきました。これは歴史的な事実です」

「しかし唯一例外の国があります。それが日本です。これまでの歴史のなかで、実際にデータとしてわかっている数だけでも日本では三〇万人以上の人が殉教しています。実際には一〇〇万人かそれ以上の人が殉教しているだろうと言っている学者もいます。だがリバイバルはまだ起こっていません」

「このことが意味することは何でしょうか。それは祈りが天に蓄えられているということです。その蓄えられた祈りがはじけたときに日本でもリバイバルが起こります。そしてそのときが刻一刻と近づいているのが今年なのです」

そんな話をしているあいだも、牧師は笑顔だった。うれしい報せを人々に届けることができる喜びにあふれていた。その喜びを体全身であらわしていた。牧師の言葉が区切れるたびに、聞いている側の人々からも「アーメン」という合いの手が入った。話が盛り上がってくると、「アーメン」と答える人の数も増えていき、声も大きくなった。つぶやくように言っている人もいた。

彼は、最初はリバイバルという言葉が何を意味するのかわからなかったが、話を聞いているうちにクリスチャンが爆発的に増えることなのだと気がついた。自分たちと同類を増やそうと躍起になることに対して、彼は反射的に嫌なものを感じた。それでも彼は興味深く牧師の話を聞き続けた。

牧師の話は聖書のなかの「御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめる(第一ヨハネ一:七)」という一節についての話になり、「きよめる」というのは正確には「きよめ続ける」ということであって私たちはつねにイエスによってきよめられ続けなければならない存在なのだということ、罪からの解放を完了形で考えるべきではないということを語り、だからこそ私たちクリスチャンは毎日聖書を読まなければならないと言った。

「聖書は何よりもまず読まなければなりません。考えるのではなくまず読む。とにかく読む。声に出して読む。聖書はできるかぎり声に出して読んでください。それが基本です。そして、そのとき大切なことは自分の思いを入れずに読むことです。とにかく読むとはそういうことです。理解できなくても読む。理解とかそういうことはあとからついてくることです。もちろんわからないところを調べることも大切ですが、それは別の時間でやってください。まずはただ読む。自分の考えなんかにとらわれずにただ声に出して読む」

「そのとき私たちはご飯を食べるように御言葉を読むことになります。いや、ここは端的に御言葉はご飯なのだと言ってしまいましょう。私たちは御言葉を食べるのです。御言葉は私たちにとって食事なのであり、生きるために欠かせないものなのです。毎日毎日食べることで、御言葉が私たちのからだの一部になっていくのです」

牧師は一時間以上にわたって話し続けた。大量の汗で顔が光っていた。

「みなで祈り、主を祝福しましょう」という牧師の呼びかけでコーラス隊とバントによる演奏がまたしても始まった。今度もプロジェクターで壁に歌詞が投影されたが、その歌詞とは無関係に、もっと自由に、言葉としては意味を判別できない言葉で歌っている人たちがたくさんいた。それはどう聞いても日本語ではなく、英語でもなかった。何語なのかわからなかったが、何語でもなさそうだった。「オウー」「シャバララララ」という音がとくに耳についたが、他にもいろんな音が飛び交っていた。七夕の織姫がもっている羽衣のような細長いカラフルな布をもった女性がステージにあらわれ、その羽衣のような布を音楽に合わせてぶんぶん振り回していたりもした。

演奏が終わり、牧師が

「みんなで主の平和の挨拶を交わしましょう」

と呼びかけると、みんな互いに

「あなたに主の平和がありますように」

と声をかけあい、抱き合ったり握手をしたりした。彼にもいろんな人が笑顔で声をかけてきた。彼は戸惑いながらも笑顔で応じた。そういうやりとりにわざとらしいものを感じながらも、実際に平和の挨拶を口にしてみると、何かこれまでは知らなかった喜びというか快感があって驚いた。それはいけないとされていることをするときの感覚にも似ているような気がした。

 

礼拝が終わると、牧師が近づいてきて彼に歓迎の言葉をかけた。どうやってこの教会を知ったのか訊かれたので、彼はネットで調べて来ましたと答えた。そして、自分が美大の大学院生で写真を撮っているということ、信仰というものに興味があって教会にやってきたということを伝えた。相手がどういう反応をするかが気になった。

牧師はそれは素晴らしいことだと思うと言った。またぜひ教会に来てください。なにか力になれそうなことがあれば何でも言ってくださいとも言った。

牧師は自分の名を名乗った。門田諭[かどたさとし]と言った。まわりの人たちは諭牧師と呼んでいたので、彼もそう呼ぶことにした。

最後に握手をして別れようとすると(またしてもしっかりとした握手でたじろいだ)、彼のために祈らせてほしいと諭牧師は言った。断る理由はなかったので祈ってもらうことにした。諭牧師は、彼が神についてよりよく理解できるようになること、神が彼をこれからも見守ってくれること、そして彼と彼の家族の健康とを、イエス・キリストの名のもとに天の神様に祈った。

神への感謝や畏怖をあらわす言葉が随時はさまれてくるので、お祈りは数分間続いた。自分のことをこんなにも長々と祈ってもらうことなんて彼には初めてのことだった。不思議となのか当然なのかはわからないが悪い気はしなかった。とても長く感じた。

 

Profile

1981年、京都府生まれ。2006年、神戸大学発達科学部人間発達科学科卒業。2015年、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻博士後期課程修了。2010年、第12回三木淳賞。著書に写真集『father』(青幻舎)。近年の主な展覧会「悪い予感のかけらもないさ展」あざみ野市民ギャラリー(2016年)、「STANCE or DSTANCE?わたしと世界をつなぐ『距離』」熊本市現代美術館(2015年)など。
website