scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第3回 形を失った時間

誰でも「できる」ことと「できない」ことがある。「できる/できない」の間で迷ったり、不安を感じたり、無力感を持ったりしながら生きている。レビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、できなくなったことと工夫によってできるようになったことを自己観察してきた著者が、「できる/できない」の間を自在に旅するエッセイ。

「コロナ時間」(外出規制期間)に入ってから、”それ”は起こった。朝ドラを一緒に見終わったころ、夫が何気ない顔で聞く。

「今日は、燃えないゴミの日だよね?」

私はのけぞる。

「えっ、今日は水曜日じゃないの?! さっき確認したのに、私、もう間違えてる?」

今日がいつかわからない私は、毎朝起きたらまず「月・日・曜日」を確認するのが、ここ数年の習慣になっている。私の頭の中のカレンダーは、残念ながら脳の持病が消してしまった。だからカレンダーを見ないことには、月初なのか月末なのか、週初めなのか週末なのかも定かでない。

とはいえ、私は、燃えないゴミの日が何曜日かを記憶している。広く誤解されているが、認知症とつく病気を診断されたすべての人が、片っ端からなんでも忘れるわけではない(レビー小体型認知症の主症状は、記憶障害ではない)。

ただ私の中の時計の針は、勝手気ままな速度で進むので、自分の時間感覚への信頼は、1ミリもない。何かトラブルがあるたびに「犯人は……、私だ!」と、指先は常に自分を向いている。

ところが「コロナ時間」で毎日家で過ごすようになった夫が、日や曜日を頻繁に間違えるようになった。カレンダーで確認する習慣もない夫の曜日感覚は、夏の化粧のように崩れていく。これは危険だ。健康な夫が水準器となってくれなくては、夫婦2人の乗ったいかだは、社会という島からどんどん遠去かってしまうじゃないかと、私は密かに怯えていた。

しかしその後、この現象はウイルスと一緒に世間に伝播しているらしいことがわかってきた。

「家族全員ずっと家にいると、今日が何曜日なのか、わからなくなるんだよね。昨日もゴミ出しを間違っちゃった」

友人が笑いながら語る。

「それに、先週何してたかとか、先月何があったかとかもよくわからなくて。思い出そうとしても、なんだか思い出せなくなっちゃったんだけど……」

少しの間の後、遠慮がちに聞く。

「私、……認知症じゃないよね?」

その後、あちこちから同じような話を聞き、ネット上でも時間感覚の喪失が話題になっていた。

この話題に、誰よりも驚愕したのは、きっと私だろう。なぜなら、病気で一足早くその状態に陥っていた私は、その時間感覚を本(『誤作動する脳』医学書院 シリーズ ケアをひらく)に詳しく書いていたからだ。

時間感覚なんて、どんな最先端装置を使っても見えないし、あるのかないのかすらよくわからない。でも、それを失うと日々さまざまな不便が起こる。時間と記憶は切り離せないので、未来の予定も過去の出来事も、てんでバラバラに取り散らかって、いつのことなのかさっぱりわからない。

時間の逆算もできなくなり、外出の支度をし、予定通りの電車に乗るには、いくつもの工夫と相当な集中力が要る。そうしなければ、まだたっぷりあると思っている時間は、いつの間にかごっそり盗まれていて、必ず遅刻する羽目になる(「生まれつきそうだ」という人もいるが、病前の私は、遅刻とは無縁だった)。

しかし、「時間の遠近感、距離感がない。時間が盗まれる」などと言ったところで、「認知症の人って、やっぱりわけのわからないことを言うんだなぁ……」という目で見られて終わりだ。口で少々説明して、この困りごとが伝わったと感じたことはない。だから懸命に文章に書いた。私にとって時間がどんなふうに変形してしまったのかを。

そんなふうに、何年もの間、マイノリティーの孤独を静かに噛みしめてきたと思っていたのに、ある日、知らない間にマジョリティーになっていたというどんでん返し。

そう。時間感覚は、遺伝子に組み込まれた能力でもなんでもなかった。あっさりと抜け落ちるハリボテだったことが、コロナ時間によって、人類にバレてしまったのだ。あぁ、時間感覚は一人、泣いていただろう。

「無人島で一人で暮らしていたら、『性格』は存在しない」と昔、本で読んで、びっくりしたことがある。時間もまったく同じだった。無人島に「時間」はない。あるのは、目に見える太陽や月や星の動きと潮の満ち引きだけだ。

月曜日は会議、水曜はヨガのレッスン、金曜は飲み会。来週提出の資料作りを済ませたら日曜は映画に行こう。そんな予定のすべてが魔法のように消え失せたとき、時間はふわふわと宙に舞い、形を失ってしまうのだとわかった。

そうなれば、時間に貼り付いていた記憶の順番だって曖昧になる。先月と先々月の違いもはっきりしない。「それはいつ?」という質問に、病気の私だけでなく、だれもが答えられなくなる(私の時間感覚の困りごとは更にあるけれども、本に書いたので、ここでは省略)。

でも、振り返ってみれば、幼いころ、自分の世界に時計なんてなかった。時計の読み方を覚えたのは、小学校に入ってからだ。毎日外で全力で遊び、お腹が空いたら家に帰り、眠くなって寝た。放し飼いの猫と同じだ。

近くに娯楽施設なんて1つもなく、「お彼岸さん」と呼ばれていた遠くのお寺の縁日は心躍る一大イベントだった。参道に建ち並んだ露店のお面や綿菓子や初めて見る海ほおずきに興奮した。「もうじきお彼岸さん」と聞こうものなら、もう平静ではいられない。

「お彼岸さん、いつ行く?」と母に聞くと「3つ眠ったらね」という答え方をされたことを思い出す。「3つ眠る」時間の長さが、私にわかっていただろうか。「1つ眠る」はわかる。すぐだ。「ああ、早く寝たい! 早く寝たら早く来るのに……」と思っていた。

でも3晩先にある明々後日までの距離なんて、まるでわかっていなかったと思う。時間は、「すぐ」と「すぐじゃない」の2種類だった。予定は何もなく、無限の時間の中にいた。大人になるまでの時間の長さを想像できず、おばあちゃんになるのは、何万光年も先だったはずなのに……。

高齢になって、予定なく家で過ごす人の時間感覚も解体されていくのだろう。日とか曜日が、ほとんど意味を持たない暮らしの中で、どうしてそれを覚えていられるだろう。人は自分に関係なく、意味もないことなんて覚えられない。

今日がいつかわからない。その何が悪いのだろうと今は思う。テストをして、「時間の見当識障害がありますね」なんて気安く言ってほしくない。

時間の大海原の中に大の字になってプカリと浮かび、波のままにゆったりと漂う。日の出と日の入り、季節のリズムに身体をそっと添わせ、自然の一部となって生きる。今、そんな生活の贅沢さをしみじみと思う。

「時間」という意図的につくられた四角の中に自分をぎゅうぎゅう押し込める生活なんて、本当は誰も望んでいなかったと、コロナ時間は、私たちみんなに気づかせてしまった。

そもそも同じ方向に同じ速度で流れる時間なんてないと感じる。

私には、時間は、生きて蠢(うご)めく網(あみ)のようだ。

伸びたり縮んだり、ねじれたり……。常に、自在に形を変え続けている。

病気になって時間感覚が薄れてくるのと同時に、古い記憶が、身体の感覚と一緒になってリアルに蘇るということが起こるようになった。まるで遠い過去へのタイムトンネルが作られたようだ。

あるとき、樹木希林さんが、がんと生きる暮らしを語るのを聴いた。

「それでもズーンと落ち込むことがある。そういうときは、笑うの。笑うの。笑うの」。そのまま冷凍保存して、何度でも繰り返し聴きたくなる、あの独特の語り口。

「そしてちょっと自分の頭なでるの。そうすると笑っているうちに、井戸じゃないけど、だんだん水がこみあげてくる」。

「笑う術」は、私も以前から使っている。夜、布団に入って、思い出したくない記憶が次々と頭の中に流れ始めたときは、すぐさまニーっと笑う。大丈夫。誰も見ていない。そして「ありがとう」とつぶやき、また笑った顔を作る。何に「ありがとう」なのかは、自分でもわからない。でも私の単純な脳は、「ありがとう」と言いながら醜いことを考えられないようにできている。劇的には効かなくても、とりあえずのブレーキにはなる。それを繰り返しているうちに、脳で起こった洪水は勢いを緩め、私は眠ることができる。

でも、自分の頭をなでたことは一度もなかった。

ある日、布団の中で目を閉じて、左手で自分の頭をなでてみた。利き手と逆の手なら少しは不自然さが減るのではないかと思った。意識は手ではなく、髪や頭の感触に向けた。

すると、まったく予想していなかったことが起こった。私は、たちまち時間を飛び越えて、母に頭をなでられていた。ここにいない母の存在を感じ、ここにない母のぬくもりを感じた。もしかしたら母の匂いもするのではないかと思って息を吸ってみたが、嗅覚障害のある鼻は何も感じず、期待した幻臭も起こらなかった。私は、しばらく母に頭を撫でられていた。

ふいに耳で水を感じたとき、これは誰の涙なのだろうと思った。今の私なのか、私の奥底に住んでいる幼い私なのか……。

私の中には、いく層もの時間が、同時に存在しているのだなと思った。

老年の樹木希林さんも、お母さんの手を感じていらしたのだろうか。それともこれは、脳の機能が衰えた者だけに、密かに手渡された贈り物なのだろうか。