scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第2回 NHK (2)

失踪をくり返す父を撮り続けた衝撃の作品『father』を世に問うた若き写真家、金川晋吾さんが、「ひとのわからなさ」「わからないひと」との撮影の日々を描く。
シャッターを切る「まえ」と「あと」で生まれ出る世界とは。

 

 

9月4日

富士本さんからお詫びのメールが届く。「穴があったら入りたいです…」と書かれていて、まあそれはそうかと思う。

「カメラマンとは異なる写真家というものがどういうものか少しわかったような気がしました。もっと金川さんのことを見ていたいというか、お話を聞きたい気持ちが大きくなりました」

とあったので、興味をもってもらえたのはよかったと思う。「この2日間で撮った写真を見せてもらいたい」ということなので、東京で会う約束をする。

 

9月20日

19時に渋谷で待ち合わせ。この日の富士本さんはこれまで会ったときとは様子がちがった。この前の撮影のことや、でき上がった写真を見た感想を積極的に語ろうとはしないのはいつもどおりなのだが、どこか地に足がついていない印象だった。

話の脈略とは関係なく、私の髪型についていた寝グセのような妙なハネを指摘してくれたり、私の手の爪がツヤツヤであることを誉めてくれたりした。

そんな富士本さんを見て、私は「もうこの人はやる気をなくしてしまったんじゃないだろうか。この前の撮影を見た結果、『やっぱり番組にするのはむずかしい』と思ったのかもしれない。どうすればいいのか富士本さん自身もよくわからなくなっているのかもしれない」と思った。

夜勤明けでかなり疲れていたのもあって、私の気持ちも低調だった。中村屋でカレーを食べたのだが、話すこともなくなったので1時間ほどで店を出て別れた。富士本さんはこの後もまだ仕事があるとのことだった。

数時間後、富士本さんからメールが届く。

「今夜も金川さんの大切な時間を割いていただいたのに、ろくなもんじゃない感じでほんとにすいませんでした。金川さんに会うのに、だいぶ前から緊張していたのですが、結果ただの酔っ払いになってしまいました。いつも番組に直結しない取材でごめんなさい」

とあった。今、富士本さんはフランスのワインを扱う番組の制作に携わっていて、今日私に会う前にもその番組の打ち合わせがあって、ワインをしこたま飲んでいたらしかった。「深海のように反省しているので、またお会いしていただけると幸いです」とメールの最後に書かれていた。

私はまたもや富士本さんが酔っ払っていたということにかなり驚き、どうして前回のことがあったのにそんなことになるのか、富士本さんが何を考えているのかよくわからなかった。でも考えているうちに「こんなことは全然たいしたことではなくて、この世界の至るところで起こっていて、こんなことに驚いている自分がまちがっているのかもしれない」という気持ちにもなってきた。よくわからないので、この出来事に意味を与えるのはできるだけやめようと思った。

翌日、また富士本さんからメールが届いた。撮影と写真の感想が書かれていた。

「金川さんの写真には見ている人がそこに入っていけるような余地、空白があると思いました。撮っている金川さんなのか、撮られている父や伯母なのか、どちらにその空白があるのかはちょっとよくわかりませんが、たぶん金川さんのほうじゃないかと思いました。血をつながっている人を撮っている写真なのにそういう感じがするというのは妙で面白いと思いました。金川さんの作品づくりと私たちの取材を入れ子の構造にしたみたいな番組ができたらと思っているのですが。ちょっと上司に相談してみます」

富士本さんがやりたいと思っていることに、私も共感した。私はNHKに取材されるということ自体がこの「father」という作品の内側で起こっている出来事であり、この出来事は「father」という作品に内包されるべきものだと思っている。 富士本さんにはなんとかして企画を通してもらいたいと思った。富士本さんはとらえどころのない不思議な人だけれど、この人なら見た人に戸惑いを与えるような妙なドキュメンタリーをつくってくれるかもしれないという期待を私はもち始めている。

 

10月8日土曜

作品を出品している「悪い予感のかけらもないさ展」でのアーティストトークがあり、富士本さんも聞きに来てくれた。トーク終了後、中華を食べに行くことにした。

この展覧会で伯母さんの写真を初めて展示したのだが、富士本さんはとてもよかったと言ってくれた。自分としてもいい展示になったと思っている。

富士本さんから「企画書を書いて出してみました」という報告を受ける。企画会議でも議論されたが、おおむね好評だったらしい。それを聞いてほっとする。富士本さんは「どういうふうに番組としてまとめればいいのかはまだ正直よくわかってはいないのですが、おもしろいものになるという予感だけはあります」と言った。

富士本さんにこれまでどういうドキュメンタリーを作ってきたのかを聞いた。東京勤務になる前にいた鳥取で、「働きたくない2人」と「仏に恋する女の子」という2本の番組を作ったとのこと。

「働きたくない2人」というタイトルがものすごくいいと思う。

内容は、できるかぎり働きたくないと思っていて、田舎でならお金があまりなくても生きていけるのではないかと考え、東京から島根に移住してきた20代半ばの男2人組のドキュメンタリーらしい。最後は片方は山の奥深くへと移住し、もう片方は画家を目指すべく関西空港からニューヨークへと飛び立つところで番組は終わる。ただ、あとでわかったことだが、画家志望はニューヨーク行きのチケットを当日空港で買うつもりだったがそれが果たせず(予約がいっぱいだったのか、気が変わったのか、理由はわからない)、結局ニューヨークには行かなかったらしい。

「今でもたまに電話をくれるんですよ。今はたしか東京にいるんじゃなかったっけ。よくわかりませんが」

と富士本さんは言った。これは絶対に見てみたいと思ったので、今度DVDをもらう約束をする。

 

NHKの取材が現実的なものになりつつあるので、前から考えていたことを富士本さんに言ってみた。

「晶文社という出版社から声をかけてもらっていて、とりあえずウェブの連載から始めてみることになったんですが、その連載でこの一連の取材のことを扱いたいと思っています。その連載ではこの取材のことだけじゃなくて、伯母のことや、長崎の撮影のことなど、自身の撮影に関する経験を題材にしてテキストと写真を合わせて見せていくということをやろうと思っています。富士本さんが酔いつぶれたこととかも、僕は面白がって書いてしまうと思います。『書いてもいいですか』って訊かれても困ると思いますが、とりあえずそういうことをやろうと思っているということはお伝えしておいたほうがいいかなと思いました」

富士本さんは「そんなことはやめてくれ」とは言わないだろうと思っていたが、案の上「私のことはお気になさらずに好きに書いてください」と言ってくれた。

「私はこれまでいろんな人の人生をネタにして番組を作ってきました。我々の業界ではこれを『他人の人生で飯を食っている』と言うんですが、自分の人生がネタにされるときには、なるべく口を出さず黙って料理されようと思っています」

富士本さんのこの言葉はとてもありがたかったが、その一方でわずかだけれど違和感が残った。

その違和感というものが、他人を題材にしたドキュメンタリーをつくることを「他人の人生で飯を食う」と呼ぶことに対してなのか、「自分は他人をネタにしているから、自分がネタにされる場合は黙って料理される」という態度に対してなのか、あるいは私の側の問題として、実際に生きている他人のことを書くときに生じるその人の気持ちやプライバシーを慮らないといけないという問題に直面して、何となく面倒なものを感じて嫌な気持ちになっただけなのか、あるいは、その問題を処理するためにおこなった今日の自分のやり取りに対する違和感なのか。

よくわからないが、そもそも私は生きている他人のことを書くことに伴うもろもろとどのようにつき合うべきなのか、まだよくわかっていないというか、覚悟を決めかねているようなところがあるのだろう。自分が撮影対象になるのは初めてのことであり、自分のことを対象として扱おうとする富士本さんに対して、思い上がりのような、あるいは甘えのようなものが自分のなかにあるような気がする。

 

 

 

第2回 「連帯せよ、謙虚に」: スペインのポデモスはいま

イギリスがEU離脱を決め、アメリカではトランプ大統領が誕生。今年、フランス大統領選、ドイツ連邦議会選など重要な選挙が行われる欧州では、「さらにヤバいことが起きる」との予測がまことしやかに囁かれる。はたして分断はより深刻化し、格差はさらに広がるのか? 勢力を拡大する右派に対し「レフト」の再生はあるのか? 在英歴20年、グラスルーツのパンク保育士が、EU離脱のプロセスが進むイギリス国内の状況を中心に、ヨーロッパの政治状況を地べたの視点からレポートする連載。第2回は、スペインの急進左派「ポデモス」のドキュメンタリー映画についての話題から、分裂を繰り返しがちな左派が学ぶべき教訓について。

『政治のトリセツ』

ベルリン国際映画祭で、2014年に結党されたスペインのポデモスのドキュメンタリー映画が上映された。監督はマドリッド生まれのフェルナンド・レオン・デ・アラノア。音楽は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のアントニオ・サンチェスが担当している。『Politics, Instruction Manual』というタイトルは、直訳すれば「政治、取扱説明書」。映画業界誌Varietyによれば、まるでIKEAの家具の組み立て説明書のように、抵抗勢力を政党に発展させるプロセスが描かれているという。

Berlin Film Review: ‘Politics, Instruction Manual’

主役はポデモスの党首パブロ・イグレシアスとNo.2のイニゴ・エレホン。

ポデモスの核となってきた2人はルックスからして正反対のキャラだ。カリスマティックな革命家のような長髪のイグレシアスと、ややオタクっぽい外見で繊細な印象のエレホン。

この2人は最近ポデモスの党首選で争ったばかりだ(イグレシアスが89%の票を獲得して党首続投決定)。

この映画はポデモスが2015年12月のスペイン総選挙で結党20カ月にして第三政党に躍進するという輝かしい瞬間で終わる。とは言え、これはポデモスの勢いと勝利を描いた映画ではないらしい。党の方向性と構造をめぐる内部衝突と妥協といった生々しい問題を扱っているそうで、「希望の政治」の宣伝映画ではなく、フリー・ジャズのようなロードマップだという。

Variety誌の評者は、もっとも印象的な登場人物はイニゴ・エレホンだったと書いている。妥協と理想の間で揺れて来たポデモスの内部闘争の本質について、誰よりも的確に語っているのは彼だという。30代前半にして時おり十代の少年のように見えるエレホンは、映画中でも剝き出しなほど熱心に、そして同時にどこか醒めた目線で、「急進左派のプラグマティズム」について話しているそうだ。

映画のあとに起きたこと

映画の結末になっている2015年の総選挙では、ポデモスは第三党に躍進した。が、どの政党も過半数を取れず、その後の連立交渉もうまくいかなかったため、2016年6月に再選挙が行われている。ポデモスはこの時、第二政党になるのではないかと騒がれた。それどころか、与党に支持が追いつきそうだという世論調査の結果さえ存在した。が、ふたを開けて見れば、ポデモスは前回の選挙と同じ第三党で終わり、しかも大幅に票数を減らすことになった。

ポデモスは再選挙前、共産党を中核とする選挙連合、統一左翼(IU)と組み、ウニドス・ポデモスとして選挙に臨んだが、ポデモスの選挙キャンペーンを指揮していたイニゴ・エレホンは、この共闘には露骨に反対だった。

そして昨年秋、党首イグレシアスとNo.2エレホンの衝突が本格化する。

再選挙で票を減らした原因について「勝利へのプレッシャーが大き過ぎ、党のメッセージを軟化し、中道化してしまった。僕たちは以前持っていた真摯さや信憑性を失ったと思われたのではないか」とイグレシアスが語ったことについて、エレホンが激怒したのだ。

「僕たちはすでに権力者を脅かしている。それ自体はそんなに難しいことではないのだ。問題は、苦しんでいるのにまだ僕たちを信用していない人々を、どうやって惹きつけていくかということだ」と彼はツイートした。

するとイグレシアスがツイッターで答えた。「そうだね。だけど僕たちは百万人の人々の票を失っている。もっと明確に、僕たちは他の政党とは違うということを訴えていったほうが人々を惹きつけることができる」。

イグレシアスは英紙ガーディアンにこう話している。

「ポデモスは、政治とは制度であり、議会だということを理解しなければならない。だが、政治とは同時に、月末には食べることができなくなる家庭であり、学校の保護者会であり、授業料が払えない学生であり、年金で生活苦に追い込まれて医療費が払えない老人でもある」(theguardian.com

  
党内でのパブロ・イグレシアスの支持者は「パブリスタ」と呼ばれる。彼らは、ポデモスはラディカルな左派ポピュリストであるべきで、議会の枠を超えたところまで見据えていかなければならないと主張する。

一方、エレホンはこう話している。

「僕たちは同じバンドのファンのようだ。そしてそれがたくさんのレコードを売れるバンドに成長したときに、パブロはもう人々が聞かなくなった初期の曲、でも今よりずっとオリジナリティがあったサウンドをもう一度聞き始めているんだ」(politico.eu

エレホンの支持者は「エレホニスタ」と呼ばれる。彼らは、もっと穏健でプラグマティックなアプローチを取るべきだと信じている。共産党の選挙連合との共闘ではなく、第2党の社会労働党(PSOE)と密接な関係を築き、議会での影響力を高めなければ自分たちの政策を現実的に形にすることはできないというのが彼らの主張だ。

相克は乗り越えられるのか

ポデモスは2011年のМ15運動から生まれた。失業、格差、貧困、緊縮財政、政治腐敗への怒りから人々が広場を占拠し、スペイン全土に広がって、オキュパイ運動の先駆けとなったM15 運動こそ、アナキスト、リベラル、社会主義者まで、違う思想を持つ人々が混然一体となった「インディグナドス(怒れる者たち)」だった。

だから、ポデモス内部で衝突や分裂があるのはもっともなことではある。

分裂するのは左派の宿命、とも言われるが、こんなとき思い出すのは立命館大学経済学部教授の松尾匡さんが書かれていた言葉だ。

「大資本家や財閥政治家の私利私欲のために、力のない善良な庶民が貧困と抑圧に苦しんでいることへの怒りを、ゴロッと「原石」のまま共有して、マルクスもアナーキズムもあまり区別がつかないでいた素朴な時代の方がある意味では正しかったのだと思います」
『新しい左翼入門 相克の運動史は超えられるか』講談社現代新書)。

結局、2月に行われた再党首選でイグレシアスは圧勝した。

イグレシアスは、意見の食い違いがあるとはいえ、盟友エレホンにはそばにいて欲しいそうで、「僕は、最も優秀な人たちに回りにいてほしい。たとえ彼らが僕のことを好きでなくても」と言っている。

党首に再選されたとき、イグレシアスは、

「僕たちはたくさんの間違いをおかしてきた。決断に過ちはつきものだからだ」

とスピーチした。誰がもっとも正しいのかを競い合い、潰し合うのが宿命の左派に、「僕たちはたくさん間違える」なんて言える人がいたのかと新鮮に感じた。

最近の彼のスローガンはこうだ。

UNITY!HUMILITY!ON TO VICTORY!(連帯せよ!謙虚に!勝利に向かって!)」(theguardian.com

いやに古臭い台詞ではあるが、しかし現代でも左派は一番目と三番目の言葉は好んで使っている。

だが、二番目の言葉はどうだろう?

これは世界の左派に向けられた言葉ではないだろうか。

 

第4回 ポスト個人主義の無責任?

海外でテロリストの人質になるとさかんに「自己責任」論が叫ばれる。他方、甲子園児の不祥事が発覚するとそのチームが不出場となる「連帯責任」も強い。「自己責任」と「連帯責任」、どちらが日本的責任のかたちなのか? 丸山眞男「無責任の体系」から出発し、数々の名著を読み解きつつ展開する、「在野研究者」による匿名性と責任をめぐる考察。第4回は、平野啓一郎、鈴木健が唱える「分人主義」の検証。

 

しかし、『エンジョイ』が示唆していたように、「空気」が交代可能なものだと分かったとして、このことは根本的な解決をもたらしはしない。単に「空気」に対して「水を差す」だけの行為に等しい。

正しく、山本七平は「空気」の対語として「水」を挙げていた。「水を差す」の用例で分かるように、「水」はノッペリと広がる一辺倒の雰囲気に抗う異見=異物として存在する。「空気」の盛り上がりは、現実から遊離した状況を生み出すが、一旦彼らが置かれている実際の現状を報告してやれば、一気に現実へと引き戻される。山本はこれを「通常性」という言葉でも理解している。

ただし、興味深いことに山本は、「空気」に対する「水」のツッコミによってでは「空気の支配」を脱することができない、と随所で仄めかしていた。

客観的状況に立脚する「水=通常性」の倫理は、「あの状況ではああするのが正しいが、この状況ではこうするのが正しい」といった、状況対応的な命令に堕している。このリアリズムの背面で語られているのは、間違っているのは状況(状況を作り出した連中)の方であって、その責任は自分にはない、という「自己無謬性」や「無責任性」である。

たとえば、カント倫理学のように、ある行為が超越的な道徳律に準じるか否かなどという審級は、ここではもはや問題にならない。

状況次第の「水」的倫理は、だから個人の自由な思考を許すものではない。「この『水』とはいわば『現実』であり、現実とはわれわれが生きている『通常性』であり、この通常性がまた『空気』醸成の基である」。「水」は結局のところ新たな「空気」に回収されて終わるのだ。

間違え続けの財産

丸山眞男とはやや異なる道筋をたどりながら、山本もまた日本的「無責任の体系」に直面している。これに対する山本の処方箋は、「あらゆる拘束を自らの意志で断ち切った『思考の自由』と、それに基づく模索だけ」という、現状分析の精緻さに比べややボヤけた印象を与える努力目標である。

しかし、そもそも、そのような「自らの意志」が消失しやすいからこそ、体系化した無責任が連帯の名の下に闊歩して、ときに「自己責任」語りを介して自らの免責を確保しようとするのではないか。

山本が念頭においているだろう、自分の頭で考える自律した近代的主体のモデル、より簡潔にいえば個人主義こそ、日本に根づかなかった最大の思想であることは、歴代の様々な日本文化論が喧伝してきたことだ。堂々巡りである。

無論、ここで小谷野敦『日本文化論のインチキ』を引き、そもそも日本文化を特殊とするような言説の多くは学問的な手続きにおいて誤っている――たとえば比較対象が西洋近代でしかない、たとえば検討されている日本人なるものがエリートに限定されている、等々――、と切り捨てて議論を終わらせることもできなくはない。

しかし、少なくとも、次のことは考えていい。即ち、日本が現実に世界から見て特殊であろうが一般的であろうが、表象の次元においてはポジティブであれネガティブであれ特殊化に関する言説の歴史があり、その枠組みの参照が延々反復されてきた、という事実だ。

仮にその反復性の構造自体もまた、近代国家一般に認められる特徴だったとしても、その具体的な内容は他に替え難いはずだ。青木保『「日本文化論」の変容』や船曳建夫『「日本人論」再考』など、日本文化論の系譜を歴史的に読み直すこと、つまりメタ日本文化論(日本文化論・論)の功績はそのような姿勢から生まれた。

すべてが間違っているのだとしても、間違え続けた歴史は大きな財産である。そして、訂正を介してもなお、その反復が継続されて現在に至ることを、とりあえずの現状分析としなければならない。

平野啓一郎の「分人主義」

個人主義という舶来品に対する日本人の違和感を逆手にとったのが、二〇一〇年代以降、しばしば注目される「分人」という概念だ。「分人 dividual」とは、「個人 individual」の変形概念であり、これ以上もう分割‐できないもの(in-dividual)としての自我観を拒否し、「私」は独立して存在しているのではなく複数のキャラクターやモードの複合によって成り立っている、という前提に基づいたフレキシブルな自我像である。

分人主義者の一人、小説家の平野啓一郎は『私とはなにか』のなかで、他者とのコミュニケーションや関係性において自分というものが自在に変容すること――クラスメイトに対する自分、両親に対する自分、恋人に対する自分――に注目して、「本当の自分」という観念には実体がなく、存在しているのは分人だけだと主張する。

平野によれば、「本当の自分」の強要は西洋の一神教に由来しており、その支配から外れる分人言説は広義での日本文化論を再生産しているといえる。端から一神教と距離のあった日本人にとって分人の発想は決して不自然なものではない。

複数の自分を統べる、核となる「本当の自分」に囚われてしまうと、「自分探しの旅」で徒労を味わい、過剰な同一性への執着が翻ってアイデンティティ・クライシスを帰結させる。ならば、核への信仰など捨て、ポートフォリオを組むように分割された諸人格で「私」をリスクヘッジすべきなのではないか。「他者を必要としない『本当の自分』というのは、人間を隔離する檻である」。以上のことを平野は自身の書いてきた小説作品、とりわけ『決壊』と『ドーン』という二つの大作を自己解説しながら問題提起している。

このように主張する論者にとって、個人が犯した犯罪行為の責任はどのように果たされるべきなのか。その答え方は錯綜しているようにみえる。

赤ん坊は様々な他者と対面しながら「分人化」のなかで成長する。故に、成長した少年が殺人を犯したとしても、「犯罪の責任の半分は、やはり社会の側にある」と平野は指摘する。責任も分散化すべきである――なぜ半分なのか? 三分の一や五分の四でないのはなぜなのか? という疑問は横におくとしても――。

ただ、次の頁を捲ると、この主張と矛盾するような文言に出会う。つまり、個人とは「(もうこれ以上)分けられない」ものであるが、「(もうこれ以上)」に注目するのなら、「他者とは明確に分けられ」、「だからこそ、義務や責任の独立した主体とされる」。よって、「罪を犯せば、それはやはりあなたがしたことで、他の人間は無関係である」と結論づけられる。

疑問が残る考え方だ。もし「分人化」の原動力が、孤独ではなく様々な他者とのコミュニケーションにあるのならば、個人の犯罪の責任を考量する上で「他の人間は無関係」とはいえないはずだ。逆に、「他の人間は無関係」な主体を設定してよいのならば、分人概念の背後にはやはり核となる「本当の自分」が鎮座していることを意味している。

平野の分人主義は明らかにこの困難を克服できていない。

鈴木健の「分人民主主義」

もう一人の分人概念の使用者、鈴木健はどうだったか。鈴木は『なめらかな社会とその敵』という書物のなかで、分人に基礎づけられた、新しい「なめらかな」未来社会を構想している。

たとえば、近代の選挙制度では個人に一人一票が与えられ、相応しいと思える候補者一人に投票を行う。しかし、分人を前提にした原理からすれば、その一人の単位を絶対視せず、票の分割や他の投票者への委託といったかたちで意志の「なめらかな」多元性を認めなければならない。「強い個人」を前提にしない新しい民主主義、それが鈴木のいう「分人民主主義 Divicracy」だ。

だからこそ鈴木が、冒頭部で第一に責任概念に言及していることは興味深い。鈴木は簡単に帰責対象を見出せないような複雑系の社会のなかで、責任なるものが、やはりスケープゴートとして働くフィクションであることを強調し、「責任をとらせようとすればするほど、誰も責任をとらせなくてもよいような社会制度が生まれてしまう」パラドックスに注意を促している。

解決の道筋は、潔くすべての責任を負うヒロイックな個人への期待を捨て、分人がそうであったように、「今まで負ってきた責任を分散化させることによって、国家や個人を楽にしてあげること」にある。「なめらか」とは、いままで壁のように自他を区別していた境界を透過性の高い膜に替えることで、我がことを世のこととして、世のことを我がこととして捉えようとするアイディアである。こうして「なめらかな社会」において所有の観念は、私有でもなく公有でもなく、共有へと交代していく。

故に、この本の「あとがき」にはクリシェとしてしばしば繰り返される著者責任を斥けるような文言が記されている。「本書の責任は著者の私にあるというのが、よくある表現なのだが、どうも納得がいかない。ここで名前を挙げたみなさんも、挙げられなかった方々にも、本書の内容には少しずつ責任をもっていただこうと思う」。

体系が反転する?

分人主義者は、「無責任の体系」の困難に突き当たっているようにみえる。

平野の場合は、無責任に堕落する危険を素早く察知したためか、「義務や責任の独立した主体」を切り崩すことはせず、帰責先となる旧来からの近代的主体を保守的に温存している。

だが、その振る舞いは、「分人」なるものが所詮はコミュニケーションの多元性を称揚するプロパガンダでしかなく、その多元を束ねることができる強力な自己の幻想の強化に終わっている。

他方、鈴木は「無責任の体系」に対する危機感を明確に意識しつつ、逆に「分人」の発想が、独特の責任意識の達成に通じている、と考えているようだ。

たとえば、鈴木が指摘するに「多くの日本人にとっては、政府とは責任を押しつけるべき対象の他人でしかない」。俗にいう、お任せ民主主義である。このような無責任の態度を転回させるためには、「私たちの政府なのだ」という自覚が必須である。

これを調達するためには、個人を標準とした間接民主主義の年一回の選挙などではなく、分人として日常的に細かに参加できる直接民主主義的な制度でその感覚を涵養せねばならない。

いわば、「無責任の体系」を分人的ネットワークを介して、責任の体系に反転させることに、鈴木の企図があるといえよう。しかし、依然としてその事態が、北田暁大のいう「責任のインフレーション」との危うい背面で成立している点は注意しておいていいだろう。

鈴木は責任問題の厄介さを回避するため、個人に紐づけられた責任概念がそもそも失効してしまうような新しい環境=社会システムを構想している。

断っておけば政治制度の観点において、この未来像には大きな期待を寄せることができる。けれども、倫理的な観点からみて、たとえば平野的な論題に十分応答することができるかは疑問だ。分人が殺人を犯したとして、その罪は誰に帰せればよいのだろうか。分人民主主義の問題圏はその埒外にあり、おそらくは鈴木もまた、身体の個別性によって輪郭づけられた個人の観念を脱却しようとはしないだろう。

丸山や山本からみれば、分人主義者は個人主義の根づかない日本の無責任体制を、世界的に先駆するポスト個人の思想として読み直しているに等しい。けれども、分人は、他人が集うその場の「空気」を読むことにだけ必死で、自分の頭で考えようとしないポピュリストに堕落し、あまつさえそれに居直る危険がある。

近代の幻想にいつまでもしがみつく頑固者からみれば、そのように評価されてもおかしくないだろう。


参考文献

  • 青木保『「日本文化論」の変容――戦後日本の文化とアイデンティティー』、中公文庫、一九九九年。もとの単行本は中央公論社、一九九〇年。
  • 小谷野敦『日本文化論のインチキ』、幻冬舎新書、二〇一〇年。
  • 鈴木健『なめらかな社会とその――PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論』、勁草書房、二〇一三年。とりわけ、二九頁、四三頁、二二四頁、二五四頁。
  • 船曳建夫『「日本人論」再考』、講談社学術文庫、二〇一〇年。もとの単行本は、日本放送出版協会、二〇〇三年。
  • 平野啓一郎『私とはなにか――「個人」から「分人」へ』、講談社現代新書、二〇一二年。とりわけ、九八頁、一六二~一六四頁。
  • 山本七平『「空気」の研究』、文春文庫、一九八三年。とりわけ、一一二頁、一六九頁、一七二頁。もとの単行本は文藝春秋、一九七七年。