scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第16回 私と同じ名前の女の子

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

私の短大時代の友人にえりこちゃんという子がいる。偶然にも同じ名前であった。えりこちゃんは一つ下で、一緒の授業を取っていたのが縁だ。私たちが取っていたのは、漫画の授業で、先生はかなり変わった人だった。テレビ局で働いていたのに、マスメディアの授業をするのでなく、漫画をやるのはちょっとおかしい。授業ではガロなんかのマニアックな漫画の講義が多く、授業についてこられる人が限られていた。その中に、えりこちゃんはいた。

えりこちゃんはめちゃくちゃ美人だ。顔が小さく、目はパッチリとして鼻筋がすっと通っている。そして、体は信じられないくらい細い。なんというか、非の打ち所がないのだ。けれど、根本敬の漫画を持っているくらいはサブカルだった。漫画の授業が終わったあと、先生とえりこちゃんの友人を交えて、高田馬場のカレー屋さんによく行っていた。自分が好きな漫画の話と、先生が話す雑談は私の心を和ませた。

えりこちゃんは高校時代から付き合っている彼氏がいた。自分から告白してオーケーをもらったという馴れ初めを聞いて、やっぱり美人は違うなと思った。たぶん、えりこちゃんから告白されて断る男はいない。えりこちゃんを見ていると、幸せになるしかない人なのだと感じる。かっこいい旦那さんと巡り会い、良い仕事も得ることができ、なんの不自由もなく暮らしていけるだろう。そして、えりこちゃんは性格がよかった。それは、美人であることから生まれたものなのだと思う。卑屈なところや嫌味なところがない。私とえりこちゃんは個人的に遊びに行ったりする仲ではなかったが、一度だけ一緒に遊んだことがある。その時に一緒にプリクラを撮った。えりこちゃんと並ぶと悲しくなるくらい私はブスだった。

私は短大を卒業した後、ブラックの編プロに入社し、精神を病み、自殺未遂して精神病院に入院した。私の転落の人生の始まりだった。私は実家に戻り、治療に専念するものの、仕事もできないでいて、毎日暇だった。短大時代の友人に電話をかけたりしていたが、しつこくかけていて、相手から嫌がられたりした。孤独の病魔に侵された私は人が恋しくて仕方なかったのだ。私はえりこちゃんにも連絡した。えりこちゃんは私の電話に出てくれて、おしゃべりをしてくれた。私は働いているえりこちゃんに頻繁にかけるのはよくないと理解しつつも、どうしようもない寂しさから電話をかけまくっていた。ある日、えりこちゃんからこう言われた。

「今度、結婚することになったよ」

突然の報告だった。私はびっくりしながらも嬉しくて、こう言った。

「え! すごいじゃん、私も結婚式行っていい? えりこちゃんのウェディングドレスが見たい」

するとえりこちゃんはこう答えてくれた。

「ありがとう! ぜひ来てー!」

しかし、結婚式の前に私とえりこちゃんの仲は決裂した。私は仕事に就けないストレスと死ぬまで母と実家で暮らすのだという絶望から、昼間から酒をあおり、母に暴力を振るった。その時にえりこちゃんに電話をした。

それを聞いたえりこちゃんは、

「エリコ先輩は病気に逃げてるんだよ。仕事した方がいいよ」

と忠告した。

しかし私は腹を立てた。

「そういうけど、私はコンビニのバイトだって続いた試しがないんだよ。私はもう働けないんだよ。そんなこと言うの酷い!」

私はそのまま電話を切り、えりこちゃんの連絡先を削除した。あの頃の私は本当に酷かったと思う。孤独と病気がそうさせたのかもしれないが、私は周囲にとって困った人だった。

それから10年以上の時間が過ぎた。私の人生はますます低迷を辿った。自殺未遂を繰り返し、入退院を繰り返し、生活保護を受けるようになった。私はネットでブログを開設して、日々のことを細々と書き記していた。最近読んだ本のこと、イベントに参加したこと、そんなことを書いていた。

それからしばらくのち、仕事ができるようになってからも、ブログを書いたり、ミニコミを出したりして、発信することは続けていた。そして、まめにブログを更新していた時、えりこちゃんのことをふと思い出した。私はブログのタイトルに「私と同じ名前の女の子」とつけ、えりこちゃんの思い出を語った。とても美人であること、そして、性格が素直であること、思いつくままを書き、アップした。すると、コメントがついた。それは紛れもなく短大時代の友人である本物のえりこちゃんだった。私は動揺した。まさか、本人が読んでいるとは思わなかったのである。

その後、お互いの連絡先を交換して、会うことになった。えりこちゃんは遠い私の家まで来てくれた。えりこちゃんはずっと私のことが気になっていたらしく、ネットで私の名前を検索して、ブログにたどり着いたのだと教えてくれた。そして、自分のことが書かれた時、もっと酷い書かれ方をすると思っていたが、そうではなかったので、連絡を取ることにしたと言った。コメントをするのはとても勇気がいったそうだ。えりこちゃんは私に嫌われているとずっと思っていたそうだ。

えりこちゃんは10年以上経っても美人だった。そして、美人のえりこちゃんは波乱万丈な人生を送っていて、美人だから苦労しなくて済む、と考えていた自分を恥じた。離婚を経験し、2人の子供を育て、えりこちゃんは人生の荒波をかいくぐって生きていた。

「今度、エリコ先輩に私の子供に会って欲しい」

と言われて、会うことにした。しかし、少し不安があった。私は子供が苦手なのだ。子供に懐かれた経験がなく、どちらかという子供に嫌われるタイプなのだ。

日曜日、えりこちゃんの住んでいる最寄り駅まで行く。まだ幼稚園の娘ちゃんと息子くんは明るい笑い声をあげながら私に近づいて来た。恐る恐る話しかけ、手を握る。小さな手はツヤツヤで柔らかく、まだ人生を知らない手だった。一緒にマクドナルドに入り、子供たちに話しかける。プリキュアや仮面ライダーの話をすると子供達は大いに喜んだ。そして、えりこちゃんが呼ぶように、私のことを「エリコ先輩」と呼んだ。

子供達に一気に好かれてしまい、私は動揺するとともに、自分の中の氷が溶けて行くのを感じた。子供達は私に対して、なんの壁も持っていない。私が障害者であるとか、うつ病であるとか、歳をとっているとか、結婚をしていないとか、そういうことは関係なく、ただの私を見ていてくれた。息子くんに銃で撃たれて、死ぬふりをすると、息子くんは声をあげて喜ぶ。娘ちゃんと一緒におままごとをして、笑顔で娘ちゃんのご飯を食べるふりをすると、娘ちゃんは満足そうに笑う。私はこんなに素直な子供達を産んでくれたえりこちゃんをとても尊敬する。

私は子供を神に近い存在だと思っている。生きて来た年数が少ないということはこの世での穢れをあまり受けていないのだ。それだけに、彼、彼女の発言や行動は純粋であり、心動かされるものがある。お菓子を食べたいと駄々をこね、ご飯は食べたくないというその言葉ですら、私は感動してしまう。素直に自分の欲求を伝えることができるのはなんと素晴らしいことだろうか。私は自分の欲望が見えないことが多い。自分が何を欲しいのか、何を食べたいのか、そういうことがわからないのだ。わがままを言い、嫌なことに対して不機嫌になる子供と一緒にいると、私にもそれを少し分けてくださいとお願いしたくなる。自分の心が見えなくなっている私に、少しその神様の目を与えて欲しい。

私は子供を作らなかった。子供が欲しかったのかと問われると、正直、欲しかったことはあまりない。私は自分の子供時代が不幸だったので、なんとなく、子供を持つことに対して自信がない。けれど、えりこちゃんの子供と遊んでいると、子供がいてもよかったのではと思う。しかし、この歳まで1人で来てしまったことを考えると私には縁がなかったのだろう。

私は自分の子供の代わりにえりこちゃんの子供を可愛がって生きていきたい。子供であっても、困難や辛いことはたくさん出てくる。そういうときに、相談ができる大人として、側にいたいと思うのだ。親でもなく、学校の先生でもない、信頼できる第三者の大人。私は子供達がもうちょっと大人になって、家に帰りたくない日が来た時に私の家に泊まりに来て欲しいと願っている。独身のちょっと変わったおばさんとして、親しくしてもらえたら、こんな光栄なことはない。