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第9回 「確かさ」のない世界
小学校のときから読んできた新聞の購読を止めた。その新聞の文化欄が好きだった。夕刊のエッセイも毎日楽しみにしていた。経済面は見出しも読まないのに、そのためだけにとり続けていた。
それは、知らない世界に続く大切な通路だった。なんの興味もなく、存在すら知らなかった深い世界が、毎日次々と目の前に現れる。スマホでは情報がカスタマイズされるので、そうはいかない。
でも気が付くと、私は、その文化面を読まなくなっていた。感動しては切り抜いていたエッセイの欄もだ。
夫は、以前から新聞を変えたいと言っていたので、長年人生を共にしてきた新聞と別れる決意をした。なんだか家族と別居したときのように、今は、胸がシーンと冷えている。
読まなくなったのは、新聞に限らない。フェイスブックの投稿も年々読めなくなっている。隙間なく詰まった小さな文字の塊を見ただけで、諦めてしまう(仕様もどんどん変わり、既に置いて行かれた)。ネット上の記事も、以前と比べて読む量が格段に減った。その不吉な変化に戸惑い、一人怯えている。
元々、常になにか読んでいないと落ち着かないタイプだった。「活字中毒で、読むものがないと目の前のお菓子の成分表示を読み始める」と、昔、ラーメンズのコントで聞いて苦笑した。
脳の病気になってからは、文章がまったく読めないときがある。でも、脳の調子さえ良ければ、「以前と同じように読めるぞ!」と安心していたのに……。
私は深呼吸して、変化の理由を考える。読む時間はいくらでもある。ただの老化? 気力体力の低下? 視力の低下? 全部当てはまりそうだ。大丈夫。健康な人にも起こる。
他に考えられる原因は? 病気の進行による情報処理能力の低下……記憶力の低下……集中力の持続時間の大幅な短縮……。どれも否定できない。急に体が重くなる。
本を読むのに時間がかかるようになったのは、しょうがない。まずいのは、読んだ内容が、シュワシュワと頭から消えるようになったことだ。1冊読み終えたとき、なにが書いてあったのかをほとんど覚えていない。覚えているのは、特に印象的だったエピソードや読んでいるときに感じた興奮だけだ。
2020年は、書評を書く仕事を初めていただいた[1]。送られてきた本を全速ダッシュで読み、読み終えた直後から猛然と書き始めた。既にヘトヘトだが、少しでも時間を置いたら、本の内容も湧き上がった気持ちも勢いも全部消えてしまう気がしたからだ。
加賀藩の氷室から、殿様に献上する氷を運ぶ飛脚のように、死に物狂いで駆けた。ゼイゼイハーハー息をしながら、もう少し違うやり方でないと死ぬぞと思ったが、次があるかどうかもわからないので、対策は保留にしている。
毎日の出来事と体調の変化を長年記録しているが、時々書くのを忘れるようにもなった。翌日、空白を見つけ、埋めようとペンを持ったままいつまでも空白と見つめ合っている。
「昨日、私は、なにをした? そもそも昨日って……いつ?」。時間をおおう霧が、以前よりも濃くなっているのだ。「昨日」が、どこにあるのかがわからない。
コロナの自粛生活が単調なせいもある。でも、寝る前に記録を書くとき、その日の出来事もなかなか思い出せなくなっている。「今日」という時間までが、砕けて散らばっている。
「あっ、今日は、美容院に行ったんだっけ。それは何時ごろ? 美容院に行く前後は?」と考えていくが、頭がもやもやして、脳がとても疲れてしまう。
私のなかで、時間は、1本につながっていない。散乱した写真の1枚を拾いあげても、他の写真とはつながらない。どちらが先か後か、昨日のことなのか、1週間前のことなのか、考えてもよくわからない。
それでも出来事の記憶そのものは、霧の中にちゃんと残っていて、時間以外のヒントさえあれば取り出し可能だと思ってきた。
ところが最近、夫と話していると、消えている過去の出来事がいくつもあることがわかる。
「えっ!? そのとき、私もそこにいたの?」と聞いてしまう。
私より年上で、60代に入った夫は夫で、人の名前は全然出ず、忘れ物をしないで出かける日がない。記憶力の比較は、思った以上に難しく、病気と老化の境目は見えない。ただ、「自分比」でいけば、格段に低下した記憶力によって、支障をきたすことが増えている。
出来事の記憶が失われていると知ったときは、いつもぞっとする。私自身の物語が、私を抜きにして、勝手に舞台で進行しているようで、どうしたらいいのかわからなくなる。
認知症の検査の開発者として著名な長谷川和夫さん(1929年/昭和4年生まれ)は、自らの嗜銀顆粒性認知症(後期高齢者では珍しくなく、アルツハイマー病と似ているが進行は遅い)を公表。「認知症になるということは、”確かさ”が失われることだ」とNHKスペシャル[2]のなかで話されていた。
これは、身もだえするほどわかる。「事実」か「誤り」かを自分で区別できなくなっていくのは、徐々に視力を奪われていくような気分だ。両手の爪を立てて辛うじて掴まえている自分への信頼が、ベリベリと引き剥がされていく。
私の世界にも、「確かさ」なんてない。目の前を飛ぶ虫が、本物の虫か、幻視の虫かを見分けることはできない。幻視とわかるのは、消えた瞬間だ。
自分が見たり、聞いたり、五感で感じていることが、現実なのか、私の脳の誤作動によって、私にだけ起きている現象なのかを、自分で区別することはできない。
周囲の反応から推測するか、「これ見える?」「こんな音聞こえる?」と人に聞く以外ない。それを「普通のこと」と考えることで、私は、混乱と不安から脱出できた。
私は、もう自分で判断しようとはしない。それが悪いことだとも思っていない。歩くのがつらければ杖を、視力が落ちればメガネを使う。それと同じことだ。
でも、記憶は違う。記憶は、私にとって別物だった。
「進行」の2文字がすぐに浮かぶ。私は大丈夫だろうか……。この先、書き続けることができるのか……と思うと、すーっと0.5度くらい体温が下がっていく気がする。書くことだけが、今の私にできることなのに。私を支えるものなのに……。
気がつけば、うつっぽさの田んぼに踏み込んでしまっていた。深くはない。泥のなかに浸かっているのは、せいぜい足首までだが、なかなかスポッと引き抜くこともできず、冷たい泥の中にカエルのように留まっていた。
そんなとき、鈴木大介さんの対談配信[3]を観た。鈴木さんは、ライターとして活躍されていた41歳のときに脳梗塞を起こし、高次脳機能障害を負った。その直後からご自身の体験や症状などを書き続け、既に何冊もの本にされている。
脳梗塞直後、「鈴木大介は、もう終わった」と友人から思われるほどの病状だった鈴木さんは、その状態で本の企画書を書き、病室から出版社に送った。
本も読めず、人が話す言葉も理解できず、深刻な記憶障害があっても、「書くことはできた」と、鈴木さんは語る。
記憶が残らなくても、自分の頭のなかにあるものは書ける。書けば、それは消えることなく記録される。誤字脱字がひどくても、鈴木さんは、そうやって書き続けてきたという。
「単純作業もできない人間に、なぜ本が書けるのか?」
繰り返し投げかけられたというその問い自体が、脳の病気や障害への根本的な誤解であることを鈴木さんは、身を以て証明している。長年、その人の核となり続けたものは、その情熱とともに生き残るのだ。
私も含め、どれだけたくさんの人が、その事実に救われるだろう。
私も鈴木さんと同じように単純な事務作業ができなくなった。役所から来る保険の請求書など、読んでもまったくわからず、夫に教えてもらっている。好きだった料理もうまくできない。年賀状も混乱するので、自分から出すのは数年前に止めた。
それでも、私は、きっと書ける。いつか好きな読書ができない日が来ても、私は、きっと書くだろう。
カエルは田んぼを這い出て、泥だらけのまま、また歩き出した。
[1] ウェンディ・ミッチェル「今日のわたしは、だれ?」(筑摩書房)の書評(日経新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO61124270T00C20A7MY5000
はらだみずき「やがて訪れる春のために」(新潮社)の書評(新潮社「波」)
https://www.shincho-live.jp/ebook/s/nami/2020/10/202010_10.php
[2] NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」2020年1月11日初回放送。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20200111
[3] 鈴木大介さんと上田敏さんの対談動画「高次脳機能障害の当事者は何に困っているのか」(リハノメチャンネル・ラーンング) https://www.youtube.com/watch?v=knGJewjixT8
参考:鈴木大介さんと私の出版記念鼎談の動画とテキスト。コーディネーターは堀田聡子さん(慶應義塾大学大学院教授)。
http://igs-kankan.com/article/2020/07/001241/