丸太はどのように取引されているのか
森林組合や林業会社等の伐採業者が山から伐採・搬出した丸太は、製材会社やベニヤ板工場等の加工業者が求めています。取引は伐採業者と加工業者の直接売買によって行われる場合もありますが、一般的には丸太は木材専門の市場を通して取引されています。丸太市場では丸太を大きさや品質ごとに選別してくれるので、伐採業者(売り手)は山で選別をする必要がなくなりますし、加工業者(買い手)は必要な規格のものを必要なだけ求めることができます。丸太市場はそういった大事な機能を果たしています。
実際に丸太を取引する際には「数え方」の共通言語が必要になってきます。どういうことかというと、例えば、売り手のA社は丸太の数量を「本数」で管理していたとします。ところが買い手のB社は「重さ」で管理していたらどうでしょう。A社とB社が丸太を取引することになってもスムーズに事が運ばないのは想像するに難しくありません。だから、丸太の数量を数えるときの単位はみんなでそろえる必要があるのです。
林業の世界に入るまでは私も本当に知らなかったのですが、木材は体積(㎥)によって数えられています。丸太の体積を求めるには「末口二乗法(すえくちにじょうほう)」が広く使われていて、末口(丸太の細い方の断面)の直径の二乗に丸太の長さをかけて算出します。(厳密に言えば丸太の正確な体積を求める公式にはなりませんが、便宜上この方法を用いるように統一されています。)例えば、末口直径20cm、長さ4mの丸太の体積は、以下のように算出されます。
0.2(m)×0.2(m)×4(m)=0.16(㎥)
この丸太の「1㎥あたりの値段」が仮に1万円であれば、この丸太1本の値段は1600円ということになります。そして、市場での取引ではこの「1㎥あたりの値段」を頼りにしてセリや入札が行われています。
で、実際にどれくらいの値段で丸太が取引されているかといいますと、上で挙げたような規格で製材用の曲がりのない丸太であればスギ・ヒノキで1㎥あたり1万~2万円くらいです。スギよりもヒノキのほうが少し高いです。曲がっていたり、傷がついていたりと、品質の落ちるものはやはり値段も落ちます。最も品質の低いものはチップ用材となり、粉砕されて木質バイオマス発電の燃料や紙の原料になっていきます。
この具体的な値段を聞いて高いと感じるか、安いと感じるかはそれぞれの価値観がありますから絶対的なことは言えませんが、40年ほど前にはスギが1㎥あたり3万〜4万円くらい、ヒノキが7万〜8万円くらいで取引されていた時代があったことを考えると「昔より安くなっている」ということは言えると思います。日本はいま人口が減り、住宅の着工戸数も減っているはずなので今後抜本的な何かが起こらない限り、木材の需要が飛躍的に伸びて、丸太の値段が飛躍的に上がるなんてことはないと考えられています。
大規模林業のすごいところ
丸太の値段がざっくりとどれくらいなのかおわかりいただけたでしょうか。お気づきかもしれませんが、丸太は体積や重さあたりの値段が安いという特徴があります。伐ったばかりで水分をたっぷり含んだスギ丸太1㎥の重さは1トン近くにもなりますが、品質の低いチップ用材になれば、産地によっては5000円(1㎥あたり)にも達しないことだってあります。1トンの丸太なんて到底人力では運べず、重機やトラックの力を借りなくてはなりません。そうなると売上原価も多くかかりますから、安い丸太を売って利益をあげるのは簡単なことではないはずです。
安い丸太を売って利益を上げるためには、森林資源が潤沢にあるそこそこ広い面積の山で、効率的に伐採・搬出をする必要があります。高性能林業機械と呼ばれる重機などを使いこなせば丸太を大量かつ効率的に生産することができるので、一本一本の木が多少安くても、利益を上げることができる可能性があります。このような林業の手法は今ある木材の需要に応えたり、日本中に多く存在する整備遅れの山に手入れを行き届かせるためにも重要なものだと思います。
加工することで価値が高まる?
では、イシタカ山でもそのような手法を用いて丸太を伐採・搬出するのがいいかというと、とんでもない話だと思います。そもそも、イシタカ山はたったの1ヘクタール足らずの面積しかないので、資源の量がほんとうに限られていますから大量に木を伐採したらすぐになくなってしまいます。それに、ひとつのまとまった場所に山があるわけではないので(「山を整備するための計画を立てる」)大きな重機を入れたところで地獄のように効率が悪くなるのは目に見えています。したがって、イシタカ山では全く別の方法を考え出し、選択していくほかありません。
丸太を丸太の状態で売るのは、大量かつ効率的に生産できる大規模林業の担当領域なので、私のようなものが絶対に目指すべきことではありません。私がやってみたい「小さな林業」は丸太を自分で加工し付加価値をのせることで、木材の「体積あたりの値段」を高くしていくことになります。少し前に、その手応えを体感する機会がありました。
ある方から「木のお札」の制作依頼があり、在庫していた角材を丸ノコでザクザク刻んで納めさせていただきました。木のお札は500枚の注文があったのに対し、1枚80円で買っていただいたので、4万円の売上となりました。制作に要した時間は10時間くらい。そのときは道具類も全然充実しておりませんでしたし、私自身も木工に精通していなかったので非常に効率が悪かったのですが、それでもデッドストックとしてスペースを食っていただけの角材が、時間と手間をかけた事によって現金4万円に替わったのです。
仮に1㎥あたり1万円の丸太を売って4万円を売り上げるためには単純に4㎥の丸太が必要になります。それはだいたい中型トラック1台分の量となるのに対して、私がそのとき納めた4万円分の木のお札はせいぜいティッシュ箱3つ分ぐらいの量でした。これはまさしく、木材を加工することで体積あたりの値段を高くすることに成功したと言うことができます。この経験から、私がやりたい「小さな林業」への手応えを感じないわけにはいきませんでした。それから、自分には木材を加工するための工房が絶対に必要であると確信しました。
林業家が手がける木工の強み
限られたイシタカ山の資源の価値を最大化するためには、どう考えても木を加工する、という行程が必要になってきます。いわゆる木工です。木材は金属や石などと比べても断然加工しやすく、材料も手に入りやすいのでそれを生業にしている方も多いことと思います。また日本は言わずとしれた森林大国。潤沢にある山の木を加工して利用しやすくし、生活の中に取り入れるというのは太古の昔から普通に行われてきたことでしょう。私も山を買っちゃったんだから、是非ともそれをやりたいと、やらなければならないと勇み立ちました。
しかし木材を加工するためには専用の道具が色々と必要になります。のこぎりや曲尺(かねじゃく)ならすでに持っていましたが、やはりできることの幅を広げるために電動工具がほしくなります。「木のお札4万円事件」が起きてからというもの、木工に関する道具に投資をすることは私にとって全然辛いことではなくなったのですが、電動工具はいかんせん音がうるさいです。それに木くずがめちゃくちゃ舞う。ご近所さんや家族への迷惑を考えると今自分が生活している家にそんな設備を導入することは絶対に不可能でした。
毎日のように電動工具を動かしてもご近所迷惑にならないような場所はないものかと、血まなこで辺りを探し回った結果、なんと運良く条件に合う場所を借りることができたのです! その名も、秘密の工房「レイア」。陶芸をやっている私の兄と共同でその場所を使わせてもらえることになりました。
自分の工房を構えることができたので、必要だった自動カンナや手押しカンナ等の電動工具を注文して早速運用しています。人力でどんなに頑張ってもできないことが一瞬にしてできてしまうので、やはり道具は偉大です。道具は力である、と思います。
これで、木工を進めていくのに必要な条件はある程度整いました。しかし、いくら立派な道具を手に入れたところで、作品をつくる本人に腕がなければどうあがいてもクオリティの高いものをつくることはできません。私自身、木工の経験などまるっきりなかったので、これからきちんと腕を磨いていく必要があります。今の私は、自分が作りたいものを考える以前の段階なので、とにかく些細なものでも作りまくる作業が必要です。まずは道具の使い方を覚え、きれいな板を作るところからはじめて、やがて精巧な作品も作れるようになっていきたいです。
私は、現状ではまだ大した作品を作ることができません。しかし、ない腕を使ってちくちくと作業をしているとき、ふと私がやる木工にはある強みがあることに気が付きました。それは、自分で山を買って、そこから自分で伐ってきた木を使っていることです。木工業界広しといえど、そんなことをやっている作家さんは多くないでしょう。そういう意味では、「山の見える木工」をやっているわけですが、そこんところの強みは是非とも活かしていく必要があると考えています。
・伐った木を高く売るためには加工をする必要がある。
・自分で伐った木を使う木工には強みがある。
こうしてあらためて書き出してみると、林業家が木工をやるってのはめちゃくちゃに有利です。イシタカ山の木の価値を最大化するために始めたことでしたが、図らずもそんな有利なポジションに立っていたことに気がついたので、あとはやるだけだよな…と思います。
(つづく)
28歳のきこり斧/山主。神奈川県の水源地域、山北町で取得したボサ山を自力で整備しながら副業自立型の小さな林業を実践・発信していきます。林業、気安くオススメはしませんが格好いいところ見せたいとは思います。