第10回 思い出の医師・看護師たち(2)

大学三年の二〇歳のときに潰瘍性大腸炎を患い、十三年間の闘病生活を送った著者。その間、いろんな年代のいろんな家族の内実を、見聞きするつもりはなくても、たくさん見聞きしてきた。病室という、ある種、非日常な空間で、人がどんな本音を垣間見せるのか、人生がどんな別の顔を見せるのか、家族がどんなふうに激震に耐えるのか、その悲喜こもごもを書き綴る物語エッセイ。六人部屋という狭く濃密な空間で繰り広げられる多様な人間模様がここに。

患者の心理は敏感である。彼は病気の治療だけでなく、心の不安や孤独を慰めてくれるものに鋭敏になっている。わずかな医師の言葉や仕草のなかにも、彼はこの医師が自分の心の不安や生活の心配までわかってくれているか、それとも病気だけしか関心がないかを微妙に嗅ぎわけるだろう。
だから私は医学は科学の一つではあるが、たんなる科学ではないと思っている。医学とは臨床に関する限り、人間を相手にする人間学でもあるのだ。医学という学を通してはいるが、医師と患者とには人間関係があるのだということを絶対に忘れないでほしい。そしてその人間関係は医師と一人の苦しむ者との関係であるから、愛が基調にあってほしいと思うのは私だけではないだろう。

遠藤周作『春は馬車に乗って』文藝春秋

名医の見分け方(1)マニュアル医師と応用医師

名医の見分け方について、ついでに少し書いておこう。

これまでたくさんの医師と出会ってきた。たくさんの病院に通ったし、大学病院では、1、2年ごとに担当医が変わる。

それでだんだん、「ああ、こういう人は腕がよくないんだな」「こういう人は腕がいいんだな」ということがわかるようになってきた。

もちろん、確実なことではなく、例外もあると思うが、ある程度は参考になるはずだ。

まず、患者が何か質問したとき、医書に書いてある通りの返事しかしない医師がいる。こちらが聞き方を変えても、同じ返事をくり返すだけ。

そういう医師は、暗記力はあるのだろうが、応用力がない。そうすると、腕がよくない場合が多い。

というのも、患者は生き物なので、どうしてもひとりひとりちがいがあり、ある人にはよく効く薬が他の人にはあまり効かなかったりする。だから、医師は、患者ごとにさじ加減を変える必要がある。マニュアル通りの一律な治療では、うまくいかない。

腕のいい医師は、こちらが質問したことに対して、ちゃんと答える。医書に書いてあることそのままではなく、質問に合わせて、答え方を変えるのだ。どんなことを聞いても、その質問に対して答える。そして、わからないことはわからないと、ちゃんと言う。

あたりまえのようだが、これができる医師はそうとうレベルが高い。

名医の見分け方(2)例外嫌いと例外好き

患者が何か症状を訴えたとき、「それはこの病気とは関係ないですね」と言うのはいいのだが、それだけでスルーしてしまう医師も、名医とは言えない。

前回紹介した名医の場合は、そういう症状にけっこうこだわった。無視されないだけでも、患者としては嬉しいのだが、さらにそこから、意外な病状を発見したこともあった。

たとえば、潰瘍性大腸炎は、炎症が広がるときには直腸からひろがっていき、治るときには逆のほうから治っていくとされていた。ところが、直腸にはまったく炎症がないのに、「どうもおかしい」と言う患者がいた。そういうときには、たいてい「気のせい」とすまされてしまう。

しかし名医は、「気のせい」ですませず、大腸の途中から炎症が始まる場合もあるということを発見した。

(私は医師ではないので、この説明が医学的に本当に正しいかどうかはわからない。当時の見聞を書いている。ねんのため)

例外的な症状を嫌がり無視したがる医師は名医になることはなく、名医になるような人は、むしろ例外的な症状にとびつくようなところがある。そこから新発見があるかもしれないからだ。そして、無駄になることをおそれていない。

名医の見分け方(3)うるさがる医師と気さくな医師

患者は素人だから、おかしな質問もすることもある。「引っ越しをしたのがよくなかったんでしょうか」などと、わけのわからないことを言う場合もある。

そういうとき、うるさがって、話をさえぎるような医師も、あまりいいとは言えない。そうやって、「こっちは忙しいんだから、つまらないことは言うな」という態度をとっていると、患者のほうは、重要な症状までつい言わなくなってしまうからだ。

「昨日からお腹が痛いんだけど、言わなかった。いろいろ言うと、また怒られるから」などと、それは言うべきでしょということを、せっかく病院までやってきて言わない患者は少なくない。

名医と呼ばれる人には、患者と無駄話をする人が多い。これは、決して気さくということではなく、そういう話しやすい雰囲気を作ることで、患者から必要な情報をちゃんと得ているのだと思う。

名医の見分け方(4)疑われて怒る医師と歓迎する医師

患者が医師の治療法に疑問や不安を抱くこともある。「この薬で本当にいいのでしょうか?」とか「今の治療法でいいのでしょうか?」とか。

医師の側からしたら、よくない薬を出すわけないし、今の治療法がいいと思っているからやっているわけだから、うるさい質問だ。患者は黙って、こっちの言う通りにしていればいいんだ、と思うだろう。しかも、こっちを信頼していないということだから、不愉快でもあるだろう。

だから、不愉快そうにしたり、怒る医師もいる。

しかし、疑われて怒る医師というのは、だいたい腕がよくない。

私は大人になって水ぼうそうになってしまったことがあるのだが、ある大きな病院に行ったら、ただのカゼと診断された。もう水ぶくれとかできていたので、「こういうのができているんですが……」とあらためて言ったら、医師が怒り出した。

あとから看護師に、「あの先生はすごい先生なんだから、逆らったらダメよ。診てもらえるのはありがたいことなんだから」とさとされた。

しかし、私は経験上、診断を疑われて怒るような医師は、腕がよくないと可能性が高いと思っていたから、すぐに別の大きな病院に行った。すると、たちまち水ぼうそうと診断されて、隔離された。

なお、その怒った医師は、その後、何か大きなミスをしたらしく、患者から訴えられて、新聞記事にもなっていた。

とにかく、偉そうな医師というのは、まずあやしい。

医師に限らないが、本当に自分に自信のある人は偉そうにしない。なにしろ自信があるので、他人からさらに評価してもらう必要がないのだ。しかも、周囲からすでに高く評価されているから、もう承認欲求が充分に満たされている。患者から疑われても、そんなことは蚊に刺されたほども気にしないのだ。

患者にちやほやしてもらいたがる医師は、そうしないと承認欲求が満たされないということで、自信が不足していて、医師の間での評価も高くない可能性が高い。

医師の腕以外のことでコンプレックスを抱えているせいのこともあるから、絶対とは言えないが。

先の名医などは、患者から「その治療法にはこういう問題点があるのでは?」などと指摘されると、怒るどころか、じつに楽しそうに説明していた。治療法についてちゃんと理解を深めようとする患者をむしろ歓迎していた。ただ信じて従われるより、ちゃんと理解して納得してもらうほうがいいというのは、自分の治療法に自信のある人なら、それはそうだろう。

名医の見分け方(5)うろおぼえ医師と目の前に調べる医師

患者が薬について質問したりしたり、合併症について質問したりすると、目の前で薬事典を開いたり、医学書を開いたりして調べる医師がいる。

頭に入っていないのかと、不安になる患者もいるようだ。

しかし、これもむしろ自信のあらわれだ。患者の目の前で本を見たりすると権威が、と心配するようでは、自信のない医師だ。自信があれば、知らないことは、堂々と調べる。患者の前でも気にしない。むしろ、不正確な返事をすることをおそれる。

『壺算』という落語にこういうくだりがある。「昔、あるお大名が出入りの商売人を決めるときに、二人の商売人、どっちを出入り商人にしようかというときにやな、五文と五文でなんぼになる。片一方は十文でございます。片一方の商売人はそろばんを拝借……パチパチとはじいて、十文でございます。はあ、この男は堅いちゅうんで採用になったちゅうくらいのもんや」(『米朝落語全集 増補改訂版』創元社)

これと同じことだ。

患者の目の前で調べるのを恥と思い、うろおぼえで返事をする医師のほうが、信用ならない。

一生、よだれをたらしたままで、味もわからなくなる

名医と言えば、「神の手」と呼ばれる医師に治療してもらったことがある。

これは潰瘍性大腸炎ではなく、歯科のほうの話だ。

あるとき、歯の詰め物が取れた。これくらいは近所の歯医者でもいいわけだが、私は前にも書いたように、下血したときすぐに大学病院に行かなかったことを深く後悔していたので、このときはいきなり大学病院に行った。しかも、歯科を専門とする大学病院だ。当時はまだいきなり行くことができた。

大げさすぎたわけだが、これがけっきょく、よかった。親知らずが、横倒しに生えていて、隣の歯と接しているところが虫歯になっていることがわかった。

その親知らずは、少ししか歯ぐきから出ておらず、ほとんどが歯ぐきの中にあるということで、切開することになった。手術をして親知らずを取り出すのだ。

レントゲンを撮ると、その親知らずのすぐそばに神経が通っていることがわかった。私もレントゲンを見せてもらったが、歯のすぐそばに白い線があった。あれが神経ということだったのだろう(ちがうかもしれないが)。たしかに、近かった。

「神経にふれてしまう場合があり、そうすると麻痺が残る場合がある」と医師から言われた。

「麻痺? 麻痺すると、どうなるんですか?」

「程度によるけれど、口をちゃんと閉じられなくなって、よだれがたれてしまったり、味がわからなくなる場合もあります」

「それはどれくらい続くんでしょうか?」

「2、3カ月で治る場合もありますが、一生そのままということもあります」

これには驚いた。歯の詰め物がとれただけだったのが、下手すると、一生、よだれをたらして、食べものの味がわからなくなるかもしれないのだ。

それでなくても、食べることに苦労しているのに、さらに味がわからないなんて、あまりにひどすぎる。

「そんなことは、めったに起きないんですよね?」

手術の前はすべてのリスクを説明するから、今回もそれかと思った。それであってほしかった。

「そうでもないですね。わりと起きます」

いやな返事である。

しかし、よだれがたれたままの人とか、味がわからなくなった人というのは聞いたことがない。少なくとも身近にはいない。だったら、そうそうあることではないのでは?

と思ったら、いた。

ちょうどその後で打ち合わせをした編集者さんにこの話をしたら、「わたし、じつはそれになりました」と言われてしまった。

「よだれがたれていてもわからなくて、相手が変な顔をしているから、ようやく気づくという感じで。仕方ないんで、ずっとマスクをしていました。幸い、3カ月くらいで治りました」

たまたま打ち合わせをした編集者さんが体験者とは、これは逆に、かなりの人に経験ありなのか?

人は自分に病気や障害があっても、極力隠すから、本当は身近にそういう人がどれくらいいるのか、さっぱりわからない。

同意書へのサインをためらう人たち

ともかく、不安は高まったが、親知らずをこのままにしておくわけにいかないということだった。

麻痺が起きても文句を言いませんという同意書にサインするように求められた。それにサインしないと手術はできないと。

しかも、さらにいやなことを言われた。歯を抜くときに使う器具は、先が尖っている。しかも、かなり力を込めて使わなければならない。だから、ときどき、あごを突き抜いてしまうことがある。そういう場合もあるということを了承してほしいというのだ。

これもまた、すごく了承しづらい。金属の棒であごを突き抜くかもと言われて、しかたないですねとは、なかなか言えない。

歯医者というのは、歯を削られるのが痛い、おそろしいとずっと思っていたが、それよりも、もっとずっとおそろしいことがあるんだなあと、初めて知った。本当に、シェークスピアが言うように、「『どん底まで落ちた』と言えるうちは、まだ本当にどん底ではない」(『リア王』)。

同じ手術を受ける人が他にもいて、同じ長いテーブルに並んで、その同意書にサインをさせられた。大学生らしい若い男と、20代半ばくらいの女性と、私だ。みんな、ボールペンを持った手が、紙の上で止まっている。なかなかサインできるものではない。20代半ばくらいの女性が、思いきったようにががっとサインした。つられて、残りの2人もサインした。

手術はまた後日だ。

「神の手」現る

前置きが長くなったが、心が不安でいっぱいの私は、出会う人みんなにこの話をした。すると、その中に、医学書をたくさん作っている編集者さんがいた。そして、こう言ってくれた。

「ちょうど今、神の手と呼ばれる人の本を作っているんですけど、紹介しましょうか?」

その神の手のメールアドレスも教えてくれた。

医師に直接メールするというは初めてだったが、さすが神の手は偉そうにすることなく、メールで気軽にやりとりしてくれて、診てくれることになった。

なので、先の大学病院から、レントゲン写真を、その神の手がいる大学病院のほうに送ってもらえるよう手配もした。

そして、いよいよ神の手のところに行った。すると、まだレントゲン写真が届いていなかった。がっかりだった。検査からやり直しになるのかと思ったら、神の手はこう言った。

「レントゲンがなくても、外から見ればわかりますから、問題ないです」

さすが神の手だった。とはいえ、歯と神経の関係をレントゲンで診てもらわなくては、やっぱり不安だ。

「歯と神経がぎりぎりなんだそうです」

と私は説明した。

でも、神の手はぜんぜん平気で、

「大丈夫です。じゃあ、抜きましょうね」

と言い出した。

私は今日は診察だけで、手術は別の日と思っていたので、まるで覚悟がなかった。

「えっ! 歯ぐきを切る手術になるんですよね?」

と問いただすと、神の手は、

「そんなことしなくても大丈夫。ちょっとでも歯ぐきから歯が出ていれば、抜けますから」

と、これまたさすがの返事だ。

さらにもうひとつの心配もぶつけてみた。

「器具であごを突き抜いてしまうこともあると聞いたんですが……」

「ああ、そんなことはしないから大丈夫」

ということで、外来で、行ったその日に、親知らずを抜いてもらうことになった。

「神の手」の神ワザ

私は、さすがだと思いながらも、じつはかなり不安だった。

レントゲンも確認しないって、それはありなの? 本当に神の手だったらいいけど、インチキ神様だったら大変なことになる。だいたい、どういう経緯で本を出すことになったか知らないけど、本を出そうとするような医師は、いかさま師が多い。などと、いろんな思いが、頭の中をぐるぐるする。信じたい気持ちと、信じきれない不安。

親知らずは抜けた。痛み止めをもらって帰ったが、「たぶん、いらないと思いますけどね」という神の手の言葉通り、飲むことはなかった。痛くならなかったからだ。

中学のとき、抜歯をしたことがある。そのときは、痛くて痛くて、ひと晩中、眠れなかった。

大変なちがいで、感動した。

そして、麻痺は起きなかった。

神の手は、本当に神の手だったのだ。

なお、「私は虫歯の治療は苦手だから、させないほうがいいですよ」と言われて、他の医師を紹介してくれた。神の手は、抜歯と手術ばかりをやっているようだった。そんなに細かく専門化されているものなのかと驚いた。

名医が精神病院に

潰瘍性大腸炎のほうに話を戻そう。

先の名医に診てもらっているとき、入院しなければならなくなったのだが、大学病院のベッドに空きがなく、待っているわけにもいかなかったので、名医が「自分がいちばん信頼している弟子」というのを紹介してくれた。そちらの病院なら入院できるということで。

名医のもとを離れるのはなんとも残念だったが、しかたない。そこに行った。

すると、さすがに名医の弟子だけあって、その人も素晴らしい医師だった。やさしくて、腕がよかった。この両方がそろっていると、本当にありがたい。

このままこの医師にずっと診てもらってもいいかなと思っていた。

ところが、この医師が鬱病になって精神病院に入院してしまった。

患者仲間のうわさでは、性格がよくて、おとなしくて、腕がいいので、周囲の他の医師たちから妬みやそしりを受けて、雑用とかもどんどん押しつけられて、精神的な苦痛と過労から、ついにそういうことになってしまったということだった。

知らなかったが、医師が鬱病になることも少なくないとのことだった。とくに精神科の医師に多いそうで、それは意外だった。

柚の香りがする医師

やさしい医師で思い出したが、病院に入院しているとき、みんなが「あの先生はやさしい」と口をそろえて言うほど、やさしい医師がいた。

ところが、その医師は、とてもくさかった。体臭がではない。いつも柚の香りがするのだ。

柚の香りなら、いいにおいなわけだが、なにしろ強すぎるのだ。

その先生が通ったあとは、しばらく、「あっ、あの先生が通ったな」とわかる。六人部屋に入ったとき、もうその先生が去った後でも、「来ていたな」とわかる。

そばに来て話しかけられると、あまりににおいが強烈で、息をするのが苦しく、ちゃんと話ができない。しかし、いい先生だから、くさいというような顔はしたくない。いやな顔をしないようにするのに一生懸命で、何を話したかわからないほどだった。いい先生だから、そばにいてくれると嬉しいのに、一刻も早く去ってほしいと願ってしまう。

なんでこんなことになったかというと、その先生にずっとかかっている患者によると、医師というのは消毒薬のにおいがしたりして、患者さんの中にはそれで緊張してしまう人もいるから、柚の香りの香水をつけるようにしたのだそうだ。さすがにやさしい先生で、細やかな配慮だ。それで、患者さんたちからも、いい香りだと評判がよかった。で、それをずっと続けているわけだ。

問題は、においというのは、ずっと嗅いでいると、だんだん感じなくなる。だから、ずっとその香水をつけている当人が、ちゃんとにおいを感じるくらいつけていると、だんだん量が増えていくことになる。

その結果、大変なにおいになってしまったのだ。当人だけは、気がついていない。当人的には、ほのかに香っている程度なのだ。

普通、途中で誰か注意してあげるのだろうが、なにしろ、いい人なのである。そんないい人に、「くさいですよ」とは誰も言えない。

その結果、ずっとそのままなのだ。「どうしても言えない」と、みんな言っていた。

いい人だからこそ、言ってもらえたほうが助かることを言ってもらえないこともあるんだなと知った。

看護師さんに申し訳なかった話

ずいぶん話が長くなってしまった。

医師や看護師の話は、思い出していると、どんどん出てきてしまう。

看護学校からやってきた若い実習生たちの話とか、採血の練習をさせてくれと言ってきて、血管から血をぴゅーと噴出させて、キャーッと逃げていった医師のこととか。

きりがないので、これくらいにしておくが、最後に、申し訳なかったなあと思う看護師の話を。

病院のトイレで大便を漏らしてしまった話を『食べることと出すこと』(医学書院)に書いた。当時、20歳で、人前で漏らしたのは初めてだった。夜だった。通りかかった看護師から、トイレのバケツと雑巾で自分で始末するように言われた。

この話には、じつはつづきがある。

病室に戻った私は、尿道からバイ菌が入ったのではないかと気になってきた。パンツをはいた状態で、大量の下痢を漏らしたので、性器まで便まみれになった。拭きはしたが、なにしろ病院のトイレの雑巾だ。

大便のほうでさんざん苦労していたから、小便のほうは普通にできることが心の支えだった。これで小便のほうまで、膀胱炎とかになって、苦労するようになったら、もうとても心がたまらないと思った。

そこで、ナースセンターにいって、そこにいた看護師に、事情を話して、消毒してもらえないかと頼んだ。

その看護師は、「わかりました」と、消毒薬を用意してくれて、病室のベッドで私の性器を丁寧に消毒して、「これでもう大丈夫ですよ!」と安心させてくれた。

これはとてもありがたかった。

冷静に考えれば、あとから外側を消毒しても、もう細菌やウイルスが尿道まで入ってしまっていたら、なんにもならない。消毒は気休めでしかない。看護師も、それはわかっていたはずだ。それでも、患者の不安を取り除くために、つきあってくれたわけだ。

そもそも、夜は人数も少なくて忙しい。しかも、夜中のナースセンターにひとりでいたときに、ちょっと精神状態のおかしくなった20歳の男が、「オレの性器を消毒してくれ」と迫ってきたわけだ。その看護師は女性だった。もしかすると、性器を見せたいとか、さわらせたいという変態かもしれない。本当に看護師は大変だと思う。

うまくなだめてくれて、不安を取り去ってくれて、今度は冷たくされなかったことで、私はずいぶん助かった。

すごく感謝しているのだが、もう看護師としか思い出せず、顔も名前も思い出せない。

この看護師だけでなく、いろんな医師や看護師にお世話になってきて、とてもとても感謝している。

しかし、よほど特徴的な人でない限り、その顔や個性を思い出すことはない。

申し訳ないことだ。

医師や看護師をひとりの人間として見たくない

医師や看護師に、それぞれの顔、個性を認めるというのは、じつは患者側にとっては、ためらわれることでもある。

少なくとも、私はかなりためらう。

なぜかというと、医師や看護師を〝ひとりの人間〟として認識してしまうと、人間なのだから、当然、ミスもあるし、人をひいきしたり嫌ったりするということになる。

患者としては、ミスをされたり、嫌われたりというのは、とてもおそろしいことだ。そういう人間くささを、医師や看護師が持っていてほしくない。だから、あまり人間として認識したくないのだ。自分たちとはちがう、優秀な一族であってほしいのだ。

九州で生まれ育った女性で、とても優秀で、仕事もできる人なのに、何を話していても、「でも、男性はもっとできますよね」的なことを言う人がいた。

「そんなことはない、女性のほうが優秀な場合もいくらだってある」と言っても、絶対に受け付けない。「そうは言っても、やっぱり男性はすごいです」などと言う。

心から言っている様子を見て、男性社会で育てられると、こんなふうになってしまうものなのかと驚きを感じたが、洗脳されているだけではなかったのかもしれない。

医師や看護師を頼りにするしかしかたない私のように、男性社会で生きていくしかなかった彼女にとって、男性が優秀でなければ困ってしまう。だから、優秀であってほしい、そう信じたいという気持ちが強かったのかもしれない。私も、医師や看護師に、そういう願いを抱き、もしかするとろくでもない人間かもしれないという現実からは、目をそらしたかったから……。

個性を感じさせない人たちこそ、本当は素晴らしい!

思い出を語ろうとすると、どうしても個性のきわだった人たちのことばかりになってしまうが、本当は、いちばんすごいのは、目立たなかった人たちだ。

目立たなかった人たちというのは、きちんと治療し、きちんと看護した人たちだ。少なくとも、ひどいことをしなかった人たちだ。

特別なすごいことをしたということへの評価だけでなく、何もひどいことをしなかったというのも、もっともっと評価されるべきだと思う。医療の世界では、とくに重要だ。

きちんと治療し、きちんと看護する人たちによって、患者は生かされている。

いろいろ書いてきたが、基本的に私は、医師と看護師に深く深く感謝している。その人たちがいなければ、生きていられなかったのだから。今こうして、なんだかんだ書いていられるのも、その人たちのおかげだ。

申し訳ないことに、顔や個性は思い出さなかったりするが、背中をさすってくれた手、注射をしてくれた手、触診してくれた手、処方してくれた手……さまざまな手を思い出す。それは、ただの手ではなく、特別な手だ。

普通に仕事をしていると、たいして感謝もされず、何かあるとすぐに文句ばかり言われる。そう感じている医療者の方もおられるかもしれない。

患者も、病気のときは崖っぷちで落ちそうになって必死だから、冷静ではないし、対応が普通ではなくなる。

しかし、あとから、しみじみ感謝している患者は多いものだ。

私もまたそのひとりだ。

(この項了)

 

文学紹介者。筑波大学卒業。大学3年の20歳のときに潰瘍性大腸炎を患い、13年間の闘病生活を送る。そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫)を出版。その後、『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)、『NHKラジオ深夜便 絶望名言1・2』(飛鳥新社)、『絶望書店 夢をあきらめた9人が出会った物語』(河出書房新社)、『トラウマ文学館』(ちくま文庫)、『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』(ちくま文庫)、『食べることと出すこと』(医学書院)、『自分疲れ』(創元社)などを刊行。

第9回 思い出の医師・看護師たち(1)

大学三年の二〇歳のときに潰瘍性大腸炎を患い、十三年間の闘病生活を送った著者。その間、いろんな年代のいろんな家族の内実を、見聞きするつもりはなくても、たくさん見聞きしてきた。病室という、ある種、非日常な空間で、人がどんな本音を垣間見せるのか、人生がどんな別の顔を見せるのか、家族がどんなふうに激震に耐えるのか、その悲喜こもごもを書き綴る物語エッセイ。六人部屋という狭く濃密な空間で繰り広げられる多様な人間模様がここに。

「特別な人生には、ちがいないだろう」
「たしかにね、俺たち、普通の人生じゃないな、
と思うこともありますよ」

(『男たちの旅路  山田太一セレクション』里山社

見えない人

『見えない人』という短編がある。ミステリー小説の古典的な名作だ。有名なブラウン神父シリーズの中でもとくに有名な作品で、江戸川乱歩はベストワンに推している。作者のチェスタトンは、人間心理の盲点をつくのがとてもうまいのだが、この短編もまさにそうだ。

内容を簡単に説明すると、4人の人間がずっと見張っていた家の中で、殺人事件が起きる。家の中にいたのは、殺された男だけなのに。見張っていた4人は、誰ひとり出入りした者はないと証言する。

いったいどういうことなの? という謎だ。

もう100年以上前の1911年に書かれた古典だし、ネットでもたいてい結末まで書いてあるから、ここでもネタバレさせてもらう。

犯人は郵便配達夫だったのだ。郵便を配達しにやってきていたが、それは当然のことなので、見張っていた4人は怪しい人物と思わなかったし、出入りした人間の数にも入れなかったのだ。

郵便配達夫は、目には見えても、心理的には見えない人だったのだ。

医師と看護師にも、こういうところがある。

つまり、医師、看護師としては認識されるけれども、どういう顔をして、どういう個性を持った人間かというのは、認識されにくい。

もし何かの事件の犯人が医師や看護師だったら、目撃者は「白衣を着ていました!」ということは確実に証言できるだろうが、どういう顔で、どんな感じの人だったかは、逆におぼえていないだろう。

医師や看護師のほうでもそうだ。患者の〝病気〟に対応しているので、患者がどういう人間かは、その背景になってしまう。患者の顔を見ても思い出せないが、傷を見れば思い出せるということもあるだろう。

何回か病院に通う程度の病気やケガだったら、お互いにそんなつきあいですむ。どちらにとっても、それで充分だ。

しかし、何カ月も入院したり、入院退院を何年もくり返したり、一生病院に通うというようなことになってくると、そうもいかなくなってくる。

医師は病気だけ診ていればいいかもしれないが、看護師は患者の個性にも対応する必要があるし、なんといっても患者の側は、医師や看護師の人格によって、自分の命が左右されてしまうこともあるから、見えない人ですませるわけにはいかず、じっくり見つめて、見きわめようとしてしまう。

そういうわけで、私も長い入院生活、通院生活の中で、記憶に残っている医師や看護師が何人もいる。

感謝の気持ちとともに思い出す人もいれば、封印して思い出したくない人もいるが、ともかく、思い出すままに、何人かについて書いてみたいと思う。

最初の人

難病になって最初の医者というのは、やはり強く記憶に残っている。

それまでも風邪とかで病院に行ったことはあったが、そういうときの医師のことは、まったく記憶にない。やはり、病気の重さによって、医師への認識も変わる。

しかし、それだけではない。この医師は、個性を感じずにはいられないような男だった。

当時大学生だった私にこの医師は、「女の子とチャラチャラ遊んでいるような大学生は大嫌いなんだ!」と吐き捨てるように言った。

どうして私のことをそう思ったのか、いまだに謎だ。私は茶髪でもなかったし、服装も地味だったし、なにしろ痩せ衰えて、貧血がひどく、高熱を出し、意識がもうろうとしていたのだ。女の子とチャラチャラ遊んでいるような感じは皆無だったと思うのだが。実際、まったく遊んでいなかったし。

そもそも、医師なのだから、当然、大学を出ているはずだし、大学生の中でも医学部はモテる。なぜそんな恨みを抱いているのかがわからない。

しかも、この医師は、なんと自分がまさに「女の子とチャラチャラ遊んでいる」タイプだったのだ。

私の診察をしながら、看護師を口説いたりする。

「今度の休み、何してんの?」
「えーっ、何もしてませんけど」
「じゃあさあ──」

などどデートに誘いながら、人の腹を触診したりするのだ。

そして、とてもモテていた。誘惑される看護師たちはみんな嬉しそうで、ナースセンターでもいつもちやほやされていて、医師たちの中でもいちばん人気のようだった。

まだ30代前半くらいで、顔もなかなかだし、背も高く、自信のある態度で、高そうな赤い車に乗っていた。

のちに、私がドストエフスキーの本を病室で流行らせたときに、それを知ったこの医師は、
「ドストエフスキーを読むような学生とは知らなかった。申し訳なかった」
とあやまった。

これもまた驚いた。

ドストエフスキーを読んでいたら、あやまるのか? 真面目そうだからということ?

あやまるということは、やはりひどい仕打ちをしていたのかと、それもぞっとした。

「普通、麻酔するんだけど、いいよね」と、麻酔なしで腕の血管をメスで切られたり、中心静脈栄養という特別な点滴の管を心臓近くまで通したとき、「普通、ちゃんとできたかレントゲンとって確認するんだけど、いいよね。管が肺に刺さっていると大変なんだけど」と省略されたりしたが、みんな嫌がらせだったのだろうかと、疑心暗鬼になった。

性格はよくないけど、手先は器用

こんな性格に問題のある医師だが、手先は器用だった。

大腸内視鏡検査というのがある。大腸ファイバーという、胃カメラのようなものを肛門から入れて、大腸全体をさかのぼっていくのだ。

これが痛いかどうかは人による。そして、医師の腕による。痛い場合は、大変に痛い。

今は麻酔をかけてやることも多いが、当時は麻酔なしだった(これもこの医師の嫌がらせだったかもしれないが)。

当時は初めてだったから気づかなかったが、この医師は、この検査がとてもうまかった。少し気持ち悪いくらいで、ほぼ無痛だった。くやしいが、これまでのたくさんの医師の中で、いまだにこの最初の医師がいちばんうまい。

なんで、こんなやつがいちばんなのかと、とても残念だ。

人格と手先の器用さには関係がないから、しかたのないことだけど、性格はいいのに大腸内視鏡検査は痛いということもあり、こういうことは一致してくれているといいのにと本当に思う。

この医師が、休日に野球をやって、右腕を骨折したことがあった。

私の大腸内視鏡検査の直前だった。

「いやー、これじゃあ、検査はとても無理だから、別の人に代わってもらうね」

私のベッドにやってきて、そう言った医師は、右腕にギプスがはまっていて、首からつり下げてあった。それなのに、こう言いながら、なぜかニコニコ顔だった。

「代わりの先生は、不器用なんだよねー。覚悟したほうがいいよ」

と、すごく嬉しそうなのだ。

この野郎と思いながら、この野郎に検査してほしいと願う自分が悲しかった。

くし刺しの刑

代わりの医師というのは、骨折医師より若く、まだ経験不足なのか、もともとの性格なのか、とてもおどおどしていた。しかも、暗くうつむいている。

暗くうつむいて、おどおどしている人に、お尻からファイバーを入れられるというのは、とてもおそろしい。
しかし、「代わりの先生のほうがうまかった」くらい言ってやりたいと思っていたから、できるだけ我慢するつもりだった。

ところが、検査室でお尻に少しファイバーを入れたとたん、私は「ぎゃーっっっ!」と絶叫していた。

その若い医師も「えっ」と驚いていた。なにしろまだ少ししか入れていないのだから。

しかし、とてつもない痛さなのである。まるでくし刺しの刑なのだ。このとき以来、くし刺しの刑と聞くと、とてもいやな気持ちがするようになった。許しがたい刑だ。どんな犯罪をおかしたにしても、そんな刑に処してはいけない。

ともかく、とても続けてもらうわけにはいかない。拝んで、手をすりあわせてでも、やめてほしかった。

その医師のほうも、どうしていいかわからないという状態で立ちつくしていた。

すると、例の骨折医師が、検査室の中に入ってきた。外で見ていたらしい。

「しかたねえなあ。オレでなきゃダメか」

と言って、若い医師から大腸ファイバーを受け取って、自分がやり始めた。

右利きで、その右腕を骨折しているのに、左手だけでやろうというのだ。

これもまたこわい!

やめてくれと言いたかったが、あわあわしているうちに、こっちの同意もとらずに検査を続けられてしまった。

ところが、まったく痛くないのである……。

くやしいけど、すごく楽なのだ。さっきのくし刺しの刑とは、天と地の差があった。

「おおっ、やれるね」

と医師も楽しそうな声をあげた。

やるれかどうかわからずに始めたのかと、そのいい加減さにまた腹が立ったが、助かったのだから、文句も言えない。

「右腕を骨折していても、左手一本でやるなんて、オレって天才じゃない!」

などと笑って、そばの看護師に自慢している。

なんとも調子にのっているのだが、反論できない。

検査が終わって、ナースセンターの前を通りかかると、いかに自分がすごいかということを、看護師たちに自慢していた。

看護師たちも、「すごーい!」とかきゃーきゃー言っている。

そして、骨折医師は、若い医師のことを、「あいつはぜんぜんダメで」とけなしていた。

若い医師は、ナースセンターの隅のほうで、絵に描いたように、うなだれていた。無言で、暗い目をしていた。

ああ、この若い医師がこんなふうなのは、日頃から、骨折医師にダメだダメだと言われているからなのかとわかった。

あんなやつ、見返してやれよ、と言いたかったが、とにかくあまりに痛かったので、この医師に診てほしいとは、申し訳ないけど、思えなかった。

医師も年期が入ってくると、人格と腕前にある程度の比例関係があるように思う。やはり研究熱心で、患者に親身な人のほうが、腕が上がっていくからだろう。

しかし、若いうちは、もって生まれた手先の器用さとかに左右されるところもあるから、そこは当人も楽だったりくやしかったりすることだろう。

実験台をさけようとして、実験台にされてしまう

この医師には、さらに大きな恨みがある。

この恨みは命にかかわる。

筑波から東京に移ることになって、病院を変わったのだ。

そのとき、これまでの検査データなどをもらって行った。

すると、そのデータを見た新しい医師が、すぐに。

「こんなに注腸検査をしたらダメだよ! 危険だよ!」

と言った。

注腸検査というのは、胃の検査でも使うバリウムを、肛門から大腸の中に入れて、レントゲンで撮影するという検査だ。

大腸は長いので(長い人は2メートルくらいある)、1回の検査で撮影するレントゲンの枚数もかなり多い。
これを私は1週間か2週間おきくらいにずっとやっていた。

苦しくてつらかったが、なにしろ初めて病人をやるのだから、検査の回数が適切かどうかなんて、わからない。

「検査しすぎだったんですか? そんなこと知らなくて」

と新しい医師に言うと、

「これはたぶん、この医師は論文を書こうとしたんだね。それでデータを集めようとしたんだよ。実験台にされてしまったね。こんなに頻回に検査すると被曝量がね……」

と後は言葉をにごした。

これはショックだった。

必要以上に被曝してしまったのだ。

命にかかわることだ。

難病の上に、被曝。しかも、論文のための実験台にされて……。

私はじつは、大学病院に行かなかった。大学に通っていたのだから、大学病院がいちばん近いし、治療のレベルもいちばん高かったはずだ。

しかし、当時、「大学病院に行くと、学生とかインターンの実験台にされるよ」と、学生の間ではよく言われていた。「勉強する場所なんだから」と。

なので、私は大学病院に行くのがこわくて、いちども行かなかった。大学生であるだけに、同じ大学生をまったく信じることができず、そんな手にかかるのは、恐怖だった。

それで、大学病院ではなく、近くの中規模の病院に行ったのだ。

そういうところなら、医者の卵もいないだろうからと。

たしかに卵はいなかったが、とんでもない雄鳥がいたわけだ。

実験台にされるのをおそれて、不自然な選択をしたことで、かえって実験台にされてしまったのだ。

もし大学病院に行っていれば、過度に検査をするなどという個人の不正は、組織の中で許されるはずもないから、こんな目にあうこともなかった。

穴をよけようとして穴に落ちるという、まさに典型的な愚か者のあがきだった。

この医師でなければ重症化しなかった

そもそも、病気になって病院に行って、医師から「検査するか?」と聞かれたとき、内心、これはもう検査するしかないかなと思ったのだが、どんな検査か気になって、「どんな検査なんですか?」と聞いたら、

「カエルのお尻にストローをさして、ぷーっとふくらませたことある?」
「ないですけど」
「そんな検査なんだよ」
「苦しいですか?」
「そりゃ、苦しいよ。カエルの気持ちを聞いたことはないけど」

と答えて、検査をする気をすっかり失わせたのが、この骨折医師なのだ。

この医師が、こんなカエルのたとえとか出さず、「そんなに苦しい検査じゃないですよ」と言ってくれていたら、そのときに検査してだろうから、重症にならない前に治療を開始できて、その後の私の人生もまったくちがったものになっていただろう。

その上に、その注腸検査を、何回も何回も、不適切なほど多く、やったわけだ。

これで恨まない人がいるだろうか。

それなのに、大腸内視鏡検査が痛いとき、「ああ、あいつはうまかったな」と、つい思い出してしまう。くやしい!

罵倒看護師

看護師は、やさしい人たちが多かった。

もちろん、やさしい人ばかりのはずはないが、そういう人でも、やさしく接するよう、感情労働をしてくれているということだ。ありがたいことだ。

しかし、なかには感情労働をしない人もいる。そういうひとりで、とくに印象に残っている人がいる。

ひどい人だったから印象に残っているというのではなく、かなりひどいことを言うのに、いやな気がしなかったからだ。こういう得な人がときどきいる。

その看護師は、年上に対しては普通に接するのだが、年下にはひどくストレートなものの言い方をする。といっても、当人も20代後半くらいだから、入院患者に年下は少ない。

私はまだ20歳か21歳くらいのときだったから、年下だった。なので、のっけから、「なに青白い顔して、元気なくて、あんたみたいな人、わたし、大嫌い」と言われた。

しかし、青白いのは血便がつづいて貧血になっていたからだし、入院してきたのだから、元気なわけがない。病院に、血色のいい元気な人なんて、入院してこない。なんて無理なことを言う人なんだと思った。ジムに行って「みんな元気よく運動していて不愉快」と言うようなものだ。

だけど、看護師から、こんな言われ方をされることはまずないから、不愉快に思うよりは、とにかくびっくりしたし、面白くも思った。

ベッドに寝ていると、「暗い顔をして寝てるんじゃない」と言われて歩かされ、かといって、点滴の交換のときにベッドにいないと怒る。

トイレで小便をしていると、後ろに立って、「どうせあんたなんか、こうして音を聞いてられると、おしっこできませんとか言うんでしょう」と嫌がらせをする。

こちらが小便を始めると、「なんだ」と、つまらなそうに去って行く。

さばさば系ともちがうのだが、とにかく本心丸出しという感じで、本心のひどさがこれくらいなら、まあいい人のほうなのかもしれないと思わせるような、不思議な人だった。

他の看護師から、「そんなひどいことをいっちゃあ」と止められても、「いいのよ、こんなやつ」と、とくに私はあつかいがひどかった。

ただ、採血や点滴の注射はうまかったし、医療面でひどいめにあわされることはまったくなかったから、それがなんといっても肝心だ。

病院の外で患者と会いたくない

この看護師と、病院の外ですれちがったことがある。外出許可が出て、私が私服に着替えて病院の外を歩いているとき、この看護師が病院にやってくるところで、やはり私服で歩いて来たのだ。

声をかけようとしたら、無視して、さっさと通り過ぎた。

気がつかないはずはないんだけどと不思議に思って、病院に戻った後で、その看護師に聞いてみた。

「今日、外の道で会ったのに、無視したでしょ」
「わたしはね、患者さんと外で会っても話をしないの」
「どうしてですか?」
「私服の患者は大嫌いなの」
「なんでですか?」
「なんとなく、偉そうで、いやなの」

そばにいた別の看護師が同意した。

「わかる気がする。退院した人が、後日、スーツ姿とかでお礼にやって来ると、なんか別の人みたいで戸惑うよね」

なるほど。いつもパジャマ姿で、弱っていて、「今日は何回、おしっこに行きましたか?」などと聞いていた相手が、普通の社会人としてやってくると、どういう感じで話しかけたらいいのか、困るのだろう。

患者と外で会うのが気まずいというのは、医師にもそういう人がいた。

医師と患者という関係では、よくしゃべる人だったが、私服のときに外でたまたま出会うと、気づかなかったふりをして、足早に去る人だった。

私服だろうがなんだろうが、つねに医師としてふるまい、他の人間はすべて患者と思っている人もいるから、それに比べると、ずいぶんナイーブだ。

医師と患者という関係は、やはり人と人のつきあいとはちがうということだろう。治療者と病気(病者ですらなく)、立っている者と横になっている者、さわる者とさわられる者、メスと肉、命を握る者と握られる者……。対等な人間どうしとして向かい合うのは、何かちがうわけだ。

名医の存在ほどありがたいものはない

名医の話もしておこう。

患者会に紹介してもらって電話したところ、最初は診察時間以外のときに会ってくれて、診てもらえることになった。

最初のとき、前の病院での検査のデータを持って行った。注腸検査のレントゲン写真も。

普通、病院が変わると、いくら前の病院の検査データを持って行っても、「うちはうちでちゃんとやらないといけないから」と言って、注腸検査、大腸内視鏡検査などをすべてやり直すことになる。

今回もそうだろうと思って、「あらためて検査する必要がありますよね?」と聞いたら、「なんで? ちゃんと前のデータがあるのに、そんな必要ないよ。検査は負担になるから、なるべくしないほうがいいから」という返事で、びっくりした。

しかも、この医師は注腸検査はいっさいしなかった。大腸内視鏡検査のほうがよくわかるし、注腸検査は被曝するからということだった。例の骨折医師と、なんというちがいだと感激した。

この医師は、なんと外来で大腸ファイバーで直腸をのぞけるように、ずらりとベッドを並べて、仕切りを作り、大腸ファイバーもたくさん用意してあった。粘膜を診れば、潰瘍性大腸炎かどうかは一目瞭然だから、これがいちばんなのだと言っていた。

たしかにその通りで、患者としても、見て診断してもらえれば、確実な診断でありがたい。大腸ファイバーで直腸をちょっとのぞくだけなら、痛みはまったくない。下剤をかけたりするわけではないから、そういう負担もない。便の状態からも病状がわかるということだった。

この方式は、いいことづくめなわけだが、たくさんの検査用のベッドを並べるスペースが必要だし、大腸ファイバーをたくさん用意して、それをどんどん消毒していかなければならないのも大変だ。

だから、この先生がいなくなった後は、この方式はすぐに取りやめになった。じつに残念なことだった。

この医師は、院内で薬も作った。大きな大学病院だから、できたことだろうが、この薬がとてもありがたかった。

一般にはない薬で、副作用が少なく、治療効果は高かった。

この薬も、この医師が退官した後、作られなくなって、このときにはずいぶん困った。

私のほうから、この医師に、「こういう薬を作ってほしい」と提案の手紙を書いたこともあった。普通の医師なら、素人の患者から、そういう提案をされるのは、ただうるさがるだけだし、怒る人も少なくないと思う

しかし、この医師は「参考にさせてもらう」という丁寧な返信をくれた。

じつは、そういう薬がその後、出た。私の案が生かされたわけではないだろうが、どんな意見にも耳を傾ける、こういう名医や研究者がいてくれるからこそではないかとは思う。

カードは同じでも、どう切るかで勝負は変わる

この医師が言っていたことで、とくに印象に残っているのは、こういう言葉だ。

「この病気に使える薬や治療法は、ある程度、決まっている。だから、どの医師も手持ちのカードは同じだ。でも、そのカードをどう切るかで、結果はぜんぜんちがってくる」

たしかに、カードゲームをするとき、最初の手持ちのカードは同じでも、それをどう切るかで、勝負はぜんぜんちがってくる。まさにそれこそが、ギャンブラーの腕のちがいだ。

ということは、「薬や治療法は同じなら、どの医師にかかっても同じ」ということはなく、どの医師にかかるかで、病気の治り方はぜんぜんちがってくる、ということになる。

実際、その通りだった!

薬や治療法はこれまでと同じだったが、それの使い方がちがっていて、治り方がまるでちがった。どんどんよくなっていく上に、副作用がとても少なかった。これは本当に助かった。現代でも、やっぱり、名医っているんだなあと思った。

私が名医と思っただけでなく、この人は大学病院の病院長にもなったし、高貴な方の手術も担当した。

そういう人って、政治力ばかりの黒い人物という思い込みがあったが、まったくそういう感じでなく、誰もひきつれずに病室にやってきて雑談したり、とても気さくな人だった。

私が手術に踏み切ったのは、この医師が退官してしまうから、ということも大きかった。

迷って、当時の担当医師に、「あなただったら、どうしますか?」と尋ねたところ、「自分だったら、あの先生がいるうちに手術する」と即答された。

この名医に、ある患者が「手術のときは、どんな気持ちなんですか?」と聞いたことがある。私も答えに興味があった。

名医はこう答えていた。

「手術台の上の患者の身体を前にすると、さあ、ここが自分が力を発揮する舞台だ、という感じがする」

この医師に手術された患者たちは、この答えに、私も含めて、すぐにリアクションをとることが難しかった。自分の身体が舞台にされてしまうのは、ちょっとつらいものがあった。しかし、そこまで自信を持って活躍しようとしてくれるのは、たのもしくもあった。

若い医師たちの勉強の材料になる

私が大学病院に通うようになったのは、この医師に診てもらうようになってからだ。

かつて、実験台にされるとおそれていた大学病院に、入院、通院することになったのだ。

で、どうだったかというと、もちろん、医師の卵のような若い人たちもたくさんいる。しかし、そのせいでひどいめにあわされたことはない。

重い病気のときには、素直に大学病院に行ったほうがいいというのが、私の経験から導き出される教訓だ。
もちろん、大学病院にもいろんな医師がいるから、誰にあたるかというのは運で、これはとてもおそろしいことだけど。

大学病院ならではだなあ、と思ったのは、あるとき、この名医が若い医師たちをたくさん連れてやってきて、急に私に「上半身、裸になって」と言った。

私はベッドの上で、上半身、裸になった。

すると、名医が、

「ほらね。この病気の人には、こういうふうに色の白い人が多いんだよ」

と若い医師たちに説明した。で、またぞろぞろ去って行った。

ちょっとひどいよねと、六人部屋の他の人たちは言っていたが、私は別に不愉快ではなかった。色が白い人が多いということは、私も耳にしていた。そのせいで、潰瘍性大腸炎の女性には美人が多いなどという、おかしな風評まであった。色の白さと、何か関係があるのかないのか。治療につながりそうな話でもなかったが、どこからどんな意外な事実が判明しないとも限らない。

痛みとか被曝とか、身体に被害のないことなら、研究材料にされるのは、むしろ歓迎だ。医学の進歩のために、患者としてもできるだけ協力したい。

つづきはまた次回に

まだ数人の話しかしていないが、話が長くなったので、つづきはまた次回に書くことにしたいと思う。
みなさんの心の中にも、思い出の医師や看護師のことが、きっと浮かんできているのではないだろうか?

 

文学紹介者。筑波大学卒業。大学3年の20歳のときに潰瘍性大腸炎を患い、13年間の闘病生活を送る。そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫)を出版。その後、『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)、『NHKラジオ深夜便 絶望名言1・2』(飛鳥新社)、『絶望書店 夢をあきらめた9人が出会った物語』(河出書房新社)、『トラウマ文学館』(ちくま文庫)、『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』(ちくま文庫)、『食べることと出すこと』(医学書院)、『自分疲れ』(創元社)などを刊行。