第3回 結婚式なんて大嫌いだ

気の迷いと偶然で飛び込んだ出版の世界。そこで直面した矛盾と葛藤。マイノリティを支援し社会的な課題の解決を目指すことと、商業的に利益を上げることは両立可能か? 毒親もヤフコメ民やアンチフェミニストからのクソリプも飯のタネ。片手で社会的ルールを遵守しつつ、もう一方の手で理不尽な圧には抵抗する。宗教2世、精神疾患当事者、ポリアモリーという特質をそなえた編集者(見習い)による、「我らの狂気を、生き延びる道を教えよ」の叫びが聞こえるエッセイ。

忌々しい。背中のファスナーが閉まらない。

今日は愛すべき友人の結婚式に行く。結婚式には決まり事が多い。その代表例が、服装だ。花嫁とかぶるから白はダメ。昼の式なら腕の出るノースリーブはダメ。全身真っ黒は地味すぎるし、喪服っぽいからダメ。でも花嫁より目立つ派手な色もダメ。カジュアルな素材はダメ。結果として、おばあちゃんちのカーテンみたいなくすんだピンクベージュのワンピースが選ばれる。針の穴に糸を通すような消去法で選ばれた豚色の服。そんな消極的なお買い物、ワクワクするわけがないのだが、お値段はいっちょまえで腹立たしい。そのドレスの、背中のファスナーが上がらない。

違和感を飲み込もうと、自分で自分をなだめつづけてきたが、31歳。結婚式への出席も10回は超えただろうか。もう限界だと思う。私は結婚式が大嫌いだ。

まず第一に、お金がかかる。結婚式に出席する友人のご祝儀は3万円が「一般的」とされている。今時、3万円もかかる宴があるか。高すぎやしないか。しかも女性の場合は、これにヘアメイク代、手持ちのドレスや靴、鞄がなければ借りるにしろ買うにしろ衣装代がかかる。二次会があれば二次会の会費も必要だ。そんなこんなで場合によっては10万円弱の出費になることもある。他人に強制するにしては一線を超えた出費ではないか。どうかしている。

そんなことを言うなら結婚式に出席しなければよい、という声があるかもしれない。しかし結婚式を断るのは、よっぽどの理由がなければ難しい。なにしろ半年くらい前から招待状が届くのだ。これはもう「ごめん! ほかに予定があってさ~」という極めて汎用性が高く角の立たないお断わりを先回りして防ぐための仕掛けだろう。そしてそこであえて欠席を選べば、同級生から「あれ? あの子来てないね? なんで?」と噂になるし、「一生に一度」とされている催し物に招待されながら断れば、その後の付き合いがぎくしゃくすること間違いなしだ。これを回避するには、親戚縁者を殺して回って結婚式の代わりに葬式行脚をするしかない。

あるいは、ご祝儀は無理せず、自分の財布の身の丈に合わせて、例えば1万円にしておけばよいのではないか、という人もいるかもしれない。常識知らずだ。各種掲示板を検索してみてほしい。「同僚からのご祝儀が1万円でした。信じられません。どう思いますか?」という「質問」に「ありえない! 失礼ですね!」「今後の付き合い方を見直されたらよいのではないでしょうか」「縁を切るいいきっかけになりましたね」などの「アンサー」がずらずらっと並んでいる。金の切れ目は縁の切れ目。それを可視化するのが結婚式というイベントだ。

ちなみに私がこれまでの人生で一番お金を持っていなかったのは、26、7歳の頃。大学院を卒業して司法試験浪人をしていた時期だ。いわゆる「結婚適齢期」。周囲はバンバン結婚した。3ヵ月連続で結婚式があった時もあった。私のこの時の経済状況は、親からの仕送りが家賃の7万円。それ以外はバイトで毎月12、3万程度の生活費を稼いでいた。そんな毎月カツカツの家計から4、5万円程の結婚式出席費用を出すのは、かなり厳しい。どう工面していたか。パパ活していました。大好きなてめぇらの結婚を祝うための金、東カレで出会った白金高輪の7LDKの一軒家でリゾート経営おじの、黒服からのバブル成り上がり物語を聞いてあげてたら上機嫌で「この家、あげるよ」と言われて、「この家もらっちゃったら、私、もうこのおじさん殺すしか人生の目標なくなるだろうな~」って我に返って、やけに広くて暗い独居老人の豪邸から逃げ去る時に押し付けられた3万円だよ。ウケる。

結婚式に出席するためにパパ活をするか、友人の結婚式出席を断念するか、こんな惨めな二択があるだろうか。ご祝儀のサプライチェーンが見直されるべきだ。令和3年「民間給与実態統計調査」によると、20代の平均年収は約320万円*(中央値266万円**)。手取りにして約月20万円(中央値月約18万円)。こんな貧しい国で、3万円のご祝儀が只事であるわけがない。パパ活、カードローン、転売ヤー……「無理をして」拠出されたご祝儀はゼロだと、自信を持って言い切れるだろうか。

今までこのようなご祝儀の出所は「恥ずかしい」ことだと思って黙ってきた。しかし、ご祝儀を昼職で稼いだお金でまかなえるようになったいま気が付いたのは、これは私の恥では決してないということ。上記のような二択は、私の「自己責任」によるものではない。この国の貧しさと、結婚至上主義、「結婚式のご祝儀」という名目なら友人に3万円を支払わせて当然とする、この国の「常識」である。

それだけではない。結婚式は本来、自由参加であるべき「宗教行事」に強制的に参加させられることが多い。私は宗教2世だ。「信仰」の名の下に、親から物理的・精神的虐待にあってきた。どのような宗派であれ、宗教的な空間にアレルギーがある。その時の状況と体調によっては、虐待の記憶のフラッシュバックに晒されることもある。

多くの日本人はなぜか信心もないのに、お洒落でなんかいい感じ、という理由だけでチャペルで式を挙げたがるが、あの場の聖歌、聖句、香炉、誓いのサインなどすべてに宗教的意味が溢れていることに、宗教2世の私はなぜか主催者の新郎新婦よりも敏感で、密かに吐き気をもよおしている。これが新郎新婦が根っからの敬虔なクリスチャンであるなら、布教の一環かクソが、と毒づきつつ絶対に屈しない、というファイティングポーズを構えることで暇を潰すこともできなくはないが、より腹立たしいのがなんちゃってウェディング・クリスチャンである。信心がないなら無駄に有害な可能性のあることはやめてくれないか。安倍氏銃撃事件後、あれだけ多くの報道がありながら、列席者の50人に一人くらい「宗教2世」がいるかもしれない可能性に想像が及ばないのだろうか。初めて人前式に参加したとき、どれほど息がしやすかったか。

また驚くのは、どの結婚式に行っても両家の両親がそろっていること。ごくたまに離婚されてシングル・マザーであったり、片親が亡くなっているケースもあるが、それでも父母、どちらかは出席している。私が結婚式を行うとしたら、まず両親は呼べない。式の締めの定番、「両親への手紙」が外面のいい両親が家庭内で行ってきた暴力・暴言の暴露大会になってしまう。「お父さん、お母さんへ。気が付いたら私が勉強を頑張って獲得した給付の奨学金は、すべてお布施に変わっていましたね」。興冷めだ。そんないがみあいとあてこすりに付き合わされる友人たちがかわいそうだ。というか、そうでなくても、あの「両親への手紙」、『ウチくる!?』でもあるまいし、ご実家でやったほうがよくないですか。究極の身内ネタすぎる。

そして究極の身内ネタを極めた結果、「バージンロード」の伝統的な意味を薄めようと、父親ではなく母親を召喚してチャペルの花道を歩いた花嫁の気持ちをよそに、最後のご挨拶を務める花婿の酔っ払った父親が「ね! 早く立派な子供を作って……」などと言い、全ての努力と会場の空気がお仕舞いになることもある。そんな治安の悪い式はどうせ田舎者のものでしょう? と幼稚舎から慶應義塾でござい、という東京生まれ東京育ちの友人の式で油断していると、列席している現役の国会議員(閣僚級)が「男の子を産むコツを知っていますか!? おまんこを! ぎゅっと締めることです!! ガハハハハハ!!」などの愉快なジョークを飛ばすこともあるから注意しよう。良家の式であればあるほど、与党のお偉いさんが列席する可能性が高い。確実にクビを跳ねたい政治家がいる思想の強いみなさんは、スマフォの録音を付けっぱなしにして参加するのがおすすめだ。司会に煽られて呑気にファーストバイトの写真なんて撮っている場合ではない(あの写真、新郎新婦に送る以外の使い道ありますか)。

結婚式はこのような出生主義に窒息させられそうになるばかりか、健常者至上主義(エイブリズム)溢れる空間でもある。新郎新婦の出会いのムービーが「新婦が鬱病による希死念慮で身動きが取れなくなっていた頃……奇跡的に理解のある彼くんが登場! それが新郎でした」みたいなことは決してない。ちなみに私は持病の気分変調症という精神疾患による起立性調節障害で、午前中の式はとてもつらい。平日以外で朝に予定をぶち込むのはやめてくれ。早朝の式の早朝のヘアメイク中に貧血で倒れて散々ヘアメイクさんたちに心配と迷惑をかけた後、何食わぬ顔で会場に向かったことが何度あったことか。

しかもあのヘアメイク、なぜか顔周りの後れ毛以外は神経質なほど毛をまとめなければならず、式の終わりに帰宅すると大量のヘアピンが髪の毛の中から出てくる。比喩でなく、本当に十本も二十本も出てくる。そんなに金属が頭に刺さっているのだから、痛いに決まっている。いったいなんの罰なのか。パンプスについては、ピンヒールを何時間も履き続けるのは無理だとわかったので、とっくに平らなものにしたけれど。

とどのつまり、結婚式というのは、20代でも4、5万円~10万円の出費に耐えられるほど稼げる健全な肉体と健全な精神を持った、宗教的虐待を受けたことがないから宗教行事に参加にしてもトラウマを刺激されず、「バージンロード」を一緒に歩くのが父親ではなく母親、けど「イエ」から「イエ」に「女」が資産のように手渡されている構図は全然書き換えられてませんけど、程度の中途半端なポリコレ(笑)への目くばせを揶揄することもなく淡々と拍手を送って花びらを投げることができるくらいには保守的で協調性があり、窮屈でお腹の出っ張りが目立つドレスとヘアピンとヘアスプレーでかちこちの髪の毛に耐えられる友人が数十人いて、生い立ちや学歴や職歴をその友人たちの前で公開しても恥ずかしくなく、晴れの場に呼べるくらいには両親との関係がよく、その場で子供を作るの作らないだのの究極のプライバシーに踏み込まれてもニコニコしていられる、そういう健常者たちのための式で、マチズモに溢れた場なのだ。そんなイベントに薄弱な私の居場所があるわけがない。たとえどんなに大切な友人が主宰している式であっても、だ。そこに私という個人は存在しない。もしかしたら愛すべき主宰の友人も、本当はそこには存在していないのかもしれない。

ちくしょう。背中のファスナーが上がらない。列席者の衣装すら、一人で着ることが想定されていないなんて。どこまで行ってもこの国は、健全な肉体と健全な精神の男女がつがい、子供を産むことを当然として設計されている。結婚式なんて、大嫌いだ。

 


*出典:国税庁|令和3年分民間給与実態統計調査(第14図)
**出典:厚生労働省|令和元年賃金構造基本統計調査の概況(第7表)

某出版社勤務。複数愛者(ポリアモリー)。文筆と編集。寄稿「図書新聞」/『みんなの宗教2世問題』(横道誠編、晶文社)/朝日新聞社「かがみよかがみ」山崎ナオコーラ賞大賞/note「女の子なんだから勉強しなくていいよ、と言った父は死にかけるまで仕事をやめられなかった」他。

第2回 とにかく定時に帰りたい

気の迷いと偶然で飛び込んだ出版の世界。そこで直面した矛盾と葛藤。マイノリティを支援し社会的な課題の解決を目指すことと、商業的に利益を上げることは両立可能か? 毒親もヤフコメ民やアンチフェミニストからのクソリプも飯のタネ。片手で社会的ルールを遵守しつつ、もう一方の手で理不尽な圧には抵抗する。宗教2世、精神疾患当事者、ポリアモリーという特質をそなえた編集者(見習い)による、「我らの狂気を、生き延びる道を教えよ」の叫びが聞こえるエッセイ。

とにかく定時に帰る。これは不本意ながら雇われの身に堕ちた私が実行することができる、ささやかなアクティヴィズム(社会運動)だ。

私が勤める会社は裁量労働制かつ年俸制を採用している。その割に給料は安く、出社時間が決められているのは理不尽としか言いようがないのだが、残業代が出ない分、定時に帰るモチベーションは爆上がりする。これは良いことだと思う。

私が定時に帰りたいのは、もうひとつ理由がある。同居人と一緒に夕飯を食べたいからだ。同居人は基本的に残業がない会社に勤務しており、定時ぴったりに終業することが多い。そして私たちの定時はふたりとも18時。なので18時までに意地でも仕事を終わらせて(終わったことにして)、家の最寄りの駅で同居人と待ち合わせて、大戸屋やはなまるうどんなどのチェーン店で一緒に夕飯を食べ、一緒に帰宅する。これが私の絶対に守りたいルーティンだ。死守したい。これができない職場環境は人権侵害である、とすら考えている。

何を大袈裟な、と思われるかもしれない。今時、夕飯なんて一人でコンビニで済ませたってなんのことはないだろう、と。しかし私はいたって真剣で、切実で、必死だ。

5年前のこと。私は司法試験の受験のため法科大学院に通っていた。全体の一割程度が単位を取れず、脱落していく中、不肖の私はなんとかほうぼうの体で修了式を迎えた日。クラスメイトたちはこれから迎える司法試験への緊張と輝かしい法曹としての未来への希望で、ギラギラしていた。来る日も来る日も10時間以上机に向かう、あまりに抑圧的でストイックな2年間。ようやく収穫の時が来たのだ。私の出身校は7割近くが試験に合格して、弁護士か、検事か、裁判官になる。私自身の成績は下から数えるほうが早かったが、中には試験を受ける前から大手法律事務所に数百万円の前払金付きで内定をもらっている成績優秀者もいた。

そんな奇妙な興奮の熱気をたたえた飲みの場で、クラスで慕われていた実務家教員の刑事裁判官・中村先生が締めの言葉を求められ、立ち上がった。プライドが高くて気難しいおじさんが多い法曹界においてはめずらしく、オープンマインドで、声が大きく、親切で、面倒見が良い先生だった。プライベートでも学生と一緒に仲良く高尾山に登るような気さくな人柄で人気があった。この日も学生に負けず劣らず、たっぷりお酒を飲んで、目が真っ赤に充血していた。相当に酔っ払っている。

「いいですかぁ、みなさん」

ろれつも怪しい。

「代わりのない仕事なんて! この世にはぁありませぇん!! みなさんの代わりは、どこにでもいます。命より大事な仕事なんて、ありませぇん!!! 卒業おめでとう!!!! 乾杯!!!!!」

あなたの代わりはどこにでもいる。そう言われることは、とても酷なことだという認識がある。「おまえの代わりはどこにでもいるんだよ!」と吐き捨てるパワハラやモラハラや派遣切りのように、生活を人質に生存が脅かされるようなことは、断固として許してはいけない。

しかしもう一方で、別の地獄もある。「これを頑張れば、あなたは特別な人間になれる。世間から必要とされる。お金もいっぱいもらえる」とニンジンをぶら下げられて、延々と過酷な競争に身を投じなければならない、そんな生き地獄だ。

法科大学院のクラスメイトは競争を勝ち抜いてきた選りすぐりたちだった。12歳で中学受験を経験し、都内の中高一貫の進学校に入り、東大一橋早慶国立医学部以外はゴミという価値観のコミュニティに属しながら大学受験をし、卒業して、東京大学の法科大学院に入る。そこでまた数々の競争を勝ち抜いてきた者同士で競い合う。「大人になったら楽できるから」と耳元で囁かれながら勉学に励むが、楽になることはない。一つの競争に勝ち抜いたら次のステージに連れて行かれ、選りすぐりたちとまた別の競争をする。競争のレベルは上がり、どんどん過酷になる。

それでもなかなか競争からは降りられない。競争の最中に繰り返し投げかけられるのは、生存者バイアスのかかりまくった先輩や先生たちの語りだ。「いまだけの辛抱だから」。いま耐えれば、後になってこんなに稼げる。こんなに名誉でやりがいのある仕事に就ける。俺たちはその他大勢の、ワーキングプアとは違う人生を送るんだ。だから頑張れ。

そうした語りの中で、自然と敗者への見下しの目線も刷り込まれる。敗者になることは恐ろしい。あんな風につまらない人間になってはいけない。こんな風に同級生から先輩から、後輩から嘲笑されることは耐えられない。無様な姿を晒すわけにはいかない。

常に向上しなければならない、完璧でなければならない、成功しなければならないというプレッシャーに晒される環境では、ありのままの姿を見せている場合ではないのだ。「いつか何者かになれる」という夢は、人を死ぬまで働かせる最強の魔法だ。

法科大学院の卒業から7年が経った。一人の自死と、四人の休職の知らせに接した。これが他の業界に比べて多いのか少ないのか、私にはわからない。ただ多くの優秀な同級生が、大手の弁護士事務所で1500万円程の年収を得ながら、朝の2時、3時まで働くということが常態化している。弁護士は実態はどうあれ、雇用契約ではなく業務請負契約とされることが多く、過労死や自死にはなんら補償されることもなければ、社会問題化することもない。高給取りが世間の同情をかうのは難しい。

しかし高級取りだからと言って、若者が命を落としてまで働く環境が野放しにされていいものだろうか。貧富貴賤を問わず「命より大事な仕事なんて、ありませぇん!!!!」と誰かが叫んで伝えなければならないのではないか。俺はおまえの能力ではなく、いまそこにいるということ、それ自体を愛しているのだ、と。誰かが。

血走った目の中村先生があの言葉に至った経緯を聞く機会は、その後、ついぞ訪れなかった。

常に生産性と効率性を求められる資本主義社会では、非生産的な行為はそれ自体、抵抗運動となる。私の定時帰宅は戦いである。明日出社するエネルギーをチャージするために夕飯を食うのではない。ただただその瞬間の空腹を満たすために飯を食う。

人が「何者かになりたい」と欲望するとき、そのほとんどが「仕事によって人一倍成果を上げ、社会的に承認されること」を意味するのは不思議なことだ。かけがえのないふわふわの愛猫を抱きしめること、一汁一菜の自炊を続けること、パートナーとテレビを見ながらみかんを頬張ることは「何者か」を構成する要素には含まれていない。私たちは生まれ落ちたその瞬間からとっくに代替不可能な「何者か」であるはずなのに、社会はそれを顧みようとはしてくれない。

そんな社会に中指を立てるため、今日も定時に帰って家でご飯を食べる。「こいつ仕事も終わってないくせに帰りやがって」という社会の声を内面化した自責と戦いながら、定時という一線を守ること。それが私のアクティヴィズムのひとつだ。

 

某出版社勤務。複数愛者(ポリアモリー)。文筆と編集。寄稿「図書新聞」/『みんなの宗教2世問題』(横道誠編、晶文社)/朝日新聞社「かがみよかがみ」山崎ナオコーラ賞大賞/note「女の子なんだから勉強しなくていいよ、と言った父は死にかけるまで仕事をやめられなかった」他。