偏愛百景

第6回 A面B面

東京では作家、愛媛ではお百姓の二拠点生活。毎週やってくる連載の締め切りと愛媛での怒涛の日々を送る。好きなものを残すためなら猪突猛進、実家周辺の景色への「偏愛」から太陽光パネルになる予定の農地を買ったとか。 高橋久美子の原動力は「偏愛」だという。日々の生活が少々不便でも、困ることがあっても、こうしたいのだから仕方ない。 「偏愛」を軸に暮らす様子をつづる、ひとりごと生活記録。

テレビからもラジオからもいろんな音楽特番が流れ始め、師走だなあと思う。小学生の私はすかさずカセットの再生と録音を一緒に押し、今日だけのライブ音源を残していた。

「久美子、ご飯よ〜」と母が扉を開けてしまって、私は「しー!」とテレビを指差し、あちゃーという顔で母が静かに扉を閉める音。

その部屋の空気ごと録音していたのだから、今思うと、なかなか豪快な丸飲みスタイルである。テレビのある部屋が居間なので、必ず誰かが入ってくる。もしくは「おーい、風呂入れよー」と隣の部屋で呼びかける祖父の声。それでも諦めず録るのだ。だって新曲のCDなんてそう安安とクラスメイトに貸してもらえない。いかに「ガチャ」を入れずに録れるかに夢中になっていた。電源をコンセントから抜くと「ぷん」とわりと静かめに切れることを発見して、絶対やったらダメな切り方をしたりもした。

そのカセットを何度も巻き戻して、歌詞をノートに書き写した。

スピッツの曲「渚」の〈ぼやけた六等星だけど〉の部分は〈ぼやけたロットセイだけど〉だと思いこんでいた。もう少し大きくなってCDの歌詞カードを見るまで、ロットセイとは何だろうと想像し続けた。そもそも歌詞の意味は全然わからないけど、何かとてもロマンチックな雰囲気だった。ノートに書いた歌詞はそこだけ未完成で、ロットセイというきらきらした未知のものにずっと憧れていた。

そのうち、カセットが二枚入る真っ黒いコンポを姉が買ってもらって、友達のカセットをさらに自分のカセットに録音できるようになった。カセットにも、音質がいいものと、長くとれるけどあんまりよくないものとがあることも知った。流行の歌を録音する用のカセットは、何回も重ね取りをしたので、八反安未果が歌っている下で、亡霊のように1年前ダビングした曲が流れていたりもした。

B面の最後までいくとカセットは勝手に裏返って、A面の頭から重ね録りされる設定になっていたことを私は知らなかった。ある日、借りたアルバムを録音したいが新しいカセットが見当たらなかった。あろうことか、吹奏楽部の定期演奏会を録音したカセットのB面が余っていたから、そこにダビングしてしまったのだった。カセットは最後までいくとA面にひっくり返って……あれだけ練習に練習を重ねて本番を迎えた定期演奏会の感動の前半が消えてしまった。しかもそのことに気づいたのは数週間後だった。一言でカセットテープ時代と言っても、さまざまな進歩とそれに翻弄された歴史があるのだ。

高校へ行く頃にはMDに変わっていた。そして大学を卒業する頃にはiPodになっていた。どうしても自分の時代を中心に考えてしまうから、MDの再生機がもう作られてないと聞いたときには、かなり焦った。山のようなMDをどうすりゃいい。吹奏楽部の定期演奏会だって高校になればMDだから、もう聴けないのだよ。

40年生きてきて、自分の時代を信用しすぎてはいけないんだと学んだ。時代が過ぎれば、あんなに熱狂した物たちもお払い箱になってしまうのだ。ある日突然廃刀令が公布されたように、MDもカセットもビデオテープもなんならかつてのレコードだって、いつの間にかラストサムライだった。

「え、まだVHSなの?」と言われてムッとしていたのに、今じゃ私も再生できなくなった。実家の押し入れに山のようにVHSがある。カセットも、MDも。捨てられない。それらは私の青春時代の友人だった。しかし、ソフトはあってもハードを入手して聴くかというとそこまでには至らなかった。宝物は押入れに入ったままだ。

勝ち組として返り咲いたレコードたち。90年代あれだけブックオフに売りさばいたおじさま達も、今はオーディオを再びそろえレコードを買い戻していることだろう。逆に今はCDが追いやられていて、作詞を担当するアーティストたちも徐々に配信限定とか、逆にレコードやカセットでというのも増えている。

愛媛の知人が、あそこのTSUTAYAが潰れるらしいと聞きつけて、仲間たちがこぞってTSUTAYAへ行きCDをダンボール買いしていた昨年末のこと。令和のラストサムライや。私が行ったときには、もうあまりいいのが残っていなかった。それでも、20枚も買ってしまった。買うというよりこれは救出である。音楽をと言うと大げさだ。だって、どれもサブスクで聴けたりするもの。でもブックレットはないのだよ。あのブックレットもまた音楽の一部だったと思う。それをくまなく見て、作り手の思いを味わっていた、そんな音楽の聴き方をしていた。つまり、私達は私達を救出しに行ったのだと思う。

 

数年前に「捨てられないもの展」という、ただ私の捨てられない物を展示するというふざけた展示をやった。ようわからんキャラクターのキーホルダーや、『りぼん』の付録、修学旅行で買ったお土産……来た人たちは「わー、こんなん実家にあったわー。もう捨てたやろなあ」と懐かしそうに眺めている。そこに実家から集めてきたカセットテープも並べた。

ガチャリ。「かっわいた〜かぜを かっらませ〜」L’Arcがあの部屋の空気と一緒に流れはじめる。それを聴いて、時代というのは空気なんだなと思った。その歌声、楽器の音に実家の部屋のサーというノイズが混ざって、泡と泡がみごとに合体した大きな風船だ。その一つに私も乗っていたんだと思う。

置いてあるものは自由にかけていいことにしていたら、来た人はみんなカセットコーナーに夢中になって交互に聴きはじめたのだった。

私はMD世代どんぴしゃりなのだ。世の中的には「そういやMDってあったよねー」と揶揄されるあの幻の数年間に、一番音楽を聴いていた世代なのだ。カセットよりも膨大な数が残っている。大学時代乗っていた車のカーステレオもMD対応だったので、CDで持っている音源も全部MDにおとしていた。

カセットの時にもやらかした、B面から録りはじめて、A面にひっくりかえってしまったか、いや他の失敗だったか忘れたんだけど、くるりの曲途中から、〈さよならーさよならーさよならー〉とガガガSPの「卒業」になっていた。CDも持っているからまあいいかと、車の中ではその変な編集を聴いた。まあいいことはなかった。カラオケでくるりのその曲を歌うと、いつも途中からガガガPSになった。私は、大学時代車の中で一番音楽を聴いていたのだと思う。

 

「捨てられないもの展」で、MDも聴いてみたいなと思ったけれど今は生産されておらず、ヤフオクで探したけど、展示室に置けるような小型のMDデッキは見つからなくて、諦めていた。そうしたらお客さんの一人が、MDウォークマンをもってきて、これで聴けると思いますと言った。もう20年近く聴いていなかったMDを再生する彼女。私達は固唾を呑んで見守る。再生してすぐに、彼女は慌てて私にイヤフォンを渡した。

「これ……未発表音源じゃないですか?」

「え??」

私はイヤフォンを耳にねじこむ。なんてことだ。それは部室の空気を丸飲みにした音だった。20年前の私たちの笑い声や、聞いたことのあるようなないような、フレッシュで懐かしいバンド演奏と旋律が流れた。

「これは、ここで聴いたらいかんやつやねえ」

と苦笑いして、MD部門の再生会はお開きになったのだった。

 

40歳になって、自分の人生が後半戦……つまりB面に裏返ったのだとしみじみと実感する。いつのまにかA面にひっくり返って上書き録音されないことを祈るけど、B面こそが真骨頂だと思うから、本当の面白いが始まるんじゃなかろうか。

膨大なMDやCDやカセットを聴く私の耳というハードは変わらない。それは、人間が地球に降り立ってこのかた変わりようのないハードウェアなんだな。そんなことを思いながら、今年最後の原稿とさせていただきます。また来年、よいお年を。

 

 

高橋久美子作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、アーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。主な著書に小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。近著に、エッセイ集『その農地、私が買います』(ミシマ社)がある。