偏愛百景

第5回 割れ物注意

東京では作家、愛媛ではお百姓の二拠点生活。毎週やってくる連載の締め切りと愛媛での怒涛の日々を送る。好きなものを残すためなら猪突猛進、実家周辺の景色への「偏愛」から太陽光パネルになる予定の農地を買ったとか。 高橋久美子の原動力は「偏愛」だという。日々の生活が少々不便でも、困ることがあっても、こうしたいのだから仕方ない。 「偏愛」を軸に暮らす様子をつづる、ひとりごと生活記録。

お気に入りの琺瑯の鍋に、大きな十円ハゲが二箇所もできているのを発見したのは、夫が出張に出かけた日の夜だった。傷を見つけたのが深夜で、しかも一人だったからか、私はじわじわと悲しくなってしまった。私がしばらく不在にしていた間に、夫がこの鍋を使ったのだろう。いつもなら仕方ないと思えるのに、沼のなかに沈んでいく。

その鍋は私が東京に出てきて初めて買ったものだった。都立大学駅前のありえないくらい狭い部屋で暮らすことになった私は、マネージャーに教えてもらった碑文谷ダイエーへ行ってカーテンや最低限の日用品を揃えた。
ダイエーという場所は地元では庶民の味方代表だったから安心して行ったのに、カーテンも鍋も洗濯干しも、地元の三倍くらいの値段で全然ダイエーじゃなかった。当時はスマホもAmazonもないし他の店を探そうにも右も左もわからんし、第一忙しくてそんな時間もなかった。そこで、この真っ白い琺瑯の鍋を手にした。蓋についた持ち手は木製で、全体的に丸っこくて上品な鍋だった。東京っぽくてお洒落だなと思った。並んでいる他の鍋よりも一段と高かったけど、どうせ高いなら、記念に一番かわいいのを買おうとレジへ運んだ。
以来16年、味噌汁も、肉じゃがも、おひたしも、シチューも、そうめんも、白い鍋は文句一つ言わずお利口に何でも作ってくれた。軽くて、強くて、5回引っ越したけど、どのキッチンのコンロにもふわふわの猫みたいに佇んだ。疲れて帰ってきた明け方も、毎日の食事が楽しいものになったのは、この白い鍋のおかげだった。

私は現在、実家の愛媛と東京の二拠点生活をしていて、事件の数日前に、一ヶ月ぶりに東京に帰ってきたところだった。愛媛での農作業にへとへとになった私に、出張までの間、夫が料理を作ってくれた。夫は、料理が得意な上、作ることが苦にならないようで、仕事から遅くに帰ってきても気分転換にとよく台所に立った。助かるし、美味しいものを毎日食べられるのはありがたい。しかし、夫が台所に立つと頻繁に皿を割り、琺瑯の鍋や容器に傷をつけた。この頃とても忙しいようで倍速で作るからそうなるのだろう。本人は台所によく立つ人の宿命だと言うので、そういうことにしている。

どういう仕組みなのか、琺瑯というのは外側が削れると、必ず中の同じ場所も同じ形でコーティングが削れてしまう。思った通り、私の鍋も外と同じ大きさで中も欠けてしまっていた。既に何ヶ所も傷があったけれど、今回のは致命的な大きさと場所だった。次第に、削れたところから錆びてくるだろう。鍋として、もはや選手生命を絶たれてしまったに等しいのだ。

「私の物をもっと大事に扱ってよ」と、これまでに何度か言ってきたけど、今はもう言わなくなった。その瞬間は大いに反省してくれるので、追い打ちをかけて注意することをしなくなった。家の中の空気が最悪になるなら、壊された悲しみに耐える方がましだと思った。20代の頃ならとことん怒りをぶつけただろう。でも今はそのエネルギーは別の場面に有効活用したいと思うようになったし、
「仕方ないよ、壊れるものと暮らしてるってことだから」と相手にも自分にも言い聞かせられるようになっていた。日常とは、自分をいかに機嫌よく平熱で保つかということでもあった。

疲れた日や悲しい日は、くよくよ考えず眠るに限る。眠りは心身の傷を修復するのにも有効だと、先日対談した精神科医の先生も言っていて深く頷いた。40年生きてきた中で、それは自力で編み出した方法だった。

次の日、私はすっきりと起き上がった。よく寝たから、少し賢くなっていた。
「琺瑯 傷 修復」と検索して、削れたところをコーティングするキットをAmazonで買っていた。届いた二種類の薬剤を静かに混ぜて、鍋の十円ハゲに塗った。そこだけ美白したみたいに変に白くなって、傷は修復されていく。他にもいろんな場所の傷に塗り込んだ。気づかないうちに、いろんなところが傷だらけだった。直火が当たるところに使用してはいけないと書いていたので、火にあたらないところを塗った。
塗りながら、久々に私は鍋と二人きりだった。
なんにもなかったあの小さな部屋。大学時代からの布団と、遮光カーテンと、この新品の鍋だけだった。ベランダまで合わせても、今住む一軒家の一階部分より狭いあの場所から、私の全てはスタートした。なにもないから、全部を持っていた。傷ついたらいちいち噛み付いて、毎日ひどく疲れて、でも大して眠りもせず、ガサツな怖いもの知らずで、全身で呼吸しながら生きていた。

理想を一つ一つ叶えたり諦めたりしながら、この鍋と同じように、私も知らぬ間にこつんと当たって方々が削れてしまっていたのだろうと思った。でもそれは他のお皿も、鍋も、みんなそうだと気づいたから、大きな声では言えなくなって、年々黙って静かに笑うようになった。コーティングされた傷口は、元の色には戻らないけど、外の刺激からは守られて水に濡れても錆びたりしなくなった。私達はこうして、器用に自分で自分の傷を塞ぎながら錆付かぬよう歩いている。
自分の真ん中にあると信じている、清水の湧く部分を守りたくてそうしてきたけど、昔みたいに、時には真っ赤な錆が出たって良かったのかもしれない。ただ、錆が出たあとまた元の清水に戻すことが大変なことを知っているので、やっぱりその前にコーティングするのだと思う。

いびつな白になった、元白い鍋は、キッチンの長老として黙って他の若い鍋たちを見ている。熱々のフライパンや、沸騰させる土鍋の隣で、ときどき味噌汁を湛える。

 

 

高橋久美子作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、アーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。主な著書に小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。近著に、エッセイ集『その農地、私が買います』(ミシマ社)がある。

偏愛百景

第4回 うちわの少年

東京では作家、愛媛ではお百姓の二拠点生活。毎週やってくる連載の締め切りと愛媛での怒涛の日々を送る。好きなものを残すためなら猪突猛進、実家周辺の景色への「偏愛」から太陽光パネルになる予定の農地を買ったとか。 高橋久美子の原動力は「偏愛」だという。日々の生活が少々不便でも、困ることがあっても、こうしたいのだから仕方ない。 「偏愛」を軸に暮らす様子をつづる、ひとりごと生活記録。

高崎から乗った新幹線は満席で、私はかろうじて三人がけの端っこに空席を見つけて座った。その日、雑誌の企画で編集さんやカメラマンさんと桐生を訪れた帰りだった。猛暑だったこともあり、疲れ果てて座席で目を閉じ休んでいると、
「おかしいわねえ。さっきから連絡してるのに、お父さん電源切ってるのかしら」
隣席の人たちの会話が聞こえる。
隣に座る60代くらいの女性二人は、一人は真っ赤なワンピースを、もう一人は目が覚めるようなピンク色のシャツを着て一際目立っていた。
「えー、おかしいわねえ。私の携帯でかけてみる?」
友達の電話を借りてかけてみても、やっぱり繋がらない様子。

「あのう、もしかしてauですか?」
私は声をかけてみた。夕方の6時を過ぎているというのに今まで、通信障害のニュースを知らないはずないだろうと思ったけれど、話すと本当に二人とも知らなかった。目を丸くさせて新鮮な驚きを見せるのだった。
それにしても、この時代に朝から今まで携帯を全く見てないというのもなかなかツワモノじゃないか。電波を切ってなにかに熱狂していたに違いない。私は知っている。さっきから上の荷物台に置かれたリュックから、うちわの赤い柄が出ているのを見逃していないぞ。
「あの、もしかして新潟でやってたライブに行ってました?」
「え! どうして分かるの、あなたも行ってたんですか?」
いえ。そういうわけではないんですけど……。

今朝7時の上信越新幹線の車内が異様なほど満席だったので、これはただごとじゃないなと思った。しかも見渡すと若い女子ばかりなのだ。斜め前の女の子などはコテを出して、真剣に髪の毛を巻いてるじゃないか。ガールズコレクションでもあるのだろうか。新潟で? まさかなあ。しばらくすると新幹線内で放送が入り、その列車が臨時列車であることを知った。新潟で、一体なにがあるのいうのだ。

そんなことより、朝の私は携帯が壊れたと思いこんで焦っていた。買い替えたばかりというのに、料金の滞納でもしてしまっただろうかと頭をかかえた。
よりによって、その日は初めて会う編集者と東京駅の上信越行きの改札前で待ち合わせ、新幹線に乗ることになっていた。しかし、出発の10分前になっても彼女は現れなかった。携帯を持ってなかったときはどうしてたっけ? 駅員さんに尋ねると、どうやら改札がもう1ヶ所あるという。私は言われた改札を目指し走った。そういえば、90年代のドラマは、いつもすれ違いで、こうして主人公たちは常に走っていた気がする。
こんなスリルは久々で、少しわくわくしている自分がいた。私が海外旅行へ携帯なしででかけるのは、予定通りにいかないことを心の奥底では待っているからなのかも知れないな。
土壇場の勘を取り戻してどうにか携帯なしで、私は編集者と巡り会えた。あの感動といったら、これからロケがはじまるというのに、もうゴールテープをきったような朝だった。
もったいない。私たちは安心や便利と引き換えに、日々のトキメキみたいなものを捨てていたのだ。久々のしびれる経験は私たちに忘れていたことを思い出させて、でもまた静かに何もなかったように戻ってしまったんだけれど。

「うちわ、見ます?」
彼女は、立ち上がり大きなリュックサックから、大きなうちわを引き出した。瞳の中がきらりと光った少年の顔がプリントされていた。ジャニーズのアイドルグループの一人なんだそうだ。この子が推しで、息子のようにかわいく思えるんだと言った。このグループのいわゆるおっかけをしていて、今回は運良く3会場もチケットが取れたのだと嬉しそうに話した。ジャニーズは朝と夕方の2公演あるというのは聞いたことがあったが、朝の公演が当たったから前日から泊まりで新潟へ行ったのよねと、隣に座るピンクのシャツの友人に話をふる。彼女は、それまで全く興味を持ってなかったけれど、今回はじめてコンサートに同行したんだそうだ。
「どうですか? はまりそうですか?」
「そうねえ、でもやっぱり私はYOSHIKIの方が好きね」
ほお!
昨日から新潟観光をして、それからライブに行って、携帯なんてひとつも見てなかったわねと二人は少女みたいに笑った。

新横浜駅に着こうとしたとき、
「見て、横浜アリーナよ。今度はここに来るの」
と赤い服の女性が目を輝かせる。
「でも、実は私ファン歴そんなに長くないのよ。3年前になんとなくYouTubeを見たの。そしたら、息子くらいの年の彼らがきらきら踊っていて、いいなあ応援したいなって思って、それで急に追いかけはじめたの」
東京駅に着く間際、照れくさそうに彼女は言った。

それから、
「あなたは、追いかけている人はいないの?」
そう聞かれて、私はここまで誰かを好きになって追いかけたことがないなと思った。自分が作ることに夢中だからかもしれない。いつか、自分ではない誰かに胸焦がし、追いかけるのもいいな。でもそういうのはやろうと思って始めるのでなくて、彼女のように急に始まるのだ。恋のように。
一時間の間、名前も知らない二人と話して、また私たちは別れた。うちわの赤い柄が飛び出した大きなリュックサックを背負って、二人は雑踏に消えていった。

同じ景色をみても同じ道を歩いても、人によって見えているものや感動のポイントは違ったりする。でも、アイドルであれ相撲であれ盆栽であれ、なにかに胸をときめかせている人の情熱や眼差しは、同じだ。何かに夢中になっている人の話を聞くのが私は好きだ。深く掘り進めた人にしか到達できないボーナスステージ。そこに立つ人はみんないい顔をして、一様に愚痴や文句を言わなかった。そんな暇はないのだろう。そして、前しかみていない。
自分の知らない分野であればあるほどかっこええなあと、尊敬の眼差しになる。やっぱり、そういう人と一緒にいたいし、自分もずっとそんな目を持ってたいなと思うのだった。

 

 

高橋久美子作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、アーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。主な著書に小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。近著に、エッセイ集『その農地、私が買います』(ミシマ社)がある。