偏愛百景

第1回 賞味期限

東京では作家、愛媛ではお百姓の二拠点生活。毎週やってくる連載の締め切りと愛媛での怒涛の日々を送る。好きなものを残すためなら猪突猛進、実家周辺の景色への「偏愛」から太陽光パネルになる予定の農地を買ったとか。 高橋久美子の原動力は「偏愛」だという。日々の生活が少々不便でも、困ることがあっても、こうしたいのだから仕方ない。 「偏愛」を軸に暮らす様子をつづる、ひとりごと生活記録。

朝起きて、土鍋のなかの残りご飯をくんくんと臭った。あ、いかんかも。ちょっとすえた匂いするわ。ああ、冷蔵庫に入れとけば良かったー。冬の名残で台所に1日置きっぱなしにしてしもうた。腐ってはないけど、その一歩手前の匂い。春の到来を知らせる匂いじゃなあ。せっかく3日かけて発芽玄米にして炊いたのにもったいない。私は冷蔵庫に入れて何回かに分けて意地でも食べることにした。チャーハンにしたらいけるいける。

 

子どもの頃、我が家において賞味期限なんてものはないに等しかった。夏の牛乳の切れたんは2日までじゃなあというのはあったけど、あとは自分の舌で確かめろ方式だ。

今でこそ、賞味期限はおいしく食べられる期間の目安ですなんてテレビや新聞で紹介されるようになったけど、「うちは賞味期限とか全く気にせん家族です」なんて恥ずかしくて学校でも誰にも言わなかった。

大学生になって、友達が私のアパートの冷蔵庫を開けて「うわ、ポン酢と醤油の賞味期限切れてる。お腹壊すから捨てなー」と、どぼどぼ流されたときはカチンときた。1ヶ月切れたくらいで醤油なんて腐らんわ。というか既に発酵しとる食品じゃわ。もし誰かと一緒に暮らすなら賞味期限の価値観っていうのは重要やなと思った。

 

賞味期限をあてにすな。自分の舌で確かめろ。切れてなくても腐っていることだってあるのだからね。

実家から歩いて1分のところに小さなおばあさんがやっている、小さな商店があった。我が家の上にあるので“上のお店”と呼んでいた。駄菓子や袋菓子、アイスクリーム、サイダー、日用品、それに透明の長細い冷蔵庫にはお豆腐や油揚げ、瓶の牛乳が入っていた。

「久美子、上のお店でお豆腐と油揚げこうてきてくれるで」

母に頼まれ、愛用のかごを持って毎日上のお店におつかいへ行く。もう35年も前のことよ。

「おばちゃんお豆腐と油揚げと、ぶどうのガムちょうだい」

「お豆腐は126円、油揚げは154円、ガムは10円。さあて何円になるかな?」

「えーと……290円」

「ほうじゃあ。あんた何年生になったん、かしこいなあ。300円もろたら今度おつりはいくらになる?」

大きなそろばんを、おばちゃんのごつごつの指がはじく。そしてときどき陳列棚の生姜せんべいや蕎麦ボーロを取って「これみんなで食べて」と、おつりと一緒にくれた。お店は繁盛しているようには見えないけど、おばちゃんは気前が良かった。

家のおばあちゃん含め、毎日のようにおばあさん連中が店に集まって世間話をしていた。土間を上がった隣の薄暗い畳の部屋に時には寝そべって、嫁の悪口とか、孫の自慢話をしている声が聞こえた。不気味にばあさん達の膝下だけが店の入口から見える。あの声はうちのおばあちゃんじゃけど、今は声をかけんとこ。

夕方に行くと、土間から畳の部屋へ膝をついて入っていって「おばちゃーん」と三回くらい叫ぶと、テレビが消えすりガラスが開いて「はいはい」と出てくる。おばちゃんは、殆ど店に出てないからしょっちゅう学校帰りの中学生にサイダーを万引されとるという噂もあった。

 

中学生になった頃から、夏日になるとおばちゃんちのお豆腐がちょっとすえた味がするようになってきた。

「おかしいなあ、賞味期限切れてないのに。まあ、冷奴はやめて味噌汁に入れたらええわ」

普通ならここで、豆腐が腐ってましたと店に言うか、もう通うのをやめるかどちらだろう。母はそのどちらでもなかった。

「店の冷蔵庫の温度が高いんかなあ。それとも壊れとるんじゃろうか」

そのお豆腐は生協や他のスーパーにも同じのがしかも安く売られているが、母は上のお店に通い続けた。もうその頃には上のお店で買物する人はごく少数になって、棚もがらんとしていた。

おばちゃんの店がなくなれば、あとは車で15分の所にある生協に行くことになる。お魚は「おーさかないかがっすかー」と、トラックの拡声器でがなりながらやってくる魚屋のおじさんと、もう一人静かに回ってくる魚屋さんとが交代に近所へやってきてくれた。野菜も米も作っている我が家としては、あと豆腐さえ揃えば生協に行かずとも何とかなっていたのだ。

「高いけんて買わんようになったら、お店はつぶれて車で生協までいかないかん。年とって車に乗れんようになっても歩いて買いにいける所があった方がええ思うんよ」

と母は言った。なるほど、それはそうだ。アイスやお菓子が歩いて買いにいけんようになるのは困る。だったら冷蔵庫が壊れとると言うたらええのにと私は言ったけど、誰もおばちゃんに言うものはいなかった。田舎あるあるなのかもしれないし、それを言うたらいよいよ店を閉めるだろうと思ったからかもしれない。

私達は、豆腐が入荷されたら腐る前に速攻で買うことにした。でも油断して夕方とか翌日とかに行くと、やっぱりちょっと酸っぱい味になって、それを麻婆豆腐とか味噌汁に入れて熱して、みんな黙って食べた。

 

人が年をとって静かに家から姿を消すように、だんだんと店の開いている回数は減りカーテンがかかったまま10年になるだろうか。閉店しますの貼り紙も、営業最終日のセレモニーもないまま90代になったおばちゃんは娘さんのいる都会へもらわれていって100才近くまで長生きしたと聞いた。もう溜まってくっちゃべるばあさん連中もいなくなった。

結局、車で生協に行かねばならなくなったが、すえた豆腐を食べなくていいと思うとどことなくほっとしていた。でもなんというか、いやに静かに平坦になってしまった。

お店の前が幼稚園バスの停留所になっていたし、小学生の頃は集団登校の集合場所だった。上級生にアイスをおごってもらったり、陣取りの陣になったり、いつも賑やかな場所だった。だれやらさんの娘が男を連れてきとったとか、だれやらさんとこの息子夫婦が出ていったという情報もここから秒で拡散された。おばちゃんはいつも元気にそろばんを弾きながら、子どもや新妻を平等に褒め、しれっとばあさんたちの嫁の悪口合戦にも参加し、気前よくお菓子をくれた。

 

春先になってご飯がすえたら、上のお店のことを思い出す。賞味期限が切れてなくとも豆腐は腐っていることがある。みんな優しいようで優しくなくて、怖いようで怖くない、正体のつかめない世界で生きていたなと思う。

高橋久美子作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、アーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。著書に小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、『一生のお願い』(筑摩書房)、『その農地、私が買います』(ミシマ社)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。近著にエッセイ集『暮らしっく』(扶桑社)がある。