ここ二年で、我が家のインターホンを最も押したのは宅配便の方々だろう。
ヤマト運輸の〇〇さん、ゆうパックの△□さん、佐川急便の○△さん、今や担当配達員さんの名前を覚えているくらいだ。サイン本や原稿を集荷に来てもらうことも多く、本当にお世話になっている。
「今日は愛媛からですよー」とか、
「徳島から柚子味噌! 大根につけたら美味いよねえ」とか、
「新しい本ですか?」とか、
玄関先でちょこっと話をしていく方もいれば、
「高橋さんので間違いないですね。あざっしたー」
と、顔を上げたときには背中しか見えないムササビのような人もいる。
昨年、しばらくインターホンの調子が悪かったのだが、玄関のドアをノックしながら「高橋さーん、荷物ですよー」と呼んでくれる方もいた。急いで二階の書斎から駆け下りて玄関を開けると、
「自転車あったんで、呼んでみました」と爽快に笑っている。
これは名案だなと思い、インターホンが直るまでの間、玄関のドアに
〈インターホンの調子が悪いので、ドアを叩いてください〉
と貼り紙をし、様々なノック音を聞いたのだった。
ある日のこと、インターホンも鳴らないのに夫が玄関を飛び出していった。どうしたんだろうかと思っていたら、重そうなダンボールを抱えて帰ってきて、
「配達の人が、すっごいおじいさんだった」と言う。
窓の外を見ていたら、かなり高齢の人が宅配車から降りてきたので、走っていって荷物を自分で運んだらしいのだ。
「いやいや。宅配って重いもの運ぶことが多いのに、おじいさんって。そんなまさか!」と私はゲラゲラ笑った。
夫はまじめな顔で、腰が曲がっていて、歩くのが精一杯のおじいさんだったと言った。コロナの影響で余程人手が足りないんだよと。うーん。私は信じられず、次のピンポンが来るのを待つことにした。
それからしばらくして、ピンポーンと鳴った。
来た! 私は窓から外を覗いて、そして夫と同じようにすぐさま外へ飛び出していた。
「いいですいいです。私が持ちますよ!」
「すみませんねえ、配達員ですのに」
おじいさんだった。本当に、おじいさんだったのだ。
夫が言うように、どう考えても荷物を持って歩ける気がしなかった。
その日から、私は宅配車の音が聞こえたら、ピンポンが鳴る前に玄関を飛び出すようになった。その都度、
「すみません、配達員ですのに」
と、決め台詞を言うのだった。どこのお宅でもこれをやっているんじゃないかと思うほど、さりげなくて、板についた謝罪だった。
どんな理由で今このお仕事に就かれているのだろうと想像する。昔から配達をしていて愛着があるのだろうか。暮らし向きが大変なのかもしれない、もしくは健康維持のためか。いずれにせよ、配達に不向きであることは一目瞭然で、きっとクレームなんかが来て辞めさせられるんじゃないかなと心配していた。
ところが、おじいさんの配達員になって一年が経とうとしている。どうやらこの地域は、私と同じように玄関を飛び出す住人たちによって構成されているらしい。そして、このおじいさんには、車で運んでくれただけでも感謝だわと思わせる、何かありがたいものが漂っているのだった。
愛媛の母が一ヶ月に一回送ってくれる荷物は、べらぼうに重い。米や夏みかん、野菜、味噌などがテトリスのように隙間なく詰め込まれている。
いつものように私が宅配車から荷物を運んでいたが、重すぎて玄関を開けることができなかった。
「すみません。玄関を開けてもらえますか?」
とっさに私はおじいさんにお願いする。
「はい。すみません、配達員ですのに」
おじいさんが我が家の玄関を開けて、そこに荷物を運ぶ私。二人とも半分笑っている。何やっとんじゃ。と言いたくなるかと言えば、そうでもない。やっぱり、これでいいのだと思わせる何かありがたいものがおじいさんから出ているのだった。
その日、私は庭の草取りをしていたため汗だくで、シャワーを浴びたあと上半身をタンクトップ一丁で過ごしていた。
聞き慣れたエンジン音がする。そうだ、今日は母から荷物が届くことになっていたんだ。Tシャツを取りに二階へダッシュする。ピンポーン。
「はーい、今行きますからちょっと待ってくださいね」
と叫びながらTシャツを着て玄関を開けると……
「大丈夫ですか!」
荷物を持ったまま、おじいさんは庭で転げていた。
「足があまり上がらなくてね。すみません、配達員ですのに」
数センチの段差で転げてしまったようだった。幸い怪我はなく、そこからはいつも通り、私が荷物を運びおじいさんに玄関を開けてもらうのだった。
「荷物は持ち上げられるのだけれど、足が上がらないんですよ」と、念入りに謝罪するので、「これからは私が運ぶので出てくるまで待っていてくださいね」と伝えた。
中身が破損してクレームが来ればいつクビになってもおかしくないだろう。それでも一年続けているということは、おじいさんは荷物は運べないけれど人々に幸福を運んでいるんじゃないかな。なんて、花咲かじいさんを思い浮かべるのだった。
年をとっていろいろなことができなくなりながら、それでも畑に出ていた祖父を思い出す。
人間はロボットではない。満ちていく部分もあれば欠けていく部分もある。できないところはできる人が補えばそれでいいじゃないかと思う。
好きで配達員という仕事を続けているなら、私はこれからもおじいさんを応援したい。
ただ、もし生活苦によって高齢になっても働いているのなら、別の方法を考えないといけない。
でも、そこまで踏み込んだ話をすることもできず、私はおじいさんに会えるのをありがたく思いながら、荷物を待つのだった。
作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、アーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。著書に小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、『一生のお願い』(筑摩書房)、『その農地、私が買います』(ミシマ社)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。近著にエッセイ集『暮らしっく』(扶桑社)がある。