偏愛百景

第3回 夏の月とラジオ体操

東京では作家、愛媛ではお百姓の二拠点生活。毎週やってくる連載の締め切りと愛媛での怒涛の日々を送る。好きなものを残すためなら猪突猛進、実家周辺の景色への「偏愛」から太陽光パネルになる予定の農地を買ったとか。 高橋久美子の原動力は「偏愛」だという。日々の生活が少々不便でも、困ることがあっても、こうしたいのだから仕方ない。 「偏愛」を軸に暮らす様子をつづる、ひとりごと生活記録。

「ラジオ体操は今年からやってないんよ」

と姉が言った。もともと、市内でもここまでラジオ体操を続けてきていたのは私の母校だけだったんだそうだ。

ラジオ体操があったら、子どもたちが早起きをする習慣ができてご飯を食べたあとそのまま友達と遊んでくれるのにと姉は言った。

私たちの時代は、朝ごはんを食べたあと再集合して昼まで遊んでいたっけ。コロナで学校のプールの開放も中止になり、子どもの行き場所がなくて困るわーと姉は続けた。

 

甥っ子は、母の小言にうんうんと合わせながら、本当のところは早起きしなくていいから楽なんだと私に言った。6年生にもなったんだから、ばあばの農作業や母さんの家の手伝いをして、もうちょっとしゃきっとしなさいよと私も姉に加担したが、30年前の夏がぼんやりと思い浮かんできた。

 

朝寝坊をしたくて、地域会でラジオ体操の時間を遅らせる算段をしたのは私だった。地区担当の先生が職員室に戻ったすきのこと。

「夏休みくらいゆっくり寝たいので、ラジオ体操を7時半からにしませんか?」

他の子どもたちが歓声をあげる。どうやって? どうやって?

「私が、ラジオ体操をカセットにとっておきます。それを毎朝7時半にかけてやったらいいと思います」

おおー、久美ちゃん天才! 拍手が起こる。どうせ体操は同じなんだし、ここで可決されれば先生とて何も言うまい。地域会は大盛りあがり。全員賛成により7時半からラジオ体操をすることが決定した。

会が終わったところで先生が帰ってきた。

「何を言っているの! ラジオ体操は6時半からと決まっています。却下です!」

その一言で全ては白紙に戻った。

なんだよなんだよ。こんなの話し合いの意味ないじゃないか。私たちはシュンとして、すごすごと翌朝から6時半に集合した。

今なら6時半から体操することの意義がわかる。早起きは先人たちの言う通り三文の得だったし、だらだら朝寝坊しなくて良かったなとも思う。

だけど、子どもは風の子でもなければ、毎日元気に駆け回れるってのは幻想なんだよと当時の私は思っていた。

 

今は愛媛と東京を一ヶ月交代で行き来しながら暮らしている。先日東京に帰ってきたところだ。早朝に目覚めて、草刈りに行かなきゃと追い立てられ「ああ、東京だったんだ」ともう一回眠りにつく。愛媛にいるときは、毎朝5時に起きてサトウキビ畑やみかん畑の草刈りに出るので、ラジオ体操よりも余程きつい。

 

甥っ子は「大人になっても農業なんてしたくない。都会で暮らすんだ」と言う。そうかいそうかい、勝手にしろ。東京で半分暮らしている私は何も言えない。

「都会にもいろいろな都会があるけど、どういうところで暮らしたいの? もしかしたらイオンのある隣町くらいでもいいの?」と尋ねたら、

「広島くらい」と言った。

「広島?」「うん。広島」

修学旅行で行った広島はビルがいっぱいあって、人がたくさん歩いていて都会だったそうだ。自分が住んでいる地域はもちろんのこと、イオンがある隣町さえ田舎だったことにクラス全員が驚いたと言った。それ以来、都会で暮らしたいと言うのがクラスのブームらしい。一人を除いて、みんな将来は都会へ出たいんだそうだ。そうかいそうかい。逆に田舎に残ると言った一人を紹介していただきたいなあ。

 

でも、七夕の短冊に「東京へ行ってみたい」と書いたのは甥っ子だけだったそうだ。みんなはイオンのある町くらいでいいんだろう。甥っ子は私の住む場所を見てみたいのかもしれない。

「でもね、東京に住んでる近所の子は田舎でカブトムシとったり畑をしてみたい子もたくさんいるんよ」

と言うと、「なんで! こんな田舎に?」と、とても驚いている。

「ここだって魅力はたくさんあるんだよ」

「じゃあなんで、びーこさん(私のこと)は東京にいるの?」

私は答えを探したが、甥っ子に届くように上手く喋れなかった。自分でもわからないのかもしれない。

 

東京に帰ってからしばらく、あまりに涼しくて驚いた。

夕方自転車で買い物にいって踏切で待っている間、白い月が住宅街のちょっと上に出ているのを見つける。手を伸ばしたら届きそうだ。すぐ前に、自転車にまたがる男性の筋肉質なふくらはぎ。どちらも同じ一つの生命体で、ここではどちらも同じくらいの大きさに見えた。私は甥っ子のことを考えながら自転車を漕ぎ出した。

 

数日前までいた実家で、母がいらなくなった本を紐でしばっていた。私が子どもの頃読んでいたものもあって、紐をほどいて大切なものは東京へもって帰ることにした。そこに、子どものための天文学の本が数冊入っていた。

「これ、大人も勉強になるんやない?」と言った。

すると母は、

「そうよね。いい本なんだろうけど、読んでいたら怖くなってやめたんよ」

と言った。どういう意味だろうと思って、私は中をパラパラとめくって、そして「ほんまやな、なんかぞっとするな」と本を閉じた。

 

あまりに宇宙は広く、私は塵にも満たなかった。月の表面にぼこぼこできた穴、太陽のフレア、銀河の中の小さな小さな地球。畑をちまちまと耕して種を植えていることも、耕作放棄地が増えて地元が荒廃していく現実も、畑のことで父と喧嘩したことも、どうだっていいように思えた。飲んだ水が体内を巡るように私の生命も巡る水滴に同じだった。地球さえも、宇宙においてはただの点にすぎない。自分の熱中しているいろんな物事が急に冷めていくようだった。都会で暮らそうが田舎で暮らそうが、死のうが生きようが……。ぞくっとして本を閉じた。

「これ夜に読んだらいかんな」

捨てる本の中から救い出したものの、また子供部屋の隅に積み上げた。私たち全人類の超現実。

 

東京へ帰ると、甥っ子から暑中見舞いの葉書が届いていた。学校の授業で書いたそうだ。私に出したことは内緒にしていたんだと姉が言った。

 

「ねえ、びーこさんは小学生の頃から東京に行くって決めてたん?」

その日、最寄り駅まで見送りについてきてくれた車内で、甥っ子が尋ねたことを思い出していた。

「いやいや、小学生の頃なんてそんなこと何も考えてなかったよ」

と笑いながら、それなりにいろいろ考えてはいたんだろうと思った。甥っ子も、多分いろいろ考えている。あっという間に大人になるなんてのは他人の言うことで、本人にとっては長く長い人生の前半戦だった。

 

月を見て綺麗だと思うのは、遠くから山や田畑を見て綺麗だと思うのと同じなのかもしれなかった。都会の人が「田舎は自然豊かでいいですね」と言うのとも、甥っ子たちが都会に憧れるのとも似ている。何だって遠くでみているのが綺麗だ。東京の夜景も地元の自然も綺麗で、だけどそれだけだ。近づいてみれば山も田畑も荒れ果てて、獣が住み着いている。でもその荒野に踏み込めば、奥には本当の意味での面白さが待っているのではないか。

綺麗の奥の汚いの奥の宇宙をつかめたとき、ラジオ体操を毎日6時半からこつこつ繰り返してきた意味が少しだけ見えた気がするのだ。日々の暮らしの中にこそ宇宙は宿るということ。今日を諦めずに、目の前のことをこつこつとやり続けること。甥っ子もいつかそういうことに気づく時がくるのだろう。

 

 

高橋久美子作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、アーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。著書に小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、『一生のお願い』(筑摩書房)、『その農地、私が買います』(ミシマ社)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。近著にエッセイ集『暮らしっく』(扶桑社)がある。