第12回 祈る

海の中での潜水のごとく、ひとつのテーマについて皆が深く考え込み話し合う哲学対話。小学校、会社、お寺、路上、カフェ……様々な場で哲学対話のファシリテーターを務める著者は、自らも深く潜りつつ「もっと普遍的で、美しくて、圧倒的な何か」を追いかけてきた。当たり前のものだった世界が、当たり前でなくなる瞬間、哲学現在進行中。「え? どういう意味? もっかい言って。どういうこと、どういう意味?」……世界の訳のわからなさを、わからないまま伝える、前のめりの哲学エッセイ。

暑い日だった。教室の中は暑さと湿気でうんざりするような空気が漂っていて、彼らにとって望んでもない「哲学」の時間が、その不快感を後押ししているようだった。

問いは惰性で決められた。「なぜ学校に行くのか」といったような、特に誰も問いたいとも思っていないようなテーマが、何となくの流れで決定した。わたしは慣れない男子校での哲学対話に戸惑いながら、生徒たちと共に輪になり、こわごわと対話を始めた。

学校に行きたいやつは行けばいいし、行きたくないやつは行かなくていい、というようなことを生徒たちは代わる代わる繰り返した。肺に入ってくる空気は湿っぽく、不愉快に熱っぽいにもかかわらず、わたしたちの手足は冷え切っているように思えた。

「自由にすればいい、行きたくないやつは行かなくていい。そいつの選択、そいつの自由だから」。誰かが、冷めた声で繰り返している。水が飲みたいな、と思う。なぜ学校は授業中に水を飲んではいけないんだろう。「自分のことは自分で決めるし。自由だし。勝手にやればいい」。ああ、暑いな、うんざりする。自由、自由、自由、と遠くなる頭の中で生徒たちの低い声がこだましている。

「自由だよ、自由。それで困っても、それは自己責任」「そう、だよな、それはもう自己責任なんだから」「そいつの選択なんだからさ、学校行かなくなって困ったんだったら、自己責任だよ」。

じっとりと汗で濡れる背中、うだるような湿気。だが、ひどく寒い。寒くて、寒くて、乾いている。「その人になにか事情があって学校に行けなくなったとしても?」とわたしはからからの喉から、熱い息を吐き出して言う。「そう、だって選択したのは自分だから。困っても、自己責任」。答えた生徒の制服のシャツの白さが、目の中に入ってちかちかする。アイロンのかけられた白いシャツ。ぴかぴかの校章。

彼らは、ひどく蒸し暑い教室の中で、身体をこわばらせている。ずっとずっと、長い間凍えていたかのように、身体をひしゃげさせて同じ言葉を繰り返している。

たとえばわたしは、飲み会が始まる瞬間に、乗り換えアプリで帰り方を検索しているような人間だった。関わるということに対して常に消極的で、自分の存在を場から引き算することが得意だった。それは、相手の自由を尊重することでもあり、わたしなりの思いやりというつもりでもあった。

哲学対話の場をひらいているひとや、哲学研究者と話すと「昔から考えることが好き」「おかしいと思ったことは先生によく訴えていた」といった話をよく聞く。だがわたしは、ほとんどのことはそのまま飲み込む方が多かったし、考えること自体を楽しいと思ったことはあまりなかった。哲学対話は自分から始めたわけではなく、半ば強制的に場に参加したことがきっかけだったし、ひとと話すことは今でも苦手だ。

哲学対話をいやいや始めて少し経ったころ、参加していた大学の対話研究会で、ファシリテーターは何もしない影のような存在になるべきだと、あるひとが主張した。実際その考えの通り、彼の進行する対話では、彼は最初から最後まで沈黙しており、時間がきてふいに終わるというものだった。たしかに、対話の進行はファシリテーターひとりがすべて担うものではないし、管理しすぎるのもよくない。介入の塩梅はいつも議論になるところだ。

だが、ある先輩がその主張に対して、「いや」と声を突っ込んだ。

「自由の尊重と、無責任な放棄は違うんじゃないですか」

わたしは、自分の心臓をぐっと握られたような気がしてたじろいだ。自分の生き方を指摘されているような気がして、どくどくと血流が動くのを感じた。

自由、あなたの自由。この恐るべきもの。

「考えることで人は強くなる」と思われている。主体的に自己決定できるようになると言われている。また、対話をすることで人々と協働する「力」がつき、社会で成功すると信じられている。

哲学対話に乗り気じゃない生徒や学生に、大人たちは「社会に出ても役に立つよ」「就活でも使えるよ」と励ますように言う。考えることは、あなたを成功に導き、安定が手に入ることとでも言うように。

だが、いざひとびとと集まってじっくり考えてみると、気がつくことがある。考えるということは、むしろ弱くなることだ。確固たる自己というものが、ひどくやわらかくもろいものになって、心細くなる。わかっていたつもりのことが、他者に問い返されて、わからなくなってしまう。見慣れたものが、ぐねぐねとゆらいで、ふしぎな何かに姿を変えてしまう。

対話をするとき、その主体はむしろ曖昧になる。わたしは何が言いたかったんだっけ、何を考えているんだっけ。合理的に考えようとすればするほど、そうではない思考がむしろ際立ってくる。自分ってこんなにも考えるのが下手だったのか、とおどろく。

目の前のあなたが問いかけてくる。問いかけられて、はじめてわたしは考えさせられる。思わぬことがつらつらと口から出て、目の前にたくさん落ちたことばをみて、ああ、これを自分はこんなことを考えていたのだとはじめて気がつく。口からこぼれ落ちたことばたちは、見慣れぬものもたくさんあって、わたしだけがこの考えを掘り当てたのではないことがわかる。この考えは、この場によってまさにいま、ここでつくられたものであり、ここにいるひとびと全員の手によってつくられたものでもある。

だからわたしたちは、ひとびとと共に考える。わたしたちは、ひとりで生まれて、ひとりで死んでいく。だがわたしたちは、世界の中にふいにあらわれ、世界とともに生きる。世界とのおわらない関係の中で、他者に呼びかけられている。

「自分には何か明確な主張がないんです」とあなたは言う。心細げに、申し訳ないというような表情で。だから、哲学なんかやる資格はないんです、哲学対話の場に行く資格はないんです、社会問題に関わる資格はないんです、とかなしげに微笑んでいる。

だが、誰かと話したり、何かに呼びかけられないで明確な主張、明確な判断ができないのは当たり前だ。わたしたちはそもそも、何かをひとりでに明確に持つことは可能なのだろうか。理性的に判断し、何かを選び取り、前に進んでいく強さを、常に持っていたのだろうか。

それに対して、社会はその問いをゆるさない。もっと主体的に考えることを。もっと人と協働する力を。コミュニケーション力を。この不安定な時代を「生き抜く」力を。自分で考えて行動し、責任を引き受けていく強い個人を。自立し、何ものにも頼らず、無駄を省き効率よく、そしてうまく生きる技を。いつまでもいつまでも、走り続けられる強靭な身体を。

わたしたちはそれぞれの仕方で自分の人生を生き抜いていく。だが、生き抜くことが目的になると、生はとたんにレースに様変わりする。レースの終わりを告げる笛は鳴らされることはない。わたしたちは、レースに参加するも、参加しないも、あなたの自由に委ねられている、とだけ告げられている。そう、自由なのだ。素晴らしき自由!

10代のころ、問いにならない問いを抱えて立ち尽くしていたとき、世の中にはどうやら「考える」ということがあることを知った。それは「哲学」と呼ばれていて、当たり前だと思われていることに対しても問いを投げかけていいらしかった。

古本屋で手に入れた埃っぽい本に、それは書かれていた。それをわたしは高校の人気のないラウンジで読んだ。それまでわたしは、奇妙な言い方だが「考える」ということが、自分にゆるされているとは思っていなかった。

先生が通りかかり「あら、いたの」とつぶやいた。「あなた一人だけがここの部屋を使っていたら、電気代と暖房代がもったいないから、教室で読みなさい」と先生は言った。はい、とわたしは上の空で言った。先生は満足して、電気と暖房を消し出ていった。

広いラウンジがしんとする。冷え冷えとした空気がドアから差し込んできて、わたしの身体を冷やしていく。

だが、わたしは寒くはなかった。むしろ、指の先の先まで、熱が戻っていくのを感じるようだった。

わたしの人生は、わたしが決められて、本当だと思っていることも、本当に?と問うてもいいのだ、と思った。見知らぬ誰かや、得体の知れない何かが、何もかもを決定したとしても、わたしはそれに抗ってもいいのだ、と驚いた。電気が消され、ドアが閉められた暗いラウンジで、わたしは誰よりも自由だと感じた。何の権限も、役割も、ここにとどまり続ける権利さえないにもかかわらず、わたしは自由だった。

わたしはわたしの人生が、小さな手の中にかえってきたことを感じたのだった。

それは、本当に、本当に、やわらかく、不安定な自由だ。決して、強く合理的で、全てを自己決定し実現していく主体がもつ自由ではない。17歳の高校生が手にした、自分の生の確かさの感覚と混沌に満ちた自由だ。

だからこそ、ひとびとと共に考える場では、あなたはあなたでご自由に、とうつむくのではなく、あなたがもっと自由になるために、あなたを気にかける。わたしがもっと自由になるために、わたしを気にかける。共に考えるということ自体を、気にかける。

わたしは自分の人生を自分で選ぶことができる。それと同時に、他者との、世界との関わりの中で、わたしは考える。ふしぎなことに、両者は対立しているようで、ゆらぎながらつながっている。

わたしは祈る。どうか、考えるということが、まばゆく輝く主体の確立という目的だけへ向かいませんように。自己啓発本や、新自由主義が目指す、効率よく無駄なく生をこなしていく人間像への近道としてのみ、哲学が用いられませんように。それらが見せてくれる世界は、甘い甘い夢だ。いつか、その甘さはわたしたちを息苦しい湿度の中で窒息させる。

誰かが話す。わたしが応答する。あるひとが問う。誰かが応答する。それに触発されて、また誰かが話す。わたしが考える。わたしたちが考える。

まばゆく、わかりにくく、不安定な自由。世界に傷つけられ、世界に笑わされ、世界に呼びかけられ、世界と共に、わたしたちは考える。ちっぽけで祝福に満ちた自由のために、わたしたちは考える。

 

*「水中の哲学者たち」は今回でいったん終了いたします。少々お時間をいただきまして、この連載を軸にした永井さんの単著の準備を進めます。どうかご期待ください。

第11回 もうやめよう

海の中での潜水のごとく、ひとつのテーマについて皆が深く考え込み話し合う哲学対話。小学校、会社、お寺、路上、カフェ……様々な場で哲学対話のファシリテーターを務める著者は、自らも深く潜りつつ「もっと普遍的で、美しくて、圧倒的な何か」を追いかけてきた。当たり前のものだった世界が、当たり前でなくなる瞬間、哲学現在進行中。「え? どういう意味? もっかい言って。どういうこと、どういう意味?」……世界の訳のわからなさを、わからないまま伝える、前のめりの哲学エッセイ。

夜のテレビは、クイズ番組ばかりだ。

難読漢字、地理、なぞなぞ、パズル、歴史、ランキング予想。とんぼの目はいくつある?トルコの首都は?□に入る文字は?マルかバツか?制限時間の中で、回答者たちは焦るように身を乗り出し、目を見開き、肩でぜいぜいと息をしている。

リレー形式の回答方法なのか、残り時間が数秒のところで、ある芸能人が最後の人に回答権をつなげている。だがその人は、問題を前にして答えることができないようだ。彼女は目が空洞になり、全身の力が抜けて、停止している。彼女は何も答えない。失敗を知らせる大きな音がして、彼女を取り囲む他の出演者が、頭を抱えて悔しがる。わたしはテレビを消して、失敗のブザーを頭に響かせたまま、眠りにつく。

目を覚まし、目にする朝の芸能ニュースでは、アイドルが自分のエピソードを披露している。かと思えば「さて問題です。このあとどうなったでしょう?」と、画面の中から突然問いかけられる。

だらしなく口を開けたまま、寝起きの頭でうっすらと考えてみる。誰もいない部屋の朝は湖のほとりのように静かで、さみしくて、よそよそしい。スタジオに座るひとたちが、張り付いた笑顔で短く刻まれる時計の音とともに、予想を交わしあっている。「正解はCMのあと!」と出題者のアイドルは冷え冷えとした微笑みを見せて、ポーズをとる。すべてが過剰で、何かが欠如している朝だ。

ゆっくりと血を送るように考えてみる。だが、言葉と言葉が散らかって結びついていかない。アイドルが誰だったのかもうまく思い出せなくなる。マルちゃん正麺、匂いのつかないムシューダ、過払い金。このあとどうなったでしょう。このあと。あのひとが、どうなったか。なる、というのは何か。キリンビール、伊藤ハム、ソニー損保。なる、する、ある、いる。

気がついたら番組は終わっていて、結局答えが何だったのかを見逃してしまう。その代わりに、昨晩クイズ番組で答えられなくなったあの時の彼女の表情が浮かんでくる。問いを前にして全身の力が抜けるあの感覚も。この問題はわかりますか?あなたのビジョンは?あなたはどうして生まれてきたのですか?

中学の時の期末試験が本当に、何も、わからなかったことが思い出される。頭の中が言葉や数字でぐちゃぐちゃになって、自分が誰で、ここがどこなのかもわからない。自分が何を問われているのかもわからない。自分の字が、自分の字ではないみたいだ。身体の内部に、胸からじっとりと冷たい水がつたっていく感覚がする。水はどろりと腹部に落ちて、全身にゆっくりゆっくり広がっていく。力が抜けていき、不思議とひどく眠くなってくる。問いはわたしの前で分散し、すべてはあいまいになっていく。

そう、あれは、あきらめの感覚だ。

とある学校の中学1年生と哲学対話をした。テーマは「人間」で、とりわけ「本能」について生徒たちは話したがっていたようだった。コロナの影響で直接顔を合わせる機会がなかったせいもあるのか、少しだけぎこちなく対話がはじまる。頭の切れそうな子が、ハキハキと植物やウイルスの類比をつかって、子孫をのこすことについて語っている。「人間の本能は増えたい、ということではないでしょうか」。他の子がそれに反応し、だんだんとにぎやかに、対話が進んでいく。

だが対話は、少しずつ不穏な雰囲気に満ちてくる。誰かが「人間って、子孫を残すために生まれてきたのかな」と言う。わたしが生きているのも、子孫を残すため?

とたんに子どもたちがわあっと声をあげる。いやだ、こわいこわい、いやだ!予想以上の反応の大きさに少しおどろく。大人たちの哲学カフェでは「子孫を残す」というワードは、「まあそんなもんでしょう」という心得顔と共に出されることが多いからだ。喧騒の中で、ひとりの少年が不安そうにぽつりとつぶやく。

「ぼくたちは、いつも子孫繁栄しないといけないのかな」

ああ、と声がもれてしまう。13歳の少年は、目の前で心細そうに座っている。

生まれたときから少子化で、不景気で、税金が足りなくて。小学生のころ「日本の未来のために、たくさん子どもを産んでね」と言われたことが頭をよぎる。産めよ、増えよ、地に満ちよ。女性には地元に帰って、たくさん子どもを産んでもらわなければいけません。つくりましょう、生産しましょう。あなたたちは産めよ、増えよ、地に群がり、地に増えよ!

「社会って、共同体って、どうしても続けなきゃいけないんでしたっけ」。誰かが、どこかで言った言葉がよみがえる。いつだったかも、誰の言葉かもおぼえていない。ただ、生々しい声だけが耳に張り付いている。産めよ、増えよ、地に満ちよ。つくりなさい、つづけなさい、永遠に。

生徒たちはこわい、こわいとまだ騒いでいる。どうしてこわいの、問いかけて、考えようとする。感情だけがゴールではない。その後ろにも必ずそれぞれの理由がある。ひとりが手を挙げて、言葉を探しながら話し出す。

「人間の生きる目的が繁殖することなら、すべてが、いまここで話したり、考えたりすること、それもぜんぶ、ぜんぶ無駄になる」

無駄だ、ぜんぶ無駄だ!お調子者の少年が、それを聞いて声を張り上げる。彼は苦笑いをして、手を大きく振ってわたしに提案する。「先生!考えるとむなしくなるから、これはもうやめよう!

生徒たちはお調子者の言い方にどっと笑って、彼を見ている。彼は「真実を知るとむなしいから」と悟ったようにほほえみ、椅子にどっかりとよりかかる。何人かは集中力が切れて、別のおしゃべりを始めている。だが「ちがう!」と誰かが叫んでいる。あれ、これはわたしの声じゃないか、となぜだか遅れて気がつく。

待って、絶望するな、ちがう、ちがう、考えよう、まだわからない、まだわからないよ!わたしは気がつくと、喧騒の中で声を枯らして叫んでいる。こわい、そんなのいやだ、そう思うことはなぜで、そう思うならどこかが違うはずで、そうじゃない仕方はあるのか、そうだとしても、それが何なのか、考えたいよ。なにかに突き動かされるように、声を張り上げる。

そもそも本能と、人間の価値はまた別の話なはずで、まだたくさん、たくさん考えることはある。まだわからなくて、真実なんてすぐに出るわけがなくて、どうなるかわからないのに。

むなしさと、あきらめに屈してしまいそうな問い。わたしたちは、繁殖するためだけに生まれてきたの?わたしたちの価値は、生産性ではかられてしまうの?わたしは生きてていいんでしょうか、わたしはこれでいいんでしょうか。子孫を残さないといけないんですか。人間の本能が子孫を残すことなら、人間の価値は子孫を残すことで決まりますか。

人間に崇高な価値があって、使命があって生まれてきたんだと思いたいわけではない。生きていることそれ自体が価値であるという言説も溢れかえっていて、よくわかって、そのとおりだと思う。そしてある種の「答え」もいっぱいある。生物学的な答えだってあるだろうし、社会学的な答えもあるだろう。でも結局、わたしが考えるしかなくて、わたしが引き裂かれるしかない問いである。

わたしたちには、問いがある。時にばかばかしく、時に頭を抱え、ぼろぼろ涙が出てしまいそうになる問いが。

いつまで働き続けなければいけないんでしょうか。

ひとを愛するって、どういうことなんですか。

ふつうって、何ですか。

 

わたしは、生まれてきてよかったですか。

日々はわたしに、探求することの快感と苦痛を教えた。わからないことは増えていき、むしろわかっていたと思っていたことが、フィルムが剥がれるように、ほころびを見せて、見知らぬものとして迫ってくる。わたしたちは、転びながらも、答えを見つけようと走りつづける。

そしていつか、走り疲れるときがくる。硬い地面に膝をつき、どこからも力が湧いてこないのを感じる。指一本も動かすことができない気がして、地面に横たわってしまう。そして、ゆっくりと、あきらめが近づいてくる。あきらめは外からやってこない。内側の奥底から、じわり、じわりとやってくる。胃の腑が冷え切って、とろりとした眠気と、世界にもやがかかるのを感じる。

だが、問いはわたしの影のように、そばにいる。そのときに気がつく。問いは、時にわたしを苦しめ、時にわたしをはげます存在であることに。

あきらめがわたしを喰い破りそうになるとき、問いがわたしを心配そうにのぞきこむ。わからないと投げ出したくなったり、早急に答えを決め込みたくなったりしたとき、まだわからない、まだわからないよ、と問いは言う。

そして問いは、年も所属も時代も超えて、見知らぬわたしたちをつなぎとめてもくれる。労働に疲れ、ぐったりと身体を電車の座席にあずけているとき、ふと13歳の少年の問いが目の前に立っていることに気がつく。彼とはたった一度しか会わなくても、こうして同じ月を見るように、同じ問いを考えることができる。

だから、たとえ問いに打ちひしがれても、それでも問いと共に生きつづけることを、わたしは哲学と呼びたい。哲学は、慣れ親しんでいる世界を粉砕し、驚きをあたえ、生を不安にさせて役目を終えるのではない。息切れをして、地上に倒れてもいい。心細くなって、頭を抱えてもいい。それでも、人々と、問いと共に生きることをやめないことだ。

今日の夜も、テレビからはクイズ番組が流れている。制限時間がせまっているのに、回答席からなかなかどかずに、しがみついてもがいているひとがいる。周りから、パスしな!パス!と声がかかる。だが彼はその問いを頭にめぐらせて、あきらめずに、考えている。

いつまでも、いつまでも、彼は考えている。