第4回 「本質的な簡素さ」の歌声──Mavis Staples “We’ll Never Turn Back”

黒人神学の碩学、ジェイムズ・H・コーンの下で学んだ日々を綴ったエッセイ集『それで君の声はどこにあるんだ?』で注目を集める著者。神学を学び、自分のVOICEを探す日々の裏で、彼の心の支えとなった音楽があった。ブルーズ、ジャズ、ロック、ソウル……いまも著者が保持する愛着の深い音盤群について語る、ファンキーな連載エッセイ。君の聴きたい声はここにある?

午後5時。ルート501をダーラムの方に向かって車で走る。サマータイムが終わるまでにはまだあと1ヶ月以上あるとはいえ、随分日が短くなった。

普段はこの時間に、一人で隣町のダーラムに向かうことはあまりなかった。平日の夕方に、チャペルヒルとダーラムをつなぐ大動脈のルート501に出ることがあるとすれば、それは、空っぽ近くなった冷蔵庫を前に、慌てて鶏のもも肉やベーコン、玉ねぎやじゃがいもなどを近所のホールフーズやトレーダージョーズに買いに行くときくらいなもので、つまり日常の必要に迫れたときがほとんどだった。

多様な肌の色をした人々の隙間から手を忍ばせて、買い物という日常語が陳腐に聞こえてしまうほどの大きさをしたカートに品物を放り込む。まったくあのカートの巨躯の特権は、最後まで満足に享受することができなかった。私たちに必要な品々では、カートの底に控えめな丘陵を作るのがやっとだったし、カートの角が商品の棚にぶつかって、崩れ落ちた品物が派手な音を立てたことは一度や二度ではなかったし、カートの上に座る権利をめぐって娘たちは喧嘩を始めるし。カートの隅にコロコロと転がり込んだリンゴを背伸びしてどうにか掴み、商品としての最期を全うしようとレジのレーン上を流れていく野菜の中に紛れ込ませた。

それは私の変わり映えのないアメリカ生活の中の、ある典型的な場面の一つだが、そんな時間に買い物を終えて501に戻ると、決まって、眩しすぎるくらいの夕方の西陽が、真っ直ぐに伸びた木々も、レンガ造の建物も、信号機も、横断歩道を歩く人々も、世界のあらゆる境界をぼんやりとさせていた。太陽の沈むチャペルヒルの方へ果敢にも飛び込んでいく車中は、目を凝らすのがやっとといったところで、サンバイザーなど気休めにすぎず、白い光の中をチラチラと幻のように映る前方の車の後ろ姿を追いながら家まで帰るのだった。

しかしあの10月の日、私はいつもの夕日を背にして、501をダーラムの方向に急いでいた。今夜はライブがある。遅れるわけにはいかない。空港のあるローリーへと向かう道は、いつもこの時間に混んでいたが、幸い、ダーラムに向かう3車線は空いていた。車のステレオは壊れていて、うんともすんも言わない。その代わり、カップホルダーに筆箱ほどの大きさのBluetoothスピーカーが立てかけてあって、小さな黒い身体を懸命に震わせている。ライブの予習をしておかなければ。必要以上に大袈裟な車の騒音を押し除けるように聞こえてくるのは、メイヴィス・ステイプルズの低く響く声だった。

 

メイヴィス・ステイプルズといえば真っ先に思い出すのは、まだニューヨークにいた頃、当時通っていたハーレム近くのユニオン神学校で受けていたジェイムズ・H・コーンのゼミのことだ。コーンは米国黒人の経験から聖書を読み直し、それを黒人神学として昇華させた第一人者で、私が2014年にアメリカに留学したのも、彼がきっかけの一つだった。黒人を中心に受講生が20人ほどのそのゼミでは、コーンの黒人神学形成に大きな影響を及ぼしたマルコムXとキング牧師の思想を学んでいた。2016年の春学期のこと。

3時間のゼミは生徒のディスカッションや発表が中心だったが、休憩を挟んで授業の後半の始まりに、決まって「Eyes on the Prize」というPBS(Public Broadcasting Service)が1987 年に放映したテレビドキュメンタリーシリーズを一話ずつ観た。黒人映画監督のヘンリー・ハンプトンの代表作だ。エメット・ティルの殺害から始まって、人種隔離教育の廃止、ランチカウンターでのシットイン、ワシントン大行進、公民権法の成立と、1950年代の中葉から1965年までの公民権運動の歴史を辿るのが第一部。第二部ではマルコムXやネイション・オブ・イスラムから始まって、シカゴでの活動や貧者の行進などに代表されるキング牧師の晩年、ブラックパワー運動の発展、ブラックパンサー党の創設、そして都市部での暴動など公民権運動後のアメリカを描き出す。当時の歴史を、ヒーローや預言者を特段崇め、彼らを英雄視するのではなく、市井の人々の経験から描き出した好ドキュメンタリーだった。

公民権運動の歴史の仔細は本から学べばいい。しかしそれだけでは十分ではない。あの時、闘っていた人々がどういう表情をしていたか、どういう目をしていたか、どういう声をしていたか、それをこの映像を見て学びなさい。いいか、公民権運動はキング牧師だけの歴史ではないぞ。一緒に闘った大勢の人間がいた。彼らが血を流したんだ。彼らが殴られたんだ。その時代の空気を感じなさい。

授業の3分の1を費やしてドキュメンタリーを観る理由を、コーンはそんな言葉で説明していた。果たして彼は、その映像を観ることが、私たちを1965年のセルマに連れ戻すと信じていたのだろうか。それとも、あの闘争の時代への遡及がどうしても不可能なことの悔しさを、私たちと共有しようとしたのだろうか。それとも、かつての未完の夢の続きを目の前の学生に託したのだろうか。

プロジェクターの操作をするのは、コーンの忠実な生徒といった風情の、スーツで身を固めたエンコシ・アンダーソンで、プロジェクターが降りると、暗くなった教室にはドキュメンタリーのオープニングが始まった。ボールドウィンが甥への手紙で喚起したのと同じ使徒たちが歌われる、主題歌のEyes on the Prizeが大きな音で流れ出した。

土牢につながれたパウロとシラス

保釈金を払えるような金もなく

褒美を目指せ、ひたすらに

諦めるな、諦めるな

諦めるな、褒美をただただ目指して、ひたすらに

             

叫び始めたパウロとシラス

扉がバタンと開き、外に出る

褒美をただただ目指して、ひたすらに、諦めるな

ボブ・ディランがデビューアルバムでその原曲を歌っている、公民権運動時代のフォークソングがあの暗い教室で流れるたびに、私は頭の中で、その歌をメイヴィス・ステイプルズの声に変換して聴いていた。彼女の声で、すでにその歌を聴いたことがあったからだ。この文章を書きながら、あらためてドキュメンタリーの冒頭を観てみたら、歌の部分は存外とあっさりとしていて驚いたくらいだから、よほどメイヴィスの歌声が印象に残っていたのだろう。メイヴィスはWe’ll Never Turn Backというアルバムでこの歌を歌っている。

2007年に出たWe’ll Never Turn Backは、メイヴィス・ステイプルズが、彼女自身深く関わった、公民権運動時代に歌われたプロテステストソングを歌い直すというコンセプトアルバムだった。ライ・クーダーが全面的にサポートしていたことから、彼のギターを聴きたくて手に取ったアルバムだったが、メイヴィスの歴史そのもののような声に一発でやられてしまったことは、言うまでも無い。このような企画はともすると薄っぺらいノスタルジーに取り憑かれ、過去を燃やし尽くす勇気の欠如の故に、今というときにあって聴くに堪えないものとなり得るのだろうが、このアルバムは、今、耳を貸されるべき説得力のようなものが伴って私には聴こえた。だからコーンの授業でEyes on the Prizeを耳にしたとき、私は真っ先にメイヴィスのこのアルバムを思い浮かべたのだ。

メイヴィスの自叙伝によると、このアルバムを作る背景にあったのは、2005年のハリケーンカトリーナの悲劇や、1999年、ニューヨーク警察に41発の銃弾を浴び、23歳で死んだリベリアからの移民、アマドゥ・ディアロの事件などだったという。ディアロの死は、警察の暴力についての問題を全米に喚起することになった。メイヴィスは、彼女を育んだキリスト教信仰の言葉を使って(ちなみに、メイヴィスはシカゴのサウスサイドのトリニティ・ユナイテッド・チャーチの教会員だ。公民権運動後のアメリカで、コーンの神学を教会の現場で実践したジェレマイア・ライトが、かつて牧師を務めた教会である。メイヴィスの父、ポップスの死後、彼のギターなしで歌うことに自信と意義を失っていたメイヴィスを励ましたのは、姉でマネージャーのイヴォンヌとジェレマイヤ・ライトだった)、こう語っている。

「主が私をこれまで生かしてくださったのは、この時のためだったと思う。(中略)キング牧師が私たちの正義のために血を流し、死んだのに、彼を一人にしてはおけないでしょ。それは許されない。今は21世紀なのに。アメリカで未だこんなことが起こっているなんて、私たちは恥ずかしく思うべき。学校では十分に黒人の歴史を教えない。でも私が歴史なの。私が歴史になる。子どもたちは知るべきだと思う。私たちが何を経験してきたか。私たちがどこからきたか」(I’ll Take You There: Mavis Staples, the Staple Singers, and the Music That Shaped the Civil Rights Era, Scribner, 2014)

この言葉から15年ほどがたち、アメリカの人種をめぐる状況は悪化の一途をたどっている。アメリカの高校のAP科目(専門性の高い上級レベルのカリキュラム)からは、保守派のバックラッシュの末、アフリカン・アメリカン・スタディーズの分野から批判的人種理論やクィア理論、ブラック・フェミニズムに関わる著者が多数削られた。コーンも、オードリー・ロードも、アリス・ウォーカーも、ベル・フックスも、マニング・マラブルも、シルビア・ウィンターも、ニッキ・ジョバンニも。もしかしたらメイヴィスの歌が教えられなくなる日も来るのかもしれない。

 

コンサートはダーラムの中心部に程近いキャロライナ・シアターの大ホールで行われた。煌びやかなロビーに入り、街灯に飛び込む蛾さながらに、物販のテーブルへと引き寄せられる。Tシャツやポスター、手提げバッグなどに混じって、LPレコードがある。We’ll Never Turn Backはないだろうかと淡い期待とともに探してみるが、2022年の再販までプレミア化していたそのレコードは、当然なかった。代わりに当時の最新作で、ベン・ハーパーがプロデュースを手がけたWe Get Byを手にとる。新品でレコードを買うのは珍しい。

暗転したホールの後方の深いチェアに腰掛けて、メイヴィスを待つ。バンドリーダーのリック・ホルムストロムを筆頭に、ベースとドラム、コーラスという小規模の編成を従えて、小柄なメイヴィスが舞台袖から現れた。その足取りは、遠目からはどこかふらついているようにも見えて、私は彼女の年齢を突きつけられる。私の好きなアーティストたちは、きっともうすぐ消えていく。でも、レコードはその記憶を引き取って、何度でもターンテーブルの上をくるくる回るだろう。

ドゥーン、ドゥクッドゥ、ドゥドゥデューンという跳ねるようなベースの音に、タッタカ、タッタカ、小刻みなドラムが駆け寄って、そこにメイヴィスが手拍子でリズムを加えた。疲れたメイヴィスはもはやどこかにいなくなり、ステージの上で重厚に舞っているのは、あらゆる場所を最上の礼拝堂へと変えてしまうあのメイヴィスだった。彼女の声が、ホールを占拠する。まるで未だ、警官隊と対峙しているかのように。放水を受けても、犬をけしかけられても、その場から動くつもりは微塵もないというように。If you’re ready!  If you’re ready! ステイプル・シンガーズ時代のヒット曲だった。

近年のオリジナル曲に、ステイプル・シンガーズの曲、ファンカデリックやバッファロー・スプリングフィールド、トーキング・ヘッズまでのカバー曲が散りばめられたそのコンサートは、あっという間に過ぎていった。メイヴィスの曲は、どれもシンプルなメッセージで貫かれている。愛とか信仰とか、友情とか、手をつなぐこととか、それさえあれば家賃を払う金がなくても、仕事を失ってウェルフェアライン(公的扶助)に並ばないといけないとしても、故郷と呼べる場所がなくても、車がオンボロでも、部屋に隙間風が吹いていても、メイヴィスが歌うところによると、どうにかなるのだ。それはこの複雑怪奇で、トラブルの多い世界にあって、あまりに単純で、楽観的に聞こえてしまうのだけれど、少なくともあの場にいた1時間ちょっとの間、それは動かし難い真実のように思えてしまうのだから、そしてあの時を思い出すと私の懐疑は今でも少し揺さぶられてしまうのだから、メイヴィスの声にはそれだけの説得力があるのだろう。ライ・クーダーがポップスのギターを表現して「本質的な簡素さ」と呼んだものは、きっとメイヴィスの声にも生きている。

メイヴィスのコンサートから数ヶ月後、パンデミックが始まった。今思えば、あの禍が世界を覆い尽くす前に行った最後のライブは、メイヴィスのコンサートだった。

 

榎本空(えのもと・そら)
1988年、滋賀県生まれ。沖縄県伊江島で育つ。同志社大学神学部修士課程修了。台湾・長栄大学留学中、C・S・ソンに師事。米・ユニオン神学校S. T. M 修了。現在、ノースカロライナ大学チャペルヒル校人類学専攻博士課程に在籍し、伊江島の土地闘争とその記憶について研究している。著書に『それで君の声はどこにあるんだ?』(岩波書店)、翻訳書にジェイムズ・H・コーン『誰にも言わないと言ったけれど――黒人神学と私』(新教出版社)がある。