黒人神学の碩学、ジェイムズ・H・コーンの下で学んだ日々を綴ったエッセイ集『それで君の声はどこにあるんだ?』で注目を集める著者。神学を学び、自分のVOICEを探す日々の裏で、彼の心の支えとなった音楽があった。ブルーズ、ジャズ、ロック、ソウル……いまも著者が保持する愛着の深い音盤群について語る、ファンキーな連載エッセイ。君の聴きたい声はここにある?
ここでレコードを買うのは、これで最後にしよう。そう心に決めて、私はレコード屋の重たいガラス戸を引っ張った。レコード屋に入るのに心を決めるとはなんとも大仰であるが、そうでもしなければ、私はまたこの扉を引くための言い訳をどこからか捻り出してしまうに違いない。そんな時、私の頭は信じられないくらいよく回り出す。そういえば牛乳が切れていたっけ。子どもの昼寝ついでにドライブはどうだろう。それとも公園に連れて行こうか。そうして結局、よく訓練された犬が自ら家に戻るように、最終的な目的地は決まってレコード屋になってしまう。
もっとも、2022年の6月、アメリカ南部の片田舎から日本への帰国を控えていた私には、ここを訪れるのをこれっきりにしなければならない物理的で、必然的な理由があった。あと1週間もすれば、控えめなリビングの一角を占領している段ボールの山を、引っ越し業者が回収に来るのだ。娘たちのおもちゃや、食器やキッチン用品、家族4人分の服などを詰め込んだ段ボール、30箱。それだけ書けば格好もつくのだろうが、そんな生活必需品は半分ほどで、残りの15箱は、私がアメリカにいた8年の間に集めてきた本とレコードだった。日本語の本はまた日本で買えばいい、レコードはなかなか手に入らないだろうから、送ったら?妻の一言に背中を押された私は、日本語の本をスリフトショップ――キリスト教の慈善団体が運営しているリサイクルショップのことだ、あの大量の日本語の本はどうなっただろうか――で引き取ってもらった後で、すでにレコードできゅうきゅうになった段ボールの隙間になんとか最後の、記念の一枚を押し込むべく、張り切っていつものレコード屋に2005年型のダークグレイのアコードを走らせたのだ。
そのレコード屋は、ノースカロライナ州のカーボロという大学街にあった。もともと紡績を中心とした労働者の街だったカーボロは、隣町の公立大学の発展とともにアメリカ南部でも指折りのリベラルな街として変貌し、1995年には保守的なノースカロライナ州で初めてゲイの市長を当選させている。街の中心には、市民で運営されるオーガニックスーパーがあり、週末には地域の農家やショップが出店するファーマーズマーケットが開かれる、そんなアメリカンリベラル――それもまた問題を含んでいる――を体現したような街だ。メインストリートに面するそのレコード屋も例に漏れず、レインボーやBlack Lives Matter、またAll Are Welcome(どなたでも歓迎します)などとあしらわれたステッカーが、通り沿いのガラス窓にベタベタと貼り付けてあり、そこが誰にとっても安全な場所だということを教えている。わざわざそんな当然の主張をしなければならないのがブラック・ライブズ・マター運動、そしてトランプを経たアメリカで、ノースカロライナに越してきたのは2017年の夏以来、すぐにそのレコード屋は私のお気に入りになった。
階段を一段上がって、少し奥にあるガラス戸を引くと、よく知った声が店内に響いていた。
Ain’t nothin’ wrong with my baby
No no, that a little lovin’
Couldn’t work it out, yeah
Aint’t nothin’ wrong with my baby
Mm hm, that a little lovin’
Couldn’t work it out
この艶っぽく、しかしどこか細い声は、アラン・トゥーサンじゃないか!聞いた瞬間私はそう思って、どきどきしながら薄暗いカウンターの向こうに立つ店員に話しかけた。彼とは子どもが同じ時期に産まれたことや、車のBGMを山下達郎にするほどのシティポップ好きということもあり、仲が良かった。
これって、アラン・トゥーサンだよね。そうだよと、くるくるとした短い赤毛がよく目立つ店員――仮にここではポールとしておこう――は頷いて、空のジャケットを見せてくれた。Life, Love, and Faith。1972年に発売された、トゥーサンの3作目のソロアルバムである。寡作な彼の代表作といえば、この3年後に出たSouthern Nightとなるわけで、私も正直なところ、Life, Love, and Faithの方はよく聴いたことはなかった。しかし、その音は紛れもなくトゥーサンのそれであり、ミーターズの演奏がトゥーサンの声をどっしりと支えている。狭い店内に大音量で響くグルーブに身を任していると、身体の節々が自然と動き出す。ある音楽が好きなのか、どうなのか、いい音楽なのか、そうではないのか、その判断基準は私にとって至極単純で、身体が揺れ、首や肩や腰がくねくねとし出せば、それはいい音楽。これ、いくらかな。私は思わず尋ねていた。60ドルなんだ。ポールの少し申し訳なさそうな答えに、現在のレコード市場を取り巻く資本主義の現実をまざまざと突きつけられた私は、ジョージ・ポーターJr. の重たいベースの音を背中にびしびしと感じながら、おずおずとしゃがみ込み、床に並べられた埃っぽい木箱に入った激安ジャンクレコードの束に向き合った。
アラン・トゥーサンを知ったのは、まだ日本にいた2010年ごろだった。当時、私はプロデューサーのジョー・ヘンリーが手がけた作品を、片っ端から聴いていた。アーロン・ネビルもボニー・レイットも、ビリー・ブラグもモーズ・アリソンも、ランブリン・ジャック・エリオットも。皆、ジョー・ヘンリーがプロデュースした作品を通して知った。かつて一時代を築いた名うてのミュージシャンの晩年に寄り添い、彼らに過去との――それは彼ら自身の過去であり、同時により大きな共同体の過去なのであろうが――対話を促すようなジョー・ヘンリーの手法が、私は好きだった。
そんなジョー・ヘンリーが手掛けた作品の中でもとびきり輝きを放っていたのが、アラン・トゥーサンが古いジャズのスタンダードに取り組んだThe Bright Mississippiというアルバムだった。冒頭を飾るシドニー・べシェのEgyptian Fantasy。ドスンッというドラムの音を合図に、パッパラー、パーラパパーパー、パッパラーパラララと続くニコラス・ペイトンのトランペットにすっかりやられてしまった私は、まだ行ったこともないニューオリンズの街を練り歩く音楽隊の葬列に自分もまた、歩を共にしているような気がした。そしてトゥーサンのピアノ。エレガントとは、彼のピアノを形容して使われるお決まりの言葉だが――例えばニューヨークタイムズ紙でのベン・ラトリフやNPRでのミロ・マイルズの本アルバムのレビュー――、デュ・ボイス的な才能ある十分の一がよぎってしまうからだろうか、私はその言葉が暗に秘めるヴィクトリアニズムがどうしても気になる。プロフェッサー・ロングヘアをアイドルに、ブギウギやゴスペルで育てられたトゥーサンに、エリート主義は似合わない。むしろ彼のピアノを特徴づけるのは、ニューオリンズ的な多様なリズムの饗宴に包まれた少しの遊び心と哀しみ、死の香り、そして失われていったものたちへのどうしようもない思慕、つまりブルーズなのではないか。その上で、しかし、彼の手はそのいずれをも忘れるように、そう忘れるように、鍵盤の上を優美に、優しく、懸命に舞っているのだった。このアルバムと出会って以来、ニューオリンズはいつか私が行かなければならない街となり、アラン・トゥーサンは私がいつか同じ空間で聴かなければならないアーティストの一人となった。
ニューオリンズは、未だ、未踏の憧れの地であり続けている。けれど、アラン・トゥーサンのライブは幸運なことに、2014年11月、サンフランシスコで目撃することができた。再開発地区のヘイズバレーにオープンしたてだった、SF Jazzという収容人数700人程度のモダンなライブ会場。しかも、ニューオリンズを代表するPreservation Hall Jazz Bandとの貴重な共演という。その頃私はバークレーの神学校に通っていて、知り合いになった日本人の友人がSF Jazzで音響エンジニアの仕事をしているのをいいことに、この機会を逃したら一生後悔すると、頼み込んで格安のチケットを譲ってもらったのだった。
満員の会場。こぢんまりとしたホールだが、ステージを扇型に囲う席はゆったりとスペースがとってあって、しかも勾配がしっかりとあるから、どこに座ってもアーティストを近く感じることができる。キラキラとした派手なスーツに身を包んだトゥーサンが一人、舞台袖から現れる。あのグレイのアフロ、整えられたムスタッチ。私の想像していた通りの彼だ。トゥーサンは、万雷の拍手で迎える観客に向かって手を合わせ、礼を一つして、椅子に座る。私の席からは彼のこんもりとした背中がよく見えた。彼の手がピアノを撫でる。ンチャッ、ンチャッという軽快なリズムに、トゥーサンの歌が加わった。袖からチューバ、クラリネット、トランペット、ドラムスにベース、Preservation Hall Jazz Bandの面々がゆっくりと登場し、トゥーサンがドラムを呼び込めば、ドラムがタンッと乾いた音を立て、次にブラスを呼べばブオッとチューバの気の抜けた音が響く。それから全ての楽器が雪崩れ込み、紛れもないあのニューオリンズの骨の髄に届くような、ドカドカとした混沌が会場を支配した。Preservation Hall Jazz Band! トゥーサンが呼びかけると、Say it again! バンドの面々が叫び返す。これだ、この音を聴きたかったのだ。そう思った時には、すでに腹の底から込み上げてくるものがあって、果たしてこの音楽のどこに、そんな人間の根幹を揺り動かす力があるのだろうかと、私は一瞬思い巡らした。
今思えば、舞台の上の彼らは、2005年、ニューオリンズを襲い、その土地の8割を水没させたというハリケーン・カトリーナを経験していて、それから10年経とうとしていたあの時も、やはり喪失があの場をうっすらと覆っていたのだろう。カトリーナで家とスタジオを失ったトゥーサンは、ニューヨークに移り、パフォーマーとしての自分を再発見する。The Bright Mississippiは、いなくなっていった人々――ルイジアナ州だけで1500名もの死者が出た――、そして特に被害を受けたクレオールや黒人共同体への鎮魂であったろうし、同時に、カトリーナ以前の、もはや再現不可能な共同体の姿を、音楽というミディアムを通して想像し直す行為だったのではないか。そのような意味において、あのアルバムはカトリーナ後という時を、最良の形で、しかも暗喩として表象している。そういえば、ことカトリーナについて言えば、トゥーサンのアルバムとも不思議と響き合う、ジェスミン・ウォードの『骨を引き上げろ』(2011)の、こんな言葉を思い出す。
「黒い湾と塩に焼かれた大地を残して、カトリーナは去っていった。生き永らえたわたしたちは這うことを学び、残されたものを拾いあさる。母なるカトリーナを、わたしたちはけっして忘れないだろう。情け容赦のない巨大な手をした次なる母が、ふたたび血を求めてやってくるまで」(『骨を引き上げろ』p295)。
「けっして忘れない」、いや忘れ得ないものを、あの舞台上のニューオリンズの音楽家たちは、ひと時の音楽の瞬間、きっと忘れていたのだ。巨大なチューバを身体に巻きつけた大男は、汗を吹き出しながら踊り、その背丈を超えようかというウッドベースを支える小柄なベーシストの右手は、弦の上を生きのいい魚のように跳ねている。老齢なクラリネット奏者――チャーリー・ガブリエルだ――は、時折呼吸を苦しそうに、しかしまた己の息吹を、まさに身を削るようにして、楽器に吹き込む。そしてその全てに調和をもたらすコンダクターの、トゥーサン。あの場にあったのは、過去でもなく、未来でもなく、今という瞬間の分厚さと重量だけで、しかし、いやそれゆえにこそ、そこには過去も未来も見逃し得ない形で含まれていた。私は、忘れ得ぬものを忘れるということの勇気を思う。
アラン・トゥーサンは、2015年11月10日、マドリードでの公演後に心臓発作で亡くなった。
さて、ここは再びカーボロのレコードショップ。いつの間にかトゥーサンのレコードはB面にひっくり返っていて――Soul Sister、Fingers and Toes、I’ve Got to Convince Myselfまでの流れなど、最高ではないか!――、私はまだしゃがみ込んで、ジャンクの箱を漁っていた。1枚のつもりが2枚に、2枚のつもりが3枚にというのはよくあることで、最後の1枚と心に決めてきたはずの私の手には、レコードが数枚重ねられていく。ヴァン・モリソンに、ランディー・ニューマン、そしてニルソンと定番の安レコードを埃っぽい木箱から救出して、私はひとまず満足していた。完璧とはいかないものの、最後のレコードとしては上出来だ。
レジに向かうと赤毛のポールが待っていて、少し立ち話をする。やっぱりアラン・トゥーサン、かっこいいよね、と私。アメリカでも知ってる人は少ないけど。ポールが答える。ザ・バンドもローリングストーンズも、トゥーサン抜きには語れないのに、と彼は続ける。でも60ドルは、いくらなんでもちょっと手が出ない。私は思わずつぶやいてしまう。最近のレコードの値段は常軌を逸してるから、と愚痴る彼。私は笑って同意を示し、そういえばと思い立った。今月末、日本に帰国する予定でね。多分ここに来るのは、これが最後になると思う。この場所があったおかげで、僕のノースカロライナでの生活は随分豊かになった。もちろんここは大学街で、人はいつの間にかいなくなり、代わりの誰かがやってくる。人々は別れに慣れている。ポールも特段驚かず、寂しくなるよと一言。もし日本に買い付けに来ることがあったら、連絡して。なんて言ってみるけれど、きっと私たちが会うことはもうないだろう。40ドル。カウンターの向こうのポールが言うのが聞こえた。トゥーサンのアルバム、40ドルでいいよ。えっ、本当?私は聞き返す。もちろん!知らない誰かに60ドルで売るよりは、40ドルでも友人に買ってもらった方がいい。
ポールの好意に一も二もなく甘えた私は、手持ちの3枚を木箱に返し、天にも昇るような気持ちで、Life, Love, and Faithを片手にニマニマしながら店を出たのだった。最後の一枚に、これほどふさわしいアルバムがあるだろうか。
そうそう、あのレコードはというと、まだ太平洋のどこかを、引っ越しの荷物に紛れて、優美にぷかぷかと揺られている。
Back Number
- 第10回 過去とはつながれていない誰かに──Keith Jarrett,”My Song”
- 第9回 それが自由でなくてなんなのだろう──Aretha Franklin, “Amazing Grace”
- 第8回 その日はあいにく空いてなくてね──Bobby Charles, “Save Me Jesus”
- 第7回 クリスマスのレコードはボイコットする
- 第6回 とうとう会得した自由が通底している
- 第5回 あれからジャズを聴いている理由──”Seven Steps to Heaven” Feat. Herbie Hancock
- 第4回 「本質的な簡素さ」の歌声──Mavis Staples “We’ll Never Turn Back”
- 第3回 我が家にレコードプレイヤーがやってきた──Leon Redbone “Double Time”
- 第2回 手に届きそうな三日月が空に浮かんでいる──Ry Cooder “Paradise and Lunch”
- 第1回 きっと私たちが会うことはもうないだろう Allen Toussaint “Life, Love, and Faith”