第1回 奪った金は愛人が返し、妻のおかげでタダ酒を飲み続ける──『ヴィヨンの妻』太宰治

信じられないくらい優柔不断、単に運が悪い、欲望に勝てない、決断を間違える……。文学ではキーパーソンとして読者に強烈な印象を残すことが多い「ダメ人間」。どうして、作家はダメな人を描くのだろう?
文学に登場するダメ人間たちに時に苛立ち、時に愛でながら、様々な生に目を向ける「人間讃歌」連載。

 

「文学はダメ人間が9割」というタイトルは、アルバイト先の本屋の店頭を眺めていて思いついた。我ながら大きく出たものだが、ダメな人が登場する文学はおもしろい。なぜだろう。どうして、作家はダメな人を描くのだろう?

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、ストーリーの創作論である『詩学』において、創作とは総じて「模倣」であると述べている。そして、作品を「悲劇」と「喜劇」に分けて〈喜劇は現実にいる人々よりも劣った人物たちを、悲劇は優れた人物たちを模倣の対象にしようとする〉と分析している。

わたしの好きな文学は、アリストテレスの定義によれば喜劇だ。『詩学』の大半は悲劇論で、喜劇についての記述は少ない。しかし〈劣った人物〉にまつわる以下の文章は、ダメ人間文学の魅力を探るとき手がかりになるのではないかと思う。

ただし、この場合にいう人物たちの劣悪さとは全面的な意味の悪ではなく、彼らの滑稽さが、醜悪なものの一部に属するという意味である。すなわち、滑稽なものとは一種の失態であり、それゆえ醜悪ではあるけれども、[悲劇中の惨劇のように]苦痛に満ちたものや、破滅的なものではないのである。(※『詩学』アリストテレス著、三浦洋訳、光文社古典新訳文庫)

〈劣った人物〉といっても、全面的に劣悪と断じるわけではない。喜劇は人間の〈醜悪なものの一部に属する〉〈失態〉を模倣するのだ。この連載では、毎回ひとつの作品を取り上げて、登場人物のダメなふるまいの背景に何があるのか、その人物の失態を読むことでどんな感情が呼び起こされるのかを考察していきたい。

 

というわけで、今回は太宰治の『ヴィヨンの妻』(初出「展望」1946年3月号)だ。

なにしろ太宰は『精選版 日本国語大辞典』の「駄目」の用例に『貧の意地』という短編が引用されているくらいの、ダメ人間文学の王様。太宰の描くダメ人間といえば、『道化の華』『人間失格』の大庭葉蔵がいちばんに思い浮かぶ。大庭葉蔵は太宰の分身的な色合いが濃い主人公だ。プロフィールも太宰と重なるところが多い。それなのに『ヴィヨンの妻』を選んだのは、正直に言うと、編集部にすすめられたからである。なんとなく流されて生きていてすみません。

でも『ヴィヨンの妻』にしてよかった。妻の視点で描くことによって、ダメ人間の輪郭が際立っている。

ある夜、語り手の「私」は、あわただしく玄関を開ける音で目を覚ます。夫の大谷が帰宅したのだ。珍しく優しい大谷に「私」が〈おそろしい予感〉をおぼえていると、椿屋という小料理屋を営む夫婦が訪ねてくる。大谷はナイフを出して逃げ去ってしまう。椿屋が訴えるところによると、大谷は三年もその店で無銭飲食した挙げ句、大金を盗んだという。警察沙汰にされないよう、「私」は自分が事件の後始末をすると約束するが……。

〈男爵の次男で、有名な詩人〉であるらしい大谷は、「私」に生活費を渡さず、家にはほとんどいない。夫婦といっても籍は入っていない。坊やは来年四つになるが〈よその二つの子供よりも小さいくらいで、歩く足許さえおぼつかなく、言葉もウマウマとか、イヤイヤとかを言えるくらいが関の山〉。しかも病気がちだ。「私」は働きに出ることもできない。大谷の知り合いの出版関係者が時たまお金を持ってきてくれるので、母子は辛うじて飢え死にせずにすんでいるのである。今の感覚で言えば、大谷のしていることは「経済的DV」だろう。

「私」は困窮しても大谷を責めない。泣いたりすがったりもしない。たとえば〈あわただしく、玄関をあける音が聞えて、私はその音で、眼をさましましたが、それは泥酔の夫の、深夜の帰宅にきまっているのでございますから、そのまま黙って寝ていました〉という書き出し。ただ家でじっと待ち、大谷が帰っても起き上がりもしない。健気というより、疲れ切って無気力になっているように見える。そんな彼女が、大谷の発表した「フランソワ・ヴィヨン」という論文の題名を見て涙ぐんだあとに変わるのだ。

「私」は椿屋にすらすらと嘘をつき、坊やを背負って店に通い、「さっちゃん」という名前で働きだす。そして大谷と再び会えるようになったとき〈とっても私は幸福よ〉と言う。その変貌ぶりを読んでいるうちに、文芸評論家で東京大学大学院教授の阿部公彦さんが、太宰は〈自分のことばかり語っているようで、実は他人を描いている〉と指摘されていたのを思い出した。(※『名著のツボ』石井千湖著、文藝春秋)。

自分は幸福だと語る「私」に大谷は〈女には、幸福も不幸も無いものです〉〈男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです〉と返す。思わず傍線を引いて「は?」と書き込んでしまった奪った金は愛人に返してもらい、妻のおかげでタダ酒を飲み続けられているのに、まったくいいご身分である。が、この家族に対する責任を一切負わないくせに妻子を完全に捨てることもできない、そのうえ常に死にたがっている男は、「私」の主体性を引き出してしまうのだ。面倒を見なければならない坊やがいて、夫は頼れないだけではなく泥棒までするわけだから、自分の意志で動くしかないのだけれど。

仕事を通じて〈我が身にうしろ暗いところが一つも無く生きて行く事は、不可能だ〉と気づいた「私」は、大谷に打ち明けられない出来事が起こっても折れない。最後の〈人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きてさえすればいいのよ〉というセリフが強烈な光を放っている。

 

ちなみに大谷が論文のテーマにしたフランソワ・ヴィヨンは、15世紀フランスの詩人。殺人や窃盗を犯してパリを出奔し、放浪生活を経て『大遺言書』という詩を書いた。その後、別の罪で死刑判決を受け、恩赦されたものの、消息を絶ってどんな最期を遂げたのかわからない。芥川龍之介は、最晩年の作品である『或阿呆の一生』でヴィヨンの詩を〈心にしみ透つた〉〈何篇かの詩の中に「美しい牡」を発見した〉と評している。太宰は芥川に憧れていたから、影響されたのかもしれない。太宰は『乞食学生』という短編にもヴィヨンの詩を引用している。

ヴィヨンの詩は長い長い遺言の体裁をとっていて、青春の時代が終わってしまったことや落ちぶれた我が身を嘆き悲しみながら語り口はユーモラスで勇ましい。読むと元気が出てくる。遺言なのに。

第一作品集に『晩年』という題名をつけた太宰も、長い長い遺言を書いていたようなものだ。太宰の描く死にたがりのダメ人間は、他者の生を肯定し輝かせるその不思議な明るさが、今日の読者も惹きつけるのだろう。