あれからジャズを聴いている理由──”Seven Steps to Heaven” Feat. Herbie Hancock
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黒人神学の碩学、ジェイムズ・H・コーンの下で学んだ日々を綴ったエッセイ集『それで君の声はどこにあるんだ?』で注目を集める著者。神学を学び、自分のVOICEを探す日々の裏で、彼の心の支えとなった音楽があった。ブルーズ、ジャズ、ロック、ソウル……いまも著者が保持する愛着の深い音盤群について語る、ファンキーな連載エッセイ。君の聴きたい声はここにある?
車を売ったのは、日本に帰国する2日前だった。
知人から譲り受けた走行距離20万マイルほどの2005年型のアコードは、ノースカロライナで4年間酷使している間にすっかりボロボロになっていた。カロライナの日差しと、時折訪れるハリケーンの雨風と、常にエンジンの精一杯を求められるアメリカの公道と、そして何にも増して情け容赦ない時間の流れそのものによって、車はリー・ドーシーのMy Old Carよろしく、スクラップ寸前だった。
バッテリーが使い物にならなくなったのは、いつだっただろうか。ある日、郊外にある韓国系のスーパーのHマートで、納豆や冷凍うどん、薄切りの豚バラ肉やネギなど、故郷の味を、少なくともノースカロライナで揃うそれに一番近いものを買い込んだあとに、帰り道に立ち寄った先のガソリンスタンドでエンジンがかからなくなった。その前兆ならあった。同じ日の朝も、バッテリーが上がってしまい、慌てて友人の車から電力を分けてもらっていたから。Hマートの帰りにバッテリーを交換しようと百々子と話していたが、車屋にたどり着く前に、再びバッテリーが上がってしまったのだ。人気のないガソリンスタンドで、鉄の塊と化した車内に取り残された私たち。途方に暮れていると、助けてくれたのは、ツーリング途中なのか、映画の中からそのまま出てきたようなハーレー乗りの白人のおじ様、二人だった。皆、スキンヘッド、黒いライダースーツで身を固めている。どうしたんだ? バッテリーが上がったようで。それだけ言うと彼らは全てを了解したように、一人はブースターケーブルを探しにガソリンスタンドの中へ、一人はボンネットを点検し、ちょっと見せてみろと、私と運転席を変わってアクセルをふかしはじめた。その一連の所作は惚れ惚れしてしまうほど無駄がなくて、しばらくすると、車は思い出したように鈍いエンジン音を立てた。おじ様たちは誇らしげに、バッテリーはもう変えた方がいい、ケーブルを貸してくれたスタンドの店員さんにはお礼しておけよと言い残して、ハーレーにまたがって颯爽と去っていった。私たちはその足で車屋に向かい、そこだけつぎはぎを貼り付けたような真新しいバッテリーを、オンボロの車に取り付けた。
車の天井生地が垂れてきていることに気がついたのは、帰国まであと2ヶ月を切った頃。しばらくは何とか誤魔化して乗っていたが、次第にだらっと垂れた布が運転席の視界をも遮るようになり、ガムテープで留めてみたり、洗濯バサミで挟んでみたりとさまざまな試行錯誤の末、最終的には百々子が押しピンで応急処置を施した。そういえばニューヨークに住んでいた頃も、アパートを引き払う直前になって寝室の天井のパネルが何枚か半分外れ、部屋がコンクリートの粉末で雪景色になったことがあった。どこかを離れる頃になって落ちてはいけないものが落ちてくるというのは、もはや定番と言ってもいいかもしれない。そんな事象の意図を汲んでしまうのは人間だけだろうが、ハンモックのようにだらしなく垂れ下がった車の天井は、チャペルヒルでの生活から引導を渡されたようでもあり、私たちは、はいわかりましたと、少しの未練とともに、その地を去る準備を進めていたのだった。
いずれにせよ、車はそんな状態だったから人に譲ることもできず、私たちはそれを、隣町のラーリーのディーラーで売ることにした。
車は呆気なく売れていった。車といえば、アメリカの横柄な官僚主義を煮詰めたようなDMV(車両管理局)での嫌な経験――つまりそれは、端的に言って、何時間も、自分の番が本当にやってくるかどうかあやふやなまま、同じように確信を持たない人々の長い列の後ろで待たされることを意味する――を思い出し、その日1日を潰す覚悟でいたが、どうやら資本主義の速度がお役所仕事の横柄に勝利を収めたらしい。ディーラーに言われるがままに書類にサインをいくつか記入しただけで、車は私の手から離れていった。
さて問題は帰り道である。と言っても、何か選択肢があるわけではない。車がなくなった今、家までの30マイル、私を運んでくれるのはタクシーだけだった。そこで私は配車サービスで車を呼んだ。
車屋の駐車場に滑り込んできたのは黒のSUVで、20代後半くらいの黒人の若者が運転している。黒いパーカーに、ダボっとしたズボンというカジュアルな身のこなしで、普段私が教えていた学部生のように見えなくもない。乗車するなり、私は質問の嵐に見舞われた。
なんでここに? 車でも売ったの? それとも修理?
車を売ったんだ。私は短く答える。
へぇ、いくらだった?
私はまた短く、金額を伝えた。
そんな安かったの! 俺に一声かけてくれれば、友達のディーラーを紹介したのに。あいつならもっといい値段で買ってくれるよ。引き返そうか? 大手のディーラーは買い叩くからなぁ。悪どい商売だ。本当にいいのか? 倍の値段で売れるぞ。
ボロボロの車だったから、そもそも売れるとは期待してなかった。お金を払って引き取ってもらわなきゃいけないかと思ってたくらい。売れただけで御の字だよ。私は彼が本気なのか、冗談で言っているのかわからないまま、答えた。質問は続く。
それで、車は買い替えるのか?
いや、もう帰国でね。明後日には発つんだ。
どこに?
日本だよ。
日本か。行ったことはないな。
遠いところだよ。
じゃあ、こっちには駐在できたってこと?
まさか。駐在の人はもっといい車に乗ってるよ。博士課程。日本の研究をしてるんだ。
なんでまたわざわざアメリカで日本の研究を?
まあ、巡り合わせでね。これといった理由はない。
それをきちんと説明しようと思えば、とても家までの30マイルでは足りない。そもそも台湾、アメリカで10年近く生活をした末に、幼少期を過ごした沖縄の離島へフィールドワークに行く理由など、いくら説明を尽くしてもわかってもらえるか分からない。その間にも社交的なのか、ただの詮索好きなのか、それともその両方なのか、運転席の口まめな彼はとめどなく話し続けている。日本で知り合いが働いていること。それが東京でないことは確かだが、日本のどこだか思い出せないこと。パンデミックで配車サービスの売り上げが落ちたこと。それでもフードデリバリーでなんとか持ち直していたが、最近のガソリンの高騰で商売にならないこと。
途中から私は上の空だった。明後日には帰国する。考えなければならないことはたくさんあったし、思い出すことはそれ以上にあった。窓の外の景色を黙って見ていたかった。そうして、あのハイウェイの角でまだ赤ん坊だった長女が大泣きしたことや、これから帰る、ベッドのマットレスとソファ、洗濯機と乾燥機以外は、大きなスーツケースが開け放たれているだけの、空っぽの部屋のこと、どこかに帰る当てもないくせに、日本に帰りたい、帰りたいと無為に過ごしてしまったアメリカでの最後の数年間のこと、そして明後日、ようやく待ち望んだはずの帰国を前にして、本当はそこまで帰りたいわけではないのではないか、自分が求めていたのは帰ることではなく、ただ、ここではないどこかに行きたいだけだったのではないかと疑うような気持ちになったこと、そんな思い浮かんでくるあれこれを、車窓に消えていくにまかせていたかった。
車はチャペルヒルの家に近づいていた。
今日のこれからの予定は? 運転手からの何度目かの質問に、私は車内に引き戻される。
部屋の片付け。ゴミも捨てなきゃ。あと、友達の家族が来てるから、一緒にハンバーガーでも食べるかも。アルズバーガー、美味しいから。テイクアウトしようかな。
長女のプリスクールの友人の日本人家族で、最後まで捨てられずに残った調味料や食材、雑貨を全てもらっていってくれた。
このあと予定はあるの? 誰か乗せるの? 私が質問する番だった。
コンサートのチケットもらったから、夜に行こうかと思って。なんて名前だっけな。知らない人だった。えっと、あ、ハービー・ハンコックだ。知ってる? 動画で見たんだけど、ピアノ弾く人。まあまあ良さそうだから、行ってみるよ。途中で眠くなったら、帰ればいいし。
ハービー・ハンコック! レジェンドだよ! きっと行った方がいい!
こうしてこの日一番の声が出た頃、車は大学寮のロータリーに滑り込んだ。
沖縄に来てからも、ふとした瞬間に、あの名も知らぬアーティストのコンサートを聴きに行った黒人青年との車内を思い出してしまう。彼のその後を想像してしまう。果たしてハービー・ハンコックはどんな曲を演奏したのだろうか、青年はライブを楽しめたんだろうか、途中で帰らなかっただろうか、彼に会うことがあったら、今度は私が彼を質問攻めにしてしまうだろう。もっとも、私にしたって、特段ハービー・ハンコックに詳しいわけでも、彼の音楽の忠実なリスナーというわけでもなかった。名前以上のことで知っていたのは、彼がマイルス・デイヴィスのグループに在籍していたことや――マイルスは最大の賛辞を送っている。「ハービーは、バド・パウエルとセロニアス・モンクから、一歩前進していたんだ。あんな奴、ハービーの後に一人も現れていない」(『マイルス・デイヴィス自伝』、335頁)――、『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』で抜群の演奏を残していたことくらいで、レコードも持っていないし、彼がまだライブをしていることに驚いたくらいだった。
それでも私はここ最近、あの青年の言葉を何か契機のように思い出しては、ジャズを聴いている。そのジャズとは、たとえばジェイムズ・ボールドウィンがこのように書く類のものである。「あらゆるジャズは、とくにブルースは、激しくて、皮肉で、威厳があって、両刃の鋭さがある」(『次は火だ』弘文堂、34頁)。私はジャズの反復と、その僅かな変奏に何か希望に近いものを見出しているのかもしれない。
そういえばつい最近、沖縄のあるリサイクルショップで、誰かの、きっとその人にとってはある完全性を体現していたコレクションを、処分に困った周りの人間がそのまま持ち込んだようなジャズのレコードが何枚も売り出されているのを見つけた。思わずマイルスやコルトレーンなど何枚かサルヴェージ――レコードを買うことの翻訳性についてピッタリの言葉だ――した。次行くときは、ハービー・ハンコックがないか探してみよう。
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第1回きっと私たちが会うことはもうないだろう Allen Toussaint “Life, Love, and Faith”
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第2回手に届きそうな三日月が空に浮かんでいる──Ry Cooder “Paradise and Lunch”
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第3回我が家にレコードプレイヤーがやってきた──Leon Redbone “Double Time”
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第4回「本質的な簡素さ」の歌声──Mavis Staples “We’ll Never Turn Back”
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第6回とうとう会得した自由が通底している
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第7回クリスマスのレコードはボイコットする
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第8回その日はあいにく空いてなくてね──Bobby Charles, “Save Me Jesus”
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第9回それが自由でなくてなんなのだろう──Aretha Franklin, “Amazing Grace”
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第10回過去とはつながれていない誰かに──Keith Jarrett,”My Song”