ぼくの場合には、あれはおととしの横須賀であった原潜闘争の時のことなんですけれども、要するにデモが前でつまずいたわけですよね。まあドジな話で。それでころんで、逃げてくるときだから、五、六人バタバタバタと上へ乗って、全然自分であがいても逃げられない。けっきょく、そのとき女の子が一人きて、肩へ手を入れて引っ張ってもらうとズルっと抜けたんです。けれど自分では全然動けない。その時、「ああ死ぬのか、めんどうくせえや、死んでやろう」と思っただけの話です[1]。
こう語るのは、若き日の呉智英(新崎智)である。トロツキー翻訳者の栗田勇の対談集に収められた座談会での発言である。他のメンバーは、氏原工作、清水昶、金井美恵子、佐藤信である。早大闘争の頃の呉については、民青の活動家であった宮崎学『突破者』の記述がある[2]。
対談集と同年の1968年に刊行された石子順造、梶井純、菊地浅次郎(山根貞男)、権藤晋によるマンガ評論誌『漫画主義』に呉智英は投稿している。ジョージ秋山のギャグ漫画『パットマンX』についての短い論考である。興味深いことに、呉が一貫して取り組むことになる「知識人と大衆」の問題がすでに扱われている。
主人公の小学生「ちん平」は正義の使者「パットマンX」に変身するが、失敗ばかりを繰り返す。そんな「ドヂ」な「ちん平」に「心から共感をもち、それ故にケンオをこめた憎悪を感じる」[3]という。「バカ」と「ドヂ」はまったく異なるものだ。「バカ」がバカなことをしたときに笑ってしまうのは、「自分はバカではないという安心からでた笑いであり、バカに対するケイベツである」[4]。「バカ」は「本来すべきことを期待できない」のに対して、「ドヂ」とは「本質的に本来すべきであることをしない」というものである。
「ドヂ」に対する笑いは「バカに対する笑いよりもはるかに強度のケイベツと、そして憎悪を内包している」。ちん平が正義の使者として登場する際の、子供たちのおなじみの台詞「あそびのジャマをしないでくれよ」は、パットマンXが「ドヂったときにケイベツの笑いとなって爆発する」のである。
「バカ」とは大衆であり、「ドヂ」とは知識人である、と言い換えられる。知識人=「ドヂ」への笑いが、大衆=「バカ」への笑いよりも、「憎悪」や「ケイベツ」をより多く含むのは、庶民特有の「残酷さ」があるからである。呉智英は次のように述べている。
権力や支配者が弾圧する時は必ず庶民を手先に使う。関東大震災の弾圧、南京大虐殺等々、丸山真男、吉本隆明が指摘しているように、それほどまでに庶民は残酷なのである。白土〔三平〕の指摘「平和そうに見える大自然の中も一度皮をひんむけば、食うか食われるかの闘いが秘められている」を適用すれば、ファシストにひきいられるあわれな小羊どもも、一把の草をめぐってセイサンな闘いをしている。
ちょっと真面目に生きてみれば、すこしまともな目をもっていたらこんなことは誰にもわかるはずなのだ。そしてパットマンXが、悲しげな顔をして、足動スクーターをぎいこぎいことひいて帰ってゆく悲しみもわかるはずなのだ。〈苦痛〉を知らない人なら、まずパットマンXを見てはげしい憎しみを感ずるだろう。〈苦痛〉を知っている人はパットマンXを見て泣かざるをえまい。そのどちらでもない奴がこれを見てヘラヘラ笑っていやがる[5]。
呉智英はジョージ秋山の『テンズレ』にも言及している。「唯物史観」の影響がしばしば指摘された白土三平の『ワタリ』のパロディマンガであり、「テンズレ」=「テンポがズレている」忍者が主人公である。「テンズレ」であることへの着目は、後年の白土三平への評価に通底している。
『現代マンガの全体像』で呉智英は次のように書いている。白土は「歴史の流れの峻厳さをみすえた上で、なお歴史の流れにとって不条理である人間を描こうとしている」のであり[6]、たとえば『カムイ外伝』の竜之進は「支配階級の出身でありながら、その立場に疑問を持ち、しかし庶民にもなり切れず、支配階級からも追われる身」であり、「歴史の必然性からはずれた不条理な立場をも、決断を以て選び、生きていかなければならない」とされる[7]。つまり、歴史のテンポからズレているというわけだ。
呉智英によれば、知識人は「ドヂ」であることを免れず、「テンズレ」であることを宿命づけられた存在である。もちろん、これは左翼にかぎった話ではない。いまなお、政治運動にコミットする知識人の「ドヂ」っぷりは、物笑いの種になる。
さて、冒頭の引用にあるように、「ドヂ」な学生活動家であった呉智英は、パットマンXの痛苦を知る人間である。しかし、「心から共感をもち、それ故にケンオをこめた憎悪を感じる」というアンビヴァレンツな感情が記されるように、知識人になりきれず、かといって大衆にもなれない中途半端な学生でしかない。しかし、それゆえに、ますます「歴史の必然性」に身を捧げようとし、あるいは、いっそう「大衆」や「庶民」になりきろうとする。そして、彼らの「ドヂ」っぷりはさらに加速していく。
「ドヂ」であること、「テンズレ」であることは、「プチブル急進主義」とも言い換えられる。プチブルジョワジーとは、生産手段を所有するブルジョワジーと生産手段を所有しないプロレタリアートの中間にいる階級である。わずかながらも生産手段を所有し自立した農民や商店主、知識や教養もまた生産手段とみなされるために専門家や知識人、ホワイトカラーも含まれる。むやみやたらと急進化するので、しばしば侮蔑語としても用いられてきた。
呉智英は批評家の絓秀実と次のような対談を行っている。
絓 〔…〕新左翼がある程度問題提起した戦後批判、戦後民主主義批判というものを、保守派が繰り込んだ形で、進歩的な、戦後民主主義的メディアに対する批判をやってるんじゃないか。つまり、新左翼のだらしなさみたいなのがひとつの原因としてあると思うんですよね。
呉 七〇年代っていうのが、ひとつの転換期ですね。新左翼は問題だけを突き出して置いて、自分たちは崩壊してしまったというね、突き出しておいて……
絓 津村喬の問題だ。(笑)
呉 津村の問題なんだよな。で、突き出しておいて、その後残った問題が、体制側に繰り込まれているっていうこと。だから七〇年代以降の状況ってのは、やはりそれまでとは違ったものが明白に出てるって気がするんだよね[8]
津村喬には以下のような注が付けられている。文体からして絓による文章だろう。
反差別論は、つまるところ厳格な(古典左翼的)倫理主義と結びつく。七〇年を境として反差別が新左翼の課題となっていったとき、全共闘のアナーキーな高揚を担ったノンセクト・ラディカルが、津村的反差別論を嫌って運動から離れていったのもゆえなしとしない。彼らはある意味では、津村から「人民」に依拠しないプチブル急進主義であると言われて排除されていったのだが、しかし、文革をはじめとする「人民」闘争の欺瞞が暴露されつつあるとき、全共闘の人民「闘争」への改変は果たして正しかったのかどうか──改めて問われる必要がある[9]。
1968年の学生運動への評価に先鞭をつけた絓秀実だが、ざっくりいうと、彼の評価の路線はふたつに分けられる。ひとつは、党派に属さない活動家たち=「ノンセクト・ラジカル」による「アナーキーな高揚」、つまり「プチブル急進主義」である。もうひとつは、津村喬らによって新左翼に導入された「反差別論」である。先に引用した注では「反差別論」に対して「プチブル急進主義」が評価されたことは明らかである。
「プチブル急進主義」と「反差別論」をめぐっては絓自身にも揺らぎがある。たとえば『「超」言葉狩り宣言』(1994)、『革命的な、あまりに革命的な』(2003)では「反差別論」が強調される。いっぽうで『小ブル急進主義批評宣言』(1998)、『JUNKの逆襲』(2003)においては「プチブル急進主義」が重視される。その理由は、天皇制をふくむ「戦後民主主義」の評価にかかわる。当初、津村喬の反差別論は戦後民主主義への批判が含意されていたが、しかし、その後「ポリティカル・コレクトネス」として戦後民主主義に親和的となっていったからだ。「差別はいけない」と天皇みずから語りかけるのが、平成の天皇制であった。結果、2018年に刊行された『増補版 革命的な、あまりに革命的な』の「付論 戦後-天皇制-民主主義をめぐる闘争」においては、全共闘の「アナーキーな高揚」、「プチブル急進主義」をふたたび評価するにいたっている。
さて、「人権思想・民主主義」を否定する呉智英の「封建主義」が、全共闘の「戦後民主主義批判」を受け継いでいることは明らかである。しかし、かつて「ドヂ」「テンズレ」として語った「プチブル急進主義」は否定している。前回取り上げた「すべからく」=「須く」論争は「プチブル急進主義」を批判するものといえる。呉智英の批判の要点は、「すべからく」を「すべて」の高級表現として誤用するものは「反権威を大義名分にする権威亡者」である、というものだった。
論争相手の上野昻志が指摘するように、ここで呉智英はエーリッヒ・フロム『自由からの逃走』を念頭に置いている[10]。よく知られるように、共同体から解放された個人は、みずからの「自由」に不安を覚え、「権威」に服従してしまう。このような「権威主義的パーソナリティ」は、第一次世界大戦後の経済危機によって没落し、その後ナチズムを熱烈に支持するにいたった「小さな商店主、職人、ホワイトカラー労働者」などの「下層中産階級」[11]に見出せる、というものだった。
ここで注意すべきは、「権威主義的パーソナリティ」は権威に服従するだけではない、ということだ。「権威主義的パーソナリティ」は、「権威に挑戦し、『上から』のどのような影響にも反感をもつ傾向」を持ち、「つねにどのような権威にも──じっさいにはかれの利益を助長し、抑圧の要素をもたない権威にも反逆する」のである。つまり、「心理的には彼らは結局反逆者である」[12]のだ。もちろん、彼らは決して「革命的」ではなく、単なる「反逆者」に過ぎないのだが。
呉智英はフロムのファシズム分析を知識人論として読み替えた。全共闘の学生は大学の大衆社会化によって生まれた「プチブルジョワジー」階級であった。彼らの急進主義はみずからの没落の不安に駆られたものでしかない。「戦後民主主義」を批判しようとも、結局のところ、その枠内にとどまる「反権威を大義名分にする権威亡者」に過ぎない、というわけである。一見「インテリ」に見えるジャーナリズムや知識人に対しては、「誤用」といった教養のなさを指摘することで、所詮はさもしい「民主心」を持つバカ、丸山真男の言い方を借りれば「亜インテリ」にすぎないと暴露する、といえよう。彼らは民主主義を批判しつつも、ファシズムやスターリニズムといった全体主義を招き寄せるものでしかない。それゆえ、呉智英は封建主義者を掲げるのである。
呉智英はジョージ秋山について次のような文章を書いている。呉智英の変遷がよくわかるので、少し長いが、引用しよう。
私が慈悲や憐れみの意味に気づいたのは、学生時代、あるマンガを読んでのことであった。
ジョージ秋山という個性的なマンガ家がいる。いくつも物議を醸す作品を描いているが、一九七〇年に「少年マガジン」に連載された『アシュラ』も人肉食のシーンが通俗良識家の批判の的になった。アシュラは戦乱と飢餓が続く中世に私生児として生まれた。母は子供を抱え、飢えに苦しみ、とうとう我が子アシュラを食おうとする。偶然助かったアシュラは、父から母からも捨てられ、文字通り阿修羅のように生きていく。こんな話である。阿修羅とは仏教語で人間と畜生(動物)の中間に位置する存在である。アシュラは人間としての誇りも品性もなく、生きるためには何でもする。その浅ましくも哀れな姿を見て、僧が言う、「ふびんなやつ」。また、琵琶法師も言う、「あわれじゃなわいな」。これは社会の下層にうごめく人に言ってはいけない言葉ではないか。一瞬、私はそう思いかけた。当時の良識は私にも浸透していた。今で言う「上からの目線」の言葉だったからである。だが、私はこの僧たちの言葉に少しの不快感も覚えず、むしろ感動していたのである。
当時既に社会運動の中で、偽善的な「させていただく」主義が唱えられていた。私はこの卑屈さに強い違和感と嫌悪感を持っていた。この卑屈さはいずれ平準化圧力に迎合し、逆に差別や格差を隠蔽する役割すら果たすだろうと言う予感があった。それに対抗できる思想として仏教があるかもしれないと漠然と思った。この直感は正しかったと思っている。[13]
いうまでもなく、偽善的な「させていただく」主義とは、津村喬の反差別闘争を指す。
前回の連載で見たように、私たちは人間と動物を「連続的なスケール」で捉え始めている。私たちは「人間」と「畜生」のあいだに立つ「阿修羅」である。みずからを「阿修羅」と見なすことは、これまで近代的な「人間」と見なされなかった存在が権利を獲得することを可能にした。しかし、その「返す刀」で別の差異や違いを際立たせる視線を生み出した。「阿修羅」の矛盾である。もちろん、大衆社会化とは「動物化」(東浩紀)にほかならず、呉智英は大衆=バカを憐み、軽蔑し、笑うことに傾斜していったといえよう。ドヂからバカへ、である。
ところで、近年、エーリッヒ・フロムが示した「権威主義的パーソナリティ」の図式は、ネット右翼やポピュリズムの分析においてしばしば見出される。直接言及したものとしては社会学者の宮台真司がいるが[14]、ほかにもいくつか例をあげよう。
この連載でも取り上げた『ネット右派の歴史社会学』において、「ネット右翼」とは「権威主義」と「反権威主義」の「野合」であることが指摘されている。たとえば、小林よしのりといった「サブカル保守」は、「反リベラル市民」という「反権威主義」でありながらも、結局のところ、「大東亜戦争」を肯定するような「バックラッシュ保守」という「権威主義」に取り込まれた、という見立てである[15]。そして、ネット右翼がかつてイメージされてきた「底辺層」ではないことはよく知られる。もちろん、生活に最低限の余裕がなければ、デモにも行けないし、ネットにも書き込めないから、それは当然である。「権威主義」と「反権威主義」の「野合」とプチブル階級以上の運動という点で、フロムが示した「権威主義的パーソナリティ」の図式に当てはまる。
スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙』のポピュリズムの分析にも同じ図式が見出される。ピンカーによれば、トランプ政権といったポピュリズムの支持者や人種差別主義者は、グローバル資本主義がもたらした「リベラル」な価値観を理解できず「疎外感」をもつ人々である。そして、彼らは「肉体労働者」といった「底辺」ではなく、「自営の商人」や「小規模企業の事業主」という「プチ・ブルジョワ階級」であり、「年配で、信心深く、地方にすみ、学歴はそれほど高くなく、人種的マジョリティに属する男性」である[16]。彼らは経済競争ではなく文化競争の「敗者」であり、それゆえリベラルの価値観を否定する「権威主義」に傾倒するのである。
「ネット右翼」も「ポピュリズム」も権威主義的パーソナリティの問題である。呉智英がこれらの事象に批判的なのは当然といえよう。もちろん、彼らは「亜インテリ」と呼ばれる存在ではある。しかし、全共闘運動が大学の大衆化という知的権威の低下によって引き起こされたことを考えれば、それはプチブル急進主義の問題でもある。
バカなのか、ドヂなのか、は未決の問題である。
(つづく)
[1] 栗田勇『青春の軌跡―対談 その思想と情念』三一書房、1968年、p.216
[2] 宮崎学『突破者──戦後史の陰を駆け抜けた五〇年』南風社、1996年、pp.98-101
[3] 新崎智「パットマンXの痛苦を知れ」『漫画主義』4号、「漫画主義」編集委員会、1968年、p.43
[4] 同前、p.44
[5] 同前、p.45
[6] 呉智英『現代マンガの全体像』双葉社、1997年、p.232
[7] 同前、p.234
[8] 『別冊宝島 保守反動思想家に学ぶ本』JICC出版局、1985年、p.133
[9] 同前p.133-134
[10] 呉智英『バカにつける薬』双葉社、1988年、p.65
[11] エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』日高六郎訳、東京創元社、1951年p.234
[12] フロム『自由からの逃走』、p.187-188
[13] 呉智英『つぎはぎ仏教入門』筑摩書房、2016年、p.202
[14] 宮台真司「第三章 アートこそ社会の基本だ」『音楽が聴けなくなる日』集英社、2020年
[15] 伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学──アンダーグラウンド平成史1990-2000年代』青弓社、2019年、p.147
[16] スティーブン・ピンカー 『21世紀の啓蒙──理性、科学、ヒューマニズム、進歩(下)』橘明美他訳、草思社、2019年、p.216
批評家。1988年生まれ。元出版社勤務。詩と批評『子午線』同人。論考に「谷川雁の原子力」(『現代詩手帖』2014年8-10月)「原子力の神―吉本隆明の宮沢賢治」(『メタポゾン』11)など。その他、『週刊読書人』や『現代ビジネス』などに寄稿。新刊『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)が発売中。twitter