第8回 ドヂとバカ──呉智英のジョージ秋山

左翼が本来持っていたダイナミズムが失われて久しい。いまや自壊した左翼は「大同団結」を唱え、そのための合言葉を探すだけの存在になってしまった。怠惰な団結をきれいに分離し、硬直した知性に見切りをつけ、横断的なつながりを模索すること。革命の精神を見失った左翼に代わって、別の左翼(オルタナレフト)を生み出すこと。それがヘイト、分断、格差にまみれた世界に生きる我々の急務ではないか。いま起きているあまたの政治的、思想的、社会的事象から、あたらしい左翼の可能性をさぐる連載評論。

ぼくの場合には、あれはおととしの横須賀であった原潜闘争の時のことなんですけれども、要するにデモが前でつまずいたわけですよね。まあドジな話で。それでころんで、逃げてくるときだから、五、六人バタバタバタと上へ乗って、全然自分であがいても逃げられない。けっきょく、そのとき女の子が一人きて、肩へ手を入れて引っ張ってもらうとズルっと抜けたんです。けれど自分では全然動けない。その時、「ああ死ぬのか、めんどうくせえや、死んでやろう」と思っただけの話です[1]

こう語るのは、若き日の呉智英(新崎智)である。トロツキー翻訳者の栗田勇の対談集に収められた座談会での発言である。他のメンバーは、氏原工作、清水昶、金井美恵子、佐藤信である。早大闘争の頃の呉については、民青の活動家であった宮崎学『突破者』の記述がある[2]

対談集と同年の1968年に刊行された石子順造、梶井純、菊地浅次郎(山根貞男)、権藤晋によるマンガ評論誌『漫画主義』に呉智英は投稿している。ジョージ秋山のギャグ漫画『パットマンX』についての短い論考である。興味深いことに、呉が一貫して取り組むことになる「知識人と大衆」の問題がすでに扱われている。

主人公の小学生「ちん平」は正義の使者「パットマンX」に変身するが、失敗ばかりを繰り返す。そんな「ドヂ」な「ちん平」に「心から共感をもち、それ故にケンオをこめた憎悪を感じる」[3]という。「バカ」と「ドヂ」はまったく異なるものだ。「バカ」がバカなことをしたときに笑ってしまうのは、「自分はバカではないという安心からでた笑いであり、バカに対するケイベツである」[4]。「バカ」は「本来すべきことを期待できない」のに対して、「ドヂ」とは「本質的に本来すべきであることをしない」というものである。

「ドヂ」に対する笑いは「バカに対する笑いよりもはるかに強度のケイベツと、そして憎悪を内包している」。ちん平が正義の使者として登場する際の、子供たちのおなじみの台詞「あそびのジャマをしないでくれよ」は、パットマンXが「ドヂったときにケイベツの笑いとなって爆発する」のである。

「バカ」とは大衆であり、「ドヂ」とは知識人である、と言い換えられる。知識人=「ドヂ」への笑いが、大衆=「バカ」への笑いよりも、「憎悪」や「ケイベツ」をより多く含むのは、庶民特有の「残酷さ」があるからである。呉智英は次のように述べている。

権力や支配者が弾圧する時は必ず庶民を手先に使う。関東大震災の弾圧、南京大虐殺等々、丸山真男、吉本隆明が指摘しているように、それほどまでに庶民は残酷なのである。白土〔三平〕の指摘「平和そうに見える大自然の中も一度皮をひんむけば、食うか食われるかの闘いが秘められている」を適用すれば、ファシストにひきいられるあわれな小羊どもも、一把の草をめぐってセイサンな闘いをしている。

ちょっと真面目に生きてみれば、すこしまともな目をもっていたらこんなことは誰にもわかるはずなのだ。そしてパットマンXが、悲しげな顔をして、足動スクーターをぎいこぎいことひいて帰ってゆく悲しみもわかるはずなのだ。〈苦痛〉を知らない人なら、まずパットマンXを見てはげしい憎しみを感ずるだろう。〈苦痛〉を知っている人はパットマンXを見て泣かざるをえまい。そのどちらでもない奴がこれを見てヘラヘラ笑っていやがる[5]

呉智英はジョージ秋山の『テンズレ』にも言及している。「唯物史観」の影響がしばしば指摘された白土三平の『ワタリ』のパロディマンガであり、「テンズレ」=「テンポがズレている」忍者が主人公である。「テンズレ」であることへの着目は、後年の白土三平への評価に通底している。

『現代マンガの全体像』で呉智英は次のように書いている。白土は「歴史の流れの峻厳さをみすえた上で、なお歴史の流れにとって不条理である人間を描こうとしている」のであり[6]、たとえば『カムイ外伝』の竜之進は「支配階級の出身でありながら、その立場に疑問を持ち、しかし庶民にもなり切れず、支配階級からも追われる身」であり、「歴史の必然性からはずれた不条理な立場をも、決断を以て選び、生きていかなければならない」とされる[7]。つまり、歴史のテンポからズレているというわけだ。

呉智英によれば、知識人は「ドヂ」であることを免れず、「テンズレ」であることを宿命づけられた存在である。もちろん、これは左翼にかぎった話ではない。いまなお、政治運動にコミットする知識人の「ドヂ」っぷりは、物笑いの種になる。

さて、冒頭の引用にあるように、「ドヂ」な学生活動家であった呉智英は、パットマンXの痛苦を知る人間である。しかし、「心から共感をもち、それ故にケンオをこめた憎悪を感じる」というアンビヴァレンツな感情が記されるように、知識人になりきれず、かといって大衆にもなれない中途半端な学生でしかない。しかし、それゆえに、ますます「歴史の必然性」に身を捧げようとし、あるいは、いっそう「大衆」や「庶民」になりきろうとする。そして、彼らの「ドヂ」っぷりはさらに加速していく。

「ドヂ」であること、「テンズレ」であることは、「プチブル急進主義」とも言い換えられる。プチブルジョワジーとは、生産手段を所有するブルジョワジーと生産手段を所有しないプロレタリアートの中間にいる階級である。わずかながらも生産手段を所有し自立した農民や商店主、知識や教養もまた生産手段とみなされるために専門家や知識人、ホワイトカラーも含まれる。むやみやたらと急進化するので、しばしば侮蔑語としても用いられてきた。

呉智英は批評家の絓秀実と次のような対談を行っている。

絓 〔…〕新左翼がある程度問題提起した戦後批判、戦後民主主義批判というものを、保守派が繰り込んだ形で、進歩的な、戦後民主主義的メディアに対する批判をやってるんじゃないか。つまり、新左翼のだらしなさみたいなのがひとつの原因としてあると思うんですよね。

呉 七〇年代っていうのが、ひとつの転換期ですね。新左翼は問題だけを突き出して置いて、自分たちは崩壊してしまったというね、突き出しておいて……

絓 津村喬の問題だ。(笑)

呉 津村の問題なんだよな。で、突き出しておいて、その後残った問題が、体制側に繰り込まれているっていうこと。だから七〇年代以降の状況ってのは、やはりそれまでとは違ったものが明白に出てるって気がするんだよね[8]

津村喬には以下のような注が付けられている。文体からして絓による文章だろう。

反差別論は、つまるところ厳格な(古典左翼的)倫理主義と結びつく。七〇年を境として反差別が新左翼の課題となっていったとき、全共闘のアナーキーな高揚を担ったノンセクト・ラディカルが、津村的反差別論を嫌って運動から離れていったのもゆえなしとしない。彼らはある意味では、津村から「人民」に依拠しないプチブル急進主義であると言われて排除されていったのだが、しかし、文革をはじめとする「人民」闘争の欺瞞が暴露されつつあるとき、全共闘の人民「闘争」への改変は果たして正しかったのかどうか──改めて問われる必要がある[9]

1968年の学生運動への評価に先鞭をつけた絓秀実だが、ざっくりいうと、彼の評価の路線はふたつに分けられる。ひとつは、党派に属さない活動家たち=「ノンセクト・ラジカル」による「アナーキーな高揚」、つまり「プチブル急進主義」である。もうひとつは、津村喬らによって新左翼に導入された「反差別論」である。先に引用した注では「反差別論」に対して「プチブル急進主義」が評価されたことは明らかである。

「プチブル急進主義」と「反差別論」をめぐっては絓自身にも揺らぎがある。たとえば『「超」言葉狩り宣言』(1994)、『革命的な、あまりに革命的な』(2003)では「反差別論」が強調される。いっぽうで『小ブル急進主義批評宣言』(1998)、『JUNKの逆襲』(2003)においては「プチブル急進主義」が重視される。その理由は、天皇制をふくむ「戦後民主主義」の評価にかかわる。当初、津村喬の反差別論は戦後民主主義への批判が含意されていたが、しかし、その後「ポリティカル・コレクトネス」として戦後民主主義に親和的となっていったからだ。「差別はいけない」と天皇みずから語りかけるのが、平成の天皇制であった。結果、2018年に刊行された『増補版 革命的な、あまりに革命的な』の「付論 戦後-天皇制-民主主義をめぐる闘争」においては、全共闘の「アナーキーな高揚」、「プチブル急進主義」をふたたび評価するにいたっている。

さて、「人権思想・民主主義」を否定する呉智英の「封建主義」が、全共闘の「戦後民主主義批判」を受け継いでいることは明らかである。しかし、かつて「ドヂ」「テンズレ」として語った「プチブル急進主義」は否定している。前回取り上げた「すべからく」=「須く」論争は「プチブル急進主義」を批判するものといえる。呉智英の批判の要点は、「すべからく」を「すべて」の高級表現として誤用するものは「反権威を大義名分にする権威亡者」である、というものだった。

論争相手の上野昻志が指摘するように、ここで呉智英はエーリッヒ・フロム『自由からの逃走』を念頭に置いている[10]。よく知られるように、共同体から解放された個人は、みずからの「自由」に不安を覚え、「権威」に服従してしまう。このような「権威主義的パーソナリティ」は、第一次世界大戦後の経済危機によって没落し、その後ナチズムを熱烈に支持するにいたった「小さな商店主、職人、ホワイトカラー労働者」などの「下層中産階級」[11]に見出せる、というものだった。

ここで注意すべきは、「権威主義的パーソナリティ」は権威に服従するだけではない、ということだ。「権威主義的パーソナリティ」は、「権威に挑戦し、『上から』のどのような影響にも反感をもつ傾向」を持ち、「つねにどのような権威にも──じっさいにはかれの利益を助長し、抑圧の要素をもたない権威にも反逆する」のである。つまり、「心理的には彼らは結局反逆者である」[12]のだ。もちろん、彼らは決して「革命的」ではなく、単なる「反逆者」に過ぎないのだが。

呉智英はフロムのファシズム分析を知識人論として読み替えた。全共闘の学生は大学の大衆社会化によって生まれた「プチブルジョワジー」階級であった。彼らの急進主義はみずからの没落の不安に駆られたものでしかない。「戦後民主主義」を批判しようとも、結局のところ、その枠内にとどまる「反権威を大義名分にする権威亡者」に過ぎない、というわけである。一見「インテリ」に見えるジャーナリズムや知識人に対しては、「誤用」といった教養のなさを指摘することで、所詮はさもしい「民主心」を持つバカ、丸山真男の言い方を借りれば「亜インテリ」にすぎないと暴露する、といえよう。彼らは民主主義を批判しつつも、ファシズムやスターリニズムといった全体主義を招き寄せるものでしかない。それゆえ、呉智英は封建主義者を掲げるのである。

呉智英はジョージ秋山について次のような文章を書いている。呉智英の変遷がよくわかるので、少し長いが、引用しよう。

私が慈悲や憐れみの意味に気づいたのは、学生時代、あるマンガを読んでのことであった。

ジョージ秋山という個性的なマンガ家がいる。いくつも物議を醸す作品を描いているが、一九七〇年に「少年マガジン」に連載された『アシュラ』も人肉食のシーンが通俗良識家の批判の的になった。アシュラは戦乱と飢餓が続く中世に私生児として生まれた。母は子供を抱え、飢えに苦しみ、とうとう我が子アシュラを食おうとする。偶然助かったアシュラは、父から母からも捨てられ、文字通り阿修羅のように生きていく。こんな話である。阿修羅とは仏教語で人間と畜生(動物)の中間に位置する存在である。アシュラは人間としての誇りも品性もなく、生きるためには何でもする。その浅ましくも哀れな姿を見て、僧が言う、「ふびんなやつ」。また、琵琶法師も言う、「あわれじゃなわいな」。これは社会の下層にうごめく人に言ってはいけない言葉ではないか。一瞬、私はそう思いかけた。当時の良識は私にも浸透していた。今で言う「上からの目線」の言葉だったからである。だが、私はこの僧たちの言葉に少しの不快感も覚えず、むしろ感動していたのである。

当時既に社会運動の中で、偽善的な「させていただく」主義が唱えられていた。私はこの卑屈さに強い違和感と嫌悪感を持っていた。この卑屈さはいずれ平準化圧力に迎合し、逆に差別や格差を隠蔽する役割すら果たすだろうと言う予感があった。それに対抗できる思想として仏教があるかもしれないと漠然と思った。この直感は正しかったと思っている。[13]

いうまでもなく、偽善的な「させていただく」主義とは、津村喬の反差別闘争を指す。

前回の連載で見たように、私たちは人間と動物を「連続的なスケール」で捉え始めている。私たちは「人間」と「畜生」のあいだに立つ「阿修羅」である。みずからを「阿修羅」と見なすことは、これまで近代的な「人間」と見なされなかった存在が権利を獲得することを可能にした。しかし、その「返す刀」で別の差異や違いを際立たせる視線を生み出した。「阿修羅」の矛盾である。もちろん、大衆社会化とは「動物化」(東浩紀)にほかならず、呉智英は大衆=バカを憐み、軽蔑し、笑うことに傾斜していったといえよう。ドヂからバカへ、である。

ところで、近年、エーリッヒ・フロムが示した「権威主義的パーソナリティ」の図式は、ネット右翼やポピュリズムの分析においてしばしば見出される。直接言及したものとしては社会学者の宮台真司がいるが[14]、ほかにもいくつか例をあげよう。

この連載でも取り上げた『ネット右派の歴史社会学』において、「ネット右翼」とは「権威主義」と「反権威主義」の「野合」であることが指摘されている。たとえば、小林よしのりといった「サブカル保守」は、「反リベラル市民」という「反権威主義」でありながらも、結局のところ、「大東亜戦争」を肯定するような「バックラッシュ保守」という「権威主義」に取り込まれた、という見立てである[15]。そして、ネット右翼がかつてイメージされてきた「底辺層」ではないことはよく知られる。もちろん、生活に最低限の余裕がなければ、デモにも行けないし、ネットにも書き込めないから、それは当然である。「権威主義」と「反権威主義」の「野合」とプチブル階級以上の運動という点で、フロムが示した「権威主義的パーソナリティ」の図式に当てはまる。

スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙』のポピュリズムの分析にも同じ図式が見出される。ピンカーによれば、トランプ政権といったポピュリズムの支持者や人種差別主義者は、グローバル資本主義がもたらした「リベラル」な価値観を理解できず「疎外感」をもつ人々である。そして、彼らは「肉体労働者」といった「底辺」ではなく、「自営の商人」や「小規模企業の事業主」という「プチ・ブルジョワ階級」であり、「年配で、信心深く、地方にすみ、学歴はそれほど高くなく、人種的マジョリティに属する男性」である[16]。彼らは経済競争ではなく文化競争の「敗者」であり、それゆえリベラルの価値観を否定する「権威主義」に傾倒するのである。

「ネット右翼」も「ポピュリズム」も権威主義的パーソナリティの問題である。呉智英がこれらの事象に批判的なのは当然といえよう。もちろん、彼らは「亜インテリ」と呼ばれる存在ではある。しかし、全共闘運動が大学の大衆化という知的権威の低下によって引き起こされたことを考えれば、それはプチブル急進主義の問題でもある。

バカなのか、ドヂなのか、は未決の問題である。

(つづく)

[1] 栗田勇『青春の軌跡―対談 その思想と情念』三一書房、1968年、p.216

[2] 宮崎学『突破者──戦後史の陰を駆け抜けた五〇年』南風社、1996年、pp.98-101

[3] 新崎智「パットマンXの痛苦を知れ」『漫画主義』4号、「漫画主義」編集委員会、1968年、p.43

[4] 同前、p.44

[5] 同前、p.45

[6] 呉智英『現代マンガの全体像』双葉社、1997年、p.232

[7] 同前、p.234

[8] 『別冊宝島 保守反動思想家に学ぶ本』JICC出版局、1985年、p.133

[9] 同前p.133-134

[10] 呉智英『バカにつける薬』双葉社、1988年、p.65

[11] エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』日高六郎訳、東京創元社、1951年p.234

[12] フロム『自由からの逃走』、p.187-188

[13] 呉智英『つぎはぎ仏教入門』筑摩書房、2016年、p.202

[14] 宮台真司「第三章 アートこそ社会の基本だ」『音楽が聴けなくなる日』集英社、2020年

[15] 伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学──アンダーグラウンド平成史1990-2000年代』青弓社、2019年、p.147

[16] スティーブン・ピンカー 『21世紀の啓蒙──理性、科学、ヒューマニズム、進歩(下)』橘明美他訳、草思社、2019年、p.216

批評家。1988年生まれ。元出版社勤務。詩と批評『子午線』同人。論考に「谷川雁の原子力」(『現代詩手帖』2014年8-10月)「原子力の神―吉本隆明の宮沢賢治」(『メタポゾン』11)など。その他、『週刊読書人』や『現代ビジネス』などに寄稿。新刊『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)が発売中。twitter

第7回 呉智英の徳倫理と「すべからく」論争

左翼が本来持っていたダイナミズムが失われて久しい。いまや自壊した左翼は「大同団結」を唱え、そのための合言葉を探すだけの存在になってしまった。怠惰な団結をきれいに分離し、硬直した知性に見切りをつけ、横断的なつながりを模索すること。革命の精神を見失った左翼に代わって、別の左翼(オルタナレフト)を生み出すこと。それがヘイト、分断、格差にまみれた世界に生きる我々の急務ではないか。いま起きているあまたの政治的、思想的、社会的事象から、あたらしい左翼の可能性をさぐる連載評論。

アーキテクチャー論も当事者研究も、それほど賢くもなく、強くもない、傷つきやすく弱い人間を前提としていた。社会学者の稲葉振一郎が指摘するとおり、「現実の人間はともすれば弱く傷つきやすく、十分な「徳」を備えてはいない、かといって全く「徳」を欠いているわけでもない、そのようなあいまいな存在なのだ、という問題」[1]に関心が集まっているといえる。稲葉によれば、従来の近代的な市民像=男性・白人・健常者から周辺化されてきた、性的マイノリティ、障害者、高齢者、そして動物に近年注目が集まったのがその理由だという。

たとえば、その典型例として政治哲学者のアラスデア・マッキンタイアが挙げられる。アリストテレスなどの徳倫理を再評価しつつ、「礼節と知的・道徳的生活を内部で支えられる地域的形態の共同体を建設すること」[2]を掲げたマッキンキンタイアは、近年の「ケア」への注目を受けて「依存」のための「徳」を強調するに至っている。マッキンタイアは、男性的な徳を称揚し、女性や奴隷を重視しなかったアリストテレスを批判しつつ、傷つきやすく、他者に依存せざるをえないのが人間なのであり、自律的な個人になるためにも、他者に気前よく与え、そして気兼ねなく受け取る、といった「依存」のための「徳」を身につけなければならない、と述べている。

ここで注目すべきは、アリストテレスが人間を「ポリス的動物」としてとらえ、「人間本性」から「善」を考察したように、マッキンタイアも人間を一種の動物とみなそうとしている点である。「生まれた直後の、人生の最も初期の段階にあるヒトの子供は、同じ段階にある非常に幼いイルカと同じように、身体に感じられた欲求〔…〕が即座に満たされることを目指して行動している」[3]。人間とイルカやチンパンジーといった知的動物のあいだには「ただ一本の境界線が引かれている」のではなく、両者はともに「連続的なスケールないしスペクトル」のうえに位置している[4]

ところで、稲葉振一郎はこのような徳倫理の復興に次のような懸念を示している。

しかしながら、以上のような、近代の達成を踏まえた上で、それが取りこぼしたものを拾うためのアリストテレスやその他古典的な発想の復興が目指されている一方で、その陰で、あからさまに人間を序列付ける発想の密輸入もまた、知らず知らずのうちに進行しているのではないでしょうか。人間と動物の連続性と対等性を強調するその返す刀で、人間と動物の間に存する差異と本質的には同様の(ただ程度において小さいだけの)差異を、人間同士の中に発見しようとする視線が、形成されつつあるのではないでしょうか?(稲葉振一郎『AI時代の労働の哲学』)

かつての近代的なヒューマニズム=人間中心主義において、白人、男性、健常者といった人間像が前提とされた。たいして、フェミニズム、障害者運動、反差別運動、エコロジー運動などは、近代的な市民から周辺化されたマイノリティによる権利回復のための運動だった。かつての人間像が前提とされなくなった「ポストヒューマン」な状況においてこそ、新たな差別が忍び込んでいるのではないか、というわけである。アリストテレスが「徳」をもって人間を格付けしたように。

人間と動物を「連続的なスケール」で捉える視点として、進化心理学をあげることができよう。「平等」や「自由」といった理念は、人間が小さな集団で生活するという進化の過程で獲得された「道徳感情」が基盤となっている[5]。著述家の橘玲は、チンパンジーといった群れで生活する動物にも「平等」や「自由」を重んじる「道徳」が見られることを挙げて、このような「進化論的な基礎づけ」のある「正義」は「チンパンジーの正義」に過ぎない、と述べている[6]。橘玲は「リベラル」の価値観を覆しかねない科学的研究を「言ってはいけない真実」として紹介しているわけだが、オルタナライトや新反動主義においては「人種」や「性別」をめぐって「人間と動物の間に存する差異と本質的には同様の〔…〕差異を、人間同士の中に発見しようとする視線」が形成されつつある。

オルタナライトは男女間の性差といった「人間本性」といった生物学的な事実に注目する。にもかかわらず、生まれながらにケアを必要とするという「人間本性」には目を向けず、自律的で強い主体を前提とするリバタリアン思想に共鳴するのはなぜなのか。その理由のひとつに「市場」があると思われる。ケアという関係は非対称的であり、ケアを受けるものが「負い目」を感じ、抑圧的な関係に陥ることは知られている。その「負い目」を解消するには、ケアを商品化し、その対価としてお金を支払えばよい。市場化することによって、ケアを受けるもの、与えるものはあたかも「対等」な関係であるように擬装できる。たとえば、社会学者の上野千鶴子も「ケアの有償性」は「構造的に弱者の立場に置かれるケアの受け手が、対等性を確保するためのしくみ」である、と述べている[7]。ケアはつながりやコミュニティといった持続的な関係をつくりだすし、必要とするが、金銭を支払うことはそのような関係を断ち切ってしまう。断ち切るが、ひとびとをしがらみから自由にさせる。当事者研究やフェミニズムが「自律/依存」から「依存先の多さ/少なさ」へと価値転倒を目指したとしても、その効果がやはり限定的にとどまるのは「市場」が存在するからである。「市場」があるからこそ、ケアというしがらみやつながりから「Exit=脱出」する自由をオルタナライトやリバタリアンは主張するのである。

稲葉振一郎によれば、個人の生き方や目指すべき人間像を自己決定に任せることを原則にした「リベラリズム」の欺瞞を突くものとして「徳倫理学の流行」はあらわれた。マッキンタイアをはじめとした「コミュニタリアン」だけではなく、リベラリズムにおいても「規律-訓練」という「徳の陶冶」が機能することを指摘したミシェル・フーコーの権力批判もまた、その潮流にふくまれる[8]

ところで、「徳倫理学の流行」と聞いて、私より年長世代の人間がすべからく思い出すのは呉智英ではないだろうか。デビュー作である『封建主義、その論理と情熱』(その後『封建主義者かく語りき』に改題)はマッキンタイア『美徳なき時代』と同年の1981年に出版されたが、そこには次のように書かれている。

封建主義においては、徳と政治が分離化していなかった。だから、封建主義下の法律には、徳に関連したものが多い。一方、民主主義では、徳は個人の思想であり、個人の思想は自由なのである、という理由で、徳と政治と分離した、というより、そのつもりになった。そこで、法律の中のどこを見ても、徳に関連したものはなくなった、というより、そのつもりになった。ところが実際は、きわめて曖昧なかたちで徳がしのびこんでいたり、別の言葉で代用されていたりしている。(呉智英『封建主義者かく語りき』)[9]

呉は「封建主義」を唱えて、身分制や世襲を肯定しているわけではない。儒教的な「徳倫理」を用いて「民主主義」や「人権思想」を批判している。

呉智英は「誤用」の指摘を得意としたが、その代表例が「すべからく」である。「すべからく」を「すべて」の意味で用いるのは誤りである。漢字で書けば「須く」であり、漢文で「須」は「すべからく…べし」と訓読されるように、「当然」「是非とも」という意味が正しい。

呉智英によれば、「すべからく」の誤用は「民主主義的人間主体の醜悪さ」と「民主主義的社会条件」に由来するのだという[10]。知的権威を否定し、みんなにわかりやすいという目的で漢字の使用を制限し、「すべからく」とひらがなで表記するようになったため、「すべて」の高級な表現と勘違いされるようになった(社会条件)。いっぽうで、「叡智の道を歩むことなく、裏口からでも叡智の王国へ入りたいという姑息な欲望や上昇志向だけは人一倍強い」[11]人間たちが「誤用」するようになった、というわけである(人間主体の醜悪さ)。呉智英は「誤用」する者の「徳」のなさを「さもしい、いやしい、汚れた、くさい、民主心」と批判している。

そして、「すべからく」を「すべて」の意味で「誤用」するのは、川本三郎、上野昻志、唐十郎、鈴木志郎康といった「反権威」「反秩序」を掲げるひとびとである。「権威主義的な雅語・文語を批判しているつもりのその心の底では、自分が雅語・文語をつかいこなせない妬みがとぐろを巻いている」のであり、彼らが「戦後批判をするのは、自分が権威から疎外されているからにすぎない」[12]。「単純な無知無学よりねじれている分だけ卑し」く、「反権威を大義名分にする権威亡者の跳梁」[13]を許すのが、民主主義なのである、と。

ちなみに「すべからく」の誤用をめぐって、呉智英は批判対象だった上野昻志と論争(というか言い争い)をおこなっている。上野の批判は次のようなものだ。呉智英は「ことばの選択」を「心理主義的」にしか見ていない。書くという行為には「書き手の心理的要因」だけでなく「書かれつつあることばそのものを律していく統辞法的な力を初めとする、もろもろの力」が働くはずであり、「書くという場の力学」を理解していない、と[14]。のちに「ポモ」と揶揄されるような立場から上野は反論している、といえるだろう。

呉智英は徳倫理の裏表を体現する人物である。「民主主義」には「徳」が欠けている、という批判は正しい。しかし、いっぽうで「民主盲目的」に「デメクラティック」[15]とルビを振ってしまうように、差別や格付けの視線が紛れ込んでいる。とはいえ、彼を儒教的な徳倫理を信奉する差別主義者と簡単に片付けてしまっては、現在の日本の言論状況を理解する術がなくなると思う。

呉智英は1965年に早稲田大学に入学しているが、第一次早大闘争に参加し、刑事訴追され、執行猶予付きの判決を受けている[16]。新左翼が反差別運動にコミットしていく端緒となった「華青闘告発」で知られる評論家の津村喬を激しく批判しているが、「華青闘」のリーダーの一人とは生涯にわたって友人であったような人物である[17]。そして、私より年長世代はすべからく漫画家の小林よしのりとともに呉智英を想起するようだ。たしかに権威を嘲笑うシニカルさ、リベラリズムへの嫌悪は「ネット右翼」の言説にも陰に陽に影響を与えたはずだが、たぶん呉智英っぽさを現在最も受け継いでいるのは橘玲であるように思う。ちなみに橘玲は呉智英がしばしば執筆した宝島社の元編集者である。

(この項続く)

[1] 稲葉振一郎『AI時代の労働の哲学』講談社、2019年、電子書籍版参照のため頁数は割愛

[2] アラスデア・マッキンタイア『美徳なき時代』篠崎栄訳、みすず書房、1993年

[3] アラスデア・マッキンタイア『依存的な理性的動物――ヒトにはなぜ徳が必要か』高島和哉訳、法政大学出版局、2018年、p.91

[4] マッキンタイア、前掲書、p.77

[5] ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』高橋洋訳、紀伊國屋書店、2014年

[6] 橘玲「序説 これからのリバタリアニズム」『不道徳な経済学――転売屋は社会に役立つ』早川書房、2020年、電子書籍版参照のため頁数割愛

[7] 上野千鶴子『ケアの社会学――当事者主権の福祉社会へ』太田出版、2015年、電子書籍版参照のため頁数は割愛

[8] 稲葉振一郎『宇宙倫理学入門』ナカニシヤ出版、2016年、p.168

[9] 呉智英『封建主義者かく語りき』双葉社、1996年、p.51

[10] 呉、前掲書、p.141

[11] 呉、前掲書、p.144

[12] 呉智英『バカにつける薬』双葉社、1988年、p.68

[13] 呉、前掲書、p.69

[14] 呉、前掲書、p.65

[15] 呉智英『封建主義者かく語りき』p.166

[16] 呉智英『サルの正義』双葉社、1993年、p.99

[17] 絓秀実『反原発の思想史』筑摩書房、2012年、pp.140-141

批評家。1988年生まれ。元出版社勤務。詩と批評『子午線』同人。論考に「谷川雁の原子力」(『現代詩手帖』2014年8-10月)「原子力の神―吉本隆明の宮沢賢治」(『メタポゾン』11)など。その他、『週刊読書人』や『現代ビジネス』などに寄稿。新刊『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)が発売中。twitter