第17回 がちゃがちゃした物語

「ムーミンはふたつ前の誕生日の前日、とつぜんうちにやってきた。身ひとつで。インターホンを鳴らして」……。水があふれる寸前のコップの如く、あやういバランスで保たれていた日常が、突然の訪問者でさざ波がたちはじめる。歌人にして国語科教員、初の著書『せいいっぱいの悪口』で注目を集める著者による、希望と不安、孤独と安堵が交錯する日々を綴るエッセイ。「カバでも妖精でもなく、今ここにこうして生きているもの」  

何年かぶりに、神戸に住む祖母の家に行った。九十を迎えた祖母はずっとひ孫に会えるのを楽しみにしてくれていた。早起きして夫と子どもと新幹線に乗り、途中「もうすぐ着くよー」とすでに祖母の家にいる叔父に連絡する。祖母はどんな顔をするだろう。

インターホンを鳴らさず、玄関のドアを開け「こんにちはー」と声を張ると叔父が待ち構えていた。奥の台所にいた祖母は子どもを見るなり「うわー、かわいいなぁ」と大きな声で言い、子どものおでこを撫でた。

叔母やいとこも来て賑やかな台所ですき焼きを囲んでいたが、子どもがぐずりだし寝かしつけるために応接間に移動した。抱っこ紐をつけてゆらゆらやっていると、台所から祖母の声が聞こえてくる。夫と、叔父、叔母、いとこがいる。無音のテレビがついている。「あの子が子ども産んだ言うてなぁ、どんだけお母さんらしい顔つきなってるかとおもたらぜーんぜん、変わらへんやん。あんた、なーんも変わらへんなぁ言うてん」みんなのまばらな笑い声が聞こえる。

つづけて、妹が生まれたときのことを話しているらしい。

「あの子が小学校一年生のときやな。私ひとり神戸から北海道手伝いに行ってな。お母さん入院するからいうて、あの子長いこと一人っ子やったやん、お母さんっ子で、それやから学校から毎日ランドセル背負ったまま病院行って、ずーっとお母さんのそばおって、ほんでお父さん迎えに来たら泣くねん。帰りたないー言うて。だから私が空港着いたときなんかな、だーっと走って抱きついてきてな。お父さんじゃあかんねんなぁ、ほんま二人で色んなとこ行ったわ。全部あの子が案内してくれてな、パン屋さんもスーパーも薬局も。冬の北海道やからな、地面もみな凍って、二人ですってーんいうて何べんも転んだわ。転んだらほんまなんや知らんけどおかしいてなぁ、大笑いしたなぁ」

子どもはいつの間にか寝て、みんなが相槌を打ったり、だんだん祖母の長い話に飽きて曖昧な返事がところどころ聞こえてくる。わたしはただ祖母のよく通る声を聞きながら、顔の表面ばかりが熱くなって、その熱が涙に変わって落ちていく。ただの楽しい思い出話じゃん、と思う。覚えてくれていることがうれしくて、ほんとうはこんな話、何度も聞いて飽きている。でもうれしくて、わたしとおんなじ思い出だ、と思ってずっと顔だけが熱かった。

みんな揃って玄関の前で写真を撮って、ばたばたと祖母の家を後にした。叔父やいとこは玄関の前で手を振っていたが、祖母がわたしたちを追いかけて一人やってくる。ふり返って駆け寄ればさっきまで笑っていたのに今にも泣きそうだ。わたしの手を取り「楽しいとなぁ、別れるのがほんまに嫌やぁ」と言って、もう泣いている。祖母の泣き顔と笑顔は似ていて、それは笑顔が泣き顔に近いんじゃなくて、その逆なんだと思った。泣かれたら辛くて、簡単に涙が移る。九十歳の祖母に気軽に「また会えるから」と言っていいのかわからなかった。

私は薄情で、これまでだって自分の好きにやって祖母のことなどいつも頭になかった。すき焼きを振る舞ってくれた、子どもをかわいいかわいいとのけぞって喜んだ、抱っこして泣かれて、こんなんはじめてやで、私に懐かへんの、と驚いて笑った、全部さっきのことなのに一瞬で過去になる。ずっと向こうへ行ってしまう。情緒一色の私たちに冬の日差しはこんなにあたたかく、今日はコートが要らない。玄関前の祖母の自転車。祖母は九十過ぎた今も週に四回、スイミングへ通う。自転車に乗って。大丈夫、会いに行けば会えるんだから、と思ってしかし口にはしなかった。

小さい頃から何度も遊びに訪れた祖母の家の角を曲がって、無言で夫と子どもと駅を目指す。駅前のロイヤルホストは叔父がよくわたしやいとこを連れて行ってくれた。駅ビルのおもちゃ売り場でたまごっちを買ってもらった。なぜかずっとここの街並みは変わらないような気がする。別れてしまえば祖母の泣き顔もわたしを去って、子どものオムツの心配を今はしている。祖母の泣き顔が笑顔と似ているのは、わたしがそのどちらもまっすぐには見ていなかったからなのかもしれない。祖母の家の台所の窓にはカラフルなクリスマス飾りが貼られていた。保育士のいとこに頼まれて、園のクリスマス飾りの工作を手伝ったらしい。その余りをな、飾ってんねん、と祖母は笑っていた。

 *

祖母に会った週末明けの月曜日、近くのふれあいセンターで子どものクリスマス会があった。手遊びや紙芝居の後、サンタが来るという。会の終わり、スタッフが脇で鈴を鳴らすなかをサンタは揚々と登場したが、「おやおや〜だれかな〜?!」という司会のおばちゃんの煽りに子どもたち、といっても赤ちゃんも多いので期待された「サンタさーーん」と言う声はまばらで、それでもサンタは元気よく「みんなにお菓子のプレゼントだよー!」と大きな袋を掲げて笑っている。しみじみと、知らないおじさん、地域のサンタ。全国に今の時期、即席借り出しサンタがたくさんいるんだろうなと思う。

おばちゃんに「その前にみんなでダンスを踊りましょうね!」と誘導されつつ、CDデッキから爆音の「あわてんぼうのサンタクロース」が流れる。子どもたちの前で随分とキレのあるダンスを披露するサンタが愉快で、横でリードする司会のおばちゃんとの息もぴったり、二人で手をとってくるくる回っている。わたしは眠くてぐずる子どもを抱っこひもに納めてお腹をトントンしてやりながら、他の子どもだってもう飽きて、誰もサンタの踊りを見ていないのに、この部屋を爆音のクリスマスソングが包み込んで、なんでそんなことで泣けてしまうのだろう。センチメンタルな空気は微塵もなく、ただ一人、自分だけ泣いている。バレたら恥ずかしい、と思って涙をぴっと指で拭い、顔を上げる。CDの調子が悪いのか、曲の最後に何度もバグって音が途切れ、その度にサンタも静止し、それがもう滑稽でどうにも可笑しくて今度はめちゃくちゃ笑ってしまった。

どうもクリスマスに弱い。クリスマスソングが流れるだけで泣けてしまう。日ごろのセンチメンタリズムに拍車がかかり、思い出が、エピソードがいくらでも転がってくる。クリスマスイブの夜の、いつも家族四人で眠る和室の常夜灯。枕元の包みが暗いオレンジの灯りのなかに見えていたことや、プレゼントとは別に添えられた実はそこまでお菓子の入っていない、あの紙製のサンタのブーツ。そのなかのキャベツ太郎、八の字のマーブルチョコ。お菓子を先に全部出して、無理やりブーツを履こうとした。そういうものをいくらでも手繰り寄せてくることができる。

ほんとうはクリスマスなんてとんだ茶番劇で、プレゼント商戦はもう資本主義のどん詰まりで、それにしても、大人になった今も知らない地域のおじさんサンタに涙するのはどうしてだろう。まだ言葉のわからない自分の子どもに、これからどうやってクリスマスのことを話そうか、と立ち止まって、ああそういう茶番が彩ってきたがちゃがちゃした物語をわたしは今も愛したいんだな、と思う。

一年前の今ごろは、ちょうど子どもが生まれてからはじめてのクリスマスを迎えるところだった。思い出すことがある。晴れて母子ともに退院できたその夜のこと、オイルヒーターであたためた寝室に子どもを寝かせ、夫と「お祝い」と称して出前の寿司を食べながらわたしは思わず「信じられない、怖い」と言った。無事に生まれて、その子はうちのベッドですやすや眠っていて、そのことが信じられなかった。すぐに壊れてしまう気がして恐ろしかった。これからどんな不幸が引き換えにやってくるのだろう。自分ばかりが得ているように思った。今思えば不遜で倨傲、けれどただ怖かった。

少しの沈黙の後、「ユニセフに寄付しよう」と夫が言い出して、色々とその場で調べた結果、児童養護施設への寄付を申し込んだ。施設に暮らす子どもたちへのクリスマスプレゼントの予算になるという。とてもいいことのように思えた。しかし、自分に子どもが生まれたことが恐ろしくて、罰が当たる気がして、帰る家を持たない子どもたちに届くようにと思ったその行為を、今は独善的にしか思えない。私は遠くのその子の顔を知らず、欲しいものも知り得ない。おもちゃが欲しいのではないかもしれない。たったわずかの金を送りつけて、ただそれを引き換えに、安心したかった。偽善だ、と指摘されて何も返せない。でも、ただ怖かった。

ムーミンが「そろそろ行こうと思います」と言ったのは、雪の予報を控えた夜だった。ムーミンがうちにやってきて以来、ムーミンは外に出たことはない。家のなかにいればあたたかいので、冬眠もしない。「どこに?」と聞くと、「出てみなければわかりませんが」と言う。止めればよかったのかもしれない、わたしはけれど引き止め方を知らなかった。ムーミンがこの家からいなくなる。でも、ムーミンがあまりに落ち着いているもんだから、こっちが慌てることも変に思えた。だからいつものように向かい合ってお茶を飲んだ。

眠れば明日が来ることを知っているが、それはそうじゃない未来をわたしが想像できないからだ。似たような冷たさの朝が来ることを憂うつに思って、あー疲れたと言っていそいそと布団に入る。でも明日は雪が降るかもしれない。わたしは雪の降る夜の静けさと明るさのことを思い起こす。一年前、雪が積もった夜、寝巻きにコートを羽織って一人で外に出た。

電灯が雪の白さに膨らんでこんなに明るいんだと思った。うれしくて、雪を食べた。雪を蹴った。少し外に出ただけで全身うっすらと白くなり、夫にあきれられた。

ムーミンは本当に、こんな寒い夜にうちからいなくなるのだろうか。さっきもいつものように「おやすみなさい」と言っていた。こんな寒い日に、荷物を持たずに? でもはじめから、荷物なんか持っていなかった。身ひとつで、インターホンを鳴らしてやってきたのだった。もし夜の間に雪が積もったら、あんな真っ白な身体で雪に同化しちゃうじゃん、と思う。せめて、クリスマスが終わるまでうちにいればいいのに。チキンも焼くし、みんなでケーキも食べたい。真顔でクラッカーを鳴らすのはムーミンの役なのに。三角形の派手な水玉模様のばかみたいな帽子、クリスマスソング。ほらみんな笑ってるじゃん。意気込んでたくさん作ったはずのご馳走が食べても全然減らない。ムーミンが「メリークリスマス」と言う。遠くから呼びかけられてるみたいな声だ。朝ですよ、雪が積もってますよ。なんだ、よかったまだいるんだ。今日は土曜日だから夫も家にいる。もう起きているんだろうか。もう少し眠らせてほしくて、返事をせずに、わたしは布団を深く被り直す。