第1回 ここではない、青い丸

『空芯手帳』『休館日の彼女たち』、ユニークな小説2作を発表し、国内外で注目を集める作家・八木詠美。本書は著者初のエッセイ連載。現実と空想が入り混じる、奇妙で自由な(隠れ)レジスタンス・エッセイ。

気づくと川の中にいる。

心中したいのではない。グーグルマップの話だ。

はじめてiPhoneを買って地図アプリを見つけたとき、わたしは本当にスマホにしてよかったと思った。それまでのわたしの移動は悲惨だった。「わたし方向音痴で」というのは「わたし晴れ女で」と同じくらい会話中に相手に言われるといつも反応に困るが、わたしは方向音痴だ。中学生のころ、庭に竹林があるという友だちの家に泊まったときはお風呂を借りたあとその広大な敷地で遭難し(途中でトラの背中のようなものを見た気がする)、目黒駅から中目黒駅へと歩こうとすればさんざん迷い、ようやく電車が見えたと思ったら目黒駅だった。

就職活動のときは駅からの道のりがわかる地図と、ビルの位置がわかるように周囲の区画を拡大した地図を印刷して持ち歩き、それでもたどり着けずによく歩道橋にのぼった。高いところにのぼって目印になりそうなものを探し、太陽の方角で東西南北を確認するためだったが、何度も太陽を見ようとして目が痛くなり、ついでに受けた会社はことごとく落ちた。わたしにとって「行けたら行く」というのは行く気がないことをあいまいに伝えるための言葉ではなく、「どうにかして行くことができたら」という願掛けの言葉だった。

だからグーグルマップが使えるようになると、毎日眺めた。グーグルマップは自分がいる場所が青い丸で表示され、向いている方向も示される。自分が回るとその方向も回る。うれしい。もう印刷してきた地図をぐるぐる回したり、歩道橋にのぼらなくていい。

けれど使ううちにわかってきたがグーグルマップも必ずしも万能ではなく、経路を検索すれば道なき道を突き進むように指示されたり、「いいから乗れ」とレンタサイクルもない場所で突然自転車に乗るように命じられたりもする。特にわたしの設定が悪いのか、自分のいる現在地はたびたび誤差があり、もうとっくに出たのに駅の構内にいつまでもいたり大きな通りの逆側にいたり、そして川の中にいた。わたしはよく川にいた。真夏の善福寺川に一人たたずみ、隅田川の流れに逆らって進み、神田川の橋げたを水底から見上げていた。

 

どうしてこんなに川にいるのだろうと考える。わたしは陸地にいるのに。靴擦れした足で乾いたアスファルトに立ち尽くしているのに。

けれど、とあるとき考える。もしかしたらグーグルマップの現在地が本当のわたしがいる場所で、それが川なのかもしれない。多くの人たちが「ここではないどこか」を希求している中で、本当のわたしは一足早く川にいる。わたしが小説を書き進められずにとりあえず書いた文章のてにをはを無暗に直している間、だんだんと議論の目的を失っていく会社の会議にうすぼんやりとした顔で参加している間、詰まりかけてきたキッチンの排水口がコポコポと音を立て、そろそろネットを取り替えるべきだろうか、いやもう少しいけるんじゃないかと逡巡している間、本当のわたしは善福寺川に足を浸けてときどきやってくる白鷺を観察し、隅田川を逆流しながら命がけで川を上るサケに思いを馳せ、友人と見に行った神田川の桜のことを思い出している。

神田川沿いでその友人とお花見をしていたときは、出身国に送還されることになったとモロッコの人に途中で話しかけられて一緒にワインを飲み、彼がその日工場で作ったというエクレアを食べた。モロッコの彼は現れたときにはすでに酔っぱらっており、なぜ送還されることになったのかは最後まで不明のままで、三月の冷え込んだ夜に震えながら食べるエクレアは甘かった。彼のその後はわからず、一時は誰よりもよく会っていた友人は遠くに引っ越してからというもの連絡がほとんどとれていない。もう会わなくなってしまった人たちが、それぞれ何にも脅かされることのない場所にいて、みんな元気で楽しく過ごしていてほしい。川からそう願っている。

だからわたしはグーグルマップの現在地がずれていてもあまり気にしない。いや、嘘かも。初めて行く場所に時間ギリギリで向かっているときや、電車に乗り遅れて急いで経路を再検索しているときに別の現在地が表示されたときはやっぱり少しイライラするかも。しかし「そっか、本当はここにいるのかもね!」くらいで考えてよしとすると気分が楽だし、なんならもっと遠い場所にいてほしいと思う。

 

わたしはグーグルマップを起動する。今日は打ち合わせではじめての場所に行くので、経路を検索する。現在地を示す青い丸は隣のビルにいる。よしとする。

わたしは駅に着くが、ホームの階段を下りると乗ろうとしていた電車のドアがちょうど閉まるところだった。別の経路がないかと再検索する。青い丸は隣の駅の前のバス停にいる。よしとする。

わたしは電車に乗り、途中で再び経路を確認する。青い丸はなぜか新宿駅にいて、ちょこちょこと動いている。行ったり来たりして、なんか構内で迷っているらしい。売店でお菓子を選ぶような、あるいは特急券の券売機を探すような。よしとする。

わたしは打ち合わせ場所の近くに到着し、立ち止まってビルの場所を最終確認する。青い丸は高速で進んでおり、ちょうど八王子を通ったところだった。「かいじ」だろうか。よしとする。

わたしは打ち合わせを終え、自宅までの経路を検索する。青い丸は止まっており、わたしはその場所を拡大して確認する。山梨でほうとうを食べているらしい。そういえばお腹減ったな。

 

 

1988年長野県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。2020年『空芯手帳』で第36回太宰治賞を受賞。世界22カ国語での翻訳が進行中で、特に2022年8月に刊行された英語版(『Diary of a Void』)は、ニューヨーク・タイムズやニューヨーク公共図書館が今年の収穫として取り上げるなど話題を呼んでいる。著作に『休館日の彼女たち』。