第16回 真夏のピークが去った

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催するものの価値を再考する野外フェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

真夏のピークが去った。夜なんてちょっと肌寒くなったりして、昨日は衣装棚から急いで長袖を引っ張り出した。あんなに過ぎ去るのを待っていた猛暑の尾を掴もうと9月に手を伸ばし、もう少し待ってほしいと懇願するわたし、まだやり残したことがある気がする。
来る日も来る日もイーグルの部屋で新譜の編集作業に明け暮れ、海にだって飛び込んでない。目まぐるしい時代の声と銃声に溺れそうになりながら、己の中を旋回する音と言葉をつかまえるのに集中した。今、お前は何を感じてる? ずっとそう問い続け、弾丸ではなく切望と希望を曲に込める。
人から見たら差なんかないし、知らねーよって箇所に何時間もかけて向き合う。つくづく幸せな職業をもらったと思う。自分の好きなことで稼いでいるのだから、普通の努力と呼ばれるもので足りるわけがないと電車のサラリーマンを見ていて思う。ため息で充満した車内は窓が開いていて、吊り革を握り頭を垂らした男のネクタイを夏の終わりの風が揺らしていた。
家に帰る前に少し寄り道して缶ビールを持って夜の公園に立ち寄る。ブランコが一つ揺れていて、8月を終えて白々しくなった冷たい空気を肺に溜めると、ぎゅうと胸を締め付けて寂しくなった。池からはカエルの合唱、虫が夏の終わりのハーモニーを歌っている。
そう、こうやって季節を何度もこえてきた。時間は今年もやっぱりわたしのことを待ってくれずに過ぎ去ってく。コロナだとか、ピーポーは頑張ってるから〜とかそういう忖度もなくわたしを追い越していく。ポケットをまさぐり、舌打ち。あーあ、タバコも切れてるや。

この数年のコロナ禍と呼ばれる期間にもたくさんのお別れがあった。いくたび経験を積んでも慣れることはない。いちいち初めてのことのように傷ついている。
2022年は誰もが知っているように綺麗事ではすまされない色んな出来事があって、街には火薬の匂いが充満している。発砲に宗教、加速する分断。正しさと陰謀、情報。情報。情報。
音楽ってなんだっけ? なんで人と人は集まるんだっけ?
考えることではなく、ただ感じればいいはずだったそんな問いかけも、いちいち言葉にしなければ時の流れが無感情に問いかけを押し流していく。後ろをつかえたトピックが山積みらしく、時間ってやつも少々テンパっているみたい。
そんな中、持ち寄った実感を確かめ合うのが祭だったはずだ。音や人との対話の中で、言葉にできるものもできないものも共有する。たくさんの人間が生きているのだと皮膚感覚で知ってきた。こんな冷血な時代だからこそ全感覚祭は必要だった。

今この世界はどこに向かっていて、そのことがいかに愚かなことか? いくらでも気づけるチャンスやパスは来ているのに、この時代はまた過ちに近づいていく。戦争が起これば自分達のもっと下の何の決定権も持たない子供や孫の世代が戦地で血を流すことになる。わたしのように好き勝手に音を鳴らしたり、あなたのように好き勝手に音を泳ぐこともできなくなる。国歌が流れ、志高き死がもてはやされる。
わたしたちは複雑さを捨てず、感じ、考え続けなければいけない。そのことは悔しいほどわかっているのに、今年も全感覚祭を開催出来なかった。

最新の全感覚祭は2019年の台風の翌日に行った渋谷全感覚祭だ。
人の海の上にダイブして、体の力を抜くとプカプカ浮かんで、羊水に包まれているみたいなんだ。突き上げる掌の熱狂と相反して、浮かんでるわたしはとても静かで、自分の心臓の音と星を数えたりできるくらいには冷静だった。ちょうど海に仰向けで浮かんでる時みたいに。今じゃ犯罪行為みたいに言われるけどあの時間がどうしようもなく好きなんだよな。

あのカオスは、当時は抑えの効かない美談で語ることもできたが、今日では人の価値観によっては事件と呼ばれてしまう。それほどにライブハウスや祭を取り巻く環境は複雑化した。

白状すると、運営する十三月のチームの内情はその複雑さに耐えれないほどにボロボロだ。このコロナ禍で足を止めて世界とあやとりをしている間に仲間たちはそれぞれ新しいフェーズに入っていった。仕事や家族関係、住んでいる場所など様々な変化が訪れ、一人また一人と抜け、3年前と同じ座組みで開催することはできないのが正直な現状だ。わたしたちはいわゆるプロの集まりではなく、気のあった仲間と何か面白いことがしたいという純粋な関係から始めてきた。それは純粋であるが故に脆く、去ろうとする者を引き止める言葉もまた脆い。出会いはいつも発信するギグやパーティで生まれてきたが、この3年コロナの状況も含めなかなか思うように開催できず、出会いと別れのサイクルが壊れてしまったように思う。

もう一度復活させたいんです。だから、えっと、このコラムで言いたいことは、我々と出会ってほしい。そんな願いを込めてフリマを開催することにした。これがベストなアンサーなのかは全くわからないが、メンバーで交代で座り、対話するブースもそこに設ける。これから何か関わりたいというイメージがある人はぶつけにきてほしい。こんな特技あるぜ〜とか、わたしはこんな人間ですとか。海外の展開に向けた英語や流通にメディア、インターネットや配信の強化。事務所もマネージャーもいない我々は誰かが必要な人材や場所を用意してくれるはずもなく、全部自分達でプランを立てている。コロナ禍で作った映画ではわたしが監督や音楽をやったのはもちろんだけど、メンバーや仲間総出でトランシーバーをつけて車や人止めから立ち位置のバミリ、屋上での十三月農園では草むしりから土の棚上げ、決して派手で華のあることばかりではないから、付け焼き刃のDIYでは骨の折れるハードでローファイな作業をこなしてきた。現時点では想像もついていない色んなことにこれからもトライするのだろう。わたし、すでにアイデアが溢れていて大変! ありとあらゆる種類の才能やポテンシャル、バイブスを募集する。十三月と未来を紡ぎたいっていうアンテナの持ち主のあなたへ。メンバーであるロスカルもヤクモアも何の情報もないオーデションで出会った。
でも出会うことの奇跡は情熱や感情の大きさではないから、せっかく来てくれたけどはまらないってこともあると思う。悪く思わないでほしい。だけど、どこで何の線と繋がるかなんてわからないから、出会うことは面白いよ。ミリオンウィッシュのコーラスメンバーもベースオーデションで出会ったメンバーが数人いる。

そして、全感覚祭もセミファイナルジャンキーも開催できなかったが、2023開催に向けて好きなブランドとのコラボレーションをずっと温めてきた。このグッズも懐かしい未来への投資として是非ゲトって、来るべきその日まで着古してほしい。汚れれば汚れるほど渋みが増すあのブランドとのコラボです。わたしたちの祭はこうやって姿を変え拡張されていく。札を握りしめ、情報が出るのを楽しみにしててください。POP UPもする全感覚市の日時は9/11日曜日、渋谷の神南ハウスという場所にて。感受性応答セヨ。

それにしても、こんなご時世で祭の開催に漕ぎ着けるオーガナイザーたちを心から尊敬する。わたしが心から突き動かされた橋の下世界音楽祭に初めて出演する。もう爆発しかない。当初から大事にしていた投げ銭制ではないし、きっと理想に対して色んな葛藤や障害があったことと思うが、何より開催にたどり着いたこと、それに最大限のリスペクトだ。用意されたステージで空虚から花を掴みとる。メンバーで明日から運転して豊田へ向かうよ。皆で行こう。

はじまったばかりだ。14歳のまだ髪の短いあいつがジッと睨んでる。最低な時代? 簡単に悟ってんじゃねえよ。14歳のあいつは目を逸らさない。
了解。わたしは全身全霊フロアを取り返しにいく。あの場所に帰ることを全身全霊でイメージをする。だから出会ってほしい。それまでは海に飛び込むのだってお預けでいいよ。わたしが本当に飛び込みたいのは海じゃないしね。

だからそれまではずっと夏でいてね。

 

 

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年にはじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映開始。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年1月5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演し、全国上映中。初のエッセイ集『ひかりぼっち』がイーストプレスより発売中。

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第15回 三月のこと

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催するものの価値を再考する野外フェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

眠たい空気にくしゃみをする。半分しか開かない目でぼんやりと見つめる午後、月末の野音ワンマンに向けての新曲の歌詞を練っている。しゃばいコーヒーを飲みベランダから春の風に体を預けていた。近所のガキンチョが意味なく奇声をあげて走り回っている。
ふと休憩がてらに見たiPhoneの画面、血が噴き出すように内側が脈打ち出す。ウクライナ侵攻のニュース。眠たい空気は切り裂かれて、分厚い雲が被ったように鈍色にのまれてしまう。日を追うごとに惨劇が加速度を増す中で、内側で吹き出した血は凝固し黒く焼け焦げたシコリになって、心がある場所を圧迫した。
「無力」そんな言葉が旋回し、着地場所を探していた。目をぎゅっと瞑る。
自分は音楽家だから、音楽をやればいいのだ、などという考えに逃げることができたらどれだけ楽だろうか? 自分の音楽は歪みいびつな形状はしているが、生きることについての音楽だ。どうしてもこの感情を棚にあげて活動することの整合性が取れなかった。
皆にデモのことを伝えると「このタイミングで?」というたじろぎの沈黙があった。無理もないほどに、月末へのMillion wishの練習も緊急を要していた。真っ当なプロならデモの企画に賛同しないだろう。でもわたしたちはプロではない。人間だ。

準備期間は5日、眠れない日々が始まる。自宅はミーティングルームと化し、けたたましくラインの通知が増えていく。電話をかけ、一人ずつ話をした。デモやスピーチに慣れている人でなく迷いや混乱を持ちながら自分の言葉で、声でそこにいられる人に声をかけた。うまく話せる必要などない。いや、むしろ戦争においてうまく話すとはなんだろうか。うまくまとめることなどできないわからなさを抱えながら、それでもはっきりとあるNO。これだけは言い切る。そんな入口の開いた風通しのある集会を求めていた。
だから、当日、プラカードを上げるタイミングがわからない人が集まり、どうやってその場所にいるべきか探りながら、気まずさや気恥ずかしさを押し切ってそこに立つ姿は、わたしにはそのまま希望に映った。募金箱に財布を開いて全て入れていく高校生。本当はアーティストのライブが見たいのにスタッフの誘導に従い、点字ブロックをまたいで場所を譲って遠くで意志表示した人たち。この空間が成立することに使われた想像力は全て希望だ。新宿の谷底でけたたましく鳴り響いたノイズが個人に問いかける。
これを書いている3月の最終日、いまだにウクライナ侵攻は止まっておらず、やはり達成感はない。でも、楽屋でスピーチを終えたウクライナの人、ウクライナに友人を持つ人、ロシアの人、その震える声で感想を話すのを聞いて、意義はあったと切に思った。いや、わたしはそう言い切らなければいけない。朝の5時から設営をはじめたスタッフやボランティアで集まってくれた人、集まったバックドロップの複数のデザイン、パッチワークにゴミ箱、写真や声、歌、集まった多くの募金も全ては侵攻が早く止まってほしいという祈りだ。その祈りは何一つ無駄なことではない。一万人という熱狂ではなく、そこに自分の意志で震えながら立った一万の孤独。その孤独をもってあなた自身のプロセスでたどり着いたNOには価値がある。そして意志は明確にあなたを生かすことを知っている。そのことを言い切りたい。

 

 

デモが終わり、急ピッチで野音に向けての準備を再開する。案の定、1週間は穴が開き、何一つの身動きが取れなかった。自分達が選び決断した1週間を、音楽の側面から見て間違えた空白と呼ばないためにも取り返さなくてはいけない。全細胞を逆立て声を出す。
どれだけ疲れていても、声を出すと不思議と体は動くから不思議だ。音楽をする時は体力と呼ばれる部分とは違う箇所を使って鳴らしているのかもしれない。Millionのメンバーといると力が漲り、最後はいつも笑っていた。
ちょうどカルロスが抜けた翌日からはじめたこのプロジェクトは、自分にとって出会う必然があった。いつもそうだ。頭では考えずに追い詰められたらちゃんと手放す。恥ずかしいくらいに落ちて、光が問いかけてくるのを待つ。
あ、差した。Million wish。
空いた手で掴んだ光にはそう名付けた。

UNDERCOVERのジョニオさんと旗の打ち合わせとスタイリングを進める。風と振動を送りたい。この震えた3月の風を日比谷のビル風に混ぜてもらうために振る旗が必要だと。旗は複数の赤布のパッチワークで縫い合わされた。傷だらけのクラストの旗はわたし自身みたいだと思った。「生傷を絶やすな」いつも影に言われている。わかってるって。しばらく黙れよ。

毎日練習して、顔を合わす。全体でスタジオに入れない日もMillion wishのメンバーは、代々木公園で自主的に集まり練習をしていて頼もしい。譜面に用意されたフレーズがそれぞれの血肉になっていくのを感じる。

練習の後、スタジオの地面が揺れる。電柱が揺れ、電車が止まった。2011年の311のこと思い出して足がすくむ。大変な時代に生まれてしまった。混乱が積み上がる速度に追い越されないよう、音と言葉を重ねた。

迎える日比谷での時間には過去と現在、未来が全て同居していてほしいと思っていた。思い出と呼ばれているものを、過去としてないものにしたくない。それは懐古を超えたところで未来と同じだけ価値があるのだと知っている。答えを出るのを待たずはじめ続ける、このことがわたしを生かしてきた。ただそれをやるだけだった。だから全てのサヨナラも帰ってきてほしいと願っている。
桜が開花する。晴れやかな気持ちを押し上げるように風が吹く。理由はないけどうまくいきそうなこのグルーヴに乗りたい。ちゃんと傷ついたし、とても疲れた。音楽はそんな気持ちを説明することなく理屈も飛ばして寄り添い、鼓舞する。

当日は晴れた。天気予報なんて当てにならない。ゾロゾロ集まってきたメンバーは目の下にクマを作っていて、寝不足を丸出していて頼もしい。かくいうわたしも眠ることができなかった。この大事な日特有の眠気が愛しいし、うざったい。早く音をくれ。音さえあればわたし、飛べる。蟻がベンチで食べたお惣菜のカスを運んでいる。色んな時間軸が存在する。深呼吸。

日が移ろい、雲が流れていく。百万と重なる声、合ってる音も合ってない音も愛している。わたしたちは不完全なケモノ。機械じゃない。
真っ当にあるべき怒りと祈り、混乱と焦燥全てをさらうビル風は龍の深いため息のようで、個人的な感情や意識をもっと大きなものに預けていると歌いながら直感していた。それをどんな言葉で形容できるだろう? きっとこの日比谷野音を踏んできた先人たちですら、誰も言葉にできた人などいない。だから何度も確かめるようにここに立つのだろう。

 

 

モヤがかった景色の中から次のアルバムのテーマが見えてきた。そう、この風を捕まえよう。
いつも自分たちが鳴らした空間が先の展開を示してくれる。ちゃんとあの場所に未来があったことを実感している。音楽家に音楽をさせてくれてありがとう。3月の終わりにちゃんと切符を受け取った。
相変わらず、混乱しているけど、何も整理できない複雑さをそのままに生きていこうと思う。それを放棄して優しさは生まれえないよな。
あなたにはあなたの受け取り方があって、この3月の感覚をあなたなりの形で水をあげ、花を咲かすべきだ。それは表現というフィールドに限定されず生きること全てに開かれている。それでようやくこの二つの催しは完成する。
今夜の雨で桜は散ってしまうかもしれない。わたしは散った後はじまるあの芽の青も好きだな。

2022年の3月に生きたこと、吹いた風のこと忘れない。
ちゃんといた。

 

photography  1.2.7 Shuhei Kojama
3 島崎ろでぃー
4.5 Taro Mizutani
6 Shiori Ikeno

 

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年にはじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映開始。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年1月5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演し、全国上映中。初のエッセイ集『ひかりぼっち』がイーストプレスより発売中。

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