第20回 Million Wish

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催する、ものの価値を再考するインディペンデントフェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

あまり上手に眠れない日々が続いている。勉強やスポーツにはカリキュラムの型があるが、睡眠はどうやって上手になればいいのだろうか。親や先生にも教えてもらった記憶もなく、皆自然に学習していったのだろうか? 海の撮影で黒く日焼けした腕をさすりながら重い目を開けて困っている。
頭の中はぐちゃぐちゃで、未来の記憶までもが波の満ち引きのように押し寄せるのは夏の幻がいたずらに心を掻き乱すからだろう。「Shangri-Ra」のMVと並行して中野サンプラザの公演の映像を編集している今、そこで輝いている霊性の一つ一つが問いかけてくる。

2023年の夏、フジロックのGREEN STAGEの上でMillion Wish Collectiveは融解する。繋いでいたCollectiveという約束はほどかれ、それぞれの日常に皆一人一人が溶け出していく。バンドのように結成したわけではないから融解という言葉はピッタリとくるね。

思えば、前ベースのカルロスが脱退した日の翌日、下北沢のSpreadで何のプランもないまま声を出し始めた日から二年間、ずっとミリオンはそばにあった。いや、いてくれた。表でどう見えていたかはわからないけど、壊れかけていたバンドの内情と破綻した運営、それに相反して大きくなっていくGEZANへの時代の視線の間にははっきりとした軋轢があり、その間にある不協和音のけたたましさを解いてくれたのは紛れもなくミリオンだった。コロナによって奪われた嫌に退屈な静寂の中で毎週会い、予測のつかないうっすらと肌に張り付く不安の中で声をだす時間にどれだけ救われただろう。その流れのまま立ったフジロックのRED MARQUEE、顔を真っ赤にペイントして撮影した「萃点」のMV、ロケバスの車内で聞こえる意味のない会話の声が今もやまびこのように頭の中で反響している。
メンバーに話せないような葛藤を夜明けまで聞いてくれたのはミリオンのメンバーで、そこに魔法はなく、ただ心と時間を使ってくれた。

 

当たり前のことだが、皆それぞれに人生があり生き方がある。ミリオンメンバーの中にはアーティストやバンドマンもいれば、ステージに立つのも初めてだった人もいる。現場労働で汗を垂らしながら練習の時間を確保したり、夜な夜な代々木公園に集まって自主練をやっていた人もいる。もっと、ミリオンとしての活動を続けたかった人、ここが潮時だと帯を締めている人、バラバラなのは当たり前のことで、そのどれもが正解で正しい。だからここで融解する。フジロックで始まりフジロックで約束は溶ける。

 

人と人とはどうして出会うのだろうか?
綺麗事では片付けられないものをデザインという行為は隠すことができる。都合のいい景色だけを電子の海の上に残し、不都合な瞬間をレタッチして和平的な健全さをアピールすることは簡単なことだ。人は見えてるものだけを真実だと認識する。その奥側を想像する体力がある人は一握りで、仮に一瞬露呈しても大きな流れの中に埋没する。数えられなかった涙や、人知れず溢れた孤独のこと、あなたにも経験があるだろう? 派手にカウントを重ねるいいねと強烈なニュースの元に押し流されなかったことにされる。日々、わたしたちの胸を貫通していくのはそんな景色の連続だ。

「JUST LOVE」という曲の一説に「人が集まるっていう暴力」という言葉がある。融解を目の前にした今、ミリオンに感じていた一つの感触はこれだった。だってそうだろう? わたしが夜の底から集めてきた歌詞の一つ一つをちがう生き方をしてきた人間が100%シンクロすることなど不可能だ。思ってもいないこと、理解できないこと、それらをコーラスとして口に出すことの提案には暴力を内包している。
「あなたのアイデンティティを借ります」
わかった上でやっているの、そんな集合体への理解を示すためのわたしの詩はある種の懺悔の羅列でもある。寄り添ったつもりでいても平気で気付けないでいるわたしも強い光に立ち眩み、足元に咲いていた花を踏んでいる者と何も変わらない。そんな後悔ともつかない感情を思うのは画面から伝わってくるみんなの真剣な眼差しだった。わたしはミリオンの皆の純粋さを借りていた。そして心は何かと組み合わされないと実像を持つこともできない。故に気付かぬまま通りすぎた瞬間たちが直立している改札口の前、わたしは考えていた。
どうすれば続けることができただろうか?

冷房で冷やしすぎた部屋、布きれ一枚を鼻の下までずりあげて咳き込む。いたるところで夏風邪が流行っているみたいだから気をつけなくちゃいけない。
ミリオンは学校みたいなところがあって、それぞれのメンバー間の関係性は水みたく流動していく。ケンカして口を聞かなかった者同士が翌月には笑いあってたりする。そのグラデーションを遠目で見ている人もいれば、イーグルのようにそもそもケンカしてたことも仲直りしたことも気づかない人もいる。プロの集団でないが故にその心の動きはコントロールされることなく露呈する。はっきり言って、これを浴びるのはとても疲れる。この疲弊は音楽なのか?と疑問を持つこともあった。学級委員長ができないからマイノリティを鼓舞するパンクに惹かれてバンドを始めたのにね、なんて弱気に首を垂れて脊椎を損傷する夏の日の午後に、あらためて、どうすれば続けることができたのかな?
きっと答えは明確で、ある種の宗教にするしかないのだと思う。意志を統一し、一つの強い思想でそれぞれの微細な差を均一化する。もしくは心を金で買うか? 胸糞悪くて反吐がでる。

THIRD SUMMER OF LOVE
「どうしてぼくらは出会ったの? 天国はにぎやかそう。悲しい季節なはずなのにキミはどうしてそんな綺麗に笑うの?」
サンプラザの映像を編集している帰り道、タクシーには乗らず歩きながらそんなフレーズを口ずさんでいた。この表情たちと別れるのだよ。一人一人と過ごしたシーンが倍速にした走馬灯として再生される。空のペットボトル、絞れるほど汗だくのTシャツ、スタジオ後のコンビニで買ったビールとくだらない話、ライブの前日に届いたメール「学生時代こんな部活だったら続けられたのかな?」組まれた円陣の肩と肩、向かい側のメンバーと目が合って奴は恥ずかしそうに笑った。リハを入念にやったのに気合いを入れすぎてライブの本番でマイクのコーンを握る男子メンバー、暑さ対策で練習中の冷房を下げないか?という提案に鬼クレームを重ねる女子メンバー、日比谷野音のライブ中にビルの隙間から吹き込んできた生き物のような風の正体、打ち上げの途中の終電で帰る時の寂しそうに手を振る顔、そんな一つ一つの風景が宝物であり、じきに凶器になる。
JUST LOVEは先程の歌詞の後こう続く。
「人が集まるっている暴力と、その先で重なる一瞬は奇跡。同じ頬で流す別の涙、また出会うためにサヨナラをしよう」
ミリオンと別れる今の気持ちの全てを語っているかのようで、そんな歌詞を随分と前に書いていた。いつだって、詩はわたしの前方を照らす。

わたしたちが一体何だったのか、過ごした時間が何だったのか、そのことを我々も知り、知ってもらった上で、最後の姿を見てほしい。サンプラザの映像を販売する前に無理言って一日だけ限定で公開することにした。
そこに映っているのは、一つのカタルシスにのみ昇っていく一色の光ではない。分裂し、引き裂かれ、矛盾しながら白い夜に発光する太陽たちの記憶だ。こんなことやってるやつらどこにもいないと思うよ。当日の現場でのミリオンのセリフも追撮された言葉も全てわたしが書いている。この暴力と隣合わせの一瞬の連帯を最後の時まで希望と呼ばせてほしい。サンプラザの公演はそんなプロジェクトだった。
先行で公開されたJUST LOVEを見ながら、きっとこの先、この夏以上にいいJUST LOVEを演奏することはできないかもしれないと思った。ミリオンで一緒に声を重ね、つくったのだもの。
それがわかっていてもきっと演奏を続けていくよ。それがわたしたちの続ける旅の正体だから。

特別蒸し暑い2023年の夏の記憶を這い回るゴーストたちが今夜も眠らせてくれない。見えなくなっても居座り続ける、思い出という名のゴースト。しまっていた引き出しから跳ね上がる響きの一瞬一瞬、表情と振動に水面はずっと乱れている。
でも、そんなまとまらない混乱した気持ちも練習で声を出していると整ってくるから不思議だね。焦燥感とロックっていうのとことん相性がいいんだ。
不思議な季節にきみといた。まわりくどく言ってけど、シンプルに言って別れることが寂しいんだね。
こんな気持ちのことなんて言うんだっけ?
青春って言うんだっけ?

残されたステージが一つ。
「出会ったことに意味があるならここで証明しないか?」ずっと反響している、何度も歌ってきたフレーズ。フジロックが終わればぐっすり眠れるかな? その時見る夢の中でわたしはどんな顔をしているだろう。今のわたしにはちゃんと混乱した表現だけが優しく思える。複数形の太陽と蜃気楼の先でわたしは会い、用意された答えの先にいく。
羽なら持ってる。あとは空と呼ばれている場所で浮かぶだけ。わたしたちがここにいたこと七月に覚えておいてもらうんだ。それぞれの太陽が見えてきたら耳打ちしよう。きっとそれはいいアイデアだよね?

 

 

photography Shiori Ikeno

 

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年、はじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ集『ひかりぼっち』(イーストプレス)を発売。監督・脚本を務めた映画「i ai」が公開予定。

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第19回 インドの灼熱、立体の祈り

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催する、ものの価値を再考するインディペンデントフェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

インドに行く時はインドの方から呼ばれるなんて話があるけど、別に夢にガネーシャが出てきて「起きなさない日本の赤獅子よ〜」なんて呼ばれた兆候があったわけでもなかった。自分探しなんていう目的の旅は胡散臭くて最初から信じていない。どこも探さなくても自分は嫌というほどここにいるし、そもそも目的のある旅なんて旅ではないだろう。
それでもわたしを乗せた飛行機は滑走路の上にいた。遠くなっていく日本の光を窓から見下ろしながら、何も考えずに目に光をしていた。

バンコクのトランジットは7時間、空港を出てタクシーに乗り市街地へいくと駆け足めに詐欺にあう。大した金額ではなかったが出鼻を透明の拳で殴られ洗礼のように旅の始まりを直感し、溜め息を三度、平和ボケした自分ににやけていた。

インドの空港につき、Uberでタクシーを呼びコルカタを目指す。気のせいのような冷房の風に顔面を寄せかじりつき、手元のiPhoneで温度を見ると体温越えの40度。軽い目眩の中、喧騒の街を追い越し、市街を目指す。けたたましいクラクションとルールとは?と問いたくなる横暴な交通様式は日本で語られニュースになる煽り運転のようななまやさしいものではなく、見ているといちいち不安が止めどなく溢れ気疲れするので、そっと目を閉じて四度目の深呼吸をした。
滝のように垂れ出す汗の中、しばらくするとこれらは確かにカオスではあるが無秩序ではないことに気づく。線で区切り、法律により完全な統制が取れた日本の常識から見れば無秩序に見えるが、無秩序のようでいて混乱したルールを全ての車両やオートリキシャが共有していることに気づく。事実、わたしが滞在する期間で何度も車間距離1センチの際どさを見たが、血の噴き上がる事故らしい事故は一度も見なかった。各々がルールに頼らないスレスレの集中力でもって現場で判断を下しているように思う。それが好ましい交通のあり方か否かは、はっきり言って、知らん。

コルカタに着き、宿にチェックインして近くの店でカレーを食べる。葉っぱを重ねてできた皿にカレーがのっているサスティナブルな昼食をすませ、街を歩く。綺麗な布が売っているお店に入り、店主と拙い英語だが和気藹々と話をして、家族とテレビ電話したり写真を撮りあった後、赤い刺繍の入ったカシミールの布を二枚購入する。花の刺繍が施された綺麗な布だ。この柔らかい布が日本で風にあおられるところを想像すると胸が弾んだ。しかし会計をすませたあたりから態度が変化したことに気づく。しきりにチャイをすすめ、断るとソーダやジュースをすすめる。善意かもしれないがなんとなく不穏な風を感じ取り、手を降って店を出た。
あとで知り合った日本人に聞くと睡眠薬をもられるパターンがよくあるらしい。事実、高松でカレー屋をやっている彼が言うには、テレビ電話で家族を紹介されて油断した後に飲んだ飲み物で意識が朦朧としてきたから、水をかぶり、太ももをツネってその場を離れたのだという。きっとわたしの拙い英語と財布の中にあるまとまった金を見て、金持ちのバカな日本人に見えたのだろう。いいカモだ。後で聞くと布の値段も相場より値段が高かった。帰り道、テレビ電話で話した際に見た家族の笑顔も嘘だったのかなと満月の下をとぼとぼ歩きながら考えていた。Instagramのストーリーを開くと友人が満月をあげていた。遠く離れていても見ている月は同じ満月なんだななんて普通のことを思う。布屋の店主が家族と笑いながら電話した時の顔が頭にこびりついて離れなかった。

街にはイギリスの植民地時代の名残の建物が多く見られた。ハウラー駅とコルカタの間に流れる川を跨いだ705mのハウラ橋もイギリスが第二次世界大戦中に作ったと聞いたし、ニューマーケットもイギリスの建築様式だった。インドの人はイギリスのことをどう思っているのだろう?聞くところによるとインドでは英語が喋れないとヒエラルキーの下層部に扱われ、いい役職につけないのだという。ホテルや少し高価な店のドアマン、オートリキシャの運転手などに英語ができない人が多かった。この英語優位もイギリス支配の名残だろう。ホテルのフロントの女の子が会計の際、英語の拙い自分を嘲るように笑っていたのも頷ける。
余談だが、アメリカツアー中にGREEN DAYのBillie Joeのソロなども出してるRecess Recordsというパンクの良心のようなレーベル主催者Todd Congelliereに「明日からSteve Albiniとレコーディングなんだ。Steveはアメリカでも指折りの面倒くさい奴だと聞いたから俺たちの英語で大丈夫か不安なんだ」と言ったら「じゃあ言ってやれ。お前だって日本語喋れねえじゃねえか!って」そんな風にToddは言ってくれて、流石に渋い!と思った。その翌日、Steveは開口一番「ワタシハ日本語ウマクシャベレマセン。スミマセン。マズドラムノタムタムノ音クダサーイ」そんな風にチャーミングに語りかけてくれた。NirvanaやPixiesを録音してきた男は言語や人種ではなく当たり前のように音の強度で人を見ているのが見てとれた。それから、わたしも人をそう見れる側の人間でいたいと強く思うようになった。
きっとホテルのフロントでわたしを笑っていた彼女も必死で英語を勉強し習得したのだろう。気分は決してよくないが、背景が違えばまたその認識も違う。複雑な世界を歩いている。

道すがらさまざまなところにヒンドゥー教の神様が祀られていて、そこに祈る人の姿が見ることができる。世界中に神様はいて、インドの中でもヒンドゥー教やイスラム教やキリスト教などが一つの街の中に混ざっているが、総じて祈る姿は美しいなと思う。どうして人は神様を作り出し、祈るのだろう? しかもヒンドゥーの神様は個性的と呼ぶには度を越えてぶっ飛んでいる。殺戮の神、カーリーは生首を下げ、舌を出し、切り取った手足で腰を飾っている。この神を慕うのだから市井の人々が混沌を受け入れ生きるのはやはり当然の流れに思える。いや、違う。混沌自体がこれらの神を生み出したのだと思う。

コルカタでアテンドをしているサトシ(インド人)に連れていってもらったローカルのカレー屋で灼熱の中、初めて手でカレーを食べた時、いくつかの種類のカレーや米を右手でぐちゃぐちゃにかき混ぜ口に放り込み、胃のなかに流れ込んでいく過程でインドの思想が内側に流れ込んでくるような不思議な感覚覚えた。朦朧とする意識の中、ハエの飛ぶ店内で滝のような汗をかき、カレーだけではなく手についた数多の菌も境界をこえ腹の中で混ざり合うことでもってようやく完成する一つの芸術を直感した。そうと考えれば貧富だけでなく異教徒が共存し、犬も牛も鶏も人も生き、BGMのごとき車のクラクションでけたたましいノイズがそれらを立体的に紡ぎ混ざり合うこの街は、混沌という名の秩序を成立させる一つの胃袋のように思えた。そう、この街は胃なのだ。暑さではない汗を心臓がかき、騒音と相反してわたしは静かに感動していた。

コルカタを出て、シャンティニケタンを目指す。詩人のラビンドラナート・タゴールの墓のあるこの街にいき、バウルに会いたかった。バウルは風狂のうたびとと呼ばれ世捨て人にして吟遊詩人の歌い手、ユネスコの無形文化遺産でもある。わたしは東京という末期癌の中心で資本主義にどっぷり浸かり日々爪をたて格闘している。虚飾で着飾った芸能の集まりや傷の舐め合いみたく小さなコミュニティで束になって気分よくなっている音楽もどきにうんざりしながら、それでもまだ何かに期待して東京にいる。だからこそ、風のように歌い無重力に生きてるようにすら見える彼ら彼女らの歌との関わり方に心で出会いたかったのだ。
幸い、ツテをたどり、居場所はわかっていた。伝統的なバウル音楽の先駆者として知られるバスデーブダス・バウルはお布施で生きている。どのくらいが敬意を表すかの妥当な金額かも知り、駅に着き財布を開けるとおろしたお金が全然なく200ルピー。日本円で300円くらいだろうか。金のないバカな日本人。あ、あれ。おろしたばかりなのにどこいったんや? 換金所のない田舎町、さらに言うとわたしはそもそもクレジットカードの暗証番号を忘れたままインドにインしたスーパー馬鹿野郎だった。最近じゃ、ギャラなんかも貰えるし、その派手さの裏に雲隠れしていたが根本的に全然ダメな奴だった自分のことを思い出して苦笑いしていた。ちゃんと自分探しになっていたのだ。無論探してもいないいらん自分である。

これではバウルはおろか、コルカタに電車で帰ることすらできない。途方に暮れ、暑さで頭もおかしくなりながら街を歩いていると、道の奥から音が聞こえてくる。花に吸い寄せられる蜂の如く吸い寄せられていくと結婚式のようで道ばたで演奏していた。どこの世界にも一人はいる突き抜けてひょうきんなパーティー野郎に手招きされ、輪の中に入ると引き攣っていた頬も解け、だんだんと体が解け緩んでいく。あとはグルーヴの奴隷になりただ音に身を任せて踊ればいい。落ち込んでいたことなど忘れわたしは蝶の仲間だった。
踊り疲れるとタバコを吸おうと若者たちに誘われる。吸いながら、この近くに大学があり日本語の学部もあることなどを聞く。びしょびしょのシャツでハグしてお別れをし、歩いている。月は相変わらず道を照らしている。昼間は寝ていた野良犬たちが「俺たちの時間になんだ?」と唸っているから「すまないね」と会釈しながら歩いた。草むらに蛍が点滅している。なんとかなるさと未来を照らしてくれてるようだった。

翌日の朝、大学の准教授をやっているらしいフィリップという青年が4000ルピーのお金を貸してくれることになった。なんでも日本に滞在していた時に日本人に助けられたらしい。涙が出るほど嬉しかった。これでバウルに会える。お礼を言って別れ、オートリキシャの運転手にバスデーブダス・バウルの名前を言うと「知っている」と豪語するから飛び乗り出発する。しかしわけのわからないマーケットに連れていかれ「ここだ」というから「NO」と言い、走らせる。結局何一つ知らず、運転手のおっさんは道ゆく人に聞きまくり、東西南北をずいぶん遠回りしてようやく到着したが最初に約束した金額の倍以上ふっかけてくる。貴重な金を、てめえの知ったかぶりで遠回りしたジジイに余分にくれてたまるかと反論して怒号を飛ばしていたら、庭先からバスデーブダス・バウルが犬と共に現れる。アポも取らず現れ、玄関先で金で揉めてるわたしの姿を見せ続けるのが俗の極み乙女すぎるので泣く泣く金を倍の額渡し、オートリキシャを降りた。怒りにとらえられ瞳孔の開いた野良犬の顔をしていただろうわたしを受け入れ、家に招き入れてくれた。こんな状態で洗礼を受けて大丈夫なのだろうかと深呼吸したが一度のぼった血はなかなか降りて来ず沸騰したマグマに気休めの息を吹きかけるようだった。
そんな自分を見てか、タバコを吸うか?とハーブを渡してくれた。すっきりとした味で静かに心臓の動悸が整っていく。綺麗な気の流れる場所でもちろん冷房などないが、ひんやりとした風がとぐろを巻いていた。

バスデーブダス・バウルは一曲一曲英語で説明し、演奏し歌いながら心を静かに解いていった。喧騒を潜り抜けて、横に座るバウルの音に耳を澄まし、詩を理解しようと心眼で見る時間は尊く、コルカタでの騒ぎとのコントラストのあいまって静かな内面への旅はわたしをひとりぼっちにさせてくれた。気づけばのぼった血は波風の立たぬ平穏を取り戻し、水面をわたしの呼吸だけがその呼吸の分だけ静かに揺らしていた。
最後は一緒に演奏し、たくさん笑って家を出る。夕暮れ時の静かな帰り道、ここに運んでくれたいくつもの縁の一つ一つを想っていた。

バウルという存在は奥行きが果てしなくあり、その一人一人に生き方と生き様があるのだと思う。知識ではなく心でもってもっと知りたいと思った。そうして歌との距離や方角、その関わり方を自分の手触りで見つけることがわたしの道なのだと思う。今その岸辺に立ち水面は今も静かだ。

 

帰りの列車で車窓から流れる田舎町の風景を見ながらぼんやりと考えていた。インドの旅で旅行者であるわたしはたくさんふっかけられた。そのどれもが不快ではあったし、あとあと悔しさが込み上げるような気持ちもある。同時に今のインドの倫理と経済を象徴してもいる。そもそも正規の値段ってなんだろうか? 本当はいくらなんて答えはあるのだろうか? 友人の家で酔っぱらって歌うが、オファーをもらったらギャラだって当然もらう。自分だって自然に値踏みをしているじゃないか。定規で測れるような一定の線上の前後運動のみを人は生きているわけではない。自分を取り巻く自由立体な座標の中で伸縮を繰り返しながら選択し選択され生きている。胃の中で混ざり合う街のイメージ、優しさと欲、善意に悪意、俗と信仰、世捨て人にお布施、妄想と祈り、混ざり合うこれらを絶対的な一つの価値の下で裁くことなどできるはずもない。
大切なのはこの人になら騙されてもいいと思える人と交わることのなのかもしれない。そして幸福なのは騙されたと呼ぶことではなく、信じたという記憶なのだと思う。笑われてもいい。笑っていたい。

わたしは今、帰りの飛行機の席で強すぎる冷房をコルカタで買ったカシミアの布で守っている。あらためて綺麗な模様だと思う。わたしにはいい買い物だった。その記憶を大切にするし、あの笑顔のことだって信じたい。
それがわたしの立体の中で選んだ真実だから。
うとうとしていたらクラクションの音が鼓膜の奥で聞こえた気がした。

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年、はじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ集『ひかりぼっち』(イーストプレス)を発売。監督・脚本を務めた映画「i ai」が公開予定。

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