第15回 三月のこと

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催するものの価値を再考する野外フェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

眠たい空気にくしゃみをする。半分しか開かない目でぼんやりと見つめる午後、月末の野音ワンマンに向けての新曲の歌詞を練っている。しゃばいコーヒーを飲みベランダから春の風に体を預けていた。近所のガキンチョが意味なく奇声をあげて走り回っている。
ふと休憩がてらに見たiPhoneの画面、血が噴き出すように内側が脈打ち出す。ウクライナ侵攻のニュース。眠たい空気は切り裂かれて、分厚い雲が被ったように鈍色にのまれてしまう。日を追うごとに惨劇が加速度を増す中で、内側で吹き出した血は凝固し黒く焼け焦げたシコリになって、心がある場所を圧迫した。
「無力」そんな言葉が旋回し、着地場所を探していた。目をぎゅっと瞑る。
自分は音楽家だから、音楽をやればいいのだ、などという考えに逃げることができたらどれだけ楽だろうか? 自分の音楽は歪みいびつな形状はしているが、生きることについての音楽だ。どうしてもこの感情を棚にあげて活動することの整合性が取れなかった。
皆にデモのことを伝えると「このタイミングで?」というたじろぎの沈黙があった。無理もないほどに、月末へのMillion wishの練習も緊急を要していた。真っ当なプロならデモの企画に賛同しないだろう。でもわたしたちはプロではない。人間だ。

準備期間は5日、眠れない日々が始まる。自宅はミーティングルームと化し、けたたましくラインの通知が増えていく。電話をかけ、一人ずつ話をした。デモやスピーチに慣れている人でなく迷いや混乱を持ちながら自分の言葉で、声でそこにいられる人に声をかけた。うまく話せる必要などない。いや、むしろ戦争においてうまく話すとはなんだろうか。うまくまとめることなどできないわからなさを抱えながら、それでもはっきりとあるNO。これだけは言い切る。そんな入口の開いた風通しのある集会を求めていた。
だから、当日、プラカードを上げるタイミングがわからない人が集まり、どうやってその場所にいるべきか探りながら、気まずさや気恥ずかしさを押し切ってそこに立つ姿は、わたしにはそのまま希望に映った。募金箱に財布を開いて全て入れていく高校生。本当はアーティストのライブが見たいのにスタッフの誘導に従い、点字ブロックをまたいで場所を譲って遠くで意志表示した人たち。この空間が成立することに使われた想像力は全て希望だ。新宿の谷底でけたたましく鳴り響いたノイズが個人に問いかける。
これを書いている3月の最終日、いまだにウクライナ侵攻は止まっておらず、やはり達成感はない。でも、楽屋でスピーチを終えたウクライナの人、ウクライナに友人を持つ人、ロシアの人、その震える声で感想を話すのを聞いて、意義はあったと切に思った。いや、わたしはそう言い切らなければいけない。朝の5時から設営をはじめたスタッフやボランティアで集まってくれた人、集まったバックドロップの複数のデザイン、パッチワークにゴミ箱、写真や声、歌、集まった多くの募金も全ては侵攻が早く止まってほしいという祈りだ。その祈りは何一つ無駄なことではない。一万人という熱狂ではなく、そこに自分の意志で震えながら立った一万の孤独。その孤独をもってあなた自身のプロセスでたどり着いたNOには価値がある。そして意志は明確にあなたを生かすことを知っている。そのことを言い切りたい。

 

 

デモが終わり、急ピッチで野音に向けての準備を再開する。案の定、1週間は穴が開き、何一つの身動きが取れなかった。自分達が選び決断した1週間を、音楽の側面から見て間違えた空白と呼ばないためにも取り返さなくてはいけない。全細胞を逆立て声を出す。
どれだけ疲れていても、声を出すと不思議と体は動くから不思議だ。音楽をする時は体力と呼ばれる部分とは違う箇所を使って鳴らしているのかもしれない。Millionのメンバーといると力が漲り、最後はいつも笑っていた。
ちょうどカルロスが抜けた翌日からはじめたこのプロジェクトは、自分にとって出会う必然があった。いつもそうだ。頭では考えずに追い詰められたらちゃんと手放す。恥ずかしいくらいに落ちて、光が問いかけてくるのを待つ。
あ、差した。Million wish。
空いた手で掴んだ光にはそう名付けた。

UNDERCOVERのジョニオさんと旗の打ち合わせとスタイリングを進める。風と振動を送りたい。この震えた3月の風を日比谷のビル風に混ぜてもらうために振る旗が必要だと。旗は複数の赤布のパッチワークで縫い合わされた。傷だらけのクラストの旗はわたし自身みたいだと思った。「生傷を絶やすな」いつも影に言われている。わかってるって。しばらく黙れよ。

毎日練習して、顔を合わす。全体でスタジオに入れない日もMillion wishのメンバーは、代々木公園で自主的に集まり練習をしていて頼もしい。譜面に用意されたフレーズがそれぞれの血肉になっていくのを感じる。

練習の後、スタジオの地面が揺れる。電柱が揺れ、電車が止まった。2011年の311のこと思い出して足がすくむ。大変な時代に生まれてしまった。混乱が積み上がる速度に追い越されないよう、音と言葉を重ねた。

迎える日比谷での時間には過去と現在、未来が全て同居していてほしいと思っていた。思い出と呼ばれているものを、過去としてないものにしたくない。それは懐古を超えたところで未来と同じだけ価値があるのだと知っている。答えを出るのを待たずはじめ続ける、このことがわたしを生かしてきた。ただそれをやるだけだった。だから全てのサヨナラも帰ってきてほしいと願っている。
桜が開花する。晴れやかな気持ちを押し上げるように風が吹く。理由はないけどうまくいきそうなこのグルーヴに乗りたい。ちゃんと傷ついたし、とても疲れた。音楽はそんな気持ちを説明することなく理屈も飛ばして寄り添い、鼓舞する。

当日は晴れた。天気予報なんて当てにならない。ゾロゾロ集まってきたメンバーは目の下にクマを作っていて、寝不足を丸出していて頼もしい。かくいうわたしも眠ることができなかった。この大事な日特有の眠気が愛しいし、うざったい。早く音をくれ。音さえあればわたし、飛べる。蟻がベンチで食べたお惣菜のカスを運んでいる。色んな時間軸が存在する。深呼吸。

日が移ろい、雲が流れていく。百万と重なる声、合ってる音も合ってない音も愛している。わたしたちは不完全なケモノ。機械じゃない。
真っ当にあるべき怒りと祈り、混乱と焦燥全てをさらうビル風は龍の深いため息のようで、個人的な感情や意識をもっと大きなものに預けていると歌いながら直感していた。それをどんな言葉で形容できるだろう? きっとこの日比谷野音を踏んできた先人たちですら、誰も言葉にできた人などいない。だから何度も確かめるようにここに立つのだろう。

 

 

モヤがかった景色の中から次のアルバムのテーマが見えてきた。そう、この風を捕まえよう。
いつも自分たちが鳴らした空間が先の展開を示してくれる。ちゃんとあの場所に未来があったことを実感している。音楽家に音楽をさせてくれてありがとう。3月の終わりにちゃんと切符を受け取った。
相変わらず、混乱しているけど、何も整理できない複雑さをそのままに生きていこうと思う。それを放棄して優しさは生まれえないよな。
あなたにはあなたの受け取り方があって、この3月の感覚をあなたなりの形で水をあげ、花を咲かすべきだ。それは表現というフィールドに限定されず生きること全てに開かれている。それでようやくこの二つの催しは完成する。
今夜の雨で桜は散ってしまうかもしれない。わたしは散った後はじまるあの芽の青も好きだな。

2022年の3月に生きたこと、吹いた風のこと忘れない。
ちゃんといた。

 

photography  1.2.7 Shuhei Kojama
3 島崎ろでぃー
4.5 Taro Mizutani
6 Shiori Ikeno

 

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年にはじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映開始。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年1月5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演し、全国上映中。初のエッセイ集『ひかりぼっち』がイーストプレスより発売中。

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第14回 フジロック2021

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催するものの価値を再考する野外フェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

ひどい時代だと思う。今まで生きてきて、ここまで苦しい時代もない。分断は加速し、弾は飛び交ってないが代わりに言葉が飛び交い、見えない血を誰もが流してる。
感染者が増え続ける中で二日後から始まるフジロックフェスティバル。音楽とはなんだろうと心臓に突きつけられる。
同じ日に出演する盟友、折坂悠太から「マヒト君はどう考えている?」といった内容のメールで目を覚ます朝。つくづくしれっと逃げさせてくれないなと思いながら、胸の不安感に聴診器を当てる。フジロックの開催に否定的な意見が出てきてくるのは想像していたし、迷いがないと言えば嘘になる。

思えば、もうここ数年、潔白と呼べる状態はなく、常に濁りと混乱を携えながら生きてきたように思う。リスクを天秤にかけ、知らぬ間に何かの加害に参加し、見えない何かの暴力に加担していたり、一方で誰かの救いになっていたり。聖人君子などではない、叩けば埃の立ち上がる混乱の日々を、それでもできるだけ優しさと共にありたいと思いながら駆け抜けている。

昨日会った知人はフジロックのために二週間前からカレンダーに〇を打って好きな外出と酒を控えていると言った。「フジにこの夏の全てをかけている」と屈託のない笑顔で言った。命という絶対的な価値の前に、弁明にもならないなんでもない声なのは承知だが、一人一人かける想いや生きていることの意味や意義、そしてそのレイヤーはバラバラだ。

ライブをめぐるこのコロナ禍の日々はひどいものだった。十分な補償のない中で自粛しろという勧告が自動音声のように繰り返され、音の出る現場は槍玉に挙げられ袋叩きにあった。乱発する意味のあるのかないのかわからない緊急事態宣言に右往左往させられ、イベントは潰された。仕事を失って転職した音楽関係者を何人も知っているし、経営破綻するライブハウスの思い出を発表と共に熱く語ったところで時はすでに遅い。

フジロックはネームこそ大きいが巨大な自治だ。関係者の空気感から察するにもう一年延期する体力はないだろう。それほどまでに逼迫した現状はまず周知すべきだと考える。
生業にしてるのは音楽関係者だけではない。祭りにまつわるケータリングなどのフード出店も切実だ。巨大なビジネスに見えるがその内情は顔の見える個人店舗によって成り立っている。資本のあるオリンピックとそこは大きく違うだろう。

わたしはアーティストだ。音楽で生計を立てている。会社員が電車に乗って出勤するのと同じように、わたしは現場にいき、音を鳴らす。それが仕事だからだ。
「収束した折に」という弁もあるが、わたしたちは記号ではないし、この世界はゲームではない。セーブもできない日々は当然巻き戻しもできない。
事実、GEZANのオリジナルメンバーであるベースのカルロスは2021年1月1日のフジロックの配信ライブで、舞台を降りていった。突きつけられるコロナ禍が変えてしまったもの。比喩ではなく、腕がもがれたような痛みと共に目の前が真っ暗になった。恥ずかしい話、一人の部屋で何度泣いたかわからない。
命という絶対的な価値の前にはこれも自分勝手の一言で片付けられてしまうかもしれないけど、わたしたちには今しかない。そしてそんなわたしたちを生かすフジロックという稀有でオルタナティブな現場にこそ生き残って欲しい。

もっと個人的な話をする。八雲という新しい仲間ができた。
18年しか生きていないこいつの人生をわたしたちは変えた。宮崎からオーデションを受けにきた日から東京に住み始めた。灰野敬二の異次元のライブを見せつけられ精神を崩したり、およそ会ったこともない数の特殊な人間と交わり目を回しながら、晩には必ずスタジオに入り連日音を出し続けた。今ではフジが初ライブだってことを忘れるくらい、馴染みきっていて、ちゃんとGEZANの顔をしていて頼もしい。
これだってオリンピックの時にあった、選手は頑張ってるんだから論と何も変わらないよな。ただそのアスリートの特権を使いたいと願うほどに、わたしはステージの上の時間を今、懇願してる。

 

 

今こう記していて、俯瞰や客観のない、極めてオンの状態の視点からの言葉のチョイスだなと我ながら思う。なんらリスクについての言及などない稚拙な文章だと自覚する。
今日においてミュージシャンは音を出すだけの仕事でなくなった。その選択や振る舞いについても自覚が求められていて、見誤ると奈落の底に落ちる。オリンピックをめぐるゴタゴタもその一つの象徴に思う。
加害に参加しかねないというのは自覚というより覚悟の部類だろう。この先も覚悟はずっと試されていくことになる。仮に比喩ではない銃弾が飛び交う中で、こんな時に音楽なんてやっている場合か? そんな議論はこの先も常につきまとうだろう。

わたしはアーティストなのでアートや表現が人を真の意味で生かす可能性を信じている。
あらためて、音楽とは、生きるとはなんだろうか?
綺麗事でうまく絡めとりたいんじゃない。何かのためといった大義名分ではなく、主語を最小にした個人の意志でしかない。最後は誰かや何かのためじゃなく、わがままに極めて近いわたしの意志であり、あなたの意志だ。

出演するアーティストに言いたいのは、迷うことは当然として、主催に全責任をあずけたり、開催の是非について判断をくだせないというスタンスは卑怯だと思う。その前提のままステージに上がるのはフェスの運営にも失礼だし、議論を放棄して今日の開催というものは成立し得ない。
客も演者も主催も同じ船の上にいる。全感覚祭というフェスを主催する身としてそう言える。この時代はただの傍観者でいることを許さない。それぞれが何を大切にし、未来と呼ばれる時間に何を残すか、その選択が委ねられている。

批判や責任の一端を背負った上で、個人的な切実さを理由にわたしはフジロックのステージを全うする。
生きてるってこういうことだよなっていう一つの感触を、人と人が出会うことの意味を、2021年の混乱と光の同軸で鳴らし、記号ではない血の通った存在の振動でもって、苗場を爆発させる。

 

photography  Yusuke Yamatani

 

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年にはじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映開始。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年1月5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演し、全国上映中。初のエッセイ集『ひかりぼっち』がイーストプレスより発売中。

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