ステイトメントを書いて数ヶ月の間で、全国様々なところからフードが集まり始めた。
お米や梅ジュース、みかんや生姜、ニンニク、ジャガイモ、それら食べ物はどこからやってくるのか?その発送元を調べれば地名を知ることはできるが、その文字からは鼻を鳴らしても土の匂いはせず、その向こう側を、目をつむり想像してみても人と四季との営みを想像しきることはできない。だが手元に届いた野菜を見ると、確かに言葉は電波に乗って顔も知らない、会ったこともない人のところまで飛んでいったのだろう。
わたしはその土の冷たさも知らず、その水に濡れた指も知らない。賛同してくれた人の中ではお米を1500キロ提供してくれる人もいる。もちろん量が全てではなく、提供の大小に関わらず関わってくれる人全てに感謝しているが、この1500キロ、1.5トン、およそ2万杯という量には気概を感じざるを得ない。
それは企業の協賛とはわけが違うことが容易に想像できる。自身が手間暇をかけて、何年もかけて耕してきた畑、四季をまたいで世話してきたお米だ。繰り返すけど、わたしは、凍える冬の霜の冷たさも、爪に入った泥も、芽吹いた日の春のさえずりも知らない。土を蠢くミミズも、台風を心配し眠れない夜のことも知らない。
わたし達が想像し、奔走するこの祭りはその気概に応えることができるのか?
わたしの書いた言葉の何が彼らを動かしたのか、そこにはこの農業を取り巻く環境への難しい現状があるような気がしていた。
8月28日、その日は周防大島に住む中村明珍さんが東京に来ているということで、ちょっとお茶でもという流れになった。渋谷駅で待ち合わし、エスカレーターを降りていくと、先についていた明珍さんは所在なさげにスーツケース一つを横に置き、線路下で待っているのが見えた。
明珍さんは銀杏BOYZのギタリストとして数年前まで活動していたが、自分にとってはその経歴よりも、島の海風を運んでくれる優しいお坊さんだ。純喫茶風の店内に入っても人の多さからか喧騒は止まず、ざわつきは完全にはシャットダウンされない。ドのつく田舎の生まれであるわたしも明珍さんの純朴な部分にハーモニクスを起こしたのか、どうも落ち着きがなかった。
そうこうしてるうちに、明珍さんが塩の協賛をしてくれる村上雅昭さんを呼んでいるので紹介したいという。島の男を全開にさせ、柄シャツからはみ出たイカツイ肉感で喫茶店のドアを押し開け、登場した村上さんを見てわたしは軽く圧倒されていた。
「おい、何アイスコーヒーなんか飲んでるんだよ。夏はレモンスカッシュって決まってるだろうが?」
村上さんは明珍さんを見てそう言い放つ。そうだったのか。。。
幸い、わたしはレモンスカッシュを頼んでいたためその追撃を受けることはなく、ことなきを得る。
作っている塩のサンプルを舐めさせてもらったら、その角のない柔らかい味の繊細さに驚いてしまった。村上さんの容姿や言動のワイルドさとは不似合いで、はっきりとした粒立ちと輪郭を持っていて刺すような酸味はない豊かな味をしていた。目をつむると潮騒が聞こえるような気がしたし、海の香りは静かに肺に流れ込んでくる。島の形が龍の形をしていることから名付けられた龍神乃鹽。きっと大切に作られたのだろう。
村上さんはその日の体のコンディションや気持ちのアップダウンが味には反映されるといっていた。それは音楽でも同じことが言えるからよく理解できる。同じコード、同じ歌詞だとしても、どうしたって毎日の変化の波を受ける。できることはその水準自体をあげることだというのも納得できた。
「フライパンにひいて、ベーコンでも焼いてもうまいよ。今喫茶店の店員のねーちゃんに頼んでみるか?」
東京にそのフランクさを許容するキャパがないことを痛いほど知っているわたしはその奔放さがどこか恋しくもなる。
村上さんと別れ、明珍さんと店を変えて、外のテラスでお話をした。絶えず、目の前を残像も残さずに人が通り過ぎていく。
この頃になると深呼吸したように静かな気持ちになっていた。わたしは、前文で書いたような、このイベントに向けて書いたわたしのステイトメントやコラムがどんな意味を持っているのか、その誠意に応えられる価値が本当にあり、どう返していけるのかという不安について手短に話した。
明珍さんは「村上さんのような人とマヒトくんが出会っているだけでまず、今まで島にはなかった変化だ」と言った。農業は作っているもの、そのもののクオリティに向き合い、進化していくことが得意な人は多いが、それを外にアウトプットするのが苦手な人が多いのだという。音楽でいうところのバンドの楽曲を制作するのと、マネージメントやレーベルを別のものが受け持つのと同じ構造のようだ。
わたしのやっているGEZANや十三月はそれをまとめてやっているから、その大変さはわかるし、曲だけに集中することのできる環境が健康的で羨ましく思う気持ちもある。
その流通を受け持つのがJAの仕事で、農家から集まった作物を集め、流通を専門に担当する。しかし、例えばお米が集められた場合、そのお米は作った人物関係なく混ぜられ、それどころか安価にするために新旧の年代までもが混ぜられ、味が落ちてしまうこともあるのだという。
現在、周防大島では本来自給できるはずのお米が、JAで一回山口県全体のものとして混ざってそれがおりてくるか、全然違ったコシヒカリが島にやって来たりする。余すことなく捌けさせるために仕方がない面もあるが、作者の顔やプライドが利益のために剥奪されているのが現状のようだ。しかし、その流通網を使わないと流通できない場所が多くを占めているため、疑問を感じつつもそこに頼らざるを得ない現状がある。
それを聞いて思い出したのはつい先週、sea of greenという福井の野外フェスに出た時のことだ。楽屋にお弁当が平積みされていて、わたしはライブ前に箸でつつき小腹を満たしていた。ライブが終わり、スタッフ用のケータリングを全感覚祭のフードの主柱でもある奥成聖子さんがやってると聞いたので、そのブースまで移動してみると、やはりこのお弁当も聖子さんが作ったのだということを聞き、お弁当の残りを美味しく食べた。
普段、ケータリングなどがあっても小腹を満たすために箸を二、三度運び、残したまま楽屋を後にすることがほとんどだ。楽屋のケータリングにはそもそもそういったつまみとしての性質を持っている。しかし、顔の知っている人がそれを作っていた場合、自分は残さない。単純な話だが、知ってる人の料理は味とも違う特別なエフェクトがかかる。
この顔が奪われるというシステムがいかに尊厳を奪っているか。自分がかけてきた時間や労力や想いが、否応無く数字に書き換えられる。これは生産者にとって非常に辛いことだと想像できる。生活のため、その名目のもとで踏ん張っている農家はたくさんいるし、もっといえば、そういったシステムに疑問を持つ余白も許されず、踏ん張っていることにも気づかないまま受け入れている農家もいることだろう。環境が無抵抗な思考をジャックしている。
明珍さんは少し暗い顔になって話をこう続けた。
8月は半分くらいお盆参りの仕事をしてて、家にお坊さんが拝んでいくっていうのを、結構おっきいお寺で5、6人、多いときは10人くらい同じところで寝泊まりしながらやっている。当然みんな趣味とか全然違うんだけど、ひとつの枠組みの中で生きてる人たちだ。
たまたまその時にテレビで韓国のくだりが始まって、また嫌韓やってるよと僕は思ってたんだけど、あるお坊さんが「韓国本当ダメだよね」って言ってて、それにさらに同調する人がいて、中国と韓国は、という話になってびっくりした。お坊さんってそういうものじゃないと思ってた。だけど、素直にそういう感情を持っていて、でも普段はめちゃめちゃ優しい人たちだという。
僕は争うのが好きじゃなくて、「こういう見方ができるんじゃないですか」って、これはテレビで、僕らが関係できない政治の話で、人を判断するのは違うっていうところまで説明したんだけど、「知らないの? 在日はね、」と跳ね返されてしまった。個人的に何かあったのかもしれないけど。
何が僕と違うのかって思った時に、僕は音楽で一旦思い込みだったりが解体されて、疑える環境だったり、チョイスをいっぱいもらえてたのだ、と。彼らはたまたま触れられなかったっていう言い方もできるし、生きている縁として、今までの出会いの中でそういう思考が出来上がっている。優しさ自体は持ち合わせているんだけど、なぜかそういう思考になってしまう複雑さを感じたのだという。
この問題もJAと同じ箇所に根付いている。場所や環境が発してるメッセージに無意識下で影響を受けているという意味において。
同時にそれは全感覚祭への可能性なのではないか? それは、音楽はもちろん、食べ物の持ってる可能性だと思っている。
食事は個人の体験だし、洗脳とファンタジーにまみれた世界の中で肉体的に存在できる一つの可能性だ。生き繋いだ先の一日ではなく、確かに呼吸し存在した時間は生活を真っ当に生かす。
ご飯ってすごいもの。だってわたしもあなたも生きているし。
明珍さんはお寺を運営するというより人の話を聞いてそのアイデアを横に流したり、自分が思ったことをシェアしたり、そういった在り方で島の農業と関わっているそうだ。
困ったことがあったらお坊さんに相談する。脈々と繰り替えされてきたであろう真っ当な在り方だと思うし、村上さんと出会っていることもまさに facilitator的で必然的なシンクロを感じている。
明珍さんは島に場所と、もう少し冷たくない流通のラインを作りたいのだという。
全感覚祭にお米を1500キロ提供してくれる村上善紀さんは協賛ではなく自らのアクションで参加と言ってたという。その話を聞いてわたしは本当に嬉しかった。
わたしたちは施しを受けているのではなく、このコンセプトに反応した全国津々浦々の人が自らのイメージで持って参加し、それぞれの尊厳を鳴らしている。わたしの手から全感覚祭が少しだけ離れていくのを感じた。
それこそが理想であり、この場所が「はじまった。」確かにそう思えたのだ。
周防大島や山形から帰ってきたカルロスがいい顔をしている。フードのミーティングをしている時に、残したりせず綺麗に食べて欲しいわー。そうこぼした。本気でそう思ったのだろう。
想像力ってどこまで信じてもいい? 少なくとも、体を生かし、音を聞くわたしのことは信じてもいい。
それに対する感情の動きはこの不明瞭な時代において確かなものの一つとしてカウントしていいだろう。まだまだフードは募集している。
懐かしい未来に参加してほしい。
sea of greenの時、聖子さんに
「食材で参加してくれた人が関わってよかったと思えるご飯にしたいですね。」と伝えたら
「あんた、何言うてんの?当たり前やんか。ずっとそればっかり考えてるわ。」とのことでした。
あはは。周回遅れ、マヒト。
よし、開催まで混乱の中、光を手繰り寄せ、走る。走るぞ。
マヒトゥ・ザ・ピーポー
フードに関する募集
今年の全感覚祭はフードフリーに挑戦します。自分や大切な人が生きている今と、これからくる新しい時代を好きでいるための試みです。そこで、もしこのコンセプトに賛同してくださる方や、お店をされている方など、是非ご協力いただければと思います。感心を持たれた方はまず、ご連絡ください。
刺激的な時間や景色が日常につながっていくための全感覚のための祭。どうぞ宜しくお願い致します。【内容】
・食材を提供してくださる方 (米、野菜、肉、魚だけでなく、味噌や醤油などの調味料も。集まった食材などをもとにメニューを考えたいと思っていますので一度連絡をお願いいたします。)
・盛り付け・洗い物・配膳・食材運搬・列整理・下処理補助等
・調理器具を貸してくださる方(業務用鍋など)
・調理のお手伝いや料理の得意な方、またこのコンセプトに賛同してくれるショップの方ご連絡お待ちしております。
【フードに関する連絡先】zenkankakusai.food@gmail.comフードフリーのためのAmazonほしいものリストも公開しています。
・大阪
https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/3JZR5PX4FFZZN?ref_=wl_share・東京
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/ls/ref=aw_wl_lol_gl?ie=UTF8&lid=2F168PCADXRTU
またこの試みに賛同してくれる方、募金の方もよろしくお願いします。
【事前募金振込先】
ゆうちょ銀行 四五八支店
普通預金 1156467 カネコツカサ(*口座は十三月のメンバーであるカネコヒロシの父親の口座です)
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2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年、はじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ集『ひかりぼっち』(イーストプレス)を発売。監督・脚本を務めた映画「i ai」が公開予定。