第18回 阿寒ユーカラ ウタサ祭り

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催する、ものの価値を再考するインディペンデントフェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

札幌から向かう雪道、対向車がくるたびに跳ね上げる雪で視界はホワイトアウトする。白いカーテンを何度もめくり、セイコーマートで珈琲を買う。吐く息は北の冷えた空気に混ざり秒で溶ける。今わたしの耳に聞こえるのは灰色の空が軋む音、雪が地面に触れる時の柔らかい不時着音、時折道路を走り抜けていく車のタイヤの音に、吐く息とわたしの心臓の鼓動、それだけ。阿寒が近づいてきたことを体は知っている。
アイヌコタンにつき、フキさんのやっているポロンノの扉を開けると温かい波が体を迎え入れた。この街にくるのは何度目だろう。気温は確かに寒いが、そのちょうど同じ分だけ温かさを感じている。出してくれたカレーを食べ、すでにいい感じに酔った文筆家の佐久間裕美子と話していると、会場づくりを終えたアイヌコタンのチームがゾロゾロと集まってくる。まだ会場に着いたばかりで東京の混乱を腹に飼ったままのわたしは浮き足だっていたが、みぃばあがドアをあけ、駆け寄るようにハグしたら「ただいま」と体の緊張はほどけ、手を離した時には両の足は地面にちゃんと着地していた。

しばらく飲んだ後、わたしホテルまで歩こうと外に出た。好き勝手を叫びすぎて復讐されたように喉はズタズタで、声が出なかったから早めに休もうと思っていた。こっそり店を出たつもりだったがフキさんの息子で、みぃばあの孫でもある仁がついてきてくれた。二人で静まりかえった阿寒の街をとぼとぼ歩く。道すがら色んな話をしてくれた。うまくいかないこと、答えが見つからないこと、悩んでいること、18歳の語るその全てが切実で、胸の奥を走る痛みにどこか覚えがあった。
ホテルの前までついたところで月を見上げて「なんで月ってあんな綺麗なんですかね」と仁は静かに言った。「なんでだろうね」
等間隔に並ぶライトが白い雪道を橙色に染め上げている真ん中、二人で夜中の空を見ていた。月の側を小さな流れ星が走って思わず「あ」と声を出しそうになったけど、メガネをかけた仁は気づいてなさそうだったから言うのはやめた。視線を落とすと、森の脇道からメスの鹿がこちらを丸い目で見ていた。
「ステージの上で叫ぼう。まとまらなくていいからぶつけたい気持ちを考えといてよ」
「はい」
「おやすみ、また明日」そう言ってその日は別れた。

リハーサルもゲネも申し訳なくなるくらい声が出なくて、丈夫な方だと思っていた声帯の日々の雑な酷使を呪った。野中温泉に行き、両国の鹿肉に力をもらってもなお、声は戻らず、リハでのハナレグミの永積さんや中村佳穂ちゃんの伸びていく声を聞くたびに、綺麗にこなせない自分の人生そのものみたいな声に落ち込んだりした。それと同時に強い声とはなんだろうとも思った。佳穂ちゃんの声は太陽みたく凄まじい光量だったが、その強さの影にアイヌのウポポが埋没していくような印象を持っていた。外に出ると昨晩同様に太陽の光に照らされて煌々と光る月が浮かんでいた。深呼吸して肺を冷たい空気でいっぱいにした。どうやってアイヌコタンのみんなといっしょにいられるだろうか?
「これ飲みなー」ホールに戻ったわたしにみぃばあが背中をさすり、出してくれたシケレベ茶が今世紀最大の苦さで声に出して笑った。

 

の当日、LAWSONで眠気覚ましの珈琲を買っていると「昨日よかったです」と声をかけられ「公開リハを見てたってことは地元の人ですよね。ありがとうございます。」と返したら地元というわけではないのですが釧路のカレー屋さんを手伝ってますと言い去っていった。後に風の噂で美術家の奈良美智さんがカレーの出店を手伝っていると知る。あのコンビニで話した人って、そっか。

祭りがはじまる前にはカムイノミがあり、この祭りの安全な成功を祈ってアイヌの神に祈りを捧げる。綺麗な色のチンジリやルウンペを纏い、同じくらい色彩豊かなお供物が並ぶ周りを囲うように座っていく。アイヌの精神は、山や湖など様々なものをカムイとしてあがめるのだと話していて、長であるエカシが祈りを捧げる際にウクライナ侵攻についても言及されていたのが印象的だった。そこでの所作の一つ一つが全く違う土地にきて、文化を借りているのだと体が知り背筋が伸びる機会になっている。動きや祈りを見様見真似で体がなぞっていくうちにアイヌの大切にしてきた思想を追体験していくみたいだ。これは踊りもウポポにも言えていて、身体性だけが記憶していることがあるのだと直感する。
そして祈りを捧げた後にキク子フチの作ったトノトというお酒が美味しくて、皆口をつけた瞬間「うまっ」っと小声で顔を見合わせざわついてたのが可愛かった。

 

 

ウタサ祭りがはじまる。静謐さに張られたピアノ線が上下左右に振動するように伝統と革新を行き来する。小林うてなのスチールパンとトンコリの響きの邂逅、熊谷和徳さんと日川キク子フチとのセッションは白い恋のように甘く、フッタレ チュイ、フックン チュイでのダンスでは女性たちが自由へと解放されていく。表層的に手を取り合う出会いではなく、ずれたりずらしたりするリズムの関わり合いには複雑なレイヤーをまたぎ、歩み寄ろうとする真摯なレベルミュージックの姿を見た。タップダンスが黒人奴隷の解放の表現というそもそものルーツがアイヌの複雑な背景と相性がよかったというのもあるかもしれない。白銀を舞うタンチョウがわたしには見えた。

 

中村佳穂とウポポのライブも特別で、リハやゲネを重ねるたびにどんどんと周りを囲うアイヌコタン皆の表情が自由になっていくのがグラデーションで感じとれた。きっと佳穂ちゃん自身が皆のことを好きになっていったのだろうし、いることを許したり許されたり互いのそういった意識の変容が空間に溶け出す流れは極めてライブ的だったように思う。照らされた月のようにみんないい顔をしてた。
休憩を挟みハナレグミのライブが始まり、出番が近づいてきたのでわたしも着替えをする。マタンプシというハチマキもチンジリもみぃばあが縫ってくれたものでフルスタイリングbyみどりの最強セットで身を包んだ。タデクイのダイチは東京のクラブに行くのが目標だと言っていた。ニット帽もオカモトレイジのやってるyagiのものだ。わたしはそれも高校生の健全な欲求に思う。

「みどりさんのつくる縫い物は綺麗なんですよね」とわたしが着ている羽織を見て言った。
うちの母ちゃんは東京出身なんでそのカラーも入ってるんです。そういってトンボの刺繍がコラージュのように張り合わされた自分のルウンペを見せてくれた。わたしはそれをとても綺麗だと思った。アイヌの高校生って一言で言ったってみんな違う。全然違う。
「あれ、今これ永積さん家族の風景やってない?」まんまと曲に運ばれて家族の話をしていたわたしたち。ダイチははにかむように笑った。楽屋に緊張から解けた心地いい時間が流れこむ。
「内職なのよ」と言い、出番と出番の間に縫い物をしている人、キツネの尻尾をつけてお菓子を食べてるキッズ。
カントとオミとダイチの三人からなるタデクイのライブが始まる。初めて出会った時はまだ中学生で、アイヌ語で歌ってたグリンボグリンボ(GREEN Bou Grinbo)は終え、等身大の赤裸々をいわゆる日本語ロックでまっすぐに鳴らしていた。欲しいものを欲しいと求める姿は清々しく、そのステージに佳穂ちゃんを招いてのライブは太陽のように眩しかった。袖でBODY ODDの詩のノートを握りしめてる仁の目にはどう映っているだろうか。仁はかつてグリンボのバンドメンバーであり、同い年の親戚でもあるカントと仁は太陽と月のように思えた。
わたしは何も言わず仁と抱きあった。仁は「ぶちかまします」と耳元で言った。

OLAibiと内田直之というチームGEZANのDOPEなDUBで完全に空間が仕上がったところでGEZANはライブを始めた。表と裏や光と背景ではなく、全員で雷を落とすイメージだ。だからこける時は全員でこけようと思っていた。その分一人一人の顔と声を聞き意識を溶かした。雷鳴と共に始めたBODY ODDは全員コタンで育ち、ほとんど孫婆ちゃん従姉妹で構成されたコタンでしかない必然のマイクリレーを一本のボーカルマイクでつないだ。リズムがずれたとか、マイクの受け渡しが手こずったとかどうでもよくて、ここに全身全霊で存在する、それ以外に必要なものなどなかった。フキさんと姉妹でカントの母でもあるエミさんの高速ぴょんぴょんウポポからかよさんにマイクが渡り、床州生さんは阿寒を背負いこむよう、地鳴りのような覚悟で吠えていた。仁にマイクが渡り、叫ぶ第一声で観客席に拳がいくつも上がるのが見えた。わからない気持ちをわからないまま叫んでもいい。パンクはそんな人のそんな不完全で不明瞭な感情に優しく共鳴する。最後みいばあがラスボスのようにステージ上がり、ロホンナを皆で歌い踊った。

 

 

 

火の神様に捧げることをアペフチカムイと言うことを以前みぃばあが教えてくれた。アイヌではおばちゃんのことをフチと呼んで大切にするが、神様と同じフチという言葉で語られるのはとても綺麗な概念だと思ってる。アンチエイジングなんて言葉とは逆で年をとり、知識を重ねていくことは神様に近づいていく美しいことなのだとアイヌ文化は知っているのだ。
自他が溶けるよう、ほどけるようにGEZANの演奏は融解してエンディングのポロリムセの輪踊りにつながっていく。そこには演者と観客という境界もなく輪になって終わらないウポポを歌って踊った。和人のプロミュージシャンたちがオンでもオフでもない不思議な顔をしている。自分がどんな個性を放っているか、そんなことはもうどうでもよくなっていて、ただ輪の中の一部になり、季節の風に吹かれるように出会い、別れ、そして果ての生と死を点滅させながら循環する血になっていた。

 

輪踊りが終わってもなかなか帰らないお客さん、集合写真を撮ろうと水谷太郎が台の上に立つが「皆表情が固いよ」の一言で間髪入れずに手拍子と共にウポポが始まる。この速度と歌との距離がウタサ祭りの真髄だと思った。その境界線もないまま打上げへとなだれ込み、皆が歌い、皆が踊る輪踊りは矛盾して聞こえるかもしれないが朝まで永遠に続いた。その光の元には太陽も月もなく、ただ純粋で無垢な光が空間を充満していた。

仁は疲れてウトウトしていた。緊張してきっと眠れなかったのだろうと思い、昨日何時間寝たの?と聞いたら「10時間くらいですかね」と飄々と言っていて笑った。仁のじいちゃんであるアキラさんがこの連載でわたしが第一回ウタサ祭りの時に書いたブログを手書きで書き残してくれていた。とことどころ滲んでいるところもあるその紙をめくりながら、今日の日のことを書いてみようと決めた。言葉は流されていくが、消えないものもあるのだと、わたしは知っている。言葉にできないものを残すために言葉のことをもっと知りたいと思った。

翌朝、チックアウトの時間も知らせていないのに仁は外で待っていた。エミさんのアトリエに移動して珈琲を飲む。仁は描いてた絵を取りにわざわざ帰って見せてくれた。叫び同様にまとまらない歪な光がそこにあった。
最後別れる時、助手席に座るわたしにフキさんが手を振りながら「いってらっしゃい」と言った。
「いってきます」とこたえた。ずっとその言葉が胸の中をゆっくりと旋回している。

これを書いている東京は隙間風から春の匂いが漏れ出している。阿寒ではまだまだ冬が続くだろう。きっと暖炉の前で編み物をして、雪かきをして珈琲を淹れて、悩んだり笑ったりしながら当たり前の日々が続いている。だけど、ウタサは境界をこえ、祭りは日常に溶け出している。それこそが最大の贈り物なのだとウポポを共にした皆は気づいているはずだ。その光の中では夜と昼は混ざらずに両立し、太陽と月もある世界で矛盾しながら発光を続ける。わたしもいるべき場所で祭りを続ける。

また出会うためにさよならをしよう。
そしてまた終わらないウポポの続きを始めるんだ。何度でも。

 

2〜8
photography Taro Mizutani
1、10
photography Ayaka Endo

 

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年、はじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ集『ひかりぼっち』(イーストプレス)を発売。監督・脚本を務めた映画「i ai」が公開予定。

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