内戦下のシリアは、実はアラブ諸国の日本アニメ放映での翻訳拠点だった。ラブライブ、鬼滅、ジョジョ、宇崎ちゃん……日本で流行っているアニメは、シリアのオタクのなかでも流行っている。内戦下でもたくましく、したたかに活動するシリアのオタクたちの日常を通して、知られざるアラブ世界のおたく事情を伝えるレポマンガ&エッセイ。遠く離れたシリアに自分たちと同じオタクがいて、そんな彼らが、自分たちとまったく同じものが好きで、同じアニメを見ていると考えると、なんだか平和が近づいている気がしませんか?
【一言コラム】青山弘之
内戦前のシリア
シリアという地名は、今は一般的に1946年に建国したシリア・アラブ共和国という国名を指します。でも、もとは、今日のシリアに加えて、レバノン、ヨルダン、パレスチナ、イスラエル、イラク北部、トルコ南東部を指す地名でした。「歴史的シリア」、「大シリア」などと言われる地域です。アラビア語では「シャームのくにぐに」と呼ばれます。
「歴史的シリア」は古い歴史と多様な社会を特徴としています。「文明のゆりかご」、「文明の十字路」とも呼ばれる文明発祥の地で、古くから東西交易の中継地として栄えてきました。また、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教が生まれたのもこの地です。こうした歴史、文明、文化、宗教が積み重なるなかで、この地域にはさまざまな民族・エスニック集団、宗教・宗派集団が共存しています。そのありようは、アラビア語で経糸と緯糸が調和をなす「ナスィージュ」(織物)にも例えられます。
今日のシリアは、第一次大戦後の中東地域に対する英仏の委任統治を経て、レバノン、ヨルダン、イラクといった周辺諸国と共に成立しました。西欧諸国は「歴史的シリア」の多様性に乗じて、いくつもの小さな国を作り、人々を分断することで、影響力を維持しようと見ることができます。また、1948年には、欧州のユダヤ教徒が、アメリカやイギリスの支援を受けて、「歴史的シリア」の一部を占領しイスラエルを建国しました。
分断と占領は、今日のシリアが建国当初から直面し、克服に向けて取り組んできた課題でした。そして、その取り組みは、シリア内戦が起きるまでは一定の成功を収めてきました。シリアは、分断と占領という課題を課した欧米諸国と一定の距離を保ちながら国作りに努めました。国土の3分の1を占める耕作地、放牧に適した乾燥地を活かして、農畜産業、繊維産業、食品加工業を発展させ、食糧自給率は100%を超え、その多くの産品を周辺諸国に供給してきました。また、石油精製、機械製造、金属・非金属加工などの重化学工業も盛んでした。さらに、教育レベルが高く、教育や医療は基本無料でした。犯罪発生率や所得格差も低く、治安も安定していました。
パレスチナ、レバノン、イラクが紛争に喘ぐなかで、これらの国から多くの難民を受け入れてきました。その背景には長い歴史のなかで培われた、他者へのもてなしの精神がありました。
もちろん、すべてが良いことばかりだった訳ではありません。イスラエルの建国とともに戦争状態に入ったシリアは、常に非常事態下に置かれていました。国家の治安を維持するという理由で、言論の自由や集会の自由が制限されました。また、政治に目を向けると、1963年にアラブ民族の統一、欧米諸国のくびきからの脱却、社会主義の実現をめざすバアス党が政権を握って以降、今日に至るまで同党の支配が続いています。1971年に大統領に就任したハーフィズ・アサド氏は死去する2000年まで30年弱にわたる長期支配を行い、息子のバッシャール・アサド大統領がその後継者となりました。こうした政権長期化は常に汚職や腐敗を誘発してきました。
2000年代半ば頃からは、欧米諸国(とりわけアメリカ)が、シリアの外交政策、とりわけイスラエルと対立するパレスチナのハマースやレバノンのヒズブッラー、さらにはイランとの協力関係を理由に、外交圧力を加え、徐々に制裁を強め、経済に徐々に悪影響が生じていきました。
内政外交面での閉塞感が、シリアの負の側面として常に存在してきたのです。
シリア内戦の始まり
シリア内戦は、2010年12月にチュニジアに端を発し、2011年にエジプト、リビア、イエメン、バハレーンなどといったアラブ諸国に波及した民主化運動「アラブの春」の一環として生じました。「アラブの春」はインターネット革命などと称され、長期独裁政権への不満や経済的・社会的疎外感を鬱積させた若い世代が中心となって、SNSを通じて怒りを共有、デモを呼びかけることで発生し、多くの国で体制転換をもたらしたと説明されます。実際は、SNSが利用されていると報じた衛星テレビによる情報拡散がデモ拡大を決定づけ、また体制転換を経験した国もそうでない国も、そのほとんどが民主化を実現することなく、治安と経済の悪化、さらには内戦を経験することになりましたが、とはいえ、「アラブの春」はアラブ世界にとって無視できない歴史的な出来事でした。
「アラブの春」はシリアには2011年3月に波及しました。きっかけは、些細なことでした。シリア南部のダルアー市で子供たちが、他の国の「アラブの春」を模して、アサド大統領の退陣を求める落書きをしたことでした。これに、治安当局が過剰に反応し、子供たちを拘束し、暴行を加えると、住民が不満を爆発させ、各地で体制打倒を求める抗議デモが始められたのです。他国での混乱を目の当たりにしてきた政府は、警察・治安部隊に加えて、軍を投入し、過剰に弾圧を加えました。抗議デモを主導していた活動家は武器をとり、これに応戦、暴力の応酬が激しさを増していったのです。
とはいえ、抗議デモは、その他のアラブ諸国に比べて限定的でした。多くの国で首都の中心部で数十万人、百万人規模のデモが行われたのに対して、シリアでの抗議デモは地方の都市や農村でした。首都ダマスカスでは、むしろ政府やバアス党の動員に応じるかたちで、政府を支持する百万人規模のデモが行われることもありました。
政府側による弾圧が行われていたことは事実でした。でも、シリアに限らず、「アラブの春」は、正義の民衆と悪の体制という勧善懲悪のストーリーとして捉えられ、「悪は滅び正義は勝つ(べき)」、つまり体制は打倒され、民衆によって民主主義が実現される(べき)という視点で捉えられることがほとんどでした。今振り返ると、政治はそのように単純なものではなく、体制打倒が自動的に民主主義をもたらないことは自明なのですが、当時はそうしたあたりまえのことを報じたり、論じたりすることすらはばかられる空気でした。
シリア国内での抗議デモは2011年8月までには、政府側の圧倒的な弾圧によって収束していきました。ところが、これで終わることはありませんでした。暴力と混乱を再生産するさまざまな力がシリアに加わっていくことになったのです。
青山弘之(あおやま・ひろゆき)
1968年生まれ。東京外国語大学卒業。一橋大学大学院にて博士号取得。東京外国語大学総合国際学研究院教授。1995~97、99~2001年にシリアに滞在。ダマスカス・フランス・アラブ研究所(現フランス中東研究所)共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員などを経て現職。専門は現代東アラブ政治、思想、歴史。著書『シリア情勢』(岩波書店)、『膠着するシリア』(東京外国語大学出版会)、『ロシアとシリア』(岩波書店)などがある。またウェブサイト「シリア・アラブの春顚末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。
※この連載をもとにした書籍『戦火の中のオタクたち』が発売になります。1月26日発売。定価1760円です。
天川まなる
大阪府在住。漫画家。アラブ文化エッセイ漫画を中心に活動。漫画家アシスタントシェアグループPASS代表。漫画講師。アラビア語、アラビア書道、イスラーム全般を勉強中。イスラーム圏のシリア、エジプト、マレーシア、ブルネイなど漫画ワークショップの経験あり。長年の漫画家アシスタント技術を生かし、中田考との共著『ハサン中田考のマンガでわかるイスラーム入門』(サイゾー)、『俺の妹がカリフなわけがない!』(晶文社)。