第7回 竹下通りの女王

日本人で文学好きの母と、瞬間湯沸かし器的にキレるセネガル人の父の間に生まれた亜和(愛称アワヨンベ)。祖父母、弟とさらにキャラの立つ家族に囲まれて、ときにさらされる世間の奇異の目にも負けず懸命に生きる毎日。そんなアワヨンベ一家の日常を綴るハートフルエッセイ。アワヨンベ、ほんとに大丈夫?

原宿の竹下通り。東京の大学に入学して、私ははじめて竹下通りにやってきた。少し坂になっている入り口を下って、小さな店が所狭しと並んでいる通りを進んでいく。観光客や学生の群れでつくられた人ごみに押し流されながら、テレビに映っていた流行りの店の様子をぼんやりと眺めていた。べつに、なにか目的があってここに来たというわけではない。これまで横浜という街ひとつで完結していた私の生活に、新しく東京というステージが加わって、目に映るすべてが刺激的だった頃だ。この頃の私は山手線をなぞりながら、目的もなくフラフラと街を歩くのが習慣になっていた。今日は竹下通りを一往復してみようと思い立って電車を降り、この場所にたどり着いた。

どこまで続くとも知れない道をキョロキョロと見まわしながら歩いていると、派手な衣装屋を通り過ぎたあたりから、なんとなく空気が変わるのを感じた。道の両脇に、パネルのようなものを持った黒人たちが数人で固まって立っている。彼らは皆、通り過ぎる人々をジッと見ていて、時折仲間たちと談笑していたかと思えば、思い出したように通行人に近づいて声を掛けていた。声を掛けられた人はそれに応答することもなくそそくさと逃げていき、逃げられた彼らはまた何事もなかったかのように定位置に戻っていった。そんな光景が、数歩進むごとにまばらに繰り返されている。あの人たちはなにをやっているんだろうか。不思議に思っていると、不意にその中のひとりと目が合った。彼は私を見つけるなり満面の笑みを浮かべて右手を上げ、私に向かって「エイ! シスタ! シスター!」と叫んだ。驚いているうちに、それに反応して、他の黒人たちも私に向かってワッツアップ! シスタ! と口々に叫び出し、すっかり怖くなってしまった私は、踵を返して来た道を駆け足で戻り、竹下通りから逃げ出したのだった。

子どもというものは、親の職業についていつ知るのだろう。ドラマでよくあるような「おとうさんのしごとについて」の作文を書くイベントも私の学校にはなかったように思う。幼い頃の私は、自分の父親が一体何を生業としているのかわからなかった。私は初対面の人に「お嬢様でしょ? お父さんは外交官かなにか?」と聞かれることがある。なぜだかはわからないが、もしかすると、ママから譲り受けたと思われる物静かな性格と、どこから湧いて出たのかわからない由来不明の気品(のようななにか。気品ではない)がそう思わせるのかもしれない。ところが、そう言われるたび、私の頭のなかには、幼稚園の帰りに見たあの光景が蘇る。どこからか集めてきた大量のゴミが積まれたトラックに乗って、こちらに手を振りながら笑顔で走り去っていくパパの姿。この記憶から考えるに、私は少なくとも外交官の娘ではないことは確実だった。私は私からにじみ出たバッタモンの気品に騙された大人たちを憐み、目を細めることしかできない。

祖母は大人になった私に「パパは洋服を売っていた」と話した。パパは店を持って商売していて、祖母が金を貸したこともあったらしい。結局店は上手くいかずに廃業し、その後は転々と職を変え今に至るようだった。私が見たトラックに乗ったパパは、おそらく廃業したあとの姿だったのだろう。そういえば、パパの持っていた車が、3人家族には大きすぎるミニバンから平べったい中古車に変わったのもこの頃だったような気がする。ミニバンに乗っていた頃は、車の後ろに大量の服が吊り下がったラックを積んで、横須賀のどぶ板バザールに参加したこともあった。組み立てた緑の大きなテントでパーカーやTシャツを売るパパの足元で、私はおもちゃ箱からかき集めたハッピーセットのおもちゃを、丁寧にレジャーシートに並べて売っていた。最初は100円で売っていたけど誰も買ってくれなくて、20円にしてみると通りがかった親子連れに次々と売れていった。お金が手に入るよりも「ほしい」と言ってもらえることが嬉しくて、ほとんど服の売れないパパに、私は10円ばかりが集まった集金箱を得意げに見せた。パパはすごいねと褒めてくれたけど、本心では親子共々商才がないこと嘆いていたに違いない。

パパは年に何度か、仕事だと言って私とママを置いて韓国に行った。電車にはほとんど興味はなかったけど、私はいつも、パパが乗り込んでいく成田エクスプレスの赤に憧れていた。韓国から帰ったパパは、お土産にいつも決まって「高麗人参チョコレート」なるものを買ってきた。チョコレートに人参が入ってるなんてきもちわるい。今ならほとんど抵抗なく食べられるだろうけど、子どもの私にとっては食べてみようという好奇心すら湧かないゲテモノだった。決して食べはしないものの、どんなものかは気になって、私はチョコレートがしまわれた冷蔵庫を、虫かごをおそるおそる覗くように何度も開けてはパパに向かって苦い顔をした。誰もほしいと言っていないのにどうして毎回買ってくるんだろう。きっと、チョコレートを見たときの私の反応が面白かったのかもしれない。

竹下通りから逃げ帰ったあと、私は彼らについて考えていた。彼らは一体何をしていたんだろう。何かを売っているように見えたけど、それが何なのかは分からなかった。「竹下通り 黒人」と調べてみると、それに続いて「客引き」と表示された。サジェストに従うまま検索結果が表示される。一番上に出てきた知恵袋のサイトを開いた。

「原宿の竹下通りに立っている黒人たちはなにをしているんでしょうか」

「服の押し売りです。ついて行ってしまうと本物か偽物か分からないブランド商品を高額で買わされてしまいます。何か買うまでお店から出してもらえません。話しかけられても無視してください。近づいてはいけません」

服、黒人、パパの仕事。記憶の中のパパが分厚い唇で「ハラジュク」と言った。いたのだ、パパもあの中に。誰もが嫌な顔をして通り過ぎるあの道の集団のなかに私のパパもいて、私はそれで稼いだお金によって育てられたのだ。断片的な記憶がパズルのように繋がった。悲しいような、笑えるような気持ちになって、私は画面を見つめたまま乾いた声で笑った。私はもういちど、竹下通りに行くことにした。

また同じように人の流れに身を任せて通りを下っていき、彼らの現れる場所までやってきた。相変わらず、彼らの声に誰も足を止めてはくれない。彼らもわかっているようで、いちいちしつこく追いかけることはしないようだった。私の歩いていく先に立っていた黒人の若い男が私を発見して、「ヘイ、シスター」と笑顔で右手を差し出してきた。この前は彼らの得体の知れなさに恐怖を感じて逃げ出してしまったが、この日の私は逃げなかった。私には目的があった。彼らと話すという、大切な目的があった。私は真っ直ぐ彼のほうへ近づいて彼の右手を握り、おそるおそる「こんにちは」とあいさつをした。彼は最初、英語で早口に話しかけてきたが、私が英語を話せないとわかると、オーケーと言ってそのあとは日本語で話してくれた。

「シスター、美しい人。どこから来たの?名前は?」

「横浜だよ。アワ。あなたはどこから来たの?」

「俺、ナイジェリア。マーク。シスターはガイジンじゃない? どうしてイングリッシュ話せない?」

「日本で育ったから、英語わかんない。お父さんはガイジンだよ。」

「そっか。お父さん何人?」

「セネガル。」

「セネガルね! 私の友達にもいるよ!」

「私のパパ、ここでお店やってたみたい。」

「パパなんて名前?」

「ジミー。たぶん、ジミーセネガルって呼ばれてた。」

「ジミーセネガル…知らないなぁ」

そう言って、マークは周りにいた仲間たちに「ジミーセネガルってやつ知らないか?」と聞いた。彼らは「わからない」と言って首を傾げた。無理もない。私がずっと小さかった頃のことだし、彼らは見るからにパパよりも若そうだった。「新しいひと、どんどん来るからね。たくさん。」と彼らは言った。私は、パパが家族の外でどんなふうに生きているのか知りたかった。私はパパがどんな考えで、どんな冗談を言い、どんなふうに友達と話すのかを知りたかった。私になんでも買い与え、べたべたと甘やかし、少しでも反抗すれば殺しにかかるような勢いで叱る。この極端さのあいだにあるものが、もしかしたらここに転がっているのではないかと淡い期待を抱いてやってきた。だけど、もうここにはジミーセネガルを知っている人はいない。私の知らないパパを知っている人はいない。マークが手に持っているラミネートされた紙には、洋服のデザイン表のようなものが印刷されていた。パパのミニバンのドアポケットに入っていた表とよく似ている。かわいい絵がいくつも描いてあるその紙を、私はパパが運転する横でずっと眺めていた。大人になって思い返して、あれはタトゥーの見本表かなにかだと思っていたが、こうやって仕事で使うためのものだったのかもしれない。

「アワ、俺たちのシスター、パパと仲良くしてね。」

私は「うん」と言って、彼らとそれぞれ握手をした。ひとりが「シスター! かっこいい服いらない? 安くするよ」と言ってきたので、私は笑顔のまま「いらない」と答えてその場を去った。

あれから今日まで、なんども竹下通りを歩いた。デートをしていて、遠くのほうから「おい!俺たちのシスターになにしてる!!」と騒がれ、ふたりで苦笑いをしながらそそくさと立ち去ったこともあった。以前のような恐怖や不快感はない。あるのは、親戚のおじさんたちに茶化されるような妙な気恥ずかしさだ。最近は人数もだいぶ少なくなって、彼らを見かけない日もある。当然、こんな怪しい商売はそう遠くなく完全に排除されるに違いない。そのとき彼らはどこへ消えていくのか。そして、彼らにもいるかもしれない妻や子どもたちはどうなっていくのだろう。他人ごととは思えない。パパと過ごした記憶も、シスターと呼ぶ声も、私の中ですこしずつ、遠く薄れていく。

(了)

 

伊藤亜和(いとうあわ):文筆家/モデル。1996年 横浜市生まれ。学習院大学 文学部 フランス語圏文化学科卒業。Noteに掲載した「パパと私」がツイッターで糸井重里、ジェーン・スーなどの目に留まり注目を集める。「きらきらシニアタイムス」「エレマガ。」にて連載中。趣味はクリアファイルと他人のメモ集め。