なんのかんのといっても、ノーベル賞というのは研究者の夢です。理系の研究をしている人は誰もが、そのうちノーベル賞やな、とかいう冗談を親戚のおっちゃんとかに言われたことがあるはずです。とはいえ、あたりまえのことながら、めったなことではもらえるものではありません。
京都大学特別教授の本庶佑先生が2018年のノーベル生理学・医学賞に輝かれました。誠におめでたいことであります。平成2年から5年たらずの間ですが、本庶研究室の助手・講師として直接ご指導を受けた身としては、肩書きに「ノーベル賞学者の弟子」とつけられるようになったのも嬉しいことです。
受賞理由は「免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用」で、抗PD-1抗体を用いた悪性腫瘍の治療法を開発されたことによります。そのポイントとなる分子、PD-1遺伝子が発見されたころ、ちょうど本庶研究室に在籍していました。
本庶研において、大学院生が独立してあるテーマに取り組むというのは、めったになかったのですが、石田靖雅さん(現・奈良先端科学技術大学院大学准教授)が、下級生であった縣保年【あがたやすとし】さん(現・滋賀医科大学教授)とチームを組んで、アポトーシスに関係する遺伝子の探索をおこなっていた頃です。
そのころの思い出話とか、アポトーシスとは何かとか、免疫チェックポイント阻害剤がどのようにして効果を発揮するかとかについて、書いてみたいと思います。
アポトーシスという細胞の死に方
細胞の死に方にはネクローシス(壊死)とアポトーシスがあります。血管が詰まって酸素がいかなくなり、組織が死んでしまうような場合がネクローシスです。ネクローシスは必ず何らかの病的異常によって引き起こされます。それに対してアポトーシスは、病的な場合もありますが、免疫反応のように正常な生体反応においても生じる細胞死です。
免疫というのは、細菌やウイルスなど、外からやってきた異物=非自己をやっつけるメカニズムです。免疫に関係する細胞は何種類もあるのですが、主役のひとつはリンパ球とよばれる細胞で、そのうちメジャーなものはT細胞とB細胞です。これらの細胞の表面には、異物を認識する受容体があります。
その受容体は、それぞれが特定の異物を認識するのですが、外来性の異物はどんなものがやってくるかわかりません。ですから、ものすごくたくさんの種類の受容体が必要です。細かい話は省きますが、そのために「遺伝子の再構成」とよばれる現象があります。1987年に利根川進先生がノーベル賞を受賞されたのは、その分子メカニズムの解明によるものです。
この遺伝子再構成により、T細胞もB細胞も、じつに多くの種類の受容体を作ることができるのです。しかし、ひとつ困ったことがあります。それは、遺伝子の再構成はランダムに生じるので、非自己である異物だけでなく、自己、すなわち、自分の細胞が作る物質に反応する受容体も作ってしまうことです。
自己を認識するような受容体ができてしまうと困ったことになります。というのは、自分の細胞を異物として認識して攻撃してしまうからです。実際にそのような病気があって、自己に対する免疫が生じてしまう、という意味で、自己免疫疾患といいます。膠原病もその一種です。そのような状態にならないように、自己に対する受容体を発現した細胞には死んでもらう必要があります。アポトーシスは、そういった時、すなわち、からだを正常に保つための細胞の死に方でもあるのです。ここまでが前説で、ようやくPD-1の話にはいっていきます。
石田さんたちは、どのようにしてT細胞にアポトーシスが生じるかを知るために、アポトーシスが生じる際に発現してくる遺伝子の探索をおこなっていました。非常に緻密な実験系を導入し、苦労の末に発見したのがPD-1(programmed cell death-1)遺伝子です。
先に書いたように、自己を認識する受容体を発現する細胞は、アポトーシスで死んでもらうようにプログラムされています。ですから、プログラムされた細胞死、プログラムド・セル・デスとも言います。その頭文字ふたつをとってPD-1なわけです。次々とそのような遺伝子をとるつもりで1と番号付けしたのでしょうが、実際に見つけることができたのはひとつだけでした。
遺伝子はとれましたが、アポトーシスに関係するかどうかも含めて、その機能はまったくわかりませんでした。そのような場合、遺伝子ノックアウトという方法を用いて、マウスでその遺伝子を破壊し、どのような異常が生じるかを解析します。当時、本庶研では、わたしが遺伝子ノックアウトマウスの担当だったので、大学院生といっしょにPD-1ノックアウトマウスを作成しました。 もちろんT細胞のアポトーシスに異常が認められることを期待していたのですが、残念ながら異常は見つかりませんでした。その大学院生は、なにも機能がなさそうなので、やけくそ気味に、「こんな遺伝子、プログラムド・セル・デス・ワンとちごて、パーデンネン・ワンですわ」と、PとDの頭文字をとって嘆いていたものです。ちなみに、パーデンネンというのは、『オレたちひょうきん族』というお笑い番組に出ていた、明石家さんま演じるキャラクターです。
機能がわからなかったのですから、当時、誰一人として、将来PD-1ががんの免疫療法に用いられるとは思ってもいませんでした。
本庶先生の研究室・京都大学大学院医学研究科・免疫ゲノム医学のホームページには「6つのCを大切に」とあって、そこには「好奇心Curiosityを大切に勇気Courageを持って困難な問題に挑戦Challengeし、必ずできるという確信Confidenceをもち全精力を集中Concentrateさせ、諦めずに継続Continuationすることで、時代を変革するような研究を世界に発信することができるのです」と書いてあります。
PD-1の研究は、本庶先生のモットーである6つのCが結実したものです。何年もかけて忍耐強くプロジェクトを進行させ、PD-1欠損マウスでは自己免疫疾患が発症することを突き止められました。PD-1はT細胞の表面にあって、T細胞の機能を抑制する、ということがわかったのです。ですから、PD-1がなくなるとT細胞が暴走して自分の細胞を攻撃し、自己免疫疾患が生じてしまうのです。
うまくいったからよかったものの、結果が出なかったら、まったくの無駄になるのですから、けっこうな賭けだったということです。
PD-1の機能とがん免疫療法
自分のからだの中にあるがんの細胞は、もちろん自己の細胞です。しかし、がん細胞は遺伝子変異によって無限に増殖するようになった細胞です。変異が生じた遺伝子によって作られるタンパクは、変異が生じる前に作られていたタンパクとは少し違ったものになります。ですから、がん細胞は自己の細胞なのですが、自己ではないタンパクを作っています。だから、非自己として認識される可能性があるのです。
いくつもの証拠から、がん細胞はT細胞によって非自己と認識されて攻撃をうける、ということがわかっていました。その成果に基づいて、アクセルを踏むように免疫能を活性化し、がん細胞をやっつけようという試みが多数おこなわれてきました。しかし、残念ながら、あまりうまくいきませんでした。
本庶先生たちのグループは、PD-1がなくなると免疫能が活性化されて自己の細胞が攻撃されて自己免疫疾患を発症するのだから、PD-1の機能を阻害してやると、がん細胞もT細胞によって攻撃をうけるようになるのではないかという仮説をたてられました。
PD-1はPD-L1というタンパクと結合します。そして、PD-1は、PD-L1と結合した時にだけT細胞の機能を抑制するのです。PD-L1はいろいろな細胞の表面に発現しているのですが、がん細胞の表面にも発現していることがわかりました。ここまできたら、あとは簡単な論理です。がん細胞にはその表面にPD-L1があって、そのPD-L1がT細胞の表面にあるPD-1に結合する。そうすることによって、T細胞の機能が抑制されているのではないか、と考えられます。
T細胞にはいくつかの種類があるのですが、がん細胞の表面にある非自己のタンパクを認識して殺してくれるものもあります。しかし、せっかくそのようなT細胞が存在していても、がん細胞をあまりやっつけてくれないということがわかっていました。繰り返しになりますが、これは、がん細胞表面にあるPD-L1が、がんをやっつけてくれるはずのT細胞の表面に存在するPD-1に結合し、その攻撃力を弱めてしまっているからだったのです。
さて、どうすればT細胞が、がん細胞を攻撃してくれるようになるのでしょう。そうです、PD-1が働かなくしてやればいいのです。そうすると、T細胞の抑制がはずれて、がん細胞を攻撃してくれるはずです。最も簡単な方法は、PD-L1とPD-1が結合できなくしてやることです。そのためには優れた方法があります。抗体という物質を使うことです。
抗体は、体内に侵入した異物を認識するタンパクで、リンパ球のひとつであるB細胞から分泌されます。PD-1に対する抗体は、PD-1と結合して、PD-1とPD-L1との結合を妨げることができます。かくして作られたのが抗PD-1抗体であるニボルマブ(商品名 オプジーボ)です。
本庶先生と同時にノーベル賞を受賞したジェームズ・P・アリソン博士は、PD-1と似た働きをするCTLA4というタンパクの機能を阻害することにより、同じように、がんを治療する抗体薬ペムブロリズマブ(商品名 ヤーボイ)を開発しました。
PD-1やCTLA4のような働きがある分子を免疫チェックポイント分子といいます。だから、オプジーボやヤーボイといったお薬は、免疫チェックポイント阻害剤と呼ばれます。従来の、あまり効かなかったがん免疫療法は、がん細胞を攻撃する免疫細胞を活性化する、いわばアクセルを踏んでやるような治療法だったのです。それに対して免疫チェックポイント阻害剤は、ここまで書いてきたように、がん細胞によってT細胞にかけられたブレーキを解除してやる、まったく発想の異なった治療法なわけです。
オプジーボはすべての種類のがんに効果がある訳ではありません。また、適応になっているがんでも、2~3割程度の患者さんにしか効果がありません。どうしてこのようなことになっているのか、言い換えると、どうすればより多くのがんに対して、また、より多くの患者さんに対して効果が出るのかが、現在、猛烈な勢いで研究されています。
本庶研究室で学んだこと
石田さんやわたしが在籍していた頃の本庶研は、Cell、Nature、Scienceといった超一流雑誌に論文がコンスタントに出る超一流の研究室でした。とはいえ、そのような論文の筆頭著者になるには、並大抵の努力だけでなく、運も必要です。そのような大きなプレッシャーの中、50人ほどもいたメンバーが切磋琢磨していました。ほんとうに、今の時代となっては信じられないくらいに厳しい研究室でした。
土日なしなどはあたりまえ。連日、深夜まで研究室にはあかりが灯っていたものです。わたしにはとてもできませんでしたが、週に100時間も研究室にいるような人もいました。
人間、苦労を売り物にしたら最後だと思うのですが、人生においていちばんしんどかったのは本庶研時代でした。最初の二年間ほどは全くデータが出ず、プレッシャーから、もう研究をやめようと文字通り涙したこともありました。しかし、その後、幸運に恵まれていい研究ができ、Science誌に論文を出して、教授になることができました。
それから何年も後のことですが、本庶先生がお書きになられた『幸福感に関する生物学的随想』という小冊子が送られてきました。そこには、「人が耐えられる程度の不快な思いをすること」も、幸福感を永続的に深く味わわせるのに有効ではないか、と書かれていました。えらく辛かったけれど、ひょっとしたら、本庶先生は、弟子達の幸せを持続させるためにプレッシャーをかけてくださっていたのかもしれないと、弟子仲間で苦笑したものです。
当時、本庶先生がおっしゃっていた二つの言葉をよく覚えています。ひとつは、本庶先生の米国時代の師匠、ドナルド・ブラウン先生のお言葉だそうですが、「Do not stick to the system. Stick to the question システムに固執するな。疑問にこだわれ」です。ある研究システムを手に入れると、どうしてもそれを使った研究を水平方向に展開したくなります。それではダメで、方法論に拘泥されることなく、困難があろうとも自分が設定した疑問点にこだわってまっすぐ進むこと。自分の研究を進める上で、これほど貴重な教訓はありませんでした。
もうひとつは「不可能を可能にしたいんや」です。論理的におかしな言葉ですし、そんなことできたら苦労はせんわなぁ、と、いつも思っていました。しかし、免疫チェックポイント阻害剤によるがんの画期的な治療法開発を目の当たりにして、本庶先生は、この言葉を実現化されたのだと感動すら覚えてしまいます。ただ、これはめったにできることではなく、凡人には真似したくてもしようがない、というのが正直な感想です。
いずれ受賞されるかと予想していましたし、受賞されたらさぞ嬉しいだろうとは思っていました。しかし、スマホで第一報を目にした時は、想像以上、鳥肌が立つほど興奮しました。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世。義太夫を教えてもらっている豊竹呂太夫師匠によりますと、主従と同じく師弟も三世だそうです。長くなかったとはいえ、本庶先生の下で学べたのは、本当に幸せなことでした。その経験がなかったら、まったく違った研究者人生、おそらくは、はるかにつまらなかったであろう研究者人生を送っていたはずです。
いやぁ、いろいろと書きましたけど、ホンマに目出度いことです。本庶先生、ノーベル賞のご受賞、誠におめでとうございます!