第9回 鳥葬とナイフの男(3)

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「お〜い、お前もこっち来て飲め」

つい今しがた鳥葬をしていたすぐ近くで、遺族の男たちが円座になって、食べ物や飲み物を広げ宴会をしていた。その中の一人が僕とKさんに向かって手招きをしている。

「さあさあ、飲め飲め」

鳥葬の時とは打って変わって陽気な表情を浮かべた遺族たちが僕たちに杯をかたむけてきた。そこに男が白い液体を注ぐ。チベット人たちが好んで飲むバター茶だった。ヤクのミルクに塩を混ぜて作るそれをコップいっぱいになみなみと注ぎ終えると男が「さあ飲め」という視線を送ってきた。

顔を近づけるとヤクの野性的な匂いが鼻腔をつく。内心、飲みたくないと思った。というか、つい今しがた起こった出来事を思い出すと、飲めなかった。しかし男たちの視線が痛い。僕はバター茶をしばらく見つめ、意を決するように一気に飲み干した。ヤクの匂いと混ざって、死臭の味がした。

 

「宴会」はしばらくした後、お開きとなった。

僕とKさんは宴会を今いち楽しめず、もと来た道を歩いて宿を目指した。

草原に緩やかな風が吹き抜け、雲がゆっくりと流れていく。あんなに鳥葬を見たがっていたKさんはさっきからずっと無言のままだ。

「この道やったよなあ」

僕がKさんに話しかけると、「多分この道から来たと思いますよ」と、顔を上げ草原の轍を指差して言った。

その時だった。後方から4駆車がクラクションを鳴らしながら近づいてきて、僕たちを追い越すと少し前方で停まった。そして運転席のドアの窓から男が顔を出し、中国語で話しかけてきた。宴会に居た遺族の中の一人の男だった。

「吉田さん、彼が街まで一緒に乗っていかないかですって。どうします?」

Kさんが中国語を訳してくれる。

「じゃあ、お言葉に甘えて乗せてもらおうか」

僕たちは車に駆け寄って、後部座席に乗り込んだ。乗り込むと、運転手とは別に助手席にもう一人乗っていた。バタンとドアを閉めるとその人は僕たちのほうをくるりと向いた。

あのナイフの男だった。ぎょろりとした目で僕たちをじっと見ると、何も言わずにすぐにまた前を向いた。Kさんの方を向くと僕と同じ気持ちだったのか、びっくりして固まっていた。車内にはナイフの男が纏った強烈な死臭が漂っていた。さっき草原で嫌というほど嗅いだあの匂い。それは僕の脳を刺激し、あの光景をありありと蘇らせた。

運転手とナイフの男と僕たち二人を乗せた車はすぐに動き出し、街へ向かって走り出した。車内では運転手がKさんにときどき話しかけている。中国語で何を言っているのか分からない僕は会話に入ることはなく、ぼんやりと窓の外を眺めた。

同じような風景が左から右へと流れていく。ナイフの男はさっきから黙ったままで、ずっと前を向いている。彼はいったいどんな気持ちであの鳥葬を取り仕切っていたのだろうか。肉を断ち切り、骨を砕く感触を彼はどう感じていたのだろう。今夜どんなことを考えて眠りにつくのだろう。目の前にいる彼のことを考えれば考えるほどまるで暗い淵をのぞくように分からなくなっていった。

車は草原を抜け、街へとたどり着いた。そして大通りへ出ると、停車して運転手が僕たちにここで降りるよう促した。僕とKさんはお礼を言って車から降り、運転手と握手を交わした。何度もお礼を言った。

すると助手席からナイフの男が降りてきて、僕たちのほうへ近づいてきた。そして僕たちの前に立つと、にっこりと笑って手を差し出してきたのだった。僕は反射的に手を出してナイフの男の手に触れた。その瞬間、彼はぎゅっと力強く僕の手を握り、僕の顔を見てニコニコと笑っていた。肉厚でゴツゴツした大きな手だった。

握られている間、実に不思議な気持ちだった。痛いほど強く握られているにも関わらず、握られていないような気分だったのだ。実体があるのかないのか、一体この人はこの世の人なのかそうでないのか、僕の目の前にいるこの人は果たして実在している人なのか。まるで空を漂う雲のように掴めそうで掴めない、そんな感じだった。本当に不思議だった。

ナイフの男は僕の手を離すと、今度はKさんと握手して、ニッコリと笑って車に乗り込み、砂煙を巻き上げながら走り去っていった。僕とKさんはそれを見えなくなるまでずっと見ていた。

車が小さな点ほどになってからやっと、僕とKさんは宿に向かって歩き出した。歩きながら僕はさっきナイフの男と握手した右手をじっと見て、鼻に近付けた。鼻の奥が濃い死臭でいっぱいになった。まるでナイフの男が目の前にいるかのようだった。

死臭を纏った自分の右手を見ながら、僕は今日実にいい経験をしたと思った。今日のことを一生忘れないようにしようと思った。いや、きっと忘れることができないだろう。

ここへ連れてきてくれたKさんに感謝しながら、僕は宿に向かって歩いた。

(「鳥葬とナイフの男」了)

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SIGN_05YOSHIDA1980年宮崎県生まれ。京都市在住。滋賀大学教育学部卒業後、タイで日本語教師として現地の大学に1年間勤務。帰国後京都市で小学校教員として6年間勤務し退職。2010年より写真家として活動開始。「働くとはなにか」をテーマに国内外問わず撮影し、様々な媒体に写真・文章を掲載するほか、美術館やギャラリーで写真展を開催。14年度コニカミノルタフォトプレミオ年度大賞。Paris Photo - Aperture Foundation Photobook Award 2015にノミネート。他受賞多数。15年に写真集『BRICK YARD』刊行。16年春に第2弾写真集『Tannery』発行予定。http://akihito-yoshida.com

第8回 鳥葬とナイフの男(2)

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大草原の真っ只中にいた。

まるで砂丘のような草原の丘がいくつも続いていて、僕がこれまで見たこともなかった光景が続いている。空を見上げると空気が薄いせいか、それとも空に近いせいか、深く濃い碧がどこまでも広がっている。その碧の中を巨大な翼を広げた鳥が旋回している。100羽以上はいるだろうか。グルグルと飛び回るハゲワシを眺めながら僕はこれから起こるであろうことを固唾を呑んで見守っていた。僕の隣では同じようにKさんがじっと空を眺めていた。そう、結局僕はKさんと一緒に、鳥葬の現場に来ていたのだった。

最後まで行きたくないと渋っていた僕を決心させたのはラマの、「一度、見てみるといい。私たちチベット人のことが少しは分かるかもしれない」という言葉だった。Kさんにどんなに誘われても乗り気がしなかったのが、穏やかな目をしたラマにじっと見つめられて言われると不思議と見に行ってみようという気持ちになった。

それに写真家として何でも見ておくことは大切だと思ったし、何よりも鳥葬がチベット人たちの生活や精神世界と深く結びついたものならば見ておくに越したことはない。これも何かの縁だと思い、僕は行く決心をした。

月曜日の朝、ラマが車で迎えにきてくれて、それに乗ってリタン郊外に車を走らせた。

20分ほど走ったところで、僕とKさんは降ろされて、ラマは用事があるからと帰っていった。

草原と空以外何もない、広大な風景の中に降ろされた僕たちは、しばらくそのまま突っ立っていた。風は穏やかだ。ちょうど生命が息吹く季節なのだろう。緑の絨毯に黄色いタンポポが、ところどころ咲いている。

「誰もいませんね」

Kさんが口を開いた。確かに誰もいない。本当にここが鳥葬の行われる現場なんだろうか。丘のずっと先を見ると、石台があるのが見えた。

「あれ何でしょうね」

さほど大きくないテーブルくらいの大きさの石台がある。そこを目指して草原の中を歩いていると、エンジン音をふかしながら4駆車とバイクが何台かやって来て、石台のそばに停止した。

停止したと同時にドアが開き、日に焼けた男たちがぞろぞろと降りてきた。そして車の中からビニールに包まれた大きな「モノ」を皆で抱えて降ろし始めた。それを若い男たち4〜5人がかりで丘の頂上辺りに持っていく。

遠くでその様子を僕とKさんは緊張した面持ちで黙って見つめた。これから何かが始まる……。男たちの張り詰めた空気がそう思わせたし、さっきまでどこにもいなかった鳥たちが上空を旋回し始めていた。

 

ビニール袋を抱えた男たちは、ほどなくして袋を破き始めた。袋の中身は黄色い布で包まれた物体だった。男たちはさらにその黄色の布を解き出した。果たして、その包みを解くと人間の肉体が腐臭とともに僕たちの眼前に現れたのである。青空と大草原の下に現れたそれはダランとだらしなく手と足を投げ出し、力なく宙を漂っているようだった。

突然目の前に現れたその屍体を前に僕はショックだった。ショックと同時に不思議な感覚に捉われていた。目の前にあるその肉体には確かに「魂」は宿っていなかった。それを大前提としながらも、どこかでその光景を信じることができない自分がいた。生きているんじゃないか? しかし、肌は土色に変色し、手足は不自然な方向を向いている。遠目から見てもその肉体が体温を失い、硬く冷たくなっている様を感じることができた。確かに死んでいる。でも生きているんじゃないか?

目の前の現実と自分の心とがだんだん剥離していくようだった。それは目の前のあの肉体のように、ここでもあそこでもない場所をフワフワと力なく宙を漂っているような気分だった。

死臭につられてか、先ほどよりもかなりの数のハゲワシが集まってきていた。男たちはハゲワシたちから屍体を守るように取り囲み、一分の隙もない。おとなしく「その時」が来るのを黙って待つハゲワシたちの姿がどことなく不気味だった。

 

その男の名前も知らなければ、ふだん何をしている人なのかも知らない。ただ、「鳥葬」の現場で僕の中で最も強烈に印象に残った男。あれから5年経った今もなおその男の存在をときどき思い出すことがある。

その男はあの現場に突然現れ、気づくと男たちの囲いの中心にいて、何かしきりと手を動かしていた。その男は青いビニール袋を被りすっぽりと体を覆い、手にはナイフを握っていた。

男たちの囲いの隙間からよく見てみると、何とそのナイフの男は屍体を切り刻んでいたのである。うつ伏せにされた屍体を背中から腕、足、そして頭と次々と切り刻んでいく。まるで家畜を解体するかのように。慣れたその手つきに迷いは一切なく、手早くナイフを入れていく。薄皮1枚隔てた内側は鮮やかなピンク色をしていて、それらが露わになるまでそう時間はかからなかった。

Kさんを見ると強張った表情だった。ふだん家畜が解体される場面だってそう見ることのない僕たち。それが家畜ではなく、「人間」の形をしたものが目の前で解体されていくのだから、それを見るのは相当な衝撃だった。

時折、歯を食いしばりながら作業をするナイフの男の表情が見えた。一体彼はどんな気持ちなんだろう。呆然となりながら、僕はナイフの男をじっと見続けた。

 

10分ほどその作業は続いただろうか。ナイフの男が屍体から離れて立ち上がった。後から知ったことだが、それは細かく切り刻みハゲワシに食べやすくさせるための作業だという。

完全に切り刻まれたその屍体をしばらくの間確認したナイフの男は、取り囲んでいる男たちに何か指示を出すと、男たちはその囲みを解いて、屍体から皆離れた。

その瞬間だった。今までおとなしく待っていたハゲワシたちが「ギャーーーーーッッッ!!!」と雄叫びを上げながら一斉に屍体に飛びかかった。

「ギャーーーッ!!グルルルル!!!」

凄まじい数のハゲワシが屍体に群がり、あっという間に屍体は見えなくなりハゲワシの山となる。鋭い嘴で肉をついばむごとにハゲワシの頭が真っ赤な血で染まっていく。ときどき自分の「えさ」を巡ってハゲワシ同士で激しい喧嘩をするものもいる。横取りされまいと、必死の攻防戦だ。

そして、ときどき勢いあまってついばんだ肉片がポーンと空中に飛び上がり、その騒ぎの中心からこぼれた肉片を巡って数羽のハゲワシが激しい争奪戦を繰り広げる。

僕はその光景に身震いした。ハゲワシのあまりにも生々しい「食事」の場面がそう思わせたのはもちろんだ。しかしそれ以上にあまりにも命のやり取りが現実的だったからだ。だが本来、命というものはそうやって現実の中でやり取りをされていて、日々僕たちが食べる食事だって似たようなものだ。何かの命を取り込むことで生命を維持している僕たちは日々そういう現実の中で生きているわけである。僕はそのことに極度に鈍感になっていただけなのかもしれない。

そんなことを他所にハゲワシたちはギャーギャー叫びながら生きるための戦いを僕の目の前で繰り広げていた。

「すごいですね」

Kさんが言った。その「すごいですね」は本当に気持ちが籠っていた。何がすごいのか、何をすごいと思っているのか、そんなことは知らないけれど、彼女の好奇心から始まった「鳥葬見学」はきっと今、別の形で彼女の中で昇華されていっているのではないだろうか。

僕はただ黙って頷くのみで、静かにその光景を眺めた。

 

屍体を取り囲んでいた男たちは遺族だった。彼らは黙って、淡々とその様子を眺めていた。時折何か話しているが、何を言っているのかは分からない。しかし、誰もが皆じっとハゲワシの方に視線を注ぎ、静かに見守っている。泣いている者は一人もいない。

ナイフの男もハゲワシたちから少し離れた場所に立って見つめている。

ハゲワシたちの叫び声と、翼を擦れさせる音だけが草原一帯に響くのみだ。

ハゲワシたちが群がり始めて、10〜15分経った頃だろうか。ナイフの男が右手に細い竹の枝を握り、ヒュンヒュン振り回しながらハゲワシの群れの中に突っ込んでいった。

「さあさあ、お前らそこから離れなさい。ほらどいてどいて」とでも言うかのように竹の枝でハゲワシたちをピシピシ叩きながら追い払うナイフの男。ときどき足で蹴ったりもしている。するとあんなに群がっていたハゲワシたちがナイフの男を恐れてか、さっと波を引いたように、屍体からというよりもナイフの男から離れた。

離れて、屍体が露わになった。そこにあったのは「骨」だった。頭蓋骨、肋骨、腕、足、すべてがまるで理科室にある骨格模型のようにきれいに骨の形となって残っていた。確かにさっきまであった柔らかな肉は、ハゲワシの胃袋にきれに収められたという当たり前の事実をその骨は語っていた。

ナイフの男は何事もなかったかのように、静かにその骨を見つめている。ハゲワシたちもさっきとは打って変わっておとなしい。

しばらくすると遺族が小さな斧を持ってきて、ナイフの男に手渡した。ナイフの男は竹の枝から斧に持ち替え、骨を石台の上に載せ、右手の斧を振りかざした。

「バキ! バキ!」

骨に斧を食い込ませ、砕いていく。本当に何の迷いもなく、斧を振りかざし続けるナイフの男。彼が斧を振るうたびに、人間の形をした骨格が骨格でなくなっていく。

「バキ!バキ!」

人間の骨というものはこんなにいとも簡単に折れるものなのだろうか。まるで木の枝がポキポキと折れるように骨が小さな骨片へと姿を変えていく。そしてその骨片を白い粉(おそらく大麦の粉)と混ぜ合わせて団子状に仕上げ、ハゲワシたちにポイポイと投げていくナイフの男。ハゲワシたちはその団子をも飲み込んでいく。

しばらくそんな作業を続けるうちにほとんどの骨はなくなった。そして最後に髑髏を石台に載せると、斧を一振り、「バキッ!!」と叩き潰し、見事にぐちゃぐちゃになったそれもハゲワシに食べさせた。

汗びっしょりになったナイフの男はフゥと溜息をつき、汗を拭い、淡々とした表情で丘を下りていった。

あとには何も残っていなかった。さっきまで確かにあった肉体は消えてなくなった。ものの小一時間ほどの出来事だった。

「食事」を終えたハゲワシたちは羽ばたき、しばらく空高くを泳いでいた。そして、1羽1羽遠くへと飛んでいった。

あのハゲワシたちの胃袋に収められた肉体はいったいこれからどこへ飛んでいくのだろう。彼らの体内を駆け巡った後、あの肉体はやがて糞となり、この広い大地のどこかに落とされ、土へと還るのだろうか。そしてそれはやがて草花の命へと変化し、花の蜜や種を食べる昆虫や小動物の命へと受け継がれ、それらをまた食べる動物の命へと続いていく……。そうやって連綿と受け継がれていく命の連鎖の中で僕たちも生きているということをあの肉体は身を持って僕に教えてくれたような気がした。

「僕」という一つの命もこうした命の連鎖の中で生まれたのだろう。そうやって生まれ出た命が更にまた新たな命を生み出すというのは何とも不思議で、神秘的なことだと思った。

そう考えると、「死」は決してお終いではないと思った。いや、むしろ始まりなのかもしれない。「死」とは単純に命の形を変えることを言うんじゃないか、そんな気さえした。

「死」を初めて意識した9歳の頃。漠然とした「死」への恐怖から布団をかぶってしくしくと泣いたあの頃の僕にもし会えるなら、添い寝しながらこう言ってあげたい。

「大丈夫、僕たちは死なないんだよ」

(つづく)

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SIGN_05YOSHIDA1980年宮崎県生まれ。京都市在住。滋賀大学教育学部卒業後、タイで日本語教師として現地の大学に1年間勤務。帰国後京都市で小学校教員として6年間勤務し退職。2010年より写真家として活動開始。「働くとはなにか」をテーマに国内外問わず撮影し、様々な媒体に写真・文章を掲載するほか、美術館やギャラリーで写真展を開催。14年度コニカミノルタフォトプレミオ年度大賞。Paris Photo - Aperture Foundation Photobook Award 2015にノミネート。他受賞多数。15年に写真集『BRICK YARD』刊行。16年春に第2弾写真集『Tannery』発行予定。http://akihito-yoshida.com