40代持病まみれ
42歳で最初の単著単行本を出してから、4年のうちに30冊の単行本を出してきた横道誠さん。文学研究を専門とする大学教員で、自閉スペクトラム症(ASD)、ADHD(注意欠如多動症)、アルコール依存症の当事者として10種類の自助グループを主宰するその旺盛な活動力の秘密は、「いつ死んでも良いように」と40歳の時から「終活」を始めるようになったことにある。あまたの持病と戦いつつ執筆する横道さんの活動力の秘密はどこにあるのか? ノンフィクションとフィクションの垣根を越える、衝撃の当事者レポート。
第3回

壊れた心

2025.07.25
40代持病まみれ
横道誠
  •  ピンポーン。私はまた横道さんの家の前に立ち、ドアのチャイムを鳴らす。

     ガチャリと音がして、いつも通りの普段着の格好の横道さんが姿を見せた。私は「えっへっへ。それでは今回もお願いします」とちょっと嫌な笑い方をしてしまった。いささか緊張しているために、そんな笑い方をしてしまったのだ。

     横道さんは「どうぞどうぞ」と言いながら、私を入れてくれる。「まずはあちらの洗面台で手洗いとうがいでも」と促されたので、喜んでそのようにさせていただく。

     手をハンカチで拭きながら、奥の部屋に進んで、横道さんの前にどかっと座りながら、私は言った。なるべく理性を働かせようと思っていたのだが、どうしてもまくしたてる感じになってしまう。

    「ちょっと、横道さん。前回のあれはなんですか。送られてきた原稿を見てみたら、私と横道さんが地下迷宮みたいなところに入っていくみたいな話が書いてあって。横道さんが口から吐きだした人体型のゼリーを自助グループの参加者に食べてもらってるって? ひたすら気持ち悪いです。しかも最後は夢オチでしたよね。あんな完全なフィクションみたいなやつがダメだってことくらい、わかるでしょう? 私は驚きましたし、編集長には怒られてしまったんですよ。書きなおしてもらう時間がなかったから、そのまま掲載してしまいましたが、ああいうのは困るんです。単行本にするときには書きなおしていただきますから!」

     横道さんは反省しているのかしていないのか、わからないような顔つきで、「いやあ、そんなに褒められると困ってしまいますな。あっはっは」と言って笑った。私はカチンと来て、「褒めているんじゃありません。抗議しているんです!」と声を荒げた。

     横道さんはさっと立ちあがると向こうの台所に行って、両手に何か摑んで戻ってきた。横道さんは語る。「これはゼロカロリーのプリンです。最近はゼロカロリーの食品もちゃんとおいしくてすばらしいです。昔はそういう食品って、すっぱい感じがしたり、イマイチの印象があったのですが。マスカット味とストロベリー味があります。よかったら、どちらかいかがですか」。

     私は横道さんなりの謝意の示し方なのだろうと判断して、マスカット味をいただくことにした。スプーンを渡してくれたので、さっそく食べてみる。なかなかおいしい。味も良いが、何より歯ごたえのある食感が心地よい。私は「おいしいですね」と言った。

     横道さんはうれしそうに言った。「はい。日中はそんなにカロリーコントロールを意識していないのですが、夕飯ではなるべく炭水化物を、つまり米、パン、麺類、芋類などを食べないようにしています。それから夕飯以降に小腹がすいたときには、このゼロカロリーゼリーを食べるようにしてるんです。夜のドカ食いが劇的に減りました。だからこのくらいでも、血糖値の具合はだいぶ良くなるんですよ」

     私は横道さんが前回までに話題にしていたトラウマの話ももっと聞いておくべきだと判断した。「横道さんの糖尿病って、過食の結果なわけですよね。つまり横道さんには摂食障害があるわけですよね。で、それはPTSD的なトラウマ障害が基盤になっているわけですよね。そのあたりの話をもっと聞かせてくれませんか」

     横道さんは言った。「私は子どもの頃、小学3年生くらいまでは偏食で少食だったんです。自閉スペクトラム症児の典型ですね。まともに食べられる野菜は5種類だけでした。ジャガイモ、サツマイモ、カボチャ、スイカ、メロンです。ジャガイモは子どもなら誰でも好きなものですね。フライドポテトになったり、ふかし芋になったり。サツマイモとカボチャは甘い味がして、果物が出張してきているような食べ物です。スイカとメロンは農学上で野菜に分類されているものの、実質的には果物。スイカとメロンはいちばん好きな二大果物でもありました」

     私は「ふむふむ」と言った。「その話は初めて聞きましたが、偏食がなくなった経緯については、以前横道さんの本で読んだか、動画配信で観たかで知っていますよ。給食の時間にいつもひとりでずるずる遅くまで食べていたと。野菜を口に入れるフリをして吐きだして、机のなかに放りこんだりして。給食の時間が終わったあと、教室を掃除する時間になっても、ひとりで泣きながら食べていたので、あるとき「じぶんはバキュームカーなんだ。なんでも吸いこむように食べられるんだ」と念じて、そのイメージで実際になんでも食べるようになったと」

     横道さんは「そのとおり。よく勉強しておられますな」と破顔一笑。「同じ頃に鼠蹊ヘルニアの手術のために病院に入院して、毎日のように大量のおやつが差し入れされて、それを食べてるうちに過食にもなりました。それから人生をとおして、だいたいの時期で軽度の肥満です。ときどき痩せてる時期があるくらいですね。最近は、夕方に豆腐とか納豆とか昆布豆とかの豆類だけを食べることが多いので、痩せてきているところですね」

     私は「豆類ですか。それは健康的ですし、痩せやすそうですね」とコメントした。横道さんは「きっかけは数週間前、毎日ふくらはぎが痛くなったことです」と言った。「睡眠中にこむら返りが起きたかのような感じの痛みでした。同じく糖尿病の仲間が「僕もそういうのある」と言っていたので、調べてみるとナッツ類がその対策に良さそうだという情報を得て。数日間ナッツ類をたくさん食べていたんですけど、よく考えたら豆類をそもそもほとんど食べないで生きているなあと気づいたので、毎日豆類を食べるようになりました」

     私は「ははは。やっぱり極端なんですね。そういえば以前、毎食のようにカレーライスを食べつづけたり、お好み焼きを食べつづけたりすると書いておられましたよね」と指摘した。横道さんは「はい。そういう同じものばかり毎日食べたがるのは、自閉スペクトラム症者によく見られる特性です」と言った。そして悲しそうな顔つきで「カレーライスやお好み焼きを毎食のように食べつづけたことも糖尿病の原因だと思います。現在ではもうできないことです」とつぶやいた。

     私は「それから気になってることがあるんです」と応答した。横道さんって、しばらく前に大量のホラー映画を見て、Xに感想なんかを投稿してましたよね。それでこの前、横道さんがとある研究会でそれをエスノグラフィーにしたと発表しているのを聞かせてもらったんです。ホラー映画は一種の自傷行為的なコーピングだとおっしゃってましたね」

     横道さんは「ああ、あの口頭発表を聞いてくださったんですか」とまた笑顔になった。「はい。去年、とつぜんホラー映画がマイブームになって。ちなみに人生で初めてのことです。有名どころを中心に200本ほど観たと思います。詳しいことはそのうち論文として発表しますが、なぜそんなにハマったのかを考えると、10代の頃からの怪奇マンガの収集が趣味になったことなども含めて、自傷行為的なものなんじゃないかなと思ったんですね。それはトシこと松本俊彦先生の自傷行為論を読んだ影響なんですけど」

     私はさっと理解できたので、言った。「松本先生ですか。私も勉強になりました。どうしてリストカットなどの自傷行為をするのかというと、興奮して脳内に快楽物質が満たされるからということ、そしてコントロール不可能なフラッシュバックなどのトラウマ的な苦痛を自傷によるコントロール可能な苦痛に変換できることがメリットだと論じていますよね。横道さんのもそういうことなんですか」

     横道さんは「ええ。そう考えるようになりました」と言った。そして立ちあがり、カーテンのかかっているほうへ歩いていき、さっとカーテンを開いてみせた。横道さんは「私の心は、ほんとうはこのとおり空っぽですから」と言った。逆光のために横道さんの顔がよく見えず、のっぺらぼうのように見える。そして窓の外にも空っぽの世界、のっぺらぼうの広大な空間が広がっていた。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     私は呆然としながら、窓の外に広がるひたすら真っ白な空白の世界を眺めていた。そしてポツリと言った。「今回はこのくらいで帰らせていただきますね。また原稿ができたら連絡しますので、ご対応をお願いいたします」

     横道さんは私のすっかり惚けた顔をうれしそうに見つめながら、「はい、楽しみにお待ちしています」と言った。

42歳で最初の単著単行本を出してから、4年のうちに30冊の単行本を出してきた横道誠さん。文学研究を専門とする大学教員で、自閉スペクトラム症(ASD)、ADHD(注意欠如多動症)、アルコール依存症の当事者として10種類の自助グループを主宰するその旺盛な活動力の秘密は、「いつ死んでも良いように」と40歳の時から「終活」を始めるようになったことにある。あまたの持病と戦いつつ執筆する横道さんの活動力の秘密はどこにあるのか? ノンフィクションとフィクションの垣根を越える、衝撃の当事者レポート。
40代持病まみれ
横道誠
横道誠(よこみち・まこと)

京都府立大学准教授。専門は文学・当事者研究。さまざまな自助グループを主催し、「当事者仲間」との交流をおこなっている。著書は、最初の単著の単行本『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院、2021年5月)を出してから、現在(2025年5月)までの4年間で、単著と(自身が中心になって作った)編著・共著を合わせて30冊に達している。