終活は早めからに限る
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ピンポーン。京都のマンション、5階の一室のドアのチャイムを鳴らすと、中から小太りした中年男性が姿を見せた。ラフな部屋着をしている。私が「初めまして、横道さんですよね?」と尋ねると、その男性は「はい、そうです。私が横道誠です」と答えた。鼻が詰まっているかのような、甘えた印象のする不快な声だ。
私が部屋にあがらせてもらうと、横道さんは「まずは洗面所に行って、手洗いうがいでもどうぞ」と声をかけてくる。ありがたくそうさせてもらって、ハンカチで手を拭いていると、横道さんが「さあさあ、こちらへどうぞ」と声をかけるのにしたがって、リビングの真ん中に進ませてもらう。部屋のほとんどすべてが本棚によって囲われており、書籍、DVD、CD、レコード、玩具類などがびっしり並んでいる。私は率直に「なんというか、「洗練された子ども部屋おじさん」という言葉が浮かんできますな」と評した。横道さんは「いやはや、そんなに褒められると、照れてしまいますけどね、はっはっは」と笑う。べつに褒めたつもりはなかったのだが。
私は「きょうはメールでご了承いただいたとおり、横道さんの持病について取材させていただこうと思って、訪問させていただきました」と切りだす。横道さんはテーブルの上から蜜柑を取って幸せそうに皮を剥き、おいしそうに頬張って、「あなたもどうですか」と勧めてくる。私は「いえ、けっこう。さっそく、持病についてご自由に話していただきたいです」とせがむ。私はリップサービスの気持ちを込めて、「どういう態勢でしゃべっていただいても、大丈夫です。四つん這いになってイノシシのように唸りながらでも、ニジンスキーのように舞い踊りながらでも」と言った。
すると横道さんは「それでは寝そべって、体をガクガク震わせながら、話すことを許してくださいね。これは自閉スペクトラム症のこだわり行動です」と言った。横道さんは実際にさっと寝そべって、全身をガタガタ揺らしながら話しはじめる。なんだかこの部屋が異次元空間のように感じられてくる。
横道さんは言う。「まず、生まれつきこの自閉スペクトラム症があるわけですね。コミュニケーションや社会生活が難しかったり、妙なこだわりがあったりする。この部屋がそのまんま見本ですが、収集癖のある当事者は非常に多いです」。
私は、「ADHDも診断されているんですよね? さきほどこだわり行動だとおっしゃっていましたが、ADHDの多動・衝動にも見えます」と指摘した。横道さんは「私にもその点はよくわかっていません」と答えたあと、さらにこう言った。「トラウマ症状の可能性もありますね。子どもの頃は宗教2世として日常的に虐待を受けながら暮らしていました。発達障害で人間関係が難しいので、いじめや仲間はずれも人一倍多く経験しています。調べてみると、複雑性PTSDや離人感・現実感消失症を併発しているのかも、と思うのです」。
私は「横道さんはアル中、いや、アルコール依存症も診断されているんですよね?」と尋ねた。すると横道さんはせかせかと弁解するかのように、まくしたてた。「ええ、そうです。依存症に関しては、最近では自己治療仮説というものが注目されていて、当事者はトラウマをじぶんで治療としようとして、依存物質や嗜癖行動に溺れていく、と考えられるようになってきています。だらしないからの依存症というわけではないんです」。横たわってガタガタ揺れながら語られる内容なので、説得力を感じるには難しいところがある。
私は話題を横道さんの著書に転じた。「横道さんは『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院、2021年)で、「精神疾患はフルーツサラダみたいなもの」と書いておられましたよね。ほかにも心当たりのある精神疾患があるのですよね?」すると横道さんは、相変わらずの早口で答えた。「摂食障害があると思いますね。何十年も過食傾向です。小学生の途中までは、いかにも自閉スペクトラム症の子どもらしく、偏食で拒食気味ですらあったんですけど、鼠蹊ヘルニアで入院したときに、つぎからつぎへと菓子類を差し入れされて、それで食べることの楽しさに開眼し、以来ずっと過食なんです。その過食という依存にしても、私はやはり自己治療仮説として理解していますけどもね」。
私はおそるおそる、「心の病気としては、だいたいそのあたりでしょうか?」と探ってみた。すると横道さんの返答は吠えた。「数年前に鬱状態になり、不眠障害が起きて、毎日2、3時間しか眠れなくなりました。精神科を受診して適応障害と診断されました。それで検査を受け、自閉スペクトラム症とADHDを診断され、少しあとからアルコール依存症の治療に通うことになりました」。
私は「なるほど、なるほど。やっぱり精神疾患ってフルーツサラダみたいなんですね」と口にしようとした途端、横道さんはしばらく顔を歪めて、「おおおおえええええええええええ」と言いながら口からドロドロネバネバした緑色に光る半液体的・半固形的な物質を吐きだした。ゲロゲロゲロゲロ、ドクドクドクドク毒と溢れてくる。ものすごい量だ。横道さんは175センチメートルほど、75キログラムほどだが、どこからこんなに出てくるのだろうかと衝撃的だ。
その緑色に光る大量の物質が私のほうに寄ってきたので、私は「うわ、汚な!」と容赦なく叫び声をあげて、あとずさった。横道さんはふらりと立ちあがって、向こうのほうに行ってしまう。洗面所でうがいをし、口をゆすいでいる音が聞こえてくる。いったいこれはなんなんだ? 人間の体と同じくらいの大きさに見える。
戻ってきた横道さんは緑色に光る物体を無表情で黙って見下ろしているので、私は「あの、これってふつうの吐瀉物じゃないですよね? なんなんですか? というか、こんなものが出てきて、横道さんのお体は大丈夫なんですか?」と尋ねた。横道さんは落ちついた様子で、「最近は、こうやって毎日これを吐きだしているんですよ。もう少ししたら人間の形になって、緑色の私の分身だということがはっきりします」と平然と言ってのけた。私は唖然としてしながら、その吐瀉物を眺めていた。なんとなくシンナーめいた匂いがするが、匂いがそのまま致死的で有毒なものとは言えなそうだ。
横道さんはまた横になって、体をガクガク揺すりながら「未診断ですが、私には発達障害の一種、発達性協調運動症も併発していると思います。深刻な不器用とか運動音痴の症状で知られます」。私は「ふむふむ」と言いながら、身を乗りだすと、横道さんは淡々と話しつづけた。「体の病気としては、さっきも言及した鼠蹊ヘルニア。小学生の頃に外科手術を受けました。中学生の頃には肺炎で数週間入院して、治療しました。大学生の頃は真性包茎の手術をしましたが、日帰りでした。局部のあまりの激痛で帰るのも、それから1ヶ月くらいも地獄に感じましたけれども」。
私は「真性包茎というと、生まれつきですよね?」と当たり前のことを訊いた。横道さんは「そうです。仮性包茎と違って、そのままでは性交ができないので、保険が適用できます。一種の奇形、あるいは病気、障害なわけですね」と言って、とつぜん声を荒げた。「私がこの話をすると、よく「俺も仮性包茎なんですよ」などと応じられるのですが、私はそのような発言をする人を心の底から憎んでいます。仮性包茎は本来の包茎ではありません。性交する上で、なんの支障もないのですから」。
私はとつぜん発せられた呪いの言葉にたじろいだが、横道さんは平然と続けた。「私には、生まれつき右膝だったか左膝だったか、その記憶ももはや判然としないのですが、親指の爪くらいのイボがあって、いまから考えるとたいした問題ではないのですが、子どもの頃は「イボ道」などと呼ばれ、それもいじめを誘発していました。病院に通って、軟膏のような薬をもらい、毎日塗っていると、イボの厚みはだんだん薄くなり、サイズも小さくなって、ついには完全に消えてしまいました。あれは奇跡のように感じましたね」。
私は「良かったですね。横道さんはイボ道さんから普通道さんになったんですね」とくだらないことを言うと、横道さんはニヤリと笑って、「細道になったり、並木道になったりすることもありますよ」と言ったので、私は「貴重なことを教えてくださって、ありがとうございます」と言いながら、せっせとメモした。
横道さんは「生まれつきの問題で言えば、斜視もあります」と続ける。「心身の調子が良いときには、意識しているとふつうの視線を保てるのですが、疲れてくると、左右とも視線がバラバラになります。ですから、1日の疲れが溜まっている夜なんかは、ずっと斜視の視線です。それから、早くから目が悪くなって、近視と乱視です。視力は0.03とかです。中年になってから緑内障も診断されています。じわじわと進行していて、将来的には失明の可能性もあります」。私は「お気の毒様です」と声をかけておく。
横道さんは「さきほど言ったように摂食障害の過食があり、その必然的結果のようにして、数年前に2型糖尿病と診断されました」と語る。「アルコール依存症の治療を始めたあと、酒を飲む量を減らして、いわゆるハームリダクションの発想で依存対象を分散させたのですが、昔から好きだった甘いものを度を越して食べるようになり、あえなく糖尿病となりました。最初は夜中に何度も排尿しにいくために目が覚めて、「私の体に何が起こってるんだ?」と不安でいっぱいでした。じぶんで毎日腹部に注射する治療を続けて、だいぶマシになったのですが」。私は「緑内障があると、糖尿病が悪く作用するんじゃなかったでしたっけ」と言ってみると、横道さんは「そうです。眼底出血をしたりするそうですね。さいわい、眼科に行くたびに「まだその問題は起こっていない」と言われています」と応答する。
私がふと視線を横に向けると、あの緑色に光る物体は、だいぶ人間の形に近くなってきているようだ。きらきら透明に光っていて、巨大な人間型のゼリーのような姿をしている。シンナーっぽい匂いは、だいぶ薄らいだ。いや、もしかすると匂いに慣れたことで、私の鼻が麻痺してしまったのかもしれないけれども。
私は横道さんに「さて、ほかの持病ですが」と仕切りなおすと、「摂食障害や糖尿病に関わりが深いですが、太りすぎのために睡眠時無呼吸症候群とも診断されています」という。「しかし薬の服用がスプレー状のものを鼻の奥に吹きかけるなど特殊でめんどくさかったし、オーダメイドの高価な睡眠時に着用するマウスピースを海外の旅行先に忘れてしまったなどの出来事があって、治療をやめてしまいました」。そのように聞いて私は「治療をやめて不安ではありませんか」と工夫のない質問を投げかけてみた。
横道さんは「ほかにも、じつは治療をやめてしまった病気があるのです」と、答えになっているのか、なっていないのか微妙な発言を返してきた。「数年前、左眼の奥のあたりに未破裂脳動脈瘤が見つかったんですね。主治医が、「大きいから、70歳までに破裂する可能性のほうが高いと思う。破裂したらクモ膜下出血で、死亡したり、半身不随になったりです」と言うので、入院して外科手術を受けました。1割以下の確率だけれども、全身麻酔の手術中に、死亡を含めて重大事故が発生するかもしれません、それを了承して手術に同意します、という書類にも署名をしました」。
私は「ふむふむ、ちなみにどちらの方式でしたか?」と尋ねた、「開頭して、動脈瘤の根本をクリップで挟むほうですか?」。横道さんは「もうひとつのほうですね」と応じる。「太ももの付け根から極細のカテーテルを通し、脳付近の動脈瘤に到達させ、プラチナのコイルを詰めるというやつ」。なるほど、クリッピングではなくて、コイリングのほうか。私が「しかし、途中で治療をやめたのは?」と尋ねると、「手術から2年くらい、3ヶ月おきくらいに通ってMRIやレントゲンの検査をしていたんだけど、異常がなかったんです」との返事。「それで主治医が、このあたりで一区切りと考えてもいいし、このままずっと通院するのでも良いですし」と言ったので、私は治療を打ち切りました」。
私は「すいません、やっぱり蜜柑もらいますね」と言って、ひとつ摑んでさっさと皮を剥き、むしゃむしゃ食べた。甘くておいしい。横を見ながら、「もうすっかり人間の形をしていますね」と感想を述べた。横道さんはうれしそうに「さらに時間が経つと、私そっくりになりますよ。緑色で透明なのは、そのままですが」と誇らしげだ。私は「毎日、これを吐きだしてるって、おっしゃってましたよね? このあとはどう処理、というか処分してるんですか? 切り刻んで生ゴミにするとか?」と問うた。ほんとうに不思議に感じたからだ。横道さんは不可解な笑みを満面に浮かべながら「まあ、それは次回にでもご説明できるでしょう」と言って、また蜜柑を食べはじめた。私は、そろそろ今回の取材を終えるタイミングだと判断したが、立ちあがろうとすると、横道さんが言った。
「私はね、いま致死性の病気を宣告されてるわけではないんですけど、40歳の時に自閉スペクトラム症、ADHD、未破裂脳動脈瘤、睡眠時無呼吸症候群、緑内障と立てつづけに診断されてから、もういまの段階から終活を始めてしまおうと思ったんですよ」。私は驚いて、「40歳で終活ですか? 死期を宣告されたわけでもないのに? いくらなんでも前のめりに生きすぎではないですか?」と小さく叫んだ。横道さんは「そうでしょうか?」と反問した。「終活を始めてみて思ったんですけどね、始めて見ると、思いのこすことはどんどん減って、どんどん安らかな気持ちになっていくし、毎日「きょうがもう最期の1日、きょうがもう最期の1日」というような気分で生きることになるんです。だから人生を長く感じて、得したような気分にもなるのですよ」と自信ありげに言った。
私は次回以降、まだまだ取材することがありそうだなと思いつつ、「きょうは興味深いお話をありがとうございます。また来月、こちらに来させていただきますね」と口にして、外に出た。エレベーターを降り、交差点でバスに乗り、じぶんの住んでいる街に帰りながら、私の頭の片隅で、緑色にぬらぬら光る物体が、ずっと輝きを放ちつづけていた。