冬の鬱と暖かな部屋
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京都市営地下鉄の北山駅を出ると、氷のカミソリのような風が頬から首にかけてを掠めさった。京都の冬は底冷えが厳しい、と「教科書的な知識」として知っていたけれども、実際にその身に受けてみると「底冷え」で済むようなものとは思えない。まるで眼に見えない大空の軍靴が、地上の私たちを踏みしだいているかのような、重く、凍てつく寒気が広がっている。私が吐く息は一瞬で白いもやとなり、あっというまに虚空へと霧散していく。
私は肩をすぼめながら、歴彩館へと向かって足を運んだ。あの巨大なガラス張りの建物は、遠目にも異様なくらい冷たく光を放っている。近代的で未来的、国が出資したわけではないようだから、「帝国の威信を象徴する」という印象は錯覚に過ぎないけれども、建造した京都府が帝国政府に媚びようとしている事実は疑えないだろう。学問の殿堂というより、監視の要塞といった佇まい。建前上は、「京都府民のみなさまのための文化施設」ということになっているが、内部には国宝や重要文化財なども収められていて、そこはかとなく威圧的な雰囲気を漂わせている。
入り口の自動ドアを抜けても、温風がどっと吹きつけるということはない。暖房が控えめなのだ。昔、冬の時期に東欧を旅したことがあったけれども、当地での建物はセントラルヒーティングが一般的で、ホテル、アパートメント、高層ビル、モール街などに入ると、驚くほど暖かかった。あれ以来、私は日本のペランペランな暖房に不信感を抱くようになった。近代化以前の木造建築だけだった時代の感覚をいまでも引きずっているのではないか。これがドイツと並ぶ世界最強国家の技術水準なのだから、思わず冷たい笑いを浮かべてしまいそうになる。
エレベーターや廊下に多数設置された監視カメラが、日本の強権国家ぶりを露骨に示している。天井から吊りさがっている監視カメラの黒い目が視界に入ると、何もやましいことをしていなくても、そわそわする。なんとも言えない気分で、横道さんの研究室をめざす。ここに来るのは二回目で、前回と違って目的地がわかっているから、移動していく時間をずいぶんと短く感じる。
横道さんの研究室に入ると、さすがに少しは暖かい。凍えていた皮膚がじんわりと緩む。しかし、上着を脱ぐほどではなさそうだ。そう考えると、冬の室内にしては、むしろ肌寒いくらいの空調と言える。私はそのまま「少し寒くないですか?」と発言する。部屋の奥にいる横道さんは「自閉スペクトラム症者にありがちですが、私は服を着る脱ぐの調整が不得意でね」と応じてくれる。「自宅ではともかく、外出したら、基本的に服の一部を脱いだり、また着直したりをしないんです。このように部屋でもジャンパーを着ています。ですから、このくらいの温度でちょうどいいんです」。
私は「なるほど」と思いながら聞いていた。横道さんが「しかし、寒いでしょうかね。エアコンの温度を上げましょうか」と尋ねるので、私は「大丈夫です。私もジャンパーを着たままにしますから」と答えた。
部屋は前回と同様の光景──本、本、本、書類、ガラクタ。賽の河原のように小山を形成して積みかさなる書物たち。「ぱっと見は変わらないですけど、やっぱり増えてるんですよね?」私が思わずつぶやくと、横道さんが作業中のノートパソコンから視線を外して、こちらを見てきた。顔をのぞかせた。「ええ、この数年間は一冊も処分していないので、基本的に増えていくだけです」。相変わらずの早口だ。そして前回同様、壁の本棚を一部外して作ったスペースを机代わりにして座っている。こだわりすぎのスタイル。ノートパソコンのまわりは、文房具類でごちゃついている。三六〇度回転する椅子の横には、例の巨大なトトロのぬいぐるみ。こらは研究室の守り神と見るべきか、本の山に呑み込まれかけた捕虜のようなものと見るべきか。
「歴彩館ができてからもう10年ほど経ちますよね? それ以前はどうだったんですか?」と私は言った。横道さんは懐かしそうに眼を細める。「昔は2号館というボロボロの建物に研究室が入ってたんです。私はこの大学の出身者でもありますが、二十一世紀が始まる前後、すでに「2号館がボロ過ぎ、昭和すぎでヤバい」と私たち学生のあいだで噂になってましたね。まだ冷暖房も整備されていない状況で。冬は凍えるように寒い。隙間風がピューピュー吹いて、まるで建物全体が風鈴みたいでした」
横道さんは笑いながら語る。「でも、あのボロさもレトロ好きの私としてはツボみたいなものでした。教員になったあとは、朝早く五時かそこいらの明け方に出勤して、研究室でのんびり論文や授業の準備をするのが楽しかったんです。授業が始まる八時五十分には、もうわりと疲れてましたけど。この歴彩館は七時にならないと入館できないルールなので、そこはかなり残念です。七時から八時五十分の間にいろいろこなすのはせわしないです」
夜勤などではないのに、朝五時からの勤務なんて想像するだけでゾッとする。そして、このカオスのような部屋を前にして、私は片付けについてもう一度尋ねた。「片付けようというご予定はないのでしょうか?」
横道さんはとぼけたように語る。「片付けたい気持ちは、はっきりくっきりぱっきりあります。でもADHD特性ってやつで、分類しようとすると五分後には別の本を読みだしてしまう。気がついたら遺跡の発掘現場ですよ。あれ? 同じようなことを前回も言ったような気がするな。似たようなことを何度も言いたがる癖がありましてね。たぶんそれは自閉スペクトラム症の特性に関係がありそうですけど。いずれにせよ雪崩が起きたら、研究室ごと化石化することになりますね」。横道さんは楽しそうにニヤけている。その身振りは、彼自身の生存戦略なのかもしれない。混沌を笑いに変えることで、じぶん自身の人生を生きぬいているのだ。
今回のインタビューが始まると、横道さんは言った。「私は二月二十六日生まれなんですよ。しかし子どもの頃からこの季節、冬は大嫌いでした。寒さが骨に沁みるし、気分は落ちこむし。気がついたら冬に鬱状態になることが常態化していて、学生時代には、クラスメイトから「おまえ、野球シーズンだけ元気やなあ」ってよくツッコマれましたよ。まだ季節性鬱という概念を知らなかった頃のことです」。
横道さんは遠い眼をした。「たしかに野球観戦は好きでした。でも冬季鬱とはもちろん関係がありません。あと、昔の私には──男性の場合、一般的にそうかもしれませんが──セルフメンテナンスという概念がなくて、三十代までは半年に一度は寝込んでしまう感じでした。一度そうなると、一週間は布団から出られなくなる。だいたい年末年始の頃と五月病の頃です」。
「いまはどうなんですか?」と私は尋ねた。
「数年前にアルコール依存と糖尿病を診断されて、飲食のあり方を見直して、食や飲酒に対する姿勢を根本的に変えました。栄養状態が良くなったことも作用してか、冬季鬱はずいぶん軽くなりました。なにより大きいのは、当事者研究に出会って自己理解が進んだことですね。当事者仲間との共同研究によって、病気や障害によってじぶんの人生に何が起こっているのか理解し、環境調整を中心とした対処方法を考える。この当事者研究の実践がなければ、いまでも半年に一度くらい寝込んでいたかもしれないと思います。あるいは、もっと本格的に体を壊していたか」
横道さんは笑ってみせたが、目尻にはわずかに疲労の影が残っていた。病気や障害とともに生きる重さ。それを笑いとばしながら、同時に真摯に受けとめる二重の姿勢。奇人とも変人とも言えるが、そこには前回話題になった「病気のアーカイブ」としての説得力があるようにも思えた。
私は「ところで、横道さんは夏推しだと聞きましたが」と話題を展開した。
「ええ。青い空、白い雲、青い海、緑の山、きらめく川や湖。子どもの頃から夏休みの自由研究が大好きで、ずっと「夏至上主義」でした。でも多くの人々と同じく、最近の酷暑は「もう無理」というところです。人間を丸焼きにする惑星規模の人体実験ですよ。京都の夏なんてサウナを超えてます。太陽の光が強すぎて、眼を開けていられない。熱波がアスファルトから立ちのぼって、陽炎が揺らめく。外に出るだけで体力をごっそり持っていかれます。私の場合、ほとんどの日は冷房をガンガンに効かせた部屋で、一日中ずっと本や論文の執筆、読書やインターネット検索をしているので、そんなにつらいとは言えないかもしれませんが。しかしこんな暮らし、人間らしいと言えるでしょうか」
横道さんは椅子に腰をかけて、前屈みになったまま、全身を使ってずっと貧乏ゆすりをしている。「だから、もう夏推しはやめました。できれば将来はもっと快適に夏を過ごせるような海外の街に引っ越したいと思っています。それに対する具体的な展望や計画はまだ皆無なんですけど」。その言葉に私は思わず苦笑した。移住の自由が制限されるこの国では、夢物語に近いことは明らかだからだ。
前回、インタビューの内容が使い物にならないということで、インタビューのあと居酒屋に出かけ、そこでざっくばらんに話しながら、記事のネタを集めることにした。この方法がうまく行って、なかなか良い記事が書けたため、今回も同様のやり方を取ろうと考えた。横道さんに提案すると、問題なく快諾してくれる。
私たちは横道さんの研究室を出て、凍えるような寒風の中、バス停「府立大学前」に向かった。そこから205系統の市バスに乗って繁華街に行く。今回は木屋町の居酒屋を選んだ。横道さんは若い頃、このあたりでもよく飲み歩いたのだという。
店の暖簾をくぐると、熱気と油の匂いが押し寄せた。木のテーブルにはジョッキが林立し、あちこちに焼き鳥や枝豆や冷奴が乗った皿が散らばっている。外の寒風を忘れるほどの暖かさだ。私としても思わず食欲を刺激されざるを得ない。
横道さんは最初から全開だった。ビールを一気にあおり、酎ハイを頼み、さらにウイスキーへ。横道さんは語る。「糖尿病になると毎日血糖値を測るんですよ。するとね、食べ物や飲み物の「糖尿病的危険度」が手に取るようにわかるようになります。酒類だと、ウイスキーや焼酎は安全圏。ビールも意外と悪くない。でも日本酒とかワインは最悪です。飲むと、すぐに血糖値は悪い方向に跳ねあがります」。
彼は声の大きさをうまく調整するのが苦手らしく、大声を張りあげながら話す。それで周囲の客のなかには、一瞬こちらを振りむく者もいた。だが当人は気にせずジョッキを掲げ、にやりと笑った。
「大学院生の頃、毎週のように、とあるゼミの教授に飲みに連れていってもらいました。その人はやはり糖尿病だと言ってましたが、六十歳で定年を迎えて、その二年後には亡くなってしまいました。やはり酒飲みの寿命は短いんだなと思いましたね。日本では「酒は百薬の長」という慣用句があって、アルコールに対する規制も甘い。しかし酒が健康にとってプラスに作用するのは、ほんの少しの量だけ摂取する場合に限ります。グビグビ飲んでる時点で、酒はたんなる毒物です」。
横道さんは笑ったが、その声の裏側に郷愁と諦念がにじんでいることを察するのは難しいことではなかった。「糖尿病と診断されているから、飲み会でも以前のように炭水化物系の食品、つまり米、パン、麺類などをガツガツ食べることもなくなりました。そうすると、どうしても肉類などを食べたくなりやすく、欲望に身を委ねると、今度はコレステロール値があがってしまう。糖尿病の定期検査で、そういう反動ははっきり数値に出てきます。さらに言うと、炭水化物は良くない、だからと言って肉類も食べすぎはダメ、とあまりに意識していると、どこかで我慢の限界を超えてしまって、ストレスでドカ食いをするリスクが高まる。そうならないために、むしろふだんから間食はするのですが、夕方以降に間食をしたいなら0カロリー食品にする、日中に食べる場合は、なるべく早い時間帯に食べる、などと管理しています」
私は「先ほど、栄養状態が良くなったと言っておられましたが、それが健康に過ごせる時間を増やしているということですし、横道さんの仕事量の多さ、生産性も支えているのでしょうね」と指摘した。横道さんは笑って「まったくその通りです」と言った。
しばらく雑談のような取材のような曖昧な時間が続いたが、店を出ると、夜風が容赦なく吹きつけた。金閣寺近くに住む横道さんと別れ、四条河原町の交差点を向かいながら、帝国旗を掲げた街灯が冷たく輝いているのが見えた。酔いと笑いの余韻が体を温めてはいたものの、その気分がなんとなく場違いのように感じられてくる。
冬季鬱の話から始まった今回のインタビューは、結局、アルコール依存症と糖尿病の話に帰結した。けれど前回も今回も、そしておそらく今後も、そして実際には初回から、この連載での毎回のインタビューは「病気のアーカイブ」としての彼の証言を示しつづけている。帝国がどれほど健康優良市民を理想化しようと、彼のような存在は今後も存在しづけるだろう。
私は凍える手でノートを抱きしめた。検閲をすり抜ける言葉をどう探すか──それは、私に毎回のように託されている課題にほかならない。私はふと、今年の大ヒット映画『国宝』(吉田修一原作、李相日監督)を思いだした。渡辺謙が演じる歌舞伎役者と横浜流星の演じる親子が、二代そろって糖尿病にかかる。渡辺が演じるほうは失明寸前で歩行困難、舞台で大量に吐血して亡くなってしまう。流星が演じるほうは、両足が先端から壊死してしまい、片足を切断するも、もう片足でも病状は進行し、早死にを余儀なくされる。いつだったか横道さんがSNSで、この映画を糖尿病のじぶんと重ねあわせながら見た、現代の医学では早期に治療すれば、そこまで悪化しないようだけれども、と書いてあったことを思いだした。
この映画や横道さんのSNSでの発信を中心に記事を書いて、うまく検閲を避けるということが可能かもしれない。毎回、検閲を回避するために工夫を凝らすのは難しいけれども、なんとかして病人にこそ人間らしさの残滓が社会に宿っていることの証明だ、と読者に伝えられれば良いなと思う。