イギリスがEU離脱を決め、アメリカではトランプ大統領が誕生。今年、フランス大統領選、ドイツ連邦議会選など重要な選挙が行われる欧州では、「さらにヤバいことが起きる」との予測がまことしやかに囁かれる。はたして分断はより深刻化し、格差はさらに広がるのか? 勢力を拡大する右派に対し「レフト」の再生はあるのか? 在英歴20年、グラスルーツのパンク保育士が、EU離脱のプロセスが進むイギリス国内の状況を中心に、ヨーロッパの政治状況を地べたの視点からレポートする連載、その第11回。#Me Tooムーブメントが世界的に広まるなか、英国ではDV被害者・経験者らの反緊縮運動が盛り上がりを見せている。緊縮財政は、DV被害者に対するサポート環境をも劣悪化させた。下からの女性運動と反緊縮とがリンクする必然性が伝わるレポート。
2月18日、英国アカデミー賞授賞式が行われ、アンジェリーナ・ジョリーやジェニファー・ローレンスなどの大物女優たちがセクハラ抗議運動への賛同を示す黒いドレス姿でレッドカーペットに登場した。だが、ゴージャスなブラックドレス姿の女優たちとはまるで違う、黒いTシャツにジャージの黒パンツ姿でレッドカーペットに侵入して抗議運動を繰り広げた女性たちのグループがいる。
彼女らは「SISTERS UNCUT」を名乗っている。「SISTERS」は言わずもがなだろうが、「UNCUT」は何も中年ロックファン向けの音楽雑誌から取った名前ではない。CUT、すなわち「削減」するなという意味の反緊縮運動のスローガンである。
彼女たちは、DV被害者支援の専門家やDV経験者たちのグループであり、英国政府の財政緊縮策の影響で、DV被害者専用シェルターや支援センターが閉所に追い込まれ、脆弱な状況にある女性たちがさらに危険な状態に晒されていることを告発している。
彼女たちも、ハリウッドの女性たちがセクハラ撲滅運動のスローガンにしている「Time’s Up(もう終わりにしよう)」の言葉をTシャツにプリントしていた。
SISTERS UNCUTのメンバーはガーディアン紙にこう書いている。
我々が英国アカデミー賞をターゲットにしたのは、「Time’s Up」運動が、エンタメ業界におけるジェンダーに基づく暴力との闘いで進歩を遂げているからです。我々は、「Time’s Up」という呼びかけを英国政府に向けたメッセージに拡大しているのです。(theguardian.com)
メイ首相は、ヨーロッパ評議会の「女性に対する暴力及びドメスティック・バイオレンス防止条約」(イスタンブール条約)に基づく、ドメスティック・バイオレンスおよび虐待に関する新法を導入しようとしている。海外でDVを行った場合にも英国内で法の裁きを受けられるようにするなど、より厳しいDV犯罪への取り締まりを行うという。
だが、SISTERS UNCUTのメンバーたちは、これは緊縮によるDV被害者支援への財政支出削減から人々の目を逸らすための危険なギミックになりかねないと警鐘を鳴らしている。
DV犯罪への刑罰が重くなり、より多くの犯罪者を刑務所に入れれば、それでDVが解決するわけではない。DVから逃れてきた女性たちが安心して暮らせるシェルターや、法的なサポート、メンタル面のケア、子どもたちの養育支援など、被害者が切実に必要とするサポートへの財政支出を減らしながら、警察の権力を強め、刑務所の囚人数を増やすことでDVへの取り組みをアピールするのは姑息な問題のすり替えだと主張する彼女たちは、「DV法は隠蔽策だ。テリーザ・メイ、あなたの政府はもう終わり」とレッドカーペットで叫んだ。
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ガーディアン紙には、DV被害にあって家をなくした女性たちの悲惨な体験談も掲載されている。リンという女性は6か月の赤ん坊を抱えて家から逃げ出したが、DV被害にあった女性専用の宿泊施設が空いておらず、ホームレスのシェルターに入れられた。倉庫から職員が出してきたベビーベッドは虫だらけで、彼女は泣きながらゴミ袋でマットレスを覆って赤ん坊を寝かせたという。しかし、それでも彼女は幸運だった。10日後にはDV被害者専用宿泊施設に空きが出て、移ることができた。そこでは、女性と赤ん坊の生活に必要な物品が与えられ、専門の職員が生活保護申請法を教えてくれ、赤ん坊の医療検診を手配してくれて、彼女が弁護士事務所に行かなくてはならないときには、必ず職員が1人ついてきてくれた。生活保護がおりるまで11週間かかったが、その間は宿泊施設が現金を貸してくれた。彼女はこう証言している。
「彼らはすべてを受け止めてくれました。涙も、癇癪も、人生の綾のすべてです。私たちは毎日、自分が背負っているすべてを彼らに下ろすことができた」
「それは単なる宿泊所ではないんです。そこで得られるサポートがそれを全く違う場所にしている」(theguardian.com)
だが、リンの経験は15年前の話だ。
8年前に保守党が緊縮財政を始めてからのDV被害者事情は、酷い。
リンが宿泊していたような施設の閉所が相次いでいる現在では、アルコールや薬物への依存症の問題を抱えた人々のためのシェルターにDV被害者とその子どもたちが宿泊させられるケースも少なくない。宿泊者たちを怖れるあまり、まだ知っている人間に虐待されたほうが予測可能なだけましと、DV加害者の家に帰りたいと思う女性たちもいるという。
また、移民の女性たちのDV被害の実情は実際にあがっている数字よりもひどいはずだと警鐘を鳴らしているライターもいる。
英国滞在資格を持つ夫やパートナーの配偶者として英国在住許可を与えられている移民女性が、DVを受けながらも逃げずに我慢しているケースが往々にしてあり、彼女たちは英国に身寄りも友人もなく、英国に関する知識もないので、どこにヘルプを求めていいかわからない。
ドメスティック・バイオレンスは、国境や文化、階級、学歴、在留資格に制限されるものではありません。しかし、移民女性、非白人女性、低所得層の女性がドメスティック・バイオレンスの被害を受けるリスクが高いことを示すエビデンスが出て来ました。これらのグループの中で、もっともヘルプを求める確率が低いのが移民女性です。(theguardian.com)
英国では、一年に約120万人の女性がDV被害を受け、一週間に2人の女性が夫やパートナー、または元夫、元パートナーに殺害されている計算になり、その多くが移民の女性たちだという。
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英国映画テレビ芸術アカデミー(BAFTA)と英国映画協会(BFI)は、映画業界からセクハラをなくすためのガイドラインを発表しており、「セクハラやいじめを容認しない」姿勢と、「組織における地位にかかわらず、お互いの尊厳を大切にする」職場たらんことを宣言している。また、エマ・ワトソンら190名の女優たちが、オブザーバー紙上で、セクハラと男女賃金格差の問題などと闘って行く意思を示す公開書簡を発表し、映画業界だけでなく、他の業界の女性たちとも連動していくことを宣言している。
「みんなが平等に気持ちよくお金を稼げる場所を実現する」ための運動も大切だが、「もっと切羽詰まった場所には政府が金を入れろ、財政支出を削減するな」という運動も大事だ。
だから下側からの女性運動が反緊縮とリンクしてくるのは当然のことと言えるだろう。
「♯Me Too」運動ほどの盛り上がりはないが、下側からの女性たちの運動、「♯Free Periods」も話題になった。これは、緊縮財政で家計が苦しくなった貧困家庭の娘たちが毎月の生理用品を買えずに学校を休んでいることが明らかになったため、十代の女の子たちが中心となって立ち上がった貧困層の女学生たちへの生理用品無料配布を求める運動である。このピリオド・ポヴァティ(生理用品が買えない貧困)の問題などは、福祉削減が発表された日本でも他人事ではないのではなかろうか。
「赤貧でナプキンやタンポンが買えません」とか「DVで殴られて子連れで逃げて来ました」とかいう体験談に「Me Too!」と言える女性は多くないだろう。
だが、セクハラに抗議するならそれはDVにも拡大されるべきだし、男女の賃金格差を訴えるなら社会全体の格差や生理用品が買えずにソックスにティッシュを詰めて使っている下層の少女たちの存在にも気づくべきなのだ。
「Me Too」運動や「Time’s Up」運動が、単なるレッドカーペットの黒いクチュールドレスで終わらないためには、黒いTシャツとジャージの黒パンツの女性たちの経験に無頓着であってはならない。
左派は、ブレグジットやトランプ以降、従来のアイデンティティ・ポリティクスの枠組だけでなく、階級政治の軸と労働者の視点を取り入れて進化することを余儀なくされていると語る経済学者の松尾匡さんは、このヴァージョンアップされた来たるべき左派を「レフト3.0」と呼んでいる。
フェミニズムもこの点では少しも例外ではない。
Profile
1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライター。著書に『労働者階級の反乱──地べたから見た英国EU離脱』(光文社新書)、『花の命はノー・フューチャー』(ちくま文庫)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)
、『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)、『THIS IS JAPAN──英国保育士が見た日本』(太田出版)、『ヨーロッパ・コーリング──地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)など。『子どもたちの階級闘争』で第16回 新潮ドキュメント賞受賞。