第10回 〈非知〉の世界

2017年04月30日から2017年06月11日まで、千代田区の、アーツ千代田 333メインギャラリー」で、「佐藤直樹個展『秘境の東京、そこで生えている』」が開催されました。板に木炭で植物を描いた作品はおよそ100メートルに及び、展示の方法も類を見ないものでした。そして、今も佐藤さんはこの続きをたんたんと描き続けています。展覧会を一区切りとしたわけではなく、展覧会から何かが始まってしまったということです。本連載は、佐藤さんの展覧会を起点に、文化人類学者の中村寛さんに疑問を投げかけていただき、「絵を描くこと」や「絵を見ること」「人はどうして芸術的なものを欲してしまうのか」など、世界についての様々な疑問について、語っていただく場といたします。

お返事するのに恐ろしく時間を要してしまいました。約7ヶ月。6月29日から10月20日まで個展(「佐藤直樹展:紙面・壁画・循環」@太田市美術館・図書館)を行っていたのですが、個展の間がそれほど忙しかったわけでもありません。つまり、忙しさからではない、別の理由で書きあぐねていたことになります。その理由については追って触れますが、まずは中村さんに書いていただいた内容へのお答えから。

中村さんも登壇された「覇権主義と美学――インディアン同化政策とアメリカ現代美術」のミニシンポジウムはとても興味深いものでした。「専門の違う研究者が集まって個別に報告しているだけ」ではなく「互いの領域をある程度は侵犯」する試みとして。ただ、時間の問題もありましたし、あらためてその困難を感じたことも確かでした。

印象深かったのは建畠晢さんのお話で、現地の人から受け入れられていない「他者性」の自覚を強く持っているように感じられました。それがとても強く思い出されます。何というか、まったく学者らしくも作家らしくもない感じがして、こちらを不安にさせるくらいの頼りなさがありました。しかし、それはとても信用に足ることのようにも思えました。

社会的な問題を語る時、「当事者」あるいは「当事者性」とどう向き合うべきなのか。僕自身は「インディアン同化政策」についても「アメリカ現代美術」についても語る言葉をほとんど持っていません。同化政策は日本でも大きな問題を抱えてきたわけですし、アートやら美術やらに携わっていながらアメリカ現代美術と無関係なわけはありません。しかしながら、そこに踏み込んで行くことはしていません。そこに据わりの悪さを感じ続けもしているわけですが。

「同化政策」については、幼少期から中学生までを過ごした大阪で、また大学時代を過ごした旭川でも、向き合わざる得ない時期がありました。そうした問題との関わりで「現代美術」のことを考えていた時期もあります。ただ、そのことはあまり表に出さずにきました。それらはすべてごくごく個人的な、個別具体的な話であり、一般化して語れるようなことではないと思ってきたからです。

少し話は跳ぶのですが、僕の父は1918年生まれで、戦争に行っています。が、父から戦争の話を聞くことはほとんどありませんでした。時々、ごく断片的に、間接的な話が出ることはありましたが。「戦争が終わったらみんなが掌を返した」という言い方や「ちゃんとした人から死んでいく」という言い方をしていたのを覚えています。

フィールドワークというものがあるとして、そこには見過ごすべきではない「事実」もあるのでしょうが、それが伝わったり伝わらなかったりする「過程」の方に僕は興味を持っているのだと思います。建畠さんにも、ちょっと言い淀んでいるような感じが時々あって、そこのところに、何かとても大事なことが隠れているのではないかという印象を持ったのです。

父のことが思い出されたのは、中村さんの手による小説を読ませていただいていたせいもあるのかもしれません。「当事者」であることと「当事者性」を持つことの間には、大きな溝がある。そのことが様々なかたちで語られているように思われました。そもそもその問題を研究という括りで扱うのは難しいのでしょうか。小説を書かれているのも、そのようなことが背景にあったりもするのでしょうか。

さて、このやりとりも含みおきながら「本題」に入ろうと思います。中村さんが書かれていた、「芸術ではないもの(非-芸術)」「美ではないもの(非-美)」について語らなければならない、ということ。意図や意志、技能以前に、経済的要件があり、その「経済」には、社会関係資本も文化資本も関わっている、ということ。そして、ここで炙り出さなければならない「文化資本」あるいは「文化」には、これまで社会学者が扱ってきたようなやり方では決して掴めない領域が含まれているであろうこと(中村さんは今まさに、美学校の『描く日々』の中でそこのところを実感されている最中かもしれません)。

僕自身、過去から現在に至る美術制度や美術市場に対する漠然とした疑念を抱き続けてきながらも、事の本質をうまく言い当てることもできず、だからこそ行為や実践で示すしかないと思ってきました。そして、今もまだその只中にいます。ある時は、言葉に頼ってしまう分だけ、行為や実践が弱まるような気がして、とにかく引き蘢るしかないのではないかと考えていたこともありますし、今も時々思います。

別のところにも書いたことですが、僕は明らかに、物心つく前から「描く」ことをしていました。そして物心ついてすぐ、つまり記憶の最初のところで、「描く」ことが評価対象になってしまうことに対する違和感を察知してもいました。

歳を重ね、いろいろなことがどうでもよくなって、最近になってやっとまた、物心がつくかつかないかの時の状態に近づいてきている感覚があります。であれば、ただ描き続けていればいいのでしょうが、自分の物心つく前というのは、要するに大人に守られていたわけです。それなりに複雑な事情もあったとは言え。今は社会生活との兼ね合いを考えながら描かねばなりません。そして、そのことは間違いなく絵に影響します。

「そんなことじゃない」と言う人もいるでしょうが、結局のところ、その意識も含めて「そういう絵」になっているだけなのだと思います。

中村さんは中村さんで「あまりにも描けない」幼少期からスタートしながらも、『描く日々』で少し変わってきたところがあるのではないでしょうか。後半のやりとりを深めるにあたって、その経験も大きいような気がしています。ぜひそこらへんの話も聞かせてください。

先日、山本浩貴さんの『現代美術史──欧米、日本、トランスナショナル』(中公新書)を紹介させていただきました。研究者でもあり作家でもある立場から、とても誠実にまとめられています。「新しい美術史」の勉強会をしましょうというお話を以前しましたが、この書物はその時に考えていたイメージにも近いものでした。美術の事象が社会的背景とともに語られている。ただ、僕が考えていたのは「現代美術」ではなく「美術」なのです。というのも、結局のところ「現代美術」とは「知の術」でしかないのではないか?と思えてしまう。

フーコーの話をしたのもこのことと関係しています。紹介していただいた『キャンバスに集う~菊池恵楓園・金陽会絵画展 “生きるため、描き続けた。”』はその意味でも大変有意義で、「描く根拠」の強さを感じずにはいられませんでした。これは「現代美術」という軸からは浮かび上がらないものなのではないでしょうか。わたし自身の中にも「描く根拠」はあると思っています。ただ、やはり彼らの絵の方が圧倒的に強い。それはなぜか。おそらく「覚悟」が違うのです。そしてその覚悟は意図や意志から来ているのではなく、「現実」あるいは「歴史」から来ている。

スパイク・リーの映画に関しても近いことを思いました。「現実」との向き合い方という点で。また、そこには「歴史」も深く関与している。果たして自分は「現実」と向き合っているだろうか。「歴史」と向き合っているだろうか。そんなふうに思わざるを得ませんでした。このような自覚に至り、ますます「書きあぐねていた」のです。

絵の方は個展の後も描き続けており、来年の夏の時点ですべてを繋げた展示をするつもりでいます。今まであまり言葉にしないようにしていましたが、結局これは何なのかというと「現実でないもの(非-現実)」「歴史でないもの(非-歴史)」への憧憬なのではないか?と思えてきたのです。花鳥風月を描いたあらゆる絵画とはそもそもそういうものなのかもしれません。しかし「花鳥風月を描いたあらゆる絵画」が社会的に流通すればそれも「現実」ですし、積み重ねられた「歴史」の産物にもなります。そうして「非-歴史」「非-現実」とは程遠いものになっていく。それを拒否するには「作品」というかたちで完結させない方法を考えるしかなくなるのです。

約7ヶ月後の展示では、植物を主に鉱物や水面をモチーフとした木炭画は200メートルに達しているはずで、そのようなものを展示するための選択肢は限られており、「東京ビエンナーレ2020」の枠の中で実現したいと考えています。展示はあくまで「過程」にあるものとして行います。なぜそのようなことをするのかというと、それによって「制作し続ける」ことが可能になるからです。人知れず継続してその審判は死後にしてもらうのでもいいわけですが、それもこれも制作ができていてこそ。制作自体を継続するためには、そのための条件を整えることも一仕事になります。

「美術制度に対する表層的で外在的な批判に援護されながら、『我こそは新たな表現者なり』『我こそは制度からはじかれたはみ出し者(アウトサイダー)なり』という美術市場での戦略が横行している」という指摘は、まったく正鵠を射ています。そのような現状を踏まえた上で、健全なイラストレーションの有用性にも向かわないとすれば……。

なかなか厳しい「現実」が立ち現れてきます。しかしここで眉間に皺を寄せ顎に手をやってみたところで何も打開されることはないでしょう。先日、吉本隆明さんの『重層的な非決定へ』の話が編集者の安藤聡さんから出ました。僕も34年ぶりに読んでみているのですが、「〈知〉に渇望する〈知〉」と「〈非知〉に渇望するがゆえの〈知〉」の違いについて書かれた箇所に目が止まりました。この〈知〉と〈非知〉の関係は、中村さんが書かれた〈芸術〉と〈非-芸術〉、〈美〉と〈非-美〉の関係、僕が書いた〈現実〉と〈非-現実〉、〈歴史〉と〈非-歴史〉の関係についての考えを深める助けになるのではないか、というようなことを思いました。

そして、ここでようやく、連載のリード文にある「『絵を描くこと』や『絵を見ること』『人はどうして芸術的なものを欲してしまうのか』など、世界についての様々な疑問について、語」り合うための端緒に辿り着けたのではないかと考えるのですが、どうでしょうか。

佐藤直樹 拝

2019年12月18日

 

Profile

SIGN_02SATO1961年東京都生まれ。北海道教育大学卒業後、信州大学で教育社会学・言語社会学を学ぶ。美学校菊畑茂久馬絵画教場修了。1994年、『WIRED』日本版創刊にあたりアートディレクターに就任。1998年、アジール・デザイン(現アジール)設立。その後、数多くの雑誌、広告、書籍等を手掛ける。2003~2010年「CENTRAL EAST TOKYO」プロデューサーを経て、2010年よりアートセンター「3331 Arts Chiyoda」デザインディレクター。現在は美学校講師、多摩美術大学教授を務める。画集に『秘境の東京、そこで生えている』(東京キララ社)、著書に『レイアウト、基本の「き」』(グラフィック社)、『無くならない――アートとデザインの間』(晶文社)などがある。 web 


文化人類学者/多摩美術大学准教授/人間学工房代表。一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士課程修了・博士(社会学)取得。専門領域は文化人類学。アメリカおよび日本を当面のフィールドとして、「周縁」における暴力や社会的痛苦とそれに向き合う文化表現、差別と同化のメカニズム、象徴暴力や権力の問題と非暴力コミュニケーションやメディエーションなどの反暴力の試みのあり方、といったテーマに取り組む。その一方で、《人間学工房》を通じて、さまざまなつくり手たちと文化運動を展開する。著書に『残響のハーレム――ストリートに生きるムスリムたちの声』(共和国、2015年)、編著に『芸術の授業――Behind Creativity』(弘文堂、2016年)、訳書に『アップタウン・キッズ――ニューヨーク・ハーレムの公営団地とストリート文化』(大月書店、2010年)がある。『世界』(岩波書店)の2017年10月号から、連載「〈周縁〉の『小さなアメリカ』」がスタートした。 web