第2回 とにかく尽くし暴走する、エクストリーム片思い──『愛がなんだ』角田光代

信じられないくらい優柔不断、単に運が悪い、欲望に勝てない、決断を間違える……。文学ではキーパーソンとして読者に強烈な印象を残すことが多い「ダメ人間」。どうして、作家はダメな人を描くのだろう?
文学に登場するダメ人間たちに時に苛立ち、時に愛でながら、様々な生に目を向ける「人間讃歌」連載。

 

実はこの連載、当初は「ダメ男小説」について書いてほしいと依頼された。が、性別を問わない「ダメ人間」をテーマにしたのは、ずっと前から不思議だったからだ。

「ダメ男小説」はたくさんあって、ひとつのジャンルとして確立している感があるのに、なぜ「ダメ女小説」はあまり見かけないのか。『ボヴァリー夫人』のエンマなど、ダメな女主人公もいることはいる。けれども、世界はダメ男よりもダメ女に厳しいのでは、と思う。

たとえば、インターネットで「ダメ男」を検索すると、「ダメ男の見分け方」という女性向けの記事が多くヒットする。一方、「ダメ女」で検索すると、男性に愛されるためにダメな部分をなおそうという女性向けの記事が上位に並ぶのだ。「ダメ男」はありのまま変わらないでいられるが、「ダメ女」は存在自体が許されていない気がする。前回取り上げた『ヴィヨンの妻』の大谷は浮気しても金を盗んでも有耶無耶になったのに、恋に溺れ浪費する『ボヴァリー夫人』のエンマの末路は悲惨だったではないか。

女は堅実かつ利他的であれ、と圧をかけてくる小説もある。山本周五郎の直木賞受賞辞退作として知られる『日本婦道記』。武家の女たちを描いた短編集だ。家のために節約を徹底しながら明るくおっとりした顔だけ夫に見せて死んだ妻、裕福な生みの親と一緒に暮らすチャンスを捨てて貧しい養父のもとへ帰る娘、障害者になったふりまでして窮乏した主人を助ける「婢(はしため)」(※女の召使い)……。登場人物は揃いも揃って頑張り屋で、すすんで自己犠牲の道を選び、苦労をむしろ幸福に感じる。そんな生き方が物語を通じて賛美されている。太平洋戦争中に執筆されたということもあるだろう。当時の国家が求めていた女性像を反映しているのだ。しかし令和の今、これが日本の女の生きる道と言われても無理。ほんとうに無理。

 銃後なんかで絶対役に立たない、ダメな女でいたい。

 

というわけで、前置きが長くなったけれども、今回は角田光代の『愛がなんだ』(2003年3月、メディアファクトリーより単行本刊行。2006年2月、角川文庫)を推す。

主人公の山田テルコは28歳。毎日膨大な量のアンケート回答を気の遠くなるほど延々とデータベースに入力するのが仕事だ。契約社員から正社員に昇格したが、職場では浮いている。テルコは就業中でも会議中でも携帯電話の電源を切らず、呼び出し音が鳴ればすぐ飛びついて話し込む。用もないのに残業している日もあれば、定時前に姿をくらます日もある。遅刻は数限りなく、化粧もしないし、何日も同じ服を着ていたりする。同僚に食事に誘われてもドタキャンを繰り返す。その日の予定がどうだろうと、マモちゃんこと田中守を最優先するためだ。

 

マモちゃんと会って、それまで単一色だった私の世界はきれいに二分した。「好きである」と「どうでもいい」とに。そうしてみると、仕事も、女の子たちも、私自身の評価というものも、どうでもいいほうに分類された。そうしたくてしたわけではない。「好きである」ものを優先しようとすると、ほかのことは自動的に「好きなものより好きではない」に変換され、つまりはどうでもよくなってしまうのだった。

 

と、テルコは思っている。仕事や人間関係がおろそかになるほど恋に夢中になる人は珍しくないが、会社をクビになってもかまわない、友達がいなくなってもかまわないというレベルまで、どうでもよくなる人はなかなかいない。しかも、マモちゃんは風邪を引いて寝込んでいる自分のアパートまでわざわざ食べ物を届けてくれたテルコに、終電がなくなる時間であるにもかかわらず、〈帰ってくれるかな?〉と言うのだ。気まぐれに電話をかけてきて、食事して酒を飲んで時には性交もするが、恋人にはなってくれない。33歳になったら仕事を辞めるというのが口癖で、指がきれいという以外、これといった特徴はない。そんな男のそばにいたい一心で、テルコは失業してしまう。

いつでもどこでもマモちゃんに合わせ、頼まれたことは何でも聞く。テルコは一見、都合のいい女だ。でも、読み進めていくうちに、ほんとうにそうか? という疑問がわいてくる。

テルコはマモちゃんが寝込んでいると知ったとき、〈今すぐそこに駆けつけて、風邪に効く料理をこしらえてあげるよ〉と、のどまで出かかった言葉をのみこむ。〈求められてもいないことをみずから提言するのはよくない。押しつけがましい。ときに相手をびびらせる〉とわかっているからだ。わかっていながら、実際にマモちゃんのアパートへ行くと、コンビニの鍋焼きうどんでいいと言われたのにスーパーで買いものをして温サラダと味噌煮込みうどんを作り、風呂場を掃除して、ゴミの仕分けまでする。マモちゃんに嫌われたくないと思いつつ、自分のしたいことをせずにはいられない。この味噌煮込みうどんの回にかぎらず、テルコの尽くし方は過剰。少しでも長く一緒にいたくて、マモちゃんにとって都合のいいラインを踏み越えて暴走するのだ。

マモちゃんはテルコが一線を越えると急に態度を変える。自分本位で冷たく感じることもあるけれど、放っておいたらいつまでも居座りかねないテルコに帰ってほしいと思う気持ちはわからなくもない。なんといってもふたりは付き合っていないのだし。

テルコがすごいのは、マモちゃんに雑に扱われても、避けられても、他の女にあげるためのチョコレートを買いに行かされても、彼に会えるならどうでもいい、自分の感情が愛であるかどうかすらどうでもいい、という領域まで到達するところだ。エクストリームな片思いは、切なさを通りこして笑えるし、恐ろしくもある。

何があってもマモちゃんから離れない、一途なテルコに潜む地獄のようなものを象徴するのが、過去の恋の記憶と結びついている〈中国の王さまの話〉だ。退屈を紛らわすために、家臣に対して残虐な行為をする幼い王さまの話。どのような行為も認められ、肯定されていくうちに、王さまは何かを残酷だと思う心が麻痺していって、残虐さはどんどんエスカレートしていく。テルコは浮気を繰り返していた元恋人と、何度ひどい仕打ちをされても別れなかった自分、どちらが王さまだったのかと問いかけるのだ。

マモちゃんもテルコに甘やかされているうちに、どんどんダメになっていく。登場したときはクールなのに、終盤はとてつもなくかっこわるい。もしテルコが『日本婦道記』の世界に生まれて、武士マモちゃんの妻になっていたら、家は滅びるだろうなと思う。

 

わたしは、テルコが大好きだ。何事もやりすぎてしまうテルコが。隠しても隠しても、男にとって都合の悪い何かがむき出しになってしまうテルコが。

テルコの数少ない女友達は、好意を向けてくる男をコントロールして、自分が優位にたてる関係を築こうとする。都合のいい女にならないように、受け身でいることで傷つかないように。どちらかといえば、テルコより彼女たちのほうが共感しやすい。

けれども、自分をどうでもいいと思っている男に対する巨大感情を制御できないテルコだからこそ、ダメな恋を輝かせることができる。他人の評価に左右されず〈どこにもサンプルのない関係〉を作ろうという境地にたどりつくことができる。どうでもいいを突き詰めて、唯一無二の存在になっているのだ。

 

『愛がなんだ』は、2018年、今泉力哉監督によって映画化された。岸井ゆきの演じるテルコと成田凌演じるマモちゃんがチャーミングで、恋愛のままならなさを繊細に描いている。原作よりも、ほんのりやさしい世界になっているので、未見の人はぜひあわせて観てみていただきたい。小説も映画も傑作です。

 

 

第1回 奪った金は愛人が返し、妻のおかげでタダ酒を飲み続ける──『ヴィヨンの妻』太宰治

信じられないくらい優柔不断、単に運が悪い、欲望に勝てない、決断を間違える……。文学ではキーパーソンとして読者に強烈な印象を残すことが多い「ダメ人間」。どうして、作家はダメな人を描くのだろう?
文学に登場するダメ人間たちに時に苛立ち、時に愛でながら、様々な生に目を向ける「人間讃歌」連載。

 

「文学はダメ人間が9割」というタイトルは、アルバイト先の本屋の店頭を眺めていて思いついた。我ながら大きく出たものだが、ダメな人が登場する文学はおもしろい。なぜだろう。どうして、作家はダメな人を描くのだろう?

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、ストーリーの創作論である『詩学』において、創作とは総じて「模倣」であると述べている。そして、作品を「悲劇」と「喜劇」に分けて〈喜劇は現実にいる人々よりも劣った人物たちを、悲劇は優れた人物たちを模倣の対象にしようとする〉と分析している。

わたしの好きな文学は、アリストテレスの定義によれば喜劇だ。『詩学』の大半は悲劇論で、喜劇についての記述は少ない。しかし〈劣った人物〉にまつわる以下の文章は、ダメ人間文学の魅力を探るとき手がかりになるのではないかと思う。

ただし、この場合にいう人物たちの劣悪さとは全面的な意味の悪ではなく、彼らの滑稽さが、醜悪なものの一部に属するという意味である。すなわち、滑稽なものとは一種の失態であり、それゆえ醜悪ではあるけれども、[悲劇中の惨劇のように]苦痛に満ちたものや、破滅的なものではないのである。(※『詩学』アリストテレス著、三浦洋訳、光文社古典新訳文庫)

〈劣った人物〉といっても、全面的に劣悪と断じるわけではない。喜劇は人間の〈醜悪なものの一部に属する〉〈失態〉を模倣するのだ。この連載では、毎回ひとつの作品を取り上げて、登場人物のダメなふるまいの背景に何があるのか、その人物の失態を読むことでどんな感情が呼び起こされるのかを考察していきたい。

 

というわけで、今回は太宰治の『ヴィヨンの妻』(初出「展望」1946年3月号)だ。

なにしろ太宰は『精選版 日本国語大辞典』の「駄目」の用例に『貧の意地』という短編が引用されているくらいの、ダメ人間文学の王様。太宰の描くダメ人間といえば、『道化の華』『人間失格』の大庭葉蔵がいちばんに思い浮かぶ。大庭葉蔵は太宰の分身的な色合いが濃い主人公だ。プロフィールも太宰と重なるところが多い。それなのに『ヴィヨンの妻』を選んだのは、正直に言うと、編集部にすすめられたからである。なんとなく流されて生きていてすみません。

でも『ヴィヨンの妻』にしてよかった。妻の視点で描くことによって、ダメ人間の輪郭が際立っている。

ある夜、語り手の「私」は、あわただしく玄関を開ける音で目を覚ます。夫の大谷が帰宅したのだ。珍しく優しい大谷に「私」が〈おそろしい予感〉をおぼえていると、椿屋という小料理屋を営む夫婦が訪ねてくる。大谷はナイフを出して逃げ去ってしまう。椿屋が訴えるところによると、大谷は三年もその店で無銭飲食した挙げ句、大金を盗んだという。警察沙汰にされないよう、「私」は自分が事件の後始末をすると約束するが……。

〈男爵の次男で、有名な詩人〉であるらしい大谷は、「私」に生活費を渡さず、家にはほとんどいない。夫婦といっても籍は入っていない。坊やは来年四つになるが〈よその二つの子供よりも小さいくらいで、歩く足許さえおぼつかなく、言葉もウマウマとか、イヤイヤとかを言えるくらいが関の山〉。しかも病気がちだ。「私」は働きに出ることもできない。大谷の知り合いの出版関係者が時たまお金を持ってきてくれるので、母子は辛うじて飢え死にせずにすんでいるのである。今の感覚で言えば、大谷のしていることは「経済的DV」だろう。

「私」は困窮しても大谷を責めない。泣いたりすがったりもしない。たとえば〈あわただしく、玄関をあける音が聞えて、私はその音で、眼をさましましたが、それは泥酔の夫の、深夜の帰宅にきまっているのでございますから、そのまま黙って寝ていました〉という書き出し。ただ家でじっと待ち、大谷が帰っても起き上がりもしない。健気というより、疲れ切って無気力になっているように見える。そんな彼女が、大谷の発表した「フランソワ・ヴィヨン」という論文の題名を見て涙ぐんだあとに変わるのだ。

「私」は椿屋にすらすらと嘘をつき、坊やを背負って店に通い、「さっちゃん」という名前で働きだす。そして大谷と再び会えるようになったとき〈とっても私は幸福よ〉と言う。その変貌ぶりを読んでいるうちに、文芸評論家で東京大学大学院教授の阿部公彦さんが、太宰は〈自分のことばかり語っているようで、実は他人を描いている〉と指摘されていたのを思い出した。(※『名著のツボ』石井千湖著、文藝春秋)。

自分は幸福だと語る「私」に大谷は〈女には、幸福も不幸も無いものです〉〈男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです〉と返す。思わず傍線を引いて「は?」と書き込んでしまった奪った金は愛人に返してもらい、妻のおかげでタダ酒を飲み続けられているのに、まったくいいご身分である。が、この家族に対する責任を一切負わないくせに妻子を完全に捨てることもできない、そのうえ常に死にたがっている男は、「私」の主体性を引き出してしまうのだ。面倒を見なければならない坊やがいて、夫は頼れないだけではなく泥棒までするわけだから、自分の意志で動くしかないのだけれど。

仕事を通じて〈我が身にうしろ暗いところが一つも無く生きて行く事は、不可能だ〉と気づいた「私」は、大谷に打ち明けられない出来事が起こっても折れない。最後の〈人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きてさえすればいいのよ〉というセリフが強烈な光を放っている。

 

ちなみに大谷が論文のテーマにしたフランソワ・ヴィヨンは、15世紀フランスの詩人。殺人や窃盗を犯してパリを出奔し、放浪生活を経て『大遺言書』という詩を書いた。その後、別の罪で死刑判決を受け、恩赦されたものの、消息を絶ってどんな最期を遂げたのかわからない。芥川龍之介は、最晩年の作品である『或阿呆の一生』でヴィヨンの詩を〈心にしみ透つた〉〈何篇かの詩の中に「美しい牡」を発見した〉と評している。太宰は芥川に憧れていたから、影響されたのかもしれない。太宰は『乞食学生』という短編にもヴィヨンの詩を引用している。

ヴィヨンの詩は長い長い遺言の体裁をとっていて、青春の時代が終わってしまったことや落ちぶれた我が身を嘆き悲しみながら語り口はユーモラスで勇ましい。読むと元気が出てくる。遺言なのに。

第一作品集に『晩年』という題名をつけた太宰も、長い長い遺言を書いていたようなものだ。太宰の描く死にたがりのダメ人間は、他者の生を肯定し輝かせるその不思議な明るさが、今日の読者も惹きつけるのだろう。