第3回 アートとデザインが消えても。

2015年からはじまった佐藤直樹さんの連載「絵画の入門」は、絵画とはなにか、そもそもなぜ人は描くのかを、根源的に問うものでした。あらたな連載では、いったんそこを離れ、自身が職業としてきたデザイン、それからアートというものについて、様々な角度から見直してみます。これらの言葉が曖昧なまま使われているのはなぜなのか。またそうでありながらどのように厳然とした線引きは存在しているのか。絵が好きだった少年がかつて胸に抱いた疑問に、大人となった今あらためて向き合う……この二つの連載は2017年春に単行本になります。

 

「芸術」のこと

今回は単刀直入に「芸術」のことを考えてみます。私はこの言葉から、「アート」「デザイン」の外側の、もっと大きなものを想像します。明治期に翻訳された漢字言葉は、西洋の概念が大量に流入してきた際に、やはり外来語である漢の言葉を複数組み合わせて応じたもので、つまり外来物に別の外来物を当てたわけですが、これはなかなかの技だったと思うのです。受け取る方も咀嚼が必要になり、考えることが促されます。

Artは西洋に独特の概念ですから、日本にもとからあった考え方ではありませんが、「日本にも昔からアートはあった」と言われるとつい「そりゃそうだろうな」と受け入れてしまう。アートを自明化してしまう。そして一度概念化されてしまうとそれが存在しなかった世界というものは想像できなくなります。読めるようになった文字は読めなかった時のように眺めることができないように。
 
Designは西洋でも現在のような意味で使われるようになったのは産業革命以降のことなので、近代化=西洋化の時期にこれを受け入れた日本でもさほどズレはないと考えていいと思います。こちらは自明でなかったものを自明化したというより、進化や進歩、発達や発展といった近代に特有の行動原理を背景として、いわば便宜的に使われてきました。
 
実際、芸術という言葉の守備範囲はかなり広くとられています。新興の近代国家として渡り合おうとしていたのですから、狭く絞り込んでしまうと「該当するものがない」ということが起こり、それでは困る。もとからあった考え方じゃないと言っても、近いことならある。いったんは全部ひっくるめて「芸術」に入れながら、西洋化を進める中で選り分けて行った。「日本画」という概念、考えが必要になったのもこの時期でした。
 
その後「近代の超克」といったことが言われながら破滅的な一九四五年を経て、カタカナ化の流れが強まっていくのですが、そんな経緯の先で、アートやデザインはどういうことになっているのか。カタカナであることがそれなりの意味を持っていたのはインターネットが普及するあたりまでで、今現在の感覚としては概ねArtとDesignに回収されつつあるようにも思えます。ArtもDesignも世界規模で混迷期に入っているため、そこにはどんな解答も用意されていないのですが。
  
インターネットの普及といったこととは別に、二〇一一年三月一一日にひとつの大きな断層ができました。強固な現実の前でほとんどのアートやデザインの無力さが露呈してしまった。それは、人工的につくり出されてきた平穏な日々の中で危うく成立してきたものすべてを吹き飛ばすような出来事でした。その事態は今も続いています。
 
その一方でArtやDesignの供給は続いており、私たちは受け止め切れない情報を浴び続けていることにもなるわけで、新しい情報を受け取れば受け取るほど、鈍感にならざるを得ないような状況です。
 
映画のアキ・カウリスマキ監督は二〇一四年のインタビューで「最近どんな映画を観ているか」という質問に対し「一九八六年以降、新作映画は観るのは止めた」と答えています。今は主に一九二〇〜三〇年代の映画を観ており、それである賭けに出ているのだと。
 
カウリスマキ監督は、小津安二郎、溝口健二、黒沢明の名を挙げて、この人たちのフィルムは、人が社会に対して張り巡らしているバリアのようなものをすり抜けて、心の奥底に深く入り込んでくる、とも語っています。
 
映画もそうですが、小説や詩などでも「なぜこれをつくった人は、私の心の奥底で起こっていることにまで触れてくるのだろう」と思うことがあります。一定の条件下でその箇所を読めば必ずそうなるということではなく、ある時ふと、ぶつかる。つまりこちらが反応しているわけで、客観的に証明できることでもない。
 
ところが、いわゆる「アート作品」と呼ばれているものは、それ自体が客体化されることで成立しています。使用価値がないのに価格が確定するというのはそういうことです。ここには非常に大きな可能性と同時に、危うい、ネックとなる問題が潜んでいるようにも思えるのです。
 
すべての映画や小説が芸術作品なわけではなく、ある種の映画や小説が奇跡的にそのようなものになる。そう考えれば、アートだって同じ、そういった考え方もあるでしょう。しかし芸術に至る至らないということと関係しないアートとは何なのか。他ジャンルでは扱いようのない主題や方法を試せる場であることは確かです。その意味でやはり貴重であるし、蔑ろにすべきものでもありません。しかし、であればなおさら、自明化すべきではなく、不断に問い続けなければならない。
 
しかし、高過ぎる理想を掲げ続けなければ存立できないようなものは必ずおかしな結果を呼び込みます。理想ばかり語っている人というのはだいたい生活面で誰かの世話になっています。同じように、「アート」とは何かに寄生することで延命してきた存在であって、それ自体で独立した価値を持てたことは実はない。そういうものだと考えた方が間違いないでしょう。寄生という言葉が適切でないなら付着でも混在でも含有でも内包でも併存でもいい。いずれにしても、実体の話はさておき、まず関係から考えなければ、理想論が続くだけで話が前に進まなくなります。
 
連載の一回目に民藝運動のことをちらりと書きました。イギリスのアーツ・アンド・クラフツとも連動した動きで、近代化の中での芸術のあり方に対して一石を投じていたわけです。それを現在の状況に置き換えて考えてみたらどうなるか。時代の転換期という意味で今と百年くらい前とは重なる部分も大きいと思います。それはどういう部分なのか。また、重ならない部分、つまり現在に特有の、過去のどの事象にも当てはまらない、まったく新しい次元の問題があるのだとすると、それは何か。そういう話にどうしてもなります。
 
そのような一石は、今、どこでどのようにして投じられているのか。
 
現在の「アート」とは、それ自体の定義づけを拒んでいるものと言ってよく、アートならざるものに対する否定的な見解を持ち込まない限り説明できないものになっています。しかしこれは一種の他者依存で、自立や自律を旨としていたはずの存在が、結果として自家撞着に陥ります。
 
「デザイン」は利用者の存在を前提にしていますから、そのような矛盾が露呈することはあまりありません。が、それも少し前までの話で、今では新たな問題を抱えています。経済的基盤が崩れ、何らかのプログラムとセットでなければ回らなくなっている。そうなると独立した「デザイン」は空回りを始めます。そこから「アート」を語り始めたりもする。それを避け、かつ他者依存もしないと決意するなら、基盤そのものに関与するしかない。
 
個々の営みを存続させるためには、「アート」や「デザイン」といった大括りな業界に属することをよしとせず、そのような概念自体を疑い、個別に具体的な立ち位置を明確化するしかない。インデペンデントであり続けるしかないのです。
 

「アート」も「デザイン」もいずれ迎える死の向こう側

 
私は今、木炭を使って板に植物などを描くことを、延々と続けています。いったい何をやっているのか、今はまだうまく説明することができません。けれども、絶対に必要なこととしてやっています。何がどう絶対に必要なのかは描かれたものに証明してもらうしかなく、証明は死ぬまで続きます。途切らせた時点で逆のことが証明されてしまうからです。
 
描くことというのは他の何かでは代替され得ない行為であり、何の目的もなく始まったことであり、すべての目的は後付けである。現時点で言えることはそれだけです。コミュニケーション上の必要によるとか呪術的な行為として始まったとか様々な説もあるのでしょうが、そうだとしても、それに沿って描くことをしなければならない理由はどこにもないわけですから。
 
何の目的もないのなら、なぜ意味性を帯びてしまうような造形を描くのか。抽象造形の世界を彷徨い続けないのはなぜなのか。そんなふうに考える人もいるかもしれません。が、意味の世界から自由であるためには抽象的であるべきであるという発想は近代以降でなければ出て来ないだろうと思います。目の前にあるものの像を目的もなく写し取るということは、非常に自然なことで、それが後々何の役に立つことになるのかということは事後的な問題でしかありません。意味性を帯びているか否かと目的のありなしとは関係がありません。
 
「目の前にあるものの像」の捉え方は、様々な外的要因によって大きく異なります。「風景」が近代的な概念であるとかいう話も何十年も前から存在しています。しかしそのような認識を踏まえたとしても、より自由な表現に至ることができるわけではありません。
 
「アート」も「デザイン」も西洋的・歴史的な概念に過ぎませんし、今後もどんどん変化を重ねて、いずれ私たちが想像し得るようなものとはまったく異なった姿になって行くでしょう。私たちの一人一人が必ず死を迎えるように、これらの概念もいずれ死を迎えます。
 
そんなことを思いつつ日々描く作業を続けているわけですが、アートなりデザインなりの概念がどうなろうとも、それを越えて行くだけのものがその中にあるのかどうか、それだけが最後に残された「大事なこと」だと思うようになっています。では「越えて行く」とはどういうことか。それは、大きな生命の流れの中にある自分を確認することです。
 
つまるところ「生きている」確認ということですが、その核のところ、あるいはその周辺に、何がどのように分布しているのかは人それぞれです。食べること、動くこと、踊ること、歌うこと、話すこと、思うこと、などなど。私の場合は描くことが根源に居座っているので、それを解放しているところなわけです。子供の頃には自由にやっていたことを、様々な理由で抑え込んできたのですが、抑え込むことを止めるようにしました。それが現在の私にとっての描くことのすべてです。
 
「生きている」こととは、「外部と接触する」ことと言い換えていい。外部は無限に広がっていますから、食べるのにも、動くのにも、踊るのにも、歌うのにも、話すのにも、思うのにも、外部と接触することは避けられません。もちろん、心地よくあるために、あるいは生存上、あるテリトリーを設定することはあるでしょう。しかし、そうだとしても、「外部」が消えてなくなるわけではありませんから、やはりその接触にこそ「生きている」ことの鍵はあるはずです。
 
最後にひとつのエピソードを紹介します。ある日の電車の中、小さな女の子が踊っていました。窓に写った姿を時々チラチラと見ながら。繰り返し踊りながらもっとよくしようと修正しているようでした。そして実際どんどん素晴らしくなっていったのです。顰めっ面をして睨みつけている人もいましたし、多くの乗客はとくに関心を示すこともなく手元の情報端末に目を落とし続けていました。
しかし、私はその生命力の発露に本当に嬉しくなりました。電車を降りる時、私はその子に手を振りました。彼女も返してくれました。どんなに社会の管理が進んでも、人は「生きている」ことを止めないでしょう。もしも道が二手に分かれていたら、私たちはどちらに進むべきでしょうか。見事に管理する方でしょうか。「生きている」姿に共鳴する方でしょうか。私には非常に単純なことに思えました。

SIGN_02SATO1961年生まれ。アートディレクション、デザイン、各種絵画制作。北海道教育大学卒業後、信州大学研究生として教育社会学と言語社会学を学ぶ。美学校菊畑茂久馬絵画教場修了。デザイン会社「ASYL(アジール)」代表。1994年に『WIRED』日本版のアートディレクターとして創刊から参加し、1997年に独立。国内外で受賞多数。2003~2010年「Central East Tokyo」プロデューサーを経て、2010年よりアートセンター「3331 Arts Chiyoda」デザインディレクター。美学校「絵と美と画と術」講師。多摩美術大学教授。著書に『レイアウト、基本の「き」』(グラフィック社)がある。雑誌『デザインのひきだし』では「デザインを考えない」を連載中。また、3331コミッションワーク「そこで生えている。」の絵画制作を2013年以来継続している。
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第2回 アートとデザインの外部を探しに。

2015年からはじまった佐藤直樹さんの連載「絵画の入門」は、絵画とはなにか、そもそもなぜ人は描くのかを、根源的に問うものでした。あらたな連載では、いったんそこを離れ、自身が職業としてきたデザイン、それからアートというものについて、様々な角度から見直してみます。これらの言葉が曖昧なまま使われているのはなぜなのか。またそうでありながらどのように厳然とした線引きは存在しているのか。絵が好きだった少年がかつて胸に抱いた疑問に、大人となった今あらためて向き合う……この二つの連載は2017年春に単行本になります。

 

「異なっていること」と「同じであること」

「表面上異なる様相を呈していても根底的なところに同じ核を持っている」あるいは「同じ核からであっても表面上異なる様相を呈することがある」。今回はその確信がどこからきているのかを書きます。

そのような認識というか、理解の仕方というか、考えは、次の事実と結びついています。「根底的なところでは真逆とも言える相違があるのに表面上は似たものになっている」あるいは「表面上似たものであるのに根底的なところでは真逆とも言える相違がある場合がある」。

皆さんにも覚えがないでしょうか。 まったく異なる立場にあるけれども、根っこに同質な何かを感じ、信じてみようと思える、ということが。逆に、言っていることに対しては同意でき、やり方も正しい、間違ってはいないはずなのに、深いところで違和感が残る、ということが。

たとえば、いわゆるパクリとは「根底的なところでは真逆とも言える相違があるのに表面上似たものになっている」状態をわざわざ引き寄せている状態と言えます。逆に、他者へのリスペクトを持って接したものが自らの仕事の中に混入してきている場合は「同じ核からであっても表面上異なる様相を呈する」ようになっているはずです。

人というのは一人一人が異なるので何をやっても同じには絶対になりません。いくら同じようなことをしようとしても絶対的に異なります。動物であれ植物であれ鉱物であれ、個体とはそういうものです。

しかし、類なり種なりとしてはそれぞれ同じ括りというものがあって、この「同じ」というところには非常に大きな力が備わっています。ただし、それは自然に備わった力ですから、個々がどうにかできるものではありません。

ところが、個としての異質性と類としての同質性を人はたびたび混同するのです。

言葉に先立つもの

最近よくダイバーシティという言葉を聞くようになりました。ある一つの社会の中の多様性のことを言っているようですが、そもそも人以外はそんなお題目を持ち出さなくともうまくやっています。ではなぜ人だけが混同し、個々の存在にまで同質性を被せようとして揉めているのか。人工的な同質性というものがあるからでしょう。そしてそれは言語というものの性質と深く関わっています。

人はものごころつく前から描くことをしています。ということは、言語的な理解の方が後からやってくるということです。文字を覚えさせられるところで、線は言語的な意味に回収されます。それ以外の線は、たとえば絵の一部として「じつにのびのびと描けていてよろしい」といったところにカテゴリー化されていく。

そんなふうに大人達が意味付けにかかってきた時のしらけた気分、いらだちのようなもの、絶望的な齟齬を私は今でもよく覚えています。そうした中、それ以前の自由な描画の衝動がすーっとどこかに消えたかのような者もいれば、異様に執着する者もいる。その分かれ目はどこにあり、何に起因しているのか。そういうことも次第に考えるようになりました。

私は幼少期の記憶が相当あり、その時期に記憶容量のほとんどを使ってしまったのではないかと思うほどなのですが、ひとりひとりの描き方の違いに驚いた記憶がひとつやふたつではありません。人というのはこんなにも異なるのかという認識は、描くこと自体の観察から来ている気がします。自ら没頭していただけではなかったのです。いずれにしろ、描くことの初源を考えようとすれば、異質性と同質性という問題にぶつかることは避けられないんじゃないでしょうか。

しょっちゅう引っ越しをして、友達ができては別れ、つねに疎外感のようなものを抱えていたことも、こうした考えを醸成した要因としてあるのかもしれません。いつも独りで妄想を膨らませながら気がつくと何か描いていたことと、できれば人と変わらぬ楽しい時間を共に過ごしたいという願望の同居。描くか描かないかの分かれ目にはそれぞれの事情があるとしても、孤独な妄想と共有の願望にはかなりの普遍性があるに違いありません。

学校というところ

何をやったところで人と同じにはならない。いいとかわるいとかではなく、ならないのです。個性を伸ばしましょうとか、自己実現しましょうとか、わざわざそんなこと言わなくたって、個性は最初から全員そのとおりのものとしてあるし、自己はそう意識した時点でもう実現しているのでそれ以上の実現なんかありません。

同じようなところもある。それは当然です。類として同じであれば同じでしょう。しかし同じである部分とはいわば自然現象みたいなものですからそれはそれで十分なのであり、わざわざ「同じにする」ようなことではないのです。

ところが学校というところは必要以上に「同じこと」をさせようとします。学校はカテゴリーありきの場所で、教科が分かれている、時間割がある。同質性や集団性は日本人の特質として語られますが、近代になって学校のモデルとなった監獄にしても工場にしても軍隊にしても西洋のものですから、事はより複雑です。近代化に伴う同質性や集団性から来る弊害を別の面から中和させていた西洋の個人主義は、日本にはあまり浸透しなかった。

アートとデザインというのは要するにカテゴリーです。西洋から入って来て、日本独自の発達を遂げた。いや遂げたというのも違うのかもしれません。いずれにしても、個人主義が根付かない社会でのアートやデザインというのはArtなりDesignなりと「似て非なるもの」たらざるを得ない。個々の実践がということではなく、その受容のされ方が。

だから駄目だと言っているのではありません。そうでしかないだろうということが言いたいのです。その上で今はグローバルな視点も獲得しなければならない。なかなか難儀なことです。個々のアーティストなりデザイナーなりは、国内のみで流通するものを送り出す場合であっても、どこかで世界基準の思考を働かさざるを得ません。逆に、どれだけ世界基準を意識するとしても、出自というものの掘り下げを怠れば、いずれ相手にされなくなるでしょう。

それぞれの変化

ではなぜ今、このタイミングで、アートとデザインに股がった話をしようとしているのか。それは単刀直入に言って、両概念が、もう独立しては成立し得ない段階に入ってしまったのではないかという直感というか予感からです。

「もう独立しては成立し得ない」といっても、それは直接的な融合を意味するわけではありません。アートとはつまるところ西洋の階級社会が生んだ個人主義ありきのロマン溢れる制度なわけですから、目先の薄利多売の商取引にうつつをぬかすデザインとの融合などもってのほかで、あくまで独自ルートの価値形成を重視する世界です。デザインはデザインで生き馬の目を抜く勢いでトレンドを追い、成果を素早く現金に変えようとする、そんな習性を持つ世界であり続けて来ました。何しろスピードが要求されます。ですから、今までそうそう混じり合うようなものではなかったし、今も厳然たる線引きが両者の基本路線としてあります。しかし、それぞれがそれぞれに内的に崩れてきているのだとしたら今後は話が変わってくるでしょう。

価値が定まった過去のアートは別として、現在進行形のアートについて言えば、価値=価格の変動の幅はとても大きい。私は世界金融やコレクターの動向に鋭く切り込むジャーナリストではないので、語るべきファクトを持ち合わせてはいません。が、もしもアートというものが、既存の価値から自由であろうとするものならば、そのような現実自体を絶対視するのではなく、相対化する別の足場を持つ必要があるはずです。価値形成の核は常にその外部にあると考えた方が妥当です。

一方のデザインは、アナログからデジタルへと移行したところで、独自には価値を生めなくなりました。コンピュータ上のプログラムとセットになったという言った方がいいかもしれません。こちらはこちらで、もう二十年も前から新しい局面に突入していたのですが、そのことを自覚している者はほとんどいなかった。2020年東京オリンピックのエンブレム決定のプロセスは非常に象徴的な出来事であったと言ってもいいでしょう。

私はこの一件で日本の「デザイン業界」は完全に終焉したという認識を持っています。デザインはいつ誰がどこで始めてもいいのです。ジャッジは自ずと下るわけですから。

「アート業界」がどうなっていくのかはちょっと想像がつきません。メディア環境の変化によって絵画の発達はほぼ止まったので、過去の絵画が辿り着いた到達点は向こう百年や二百年では超えようがないんじゃないでしょうか。本流としては「絵画以外」の試行錯誤が続くはずです。たとえその中に「絵画のようなもの」が含まれていたとしてもです。

アーティストとデザイナーの現在と未来

これまで形成されてきた両業界のフレームは崩れ、人の出入りも激しくなることが予想されます。ただし、すべてがフラットになってしまうことはあり得ないので、それぞれの業界では、簡単に真似のできないものが希求され続けます。

現在、AIによってアートやデザインはどう変わるかという議論があります。

十年後には今ある職業の多くはAIに取って代わられるという予測もなされていますが、それはそのように考えたい人がいてそれをなぞる人もいるという話であって、私なりあなたなりがその予測に沿った未来に備える必然の話ではありません。

「十年後になくなると予測される職業を目指す」者がいても何らおかしなことではありません。そう考えると、アートにしろデザインにしろ、予測することに意味はない。どうするのか。どうしたいのか。それだけになります。

アーティストやデザイナーは十年後にどうなっているのか。今とは随分異なった存在になっているはずです。二十年三十年とスパンを延ばせばなおさら。

今私たちが思い浮かべているようなデザイナーは、かなり早い段階でいなくなるんじゃないでしょうか。アーティストに対しても同じような印象を持っています。そもそも「今私たちが思い浮かべているような」ものの前提が一様でなくなってきているということもあります。

私たちは、数百年とか数千年という単位で残されている絵や像を見て感動したり語り合ったりしている存在です。その絵を描いたのがアーティストであってもなくても、その像を刻んだのがデザイナーであってもなくても、そんなことは何も関係がありません。同じように、この先に残されるものを今つくり上げているのが誰であるかなどまったくわかることではありません。

多くのアーティストは「それをつくるのが自分の仕事だ」と考えているかもしれません。また多くのコレクターは「そのアートはこの中にあるはずだ」と考えているでしょう。しかし私には、そのこと自体どこか病んでいるようにも思えるのです。つまり現在を未来から見た過去として生きていることがです。ナマの価値が何かとの関係によって決められてしまっていることが。何かとの関係、すなわちコンテクストが。

デザインはどうでしょうか。デザイナーの価値は「今を生きているかどうか」で測られると思います。それ自体は肯定すべきところですが、その価値が、現行の経済価値に偏り過ぎていることは否定しようもありません。もっと幅広い創意工夫を掘り起こされなければ、次の時代に繋がって行くものにはならないでしょう。

外からの力

結局のところ、今の世界をどう見て、どう行動するのか、ということになるのですが、直接的な社会的行動こそがアートやデザインにとっては重要だというような話がしたいわけではもちろんありません。

社会への直接のコミットをアートやデザインの達成とする考え方もあっていいのですが、それは非常に危なっかしいことでもあると私は思います。

というよりも、アートやデザインといった言葉を使わずにいられるものならば、その方がずっといいのです。使わないに越したことはないのです。

今はまだ便宜的に使わざるを得ない言葉だろうと思います。また現実として、それぞれのカテゴリーに収まる仕事はあるわけですし、それぞれの成果に水をさすつもりもありません。私もその都度の便宜上、使い分けて行くことでしょう。

それから、人間には物理的な限界というものがありますから「マルチにやっている」なんていうでのは、だいたいが中途半端なことにしかなりません。カテゴリーが大きく組み変わっている時期であることは確かですが、やはりその核には何があるのかを見極めなければなりません。

アートやデザインの名の下に社会的成功を目指しているだけの人も今はいくらだっているでしょう。しかし社会的成功に結びつこうがつくまいがやってしまうことが人にはあって、それによって切り開かれるものもあるのだということは、社会の全成員が知っておいた方がいいことです。

どういう役に立つのか立たないのかもわからないものを抱え続けるだけの余裕が今の社会にあるのか。林立する芸術祭もいずれ徐々に岐路に立たされるようになるでしょう。また、その都度の成果を問われ続けてきたデザインにしても、飽和すればいちいちの成果を示しにくい局面に突入します。そうなった時のデザインはどこに向かうのか。

役に立つか立たないかというのもおかしな話で、長く続いて来た村落社会ではあらゆるものがあるべくしてあったわけです。近代に入って破壊されてしまったそうしたものの多くを発見し直すことが求められている時代なのですから、アートにしろデザインにしろ自省すべきところの方が多いはずです。ある場面では、身動きのとれなくなった地域社会に対して、アートやデザインが外からの力として機能するでしょう。しかし、アートやデザインがそれぞれ制度的に固まって来てしまえば、それ自体が外部を必要とし始めます。それはどこに見出されることになるのか。

アートとデザインのそれぞれにとっての外部とは何か。次回はそれを考えます。

SIGN_02SATO1961年生まれ。アートディレクション、デザイン、各種絵画制作。北海道教育大学卒業後、信州大学研究生として教育社会学と言語社会学を学ぶ。美学校菊畑茂久馬絵画教場修了。デザイン会社「ASYL(アジール)」代表。1994年に『WIRED』日本版のアートディレクターとして創刊から参加し、1997年に独立。国内外で受賞多数。2003~2010年「Central East Tokyo」プロデューサーを経て、2010年よりアートセンター「3331 Arts Chiyoda」デザインディレクター。美学校「絵と美と画と術」講師。多摩美術大学教授。著書に『レイアウト、基本の「き」』(グラフィック社)がある。雑誌『デザインのひきだし』では「デザインを考えない」を連載中。また、3331コミッションワーク「そこで生えている。」の絵画制作を2013年以来継続している。
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