膝の皿を金継ぎ
『空芯手帳』『休館日の彼女たち』、ユニークな小説2作を発表し、国内外で注目を集める作家・八木詠美。本書は著者初のエッセイ連載。現実と空想が入り混じる、奇妙で自由な(隠れ)レジスタンス・エッセイ。

第19回 有吉佐和子健康法

2025.03.19
膝の皿を金継ぎ
八木詠美
  • 今年に入って国語辞典を買った。「新明解国語辞典」を。

    そう話すと、「え、今さら紙の辞書?」「ネットで検索するのじゃだめなの?」と反応が返ってくるのだが、買って本当に良かったと思う。SNSで「#2025年買ってよかったもの」みたいな投稿するとしたら最初にこれを入れると思う。

    紙の辞書の良い点は、まず言葉の意味がわかること。当たり前だけど。知りたかった言葉の意味だけでなく、ページを手繰る中で知らなかった他の言葉に出会うこともできる。最近は「おっとりがたな」(押っ取り刀)の意味を調べる途中で「おちゃっぴい」というチャーミングな言葉の存在を知って毎日ハッピーである。

    そして紙の辞書のすばらしい点は、広告がないことだ。

     

    もともと、自分はあまりに言葉を知らないと思っていた。小説やエッセイを書くのに難しい言葉をわざわざ入れる必要はないが、それにしても知らな過ぎるのではないかと。本を読んでいる最中でも、なんとなく意味はわかる気がするけれど説明はできない言葉によく遭遇するし、自分で小説を書くにしてもゲラ(本のレイアウト通りに原稿の文字を配置したもの)の修正ではもっぱら類語を調べている。同じ言葉が頻出したりリズムが悪いと感じた箇所はどうしても別の言葉で言い換えたくなる。

    そうしたときは読んでいる本やゲラを脇に置いてスマホやPCで調べていたのだが、いつもうんざりするのは広告の多さだった。一時は隆盛を極めた「目元のブヨブヨ」も最近はやや減ってきたように思う一方、仕事のために一度アクセスした自社の商品ページがずっと広告として追いかけてきたり、特に最近は「5秒後に報酬が見られます」と唐突に宣告を受けて画面前で謎の5秒間を過ごさなければならないケースも多い(このタイプの広告が出てくるたびに「この会社の商品は絶対に買わないようにしよう」と固く決心をしている)。

    有料会員として登録すれば広告がなくなるというサービスもあるが、そこまで頻繁に利用しないのではという思いもあり、何よりその都度登録するのは正直面倒くさい。この数年は目を凝らしてはいち早く広告を消す「×」マークを見つける技術に磨きをかけてきた。

     

    そんな折にやってきたのが、有吉佐和子だった。去年読んだエッセイ『女二人のニューギニア』(河出文庫)があまりに面白く、復刊された『青い壺』(文春文庫)も読み始めたところ、50年近く前に発行された小説ということで「満艦飾」など最近はあまり使わない(ように個人的には感じる)言葉がときおり出てくる。

    これらの言葉を調べるうちに、ふと思った。どうしてわたしは言葉の意味や調べたいだけなのに、謎の5秒間を過ごしたり「×」マークハンターにならなければならないのか。不毛ではないか。紙の辞書を買おう。

    そうして辞書を使うようになったのだが、広告に晒されないで過ごせるというのは思っていたよりもずっと快適だった。広告なんて無視すればいいだけなのに、とそれまでも頭では思っていたものの、チラチラ動くものが画面の片隅にあれば気が散るし、成人向けゲームの広告など望んでいない性的なコンテンツを強制的に視界に入れられるたびに少しずつ自分が傷ついていたことも自覚した。

    もちろん言葉を調べる以外にもネットのお世話になる場面は生活の中にいくらでもあり、そろそろ広告ブロッカーを使おうかと考えつつ、とりあえず言葉を調べるたびにスマホやPCを手に取らなくていいというのは気分が楽だ。特に自分の場合は私用のスマホに会社の仕事関連のアプリをインストールすることを強制され(これについてはまた別の機会に書きたい)、読書やゲラの作業中にそうしたものに触れなくてよいというだけでストレスが緩和される。類語辞典も近々買いたい。

     

    辞書ですっかり味をしめたわたしはさらなるストレスフリーを求め、その矛先は音楽に向かった。それまではあるサブスクの無料プランを使っていたため、曲の合間に頻繁に音声広告が入り、さらにその内容の多くが「有料プランにすると広告なしで音楽が聴けます!」という、つまり広告なしのプランに誘導するための広告のため、「このナレーションをしている人は、みんなが自分の声を聞かなくていいように誘導するためのナレーション原稿を読んでいるのか」と考えると聞くたびに妙にしんみりした気分になっていた。あと基本的にはシャッフル機能でしか聞けないサービスだったので、クラシックの交響曲、例えばベートーヴェンの交響曲第7番を聞きたくてもまず第4楽章が流れてその次に第1楽章、あるいは全然ちがう曲、みたいな順番になってしまうので聞いているこちらの情緒までシャッフルされ、いつのまにか離れてしまった。

    そこで別のサブスクの有料プランに申し込んだところ広告は消え、曲順も指定できるようになり、音楽を聴くのがすっかり快適になった。ベートーヴェンの交響曲とも和解し、最近はビヨンセの『COWBOY CARTER』を聞きながら今年2月のグラミーの年間最優秀アルバム賞受賞に思いを馳せている。楽しく音楽を聴いているうちに2駅分くらい余計に歩いていた、ということも多くなり、肩こりがやわらぎ、心なしか体も軽い。なんならランニングでも始めようかとまで考えている。有吉佐和子により健康への道が切り開かれた。

     

    こうして書いていると辞書もサブスクも「どうして早く気付かなかったんだろう」と思うばかりなのだが、ネットの登場により自分自身が「無料」にすっかり慣れ切ってしまった感がある。もちろん課金ですべて解決するのも考えものだけど、「無料なんだから」とあの謎の5秒間や自分の存在を否定するナレーションに少しずつ慣らされているのだと思うと怖いことのようにも思う。

    エコノミークラスよりビジネスクラスの方が早く飛行機に搭乗できる。100円のお菓子よりも500円のお菓子の方が品質がいい。というのは感覚的にわかるけれど、情報においてはタダになった途端に成人向け漫画を強制的に見せられる、というのは不思議な話のような気がする。いや、インターネットという場所の収益の構造を考えればなにも不思議ではなく理解はできるが、その状況に慣れたくはない。「無料」という言葉とともに自分のどんなものを手放しているのか、今こそ「おちゃっぴい」に考えたいものです。

八木詠美(やぎ・えみ)

1988年長野県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。2020年『空芯手帳』で第36回太宰治賞を受賞。世界22カ国語での翻訳が進行中で、特に2022年8月に刊行された英語版(『Diary of a Void』)は、ニューヨーク・タイムズやニューヨーク公共図書館が今年の収穫として取り上げるなど話題を呼んでいる。2024年『休館日の彼女たち』で第12回河合隼雄物語賞を受賞。