優生思想と恋愛
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ここまで、ロマンティックラブ・イデオロギー批判という思考枠組みの中では見えにくくなっていた「恋愛と性」の関係や「恋愛と結婚」の関係について考えてきた。
とくに「恋愛と結婚は別物」という考え方は、伝統的な日本的家族主義を温存するものになっているので、批判すべきだというのが前回の話であった。これは、ジェンダー研究者界隈では、けっこう斬新な(ある意味で異端的な)立場である。
というのも、「恋愛と結婚は別物」という考え方は、これまで多くの社会学者やジェンダー研究者、フェミニストにおいても、とくに問い直されることなく暗黙のうちに共有されてきた前提だからである。「恋愛と結婚と性の三位一体」を解体することが「解放」をもたらすという信念が共有されていたロマンティックラブ・イデオロギー批判期には、「恋愛と結婚は別物」だという主張は繰り返しなされてきた。上野千鶴子も宮台真司も基本的にこの立場をとっていたし、ジェンダー研究者・加藤秀一の『〈恋愛結婚〉は何をもたらしたか––性道徳と優生思想の百年間』もまたそうである。
今回は、加藤のこの本を検討しながら、恋愛が優生思想と一体となって広がってきたという日本の恋愛という歴史的経緯を確認し、これをどう捉えていけばいいのかを考えていこう。
『〈恋愛結婚〉は何をもたらしたか──性道徳と優生思想の百年間』の概要と問題点
加藤のこの本は、恋愛についての重要な研究書の一つである。
明治期に西洋の翻訳語として広がった「恋愛」は、大正期に優生思想とともに広がったということを、史料を紐解きながら明らかにしている。親や親族による強制ではなく当人同士の自発的な惹かれあいに基づく恋愛結婚は、「優良な民族」を産み育てる「人種改良」をもたらすものと捉える考え方が成立することで、国家全体の目標でありかつ個人の目標となり、肯定的な意味合いをもって広がった。
日本では明治30年代(1897年-1904年)に、男女の対等な愛という「理念としての恋愛」が女性雑誌や書物等で多く論じられるようになり、女学校生などを中心にこの理念が浸透し始めた。その後すぐ、大正期(1912年-1926年)には優生思想に基づく「民族素質の改善」や「人類の永遠なる進歩」のための「優生結婚」といった性淘汰としての恋愛という思想も広がったという。欧米では100年かけて恋愛結婚という理念と実践が浸透したのちに、優生思想が広がったのに対して(☆1)、日本ではタイムラグが10年程度しかない。日本では、近代的な恋愛結婚の広がりが「圧縮された」形で経験されたという歴史的経緯を明瞭にした点は、とても重要だ。
1920年代の女性雑誌上での「自由恋愛」論は、男女の平等という西洋キリスト教的な理念としての「恋愛」と、優生結婚のための恋愛という二重の意味構造によって成り立っていたということは、私自身もこの時代の『婦人公論』等を精査し確認済みである。
このように、恋愛とは優生思想と共に広がったものであるということを明らかにした上で、加藤は現在の私たちが実践している恋愛結婚──これを加藤は〈恋愛結婚〉と表記しているわけだが──を批判するという議論を展開した。タイトルにもなっている〈恋愛結婚〉に対して一貫して否定的な態度をとっている。加藤に言わせると「大衆的現象として繁茂する〈恋愛結婚〉」は「大衆による〈恋愛・結婚・幸福〉という渾然一体の夢」である(p.20)。後半のまとめの箇所でも、「(本書で)私たちは、恋愛という甘美な夢と化合した優生学、〈恋愛結婚〉であるような優生結婚の危うさを、最新の注意を払って追跡してきた」(p.205)としており、優生思想と恋愛結婚の結びつきが本書の中心的論点であったことが確認できる。
加藤が〈恋愛結婚〉と対比しているのは、優生思想が広がる以前の、北村透谷(☆2)らに見られるような、純粋な「恋愛」である。だが、透谷の「純愛」はその誕生の時点ですでに「挫折」が宿命づけられてもいた。「結婚である限り、やがてまた家政や親類縁者とのやりとりといった「実世界」のしがらみが関わってくることは仕方がない。そこでなおも純粋な恋愛の狂気を憧憬するならば、透谷のように挫折するほかはなく、結婚生活の安寧をとるならば、情熱をぬきとられた「静愛」に満足せねばならない」(加藤p.47-48)といった議論を加藤はしている。
恋愛は非日常で、結婚は日常。
このように恋愛と結婚は根本的に異なるものであるのに、それを結びつけたのが、この社会の〈恋愛結婚〉であり、それは「純粋な恋愛」の頽落形態なのだというのが加藤の議論である。
……なるほど。論理的には、分からなくはない(☆3)。
でも、恋愛結婚は優生思想と結びついているからダメなのだとして、えーっと、じゃあどうすればいいの?
これが、私の正直な感想だ。恋愛に真剣に悩んでいた時期にこの本を読んだ時からずっと、この本を読むたびにそう思う。
加藤は、優生思想とともに広がった恋愛結婚を批判(というか侮蔑)していたが、透谷的な「純粋な恋愛」に関しては、明瞭な批判を向けていない(上野千鶴子による透谷批判を引いてはいるが)。このことを踏まえると、恋愛結婚をせずに「純粋な恋愛」をし続ければいいというのが、加藤の主張なのだろうか。例えば、制度的な結婚をせずに何度も色々な人と「純愛」をしたり、「初恋」の人を思い続けて生涯独身を貫いたり。そういったことを加藤は人々に勧めているのだろうか。
そう思って再度読んでみたが、そのように読解できる記述箇所は見つからなかった。したがって、加藤の立場というのは、優生思想的でないという点で、透谷的な恋愛の方が現代の恋愛結婚よりも良いと思っている可能性はあるが、透谷が生きたような恋愛に回帰すべきだと主張しているわけでもないと整理できるだろう。
ちなみに、(優生思想以前の)透谷に見られるようなこの時期の「純粋な恋愛」もまた、完全に男性中心的なものであり多くの問題があるということは、田中亜以子『男たち/女たちの恋愛––近代日本の「自己」とジェンダー』(2019、勁草書房)や、大塚明子『「主婦の友」にみる日本型恋愛結婚イデオロギー』(2018、勁草書房)などの詳細な歴史社会学研究によってより明らかにされてきていることである。本エッセイの第4回で論じた、近代的恋愛の原型ともいうべきスタンダールの「純愛」もまた多大なる問題があることを、私の次回のエッセイで論じる予定である。
これらのことを踏まえれば、優生思想と共鳴した恋愛が問題だからといって、優生思想以前の「恋愛」概念に立ち戻るということは、ジェンダー論の立場においては「解」になりえない。
加藤の議論は、日本において恋愛が優生思想と結びつきながら定着してきたことを明らかにした点で重要である。だが、加藤の議論は、恋愛と優生思想の結びつきをときほぐすことなく、優生思想がダメなのと同様に恋愛結婚もダメだという形で、両方を丸ごと批判しさるという批判の仕方になっている。それが問題だ。
「優生思想的でない形で、恋愛することはできるのか」や「優生思想を強化しない形で性的パートナーとの関係を築くことは可能なのか」という問いは、今を真剣に生きている人々にとって切実なものだと思うが、加藤の議論は、そのような問いに答えられない。なぜなら、優生思想と恋愛の結びつきを温存したまま、それらを同時に批判し尽くすことで、優生思想と恋愛をどう切り離すことができるのかという分析的視座を拓くことができていないからである。
「恋愛の自然化」こそが優生思想と結びついた恋愛の問題点
結びついてしまった恋愛と優生思想をどう切り分けていけるのか、その有効な視座を確立することこそが、フェミニストセオリーの仕事だろう。
優生思想と結びついた恋愛理解が広がることの最大の問題は、ヒトは太古の昔からずっと変わらず「恋愛」のようなマッチングを通して進化してきたのだという、「自然化」された恋愛理解が広がるところにある。恋愛とは、進化論がいうところの性淘汰であり、それが恋愛の正体だという考え方が「恋愛の自然化」である。実際には、「自然」とは言い切れない多様な文化的で社会的で歴史的な要素や経緯を含んで成り立っているのに、それを暴力的に「自然」だと言い切り、だからこれは人間には変えることのできないいルールなのだと思い込ませるのが、権力者の言説である。
ポスト構造主義以降のフェミニストセオリーはこのような「自然化」(ジュディス・バトラーの表現で言えば「形而上学的実体化」)による本質主義を批判してきた。
ジェンダーや性(セックス)、人種、セクシュアリティを、「自然」に由来する生物学的宿命だと捉える発想こそが、権力構造を強化するものになっている。実際には資本主義といった社会的構造の中で生じている差別についても、障害の有無、肌の色、性別、年齢などの「自然」に由来する差別だとする神話(=イデオロギー)を流布することで、人が差別を受けるのは仕方がないと思い込ませる。このような「自然化」の神話によって、すでに既存社会で不利な立場に立たされている弱者は諦めを媒介して無力化され、弱者の地位にとどめおかれ、強者の権力構造が維持・強化されてきた。このような言語的(言説的)な権力の作用を明らかにしてきたことが、言語論的転回以降のポスト構造主義的な権力批判の功績だ。
このような自然化は、恋愛においてだけでなく、例えば「資本主義」に関しても起こっている。実際には、資本主義とは社会的に作られた人工的なルールだが、「市場は弱肉強食」というように、資本主義を自然化するレトリックが使われ続けることで、資本主義社会での「失敗」は自己責任化され、既存の利権構造は維持されている。
このようなポストモダンフェミニズムの権力批判は、ぜひとも恋愛分析においても活かされるべきだろう。
どうやって恋愛を脱自然化するか
では、どのようにして、具体的に恋愛を脱自然化していくことができるだろうか。これが最後の大きな問いだ。
ひとまず注意を向けてほしいのは、恋愛を歴史化するという戦略では、恋愛の脱自然化には成功しなかったという点である。加藤の議論は、その全編を通して、恋愛がいかに歴史的に変化してきたかを示す歴史社会学的研究であるが、その方法では自然化された恋愛理解を十分に相対化することができなかった。もう少し丁寧にいうと、「文化/自然」二元論を脱構築することができず、「恋愛は文化としては歴史上色々な形をとってきたけど、恋愛の正体は性淘汰(自然)なんでしょ」という形で、自然化された恋愛理解は温存された。2000年代からネット論壇で広がり始めた「弱者男性論」や「非モテ論」でも、恋愛は「性淘汰」だという自然化された恋愛理解を基盤としていたということも、指摘しておくべきことだろう。
「自然/文化」二元論を脱構築できない点こそが、「セックス/ジェンダー」二元論に依拠した社会構築主義的なアプローチの限界だということは、1990年代のポストモダンフェミニズムが繰り返し主張してきたことでもある(ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ』、ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』)。
それに加えて、私が思うに、日本のような恋愛の歴史が浅い文化圏では、「恋愛」に対する社会構築主義的・歴史相対主義的な批判は、不発に終わる。なぜなら、近代的な恋愛結婚が一般化した歴史を60年程度しか持っていない日本(だけでなく東アジア地域の多くがそうである)において、「恋愛結婚」が社会的構築物であることは、ある意味で自明だからである。別に社会学者に指摘してもらわなくても、数世代前は恋愛結婚とは異なる方法で家族を形成していたことをみんななんとなく知っている。お見合いやアレンジ婚のような、恋愛結婚以外の方法がありうることも分かっており、最近は「自分はお見合い結婚でもいい」という大学生が増えてきているという感触がある。つまり、恋愛の社会構築主義的批判が持つ発見的価値は小さい。
だから、恋愛の社会構築主義的分析では、恋愛の自然化は解除できない。日本において「家族」の社会構築主義的批判は大きなインパクトと価値を持ったが、「恋愛」においてはこの社会構築主義的批判という方法論はあまり有効ではない。
ということで、恋愛批判のためには、社会構築主義を越える新たな方法論が必要である。
新しいマテリアリズムの方法論を用いた恋愛の脱自然化
「自然/文化」二元論を脱構築する方法として、社会的現象を、自然–文化連続体としてあるマテリアルなものの生成変化として捉える「新しいマテリアリズム」の方法がある。恋愛分析においてはこれが有効だというのが私の立場である。
例えば、恋愛結婚の相手に求めるものとして、「経済力」がある。これは現代ではジェンダーによらず考慮される要素の一つになっているが、この経済力は「自然」ではない。貨幣そのものが人工的に作られたものなので、定義上「人工物」である。資本主義が我々にとって馴染み深くも一個人にはコントロールできない二次的自然となっているので、自然のレトリックで語りがちだが、自然の要素と文化的・人工的要素とが癒合して成り立っている自然–文化連続体である。
この資本主義社会というヒトの生存環境においては、経済力が適応度の高さ(=自らとその子孫の生存確率の高さ)を示す指標となっているために、「経済力」をがメイト・マッチングの際に考慮される要素の一つになっている。
このように自然的なものと人工的なものが独自に融合しながら生じている現代のメイト・マッチングのあり方を、あたかも太古の昔から変わらない「自然」なものと表現すること──例えば、「自由恋愛市場での弱肉強食を生物学的宿命として受け入れるべき」──こそが権力者に資する権力者の言説である。この議論を基盤にしつづける弱者男性論は、議論のスタート時点ですでに権力者に取り込まれてしまっているのである。
実際には、現代のパートナー選択のあり方は「自然」なんかじゃない。だから、例えば十分なユニバーサル・ベーシックインカムが導入され、かつ子育て費用の多くが社会的に負担されるような社会環境であれば、パートナー選択基準における「経済力」の影響は、急速に低下していくだろう。そして、よりジェンダー平等な意識を持つ、子育てに協力的な個体がパートナーとして選ばれやすくなるだろう。
このように恋愛の自然化を脱し、恋愛を自然–文化連続的な社会現象として分析するマテリアリズムの視座に立つことで、優生思想と結びついた恋愛理解、すなわち性淘汰としての恋愛は刷新される。恋愛は、その性淘汰(自然)のレベルですでに文化的なものを組み込んで成り立っている。「恋愛は自然ではなく文化だ」という社会構築主義(これは自然/文化二元論を前提にした上で、全てを社会的構築物だとする立場である)ではなく、自然的なものと文化的なものがどのように融合し組み合わさっているのかのその独自のあり方を見ていくマテリアリズムを基盤にした議論が必要である。
優生思想を強めない恋愛
有性生殖生物にとっての性淘汰という論理そのものは人間においても継続されているが、その「性淘汰」という論理を作動させている部品は、かなりの程度人工的に作られたものである。自然的–文化的環境の変化によって、たえず生成変化してもいる。
だからこそ、パートナーのマッチングのあり方をどのように変えていくべきなのか、変えていきたいのかの社会的議論を積み重ねていくことが重要である。優生思想を強めないような恋愛や性的パートナーのマッチングについての政策のあり方を、丁寧に考えていく必要がある。
ということで、「かつて真剣に恋愛に悩んでいた私」に向ける言葉は、次のようなものになる。
恋愛と優生思想を切り離すことは可能であり、全ての恋愛が優生思想の実践であるわけではないよ。
だから、「恋愛は弱肉強食の性淘汰だ」という自然化された恋愛理解に抗って、豊かな恋愛をしよう。
そして、どんなメイト・マッチングの自然–社会制度的なあり方が望ましいのかについて、さまざまな他者との対話を積み重ねていこう。その一つ一つの実践の積み重ねこそが、「恋愛の自然化」によって支えられている現在の社会権力構造を変えていくものとなるだろう。
☆1:欧米で、友愛結婚(当人同士の意思で結婚するもの)が始まったのは1750年代頃であり、フランス革命前後の時期に恋愛小説は小説の主要ジャンルとなり始め、1810年代にジェーン・オースティンが活躍し始め、1830年代には労働者階級だけでなく中産階級でも恋愛結婚が主流となった。優生思想がナショナリズムとともに強まるのは19世紀で、例えばダーウィンの『種の起源』が出版されたのは1859年である。これに対して、日本は恋愛という理念の芽吹きと優生思想の導入という変化を、西洋よりもかなり圧縮した形で経験したと言える(このような事情はおそらく東アジア地域に共通のものであると思われる)。このような歴史的経緯ゆえに、日本では恋愛を性淘汰として捉える発想が、欧米文化圏よりも強いという特徴があると言えるかもしれない。
☆2:北村透谷(とうこく)は明治元年生まれの文筆家。石坂ミナとの恋愛のすえに結婚し、1890年代の浪漫主義運動を主導したが、恋愛論としては「厭世詩家と女性」において、日本でいちはやく女性との恋愛を近代的ロマン主義的な論調でうたいあげ、結婚の不幸を嘆いた。
☆3:この点で、この加藤の議論は、まさに私が前回のエッセイで批判した「恋愛と結婚は別物」思想の典型例である。「恋愛と結婚は別物」とする発想は、「家族になったら恋愛関係の頃とは異なる性役割を果たすべきだ」という規範をもたらし、お互いの情緒的・性的ケアを後回しにする日本型家族主義規範を温存してきたのだというのが私の批判である。
おすすめ文献
▪️大塚明子『「主婦の友」にみる日本型恋愛結婚イデオロギー』(2018, 勁草書房)
▪️加藤秀一『〈恋愛結婚〉は何をもたらしたか──性道徳と優生思想の百年間』(2004, ちくま新書)
▪️ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル(新装版)──フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(1990=2018, 青土社)
▪️田中亜以子『男たち/女たちの恋愛──近代日本の「自己」とジェンダー』(2019, 勁草書房)
▪️ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ(新装版)──自然の再発明 』(青土社, 1991=2017)