第9回 60歳を過ぎたら、自分の好みで洋服を買うのを辞めてみよう。

50歳を過ぎたら、あまりスーツを買わなくなった。今まで買ったスーツは悪いものでないし着る機会もめっきり減った。

しかし、いっぽうで、人生が80歳まであったら、その間にスーツが必要なことは何回もあるだろう。いま買うのをためらっているのであれば、10年後、20年後はもっと購買意欲が減っていくのではないか。そう思った。

では、70歳になってスーツが必要なときに新しいものを買うとなると、どんな選択をするのだろうか? 手ごろな価格の紳士服を買うのだろうか?

70歳を過ぎて着るスーツは、どんな時だろう。もちろん、自分を律し、身だしなみにこだわる方は、毎日スーツを着て過ごすのかもしれない。しかし、一般的には日々の生活はそれこそ軽装で済ましているはずだ。だから、高齢になってスーツを着る機会とは、それこそなかなか会えない人との再会だったり、何か大切なセレモニーだったり、いろいろだろうが、本来は一張羅で行きたい場所であるはずなのだ。自分の基準で、それまで買わなかったような安物のスーツ姿でそういう場所には出たくない。そう思うはずだ。

だからといって、70歳になって高価なスーツを買おうと思うだろうか? 安物を新しく買っていくのなら、かつて買ってまだ手もとにある高級なスーツで行く方がいい。また、そう思うのではないか? それを想像した。

しかし、それは20年以上も前のものだったりする可能性さえあるのだ。きっとクリーニングに出して、ワイシャツもきちんとアイロンをかけたものを着て出るだろうが、そこには古さを感じざる終えないだろう。

そんな風に思うのは、いろんな会合でお見受けする70歳を過ぎた方の着ているスーツを見ての感想なのだ。

きちんとしたスーツなのかもしれないが、デザインが思い切り古い。洋服などは何でもいいのだという方はいいだろうが、服装は自分のために着用するというだけでなく、そこに集う人に対する礼儀の側面もある。また、その時の生活をも残酷に映し出す。つまり、思い切り古いスーツで出かけるということは、もうスーツを買う生活はしていませんという宣言でもある。さらに人はその装いで時に値踏みもするものだ。どう行った人生を歩んだのか? どのような経済状況で生きているのか?

そんなことで見栄を張るのはバカバカしいと思うと同時に、ちょっとした見栄を張らなくちゃズルズルな生活になってしまうとも思う。ましてや、出席している人たちに混じってみたら、場違いな服装だったときの居づらさたるや赤面ものである。

70歳になっても現役で活躍する人はいる。そういう人は20年前のスーツなど着ない。そういう現役感のある人ばかりの中に20年前のスーツで参加するのはどんな気分だろうと思う。

まあ、そういうことはどうでも構わないと言う方はいいのだが、先日送られてきた3年ぶりの高校の同窓会の通知に、20年後の自分を想像してしまったのだ。

そこで、やっぱり新しいスーツを買おうと思った。さて、どうやって買おうか?

年を重ねてくると、美味しいものを腹八分目に食べたくなるし、年齢にふさわしい持ち物が欲しくなる。

高いものを販売側が、私たちに買ってもらおうとする時に切り出すキラーワードがある。

「お客様、この商品は多少お高いかも知れませんが、間違いなく一生ものでございます」

一生ものに私たちは弱い。いいものは持ちたいが自分の経済力からいったら少し背伸びだなあと思う時に、この言葉を出されるとスゴく弱い。私はそうやって、ボールペン、カバン、財布、メガネケース、腕時計、ワイングラス、ティーカップなどをそろえて来た。

時に一生もの以上のタイムスパンでの買物もある。かつて訪れたドイツ人の家庭では祖母の代からの家具を使っていた。イギリスでは、入れて頂いた紅茶の陶器がそれだった。大変高価なものらしい、もうほとんどアンティークである。なるほど素晴らしい買物の仕方だなあと思った。日本でも3世代同居のご家庭などでは、古いお屋敷に、家具、敷物、調度品、そして、着物なども代々受け継がれたものという事はある。

ただ、そのご家庭の若い夫婦を見ていて、この若い二人はこの家に住む限り新しい家具を買うことも、新しいじゅうたんを買うこともあまりないんだろうかと思った。ましてや立派なお屋敷だと、庭を含めてそれを守ることを考える。

じつは、私の部屋の書棚も今から50年以上前に、亡くなった母が大枚を払って買ったものだ。経済力が出来てからは、娘が使えるだろうと、4〜5カラットのダイヤの指輪を買っていた。何百万円もする時計も買って残した。自分のためだけでないからこそ、買ったものだ。子どものために、孫のためにと財布を開く50代以上は多いものだ。

自分のためだけに、数百万円もする宝飾品を買うことは年齢を重ねるごとに難しくなる。60歳を超えて家を建て替えるときには、子どもたちにも住んでもらうことを考える。

どうも、そういういいわけを考えて財布を開くことが多いように思える。自分たちだけでは勿体ないけれど、子どもや孫にも使ってもらえるのなら買ってもいいかなあと思うのだ。もちろん、世代を越えて受け継ぐものが二つ三つくらいならいいだろう。しかし、先述した3世代同居の家のように、廻りのものの多くがそうであると、それは若い人たちに、気の毒な側面もあることだと思わざる終えない。

もちろん素晴らしいものもあるだろうし、今では手に入らないものもあるだろう。しかし、今を生きる若い人達から、新しいものを買う楽しみ、そろえる楽しみを奪っている側面もあるかもしれない。

60歳のときを迎えたら、どんどん整理をしよう。売れるものは売ってしまう。売れないものは困っている人に差し上げる。生活をうまく軽量化していこう。モノを残すことよりも、毎日の生活を楽しむお金を確保しよう。でも、新しいものも買おう。それも自分のために買おうと思った。

 

ひとつ、提案がある。それは、私が次のスーツをどうやって買おうとしているかの答えでもある。

それは、自分の好みでモノを買うことのを辞めるのだ。信頼する人を見つけて、その人に委ねるという買い方だ。

なぜか。先ずはご自分の持つ洋服を見て頂きたい。それは、あなたの好み、時には奥さんやご主人の好みも反映されたものになっているはずだ。色や風合い、価格帯やら似通ったものばかりではありませんか? このスーツ、このワンピースは無くても良かったなあと思うものはありませんか?

そこに、信頼する人に新しい装いをコーディネートしてもらったら、少し違うものを買えると思うのだ。できれば、自分より年齢がひと回り以上若い人に任せてみる。初めのうちは抵抗感があるかもしれないが、今まで買って来た洋服とはひと味違う。それも、他人から見たら「なかなかお似合い」ということにもなる。

年齢を重ねていけば行くほど、新しいものを受け入れる能力は減っていく。今まで培った自分の好みを見直したりするためにも、少し変わったもの、新しいものに触れることはいいことのはずだ。それは、装いだけでなく生活全般にいえることなのではないだろうか?

Profile

経済評論家。1961年生まれ。慶應大学商学部卒業、東京大学社会情報研究所教育部修了。大学卒業後、外資系銀行でデリヴァティブを担当。東京、ニューヨーク、ロンドンを経験。退職後、金融誌記者、国連難民高等弁務官本部でのボランティア(湾岸戦争プロジェクト)経営コンサルタント会社などを経て独立、現職に至る。『年収300万~700万円 普通の人が老後まで安心して暮らすためのお金の話』(扶桑社)、『普通の人が、ケチケチしないで毎年100万円貯まる59のこと』(扶桑社)、『お金をかけずに 海外パックツアーをもっと楽しむ本』(PHP)、『アジア自由旅行』(小学館/島田雅彦氏との共著)『日経新聞を「早読み」する技術』(PHP)など、多数の著作がある。 Facebook