第7回 オデッセウスと編み物

旅の面白さは心が自由になり、思いが時空を越えどこにでもとんでいく瞬間を味わえることだ。

1月のオフシーズンに地中海の小さな島にパックツアーで旅をした。マルタ共和国だ。

中世のヨーロッパの貴族の子弟から構成されたマルタ騎士団で有名なマルタ共和国は、長靴の形をしたイタリアの下のほうにあるシチリア島、そこからさらに90キロアフリカよりの地中海に浮かぶ5つの島で構成される。

5つのうち人が住む島は3つ。最大のマルタ島も人口42万人で、面積は東京都の半分ほど。マルタ島の隣には海があまりにも美しくボートが宙に浮かんで見えると話題のコミノ島があるが、定住者は一家族だけ。人が住むもうひとつの島はマルタ島から9キロ離れた場所にあるゴゾ島だ。マルタ島のチェルケウア港から1時間に1~2本のフェリーで25分、幅が14キロ×9キロという島だ。マルタ騎士団が築いた城壁など観光スポットもあるものの、何といえばいいか控えめなのだ。観光スポットを巡る旅と言うよりも地中海の小さな島の空気を味わう旅だ。そんな控えめなゴゾ島の観光スポットにカリプソの洞窟というのがある。

ホメロスの叙事詩「オデッセイア」。トロイ戦争のあと漂流を続け流れ着いた英雄オデッセウスに妖精カリプソは出会い恋に落ちる。私と暮らせば永遠の命を与えると二人で7年住んだ場所がカリプソの洞窟だ。語り口のウマいガイドさんによって、窓から見える地中海と青空に私の心は神話の時代に跳ぼうとしていた。

ところが、バスが到着する前にガイドさんから、あんまり期待しないようにと釘を刺された。確かに見てみるとブリュッセルの小便小僧、コペンハーゲンの人魚姫像、シンガポールのマーライオンの海外旅行3大ガッカリ観光スポット以上に何にも無かった。数十センチの岩の割れ目が見えるだけ。洞窟の一部が崩落してしまったという。

バスに戻ろうとすると、6畳くらいの小さな小屋があった。それは土産物屋で70代も後半だろうと思う女性がひとり座っていた。店の絵はがきは既に日焼けし水分も吸って反っていてしわくちゃ。マグネットはたっぷりホコリを被ってる。他にミネラルウォーターやゴゾ島のはちみつもあったが、旅に参加していた女性が興味を示したのは、このおばあさんが編んだカーディガンやセーターだ。いくつもが小屋の外から内側まで掛けられていて販売されていた。商品の数は20くらいはあっただろう。価格は10ユーロや15ユーロ、1300円から2000円くらい。凝ったデザインで個性を強調したりするようなものでなく、素朴な色合いの暖かみのある商品だ。おばあさんのそばには編みかけのものもあって、最近は見ることの少なくなった編み物の棒芯と毛糸もあった。

いつの間にかツアーの女性たちは目の前の地中海や空の青さを忘れたかのように、おばあさんが織り上げた小さな幼児用のカーディガンや大人向けのセーターなどに夢中になっていた。

子どものころは、よく編み物をしている人を見かけた。昼間のバスの中では今でいうトートバックを膝におき編んでいる人をよく見かけた。バックの中から毛糸が延びていて、たいていは降りる停留所にバスが着くギリギリまで編んでいて、扉が開くと慌てて降りていく。公園に子ども連れで来て遊んでいる間にベンチに座った母親やおばあさんも編み物をしていた。暇な店先では女主人も時間を惜しむように編んでいた。学校には手芸のクラブがあり10代になると多くの女の子が挑戦していた。

編み物に多くの物語があることをこの僕でも知っている。もちろん自分自身のために編み物をする人もいるのだろうが、多くの場合で自分が大切に思う人のために手を動かすのだ。

寒い冬が来る前に、自分のセーターをほどき、子どものセーター、マフラー、手袋に編み直す母親。

淡い恋ごころを形にしようと何ヶ月もかけてゆっくりと毛糸を紡いでいく女子学生。

祖父や祖母のために、両親のために、病床の親友のために、手編みで思いは綴られていく。

店の外から僕は中の様子をじっと眺めていたら、添乗員さんが「10ユーロじゃ材料代にもならないですね」と言った。「そうなんでしょうね」と答えた。

おばあさんは何のためにこのセーターやカーディガンを編んだのだろうか? 商売にして暮らしていくためではない。労働の対価はほぼゼロだ。現地のガイドさんによると、もう20年以上前からああして売っているらしい。きっと誰かを思って編んでいるんだろう、そう思った。もう着てくれない自分の母親、成長してしまった子どもたち。彼らを思った日々を思い出して手を動かしているのだろうと思った。いや、単なる趣味なのかもしれないけれど。

「お金にもならないのに、織るのが好きなんですね」と口を滑らしたら、ツアーに参加している女性たちにちょっと睨まれた。

家庭での仕事は自分の家族にしている限り、金銭的な評価はされない。会社で下らない会議を長くすることは経済活動であっても、朝早く弁当を作り、掃除洗濯繕い物をし、買物や送り迎えや晩ご飯の準備をしても、寝付きの悪い子どもに童話を読んで聞かせても、一円にも評価されない。多くの家族はそれを当り前と受け入れる。母の日や命日に思い出したように感謝をするけれども、経済学的には価値を創造していることにならない。

女性にも社会で活躍してもらいましょう。そう、国を挙げてかけ声をかけるけれども、内でそれこそ家で活躍している人たちのことを忘れちゃいけないなと思った。

世界中にはお金にならないことは山ほどあって、それはこの社会のために本当に無くてはならないことも多い。もっと言うと、お金はあまりもらえていない大切な仕事も山ほどある。お金が多いことは、スゴいこと、偉いことなのだ。この20年、そんな無邪気な価値観に世の中が収斂してしまったのではないか。

ツアーの女性たちは言葉もあまり通じないのに、おばあさんと編み物の談義をしていた。笑顔とジェスチャーでいろんなことが通じるらしい。同じような経験と思いをしてきたのだろう。オフシーズンなので、私たちがそこから離れると観光客はいなくなり、カリプソの洞窟は静かに戻る。私たちが去るのを確認したらおばあさんは編み物を始めた。その顔は穏やかですごく優しい母の表情に変わった。

この神話の土地で、私の思いは跳んでいた。幼い頃から今までの日々のことをふわっと思い出していた。マルタ共和国で過去の日本の私の日々に跳んだのだ。旅はやっぱりスゴいと思った。

Profile

経済評論家。1961年生まれ。慶應大学商学部卒業、東京大学社会情報研究所教育部修了。大学卒業後、外資系銀行でデリヴァティブを担当。東京、ニューヨーク、ロンドンを経験。退職後、金融誌記者、国連難民高等弁務官本部でのボランティア(湾岸戦争プロジェクト)経営コンサルタント会社などを経て独立、現職に至る。『年収300万~700万円 普通の人が老後まで安心して暮らすためのお金の話』(扶桑社)、『普通の人が、ケチケチしないで毎年100万円貯まる59のこと』(扶桑社)、『お金をかけずに 海外パックツアーをもっと楽しむ本』(PHP)、『アジア自由旅行』(小学館/島田雅彦氏との共著)『日経新聞を「早読み」する技術』(PHP)など、多数の著作がある。 Facebook