第1回 前書きにかえて、10円玉の重み

僕は、昭和36(1961)年に東京都杉並区大宮町で生まれた。

29坪の土地の平屋の家に住んでいたが、ほんの幼い頃に2階建てに建替えられた。両親は2人とも新潟出身で父は東京外国語大学卒の会社員、母は新潟の高校を卒業して女優を目指して上京した人だった。結婚前は俳優座の養成所に通っていたと言っていた。まだ若かった二人の生活は当時にしてもとても質素だった。家は2階建てにはなったものの、上の階の3部屋のうち2部屋は学生をおき賄い付きの下宿としていたし、毎晩夜遅くまで内職をしていた。マイホームを買うのに相当ムリをしていたのだと思う。

 本当に慎ましい生活だった。旅行やレジャーは何もなかった。ごちそうのすき焼きはいつも豚のバラ肉。僕が初めて牛肉を食べたのは学校給食だと思う。家で20才になるまで牛肉が出たことはなかった。例外は、時おり母が嬉しそうに、今日のハンバーグは合挽きだと言っていた時くらいだろう。もちろん、当時の生活を今の基準で比べることはできない。日本全体が質素だったからだ。

当時の楽しみは日曜日に母と新宿のデパートに行くこと。それも新宿三丁目の伊勢丹に行くことだった。当時の伊勢丹の屋上には子ども用の遊園地があった。コーヒーカップや、豆電車、空を飛ぶ象など遊具があって、それにふたつくらい乗せてもらえた。それが楽しみだった。終ると母はいろんなフロアでウィンドウショッピングをするが、ほとんど買物などはしない。ただ眺めているだけだった。もちろん年に一度か二度は買物をすることもあった。すると、鮮やかなタータンチェックの伊勢丹のショッピングバックとともに家に帰ることになる。そのショッピングバックは家に帰っても捨てられずに大切に取っておかれた。

伊勢丹での用事が済むと時おり西口の京王百貨店の8階の大食堂に連れて行ってもらった。食堂の前のガラスケースに並ぶ食品サンプルの前で、母はいつも「好きなものを選んでいいのよ」と言った。

そこで、私は小さな両手をガラスケースについて、端から端までじっくりと見て廻るのだが、毎回決まってこう言った。

「お子様ランチ!」

「はい、分りました」にっこり母はそう応えた。

いや母はそういうのを分っていた。「上にぎり!」などとは5歳の私が決して言わないのを。

ご馳走だった。ハンバーグや目玉焼きも乗っていたが、まあるく型取られたケチャップの赤いチキンライスの山の頂上には日の丸が立っていた。それをどのタイミングでスプーンを入れるか少し迷ったのを今でも覚えている。毎週、火曜日くらいになると、週末はデパートに行かないの? とせがんだ。当時の贅沢のすべてがそれだった。そんな満面の笑顔でお子様ランチを食べる僕を母はにこりとして見ていたが自分では何も食べないことが多かった。ただ子どもたちの笑顔を見ていたのだ。

デパートに行く時は、大宮八幡前のバス停から永福町駅発の新宿西口行きの京王バスに乗る。ワンマンバスの時代ではなく、帽子を被った女性の車掌さんがいた時代だ。そして、バスは今もある西口のロータリーに到着する。西口は京王百貨店と小田急百貨店がいまと同じようにあった。慎ましい生活をしているのに、母は財布を出して僕に10円玉を握らせる。当時の僕はもうその10円玉はおいしいお菓子に変わることを知っていた。ところが母は僕の背中を推して促した。

「さあ、いってらっしゃい」

母が促したその先の小田急百貨店の前には白い軍服をきた傷痍軍人のかたが2-3人いた。片足や片腕のない人もいたし、頭をうなだれている人も、ハモニカを拭く人もいた。中にはぎっと睨むように遠くを見ている人もいた。各々の前に白い箱があって、自らがどこの戦地でどう戦ったかを書いてあった。そうやって、高度経済成長の入口に立ち豊かになりつつあった東京の人たちの行き交う街のど真ん中で手をついていた。そこだけ切り取られた空間だった。

戦争経験が書かれた白い箱は募金箱にもなっていて、母に背中をおされた僕はそこに手の中の10円玉を入れた。そして、幼い僕は自然と頭を下げた。なぜ5歳にもならない自分が頭を下げたのかは分らないが下げた。そして、なぜかそこに立ち尽くしてしまうこともあった。片足のない、片腕のない、真っ白い服装の兵隊さんたちの前で。

そうしていると、母はすっと寄って来て僕の片手をぎゅっと握って伊勢丹の方に歩いていった。僕は母の顔を見上げるのだが、前を向き決して振り向かず、何も言わなかった。無言の時間は西口から伊勢丹のある東口を結ぶ角筈ガードを抜けるまで続いた。ガードの下をくぐる時に、上を走る山の手線の轟音がした。

あの時のことを今でも鮮明に覚えている。あれから50年以上が過ぎ、新宿の傷痍軍人はいなくなったが、僕はあの人たちのことを忘れないようにしたいと思っている。母が何回も握らせてくれた10円玉のおかげで、世の中のことを考える上でとても大切な根っこになるようなものを作ってくれた。

これから、ここでお金にまつわる話を中心にできるだけ愉快に綴っていこうと思っているのだが、本の前書きのようなものに変えて、忘れられない10円玉の話をさせていただいた。佐藤治彦と申します。どうぞ、よろしくお願いします。