第12回 いざという時のためにお金を使うか、いざという時が来る前にお金を使うか。それが問題だ。

80才でも入れます。持病や通院歴のある方も入れます。

毎月4500円で、生涯この保険料は変わりません。

 

最近、テレビで宣伝されている保険商品のキャッチフレーズにはそういうものが多いと思いませんか?

毎年のようにシニア向けの公的医療制度は自己負担がふえていくし、自分の身体も少しずつガタが来ているのを意識していたときにそういうコマーシャルを見ると敏感になりますよね。

特に若いころに、十分な生命保険に入らないままで来てしまったり、良くあるケースは生命保険は夫中心のもので、良く見たら妻自身のものがほとんどないことに、65才をすぎて気がついたりで、大丈夫かしら? と不安が増すものです。

テレビのコマーシャルは、一般の消費者のような雰囲気を醸し出したタレントさんがこんなコメントを言うものです。

「もう年齢なので入れないと思ってました」

「子どもに迷惑をかけないように、せめて、お葬式のお金くらいは残したいと思って入りました」

高齢で、病歴もあっても、毎月の掛け金が安い生命保険に入れる。

嬉しいですね。生命保険に入っていれば困ったときにも助けになってくれるからです。

これらの商品は、もちろん、生命保険です。

問題は、保険に入ろうと思う人が、こういう時にお金が出ればいいなと思っているときと、入った生命保険がお金を払ってくれる条件が重なってないことが多いことなんです。

困っているときにお金を出してくれるのが生命保険でしょう?

違います。保険の契約書に書かれた細かい条件を満たした、困っているときにお金を出してくれるのです。

テレビのコマーシャルのイメージだけで飛びつくと、そこに大きな溝が産まれてしまうのです。

では、若いときにさえ読まなかった生命保険契約の約款にあるあの細かな文字を、老眼鏡時代になって果してどれだけの人が読むでしょうか?また、理解し納得して入るのでしょうか?

生命保険といってもいろいろなのです。

 

はっきり申し上げれば、お手軽な生命保険というものは、入れることは入れても、それで大した保障などあるわけがない、と思っていた方が健全です。

そこに保険に入っているという安心感はあるかもしれないが、それは、価格に見合った保障であり、保険によって目前に迫った生きものとして受け入れなければならない哀しい現実を避けることはできないものです、

もう一度申し上げます。こういった保険商品は保険に入る安心感がメインディッシュであり、金銭的な支えは期待ほどはないものなのです。

そりゃあ当り前です。だれもかれもが保険のお世話になる年齢なのです。そういう年齢の人が集まってお金を出して成立している保険なのです。

 

具体的な例を紹介しましょう。

保険料が手軽なある通販系保険会社の場合。

77歳で女性が入る生命保険は毎月の保険料は約3400円。亡くなった時の保障は100万円。

つまり、年に40800円払って、77歳で亡くなれば100万円もらえるということです。

77歳の女性が77歳で亡くなる可能性はどのくらいでしょうか? 答えは1.5パーセントです。

200人に3人の方が亡くなる。ほとんど亡くならないのです。100万円もらうのに4万円払うのは合理的でしょうか?

また、この保険には、入院した時の保障はつきません。もちろん入ることはできます。1日5000円で60日まで出る入院給付金、手術の保障もあります。その毎月の保険料は7700円です。合計で1万1100円。

60日の入院、1日5000円ですから、最大でもらえて30万円です。手術見舞金などで10万円でても40万円。それに、毎月7700円で9万2400円。つまり、払ったお金の最大4倍までしかもらえない。ざっくり申し上げて77歳の女性の4人に1人が2ヶ月も入院する大病をするわけがありません。

 

この保険の保険料は毎年値上がりしていきます。ちなみに、翌年、78歳になると死亡保険は3800円、入院保障は8100円で1万1900円となります。毎年値上がりしていくだけではない。本当に必要な90歳以降は続けることはできません。それまで払った保険料は掛け捨てなので戻ってもきません。つまり、平均寿命より長生きしたら1円にもならない。90歳になったら、また心配しなくてはならないのです。

77歳で加入して病院のお世話になったら、78歳のときにはもう入れません。病歴がつくからです。少なくとも同じ条件では入れないという代物なのです。

 

年老いてから民間の生命保険に入って、自分の持つ金銭的な環境よりもびっくりするほど多くの経済的な利益を受けようと思うのは少し考えが甘すぎるようです。年齢を重ねれば誰だって医療や介護のサービスを受けることが多くなる。1000人に1人だけが運が悪く保険のお世話になるというのであれば、払った保険料の10倍以上のお金をもらえる保険もあるでしょう。また、90歳以降のように、2人に1人、3人に1人がそのサービスが必要となる年代のものを、同じ年代の加入者で支えるとしたら、驚くほどお金がもらえるような保険はありえないものです。むしろ、保険者から集めた保険料から保険会社の取り分を考えると、契約者に廻すお金は限られたものになるはずなのです。

 

そういう厳しい現実を私の先輩に話すと、たいていは顔を暗くして、じゃあどうすればいいの? と言われます。

私はただ家族に迷惑をかけたくないだけなのに。

 

毎月1万円の保険料は貯蓄すれば毎年12万円。翌年はすでに24万円くらいになります。上記の生命保険の入院給付金は60日分で30万円である。ざっくり申し上げて2年半以内に病院のお世話にならないのであれば、貯蓄しておいた方が良いはずですね。77歳から90歳まで13年間貯めておけば利息ゼロでも156万円。保険に入れなくなった90歳過ぎ、本当にお金が必要なときにお金が使えるわけです。

貯蓄はいざという時には医療サービスに使うこともできるし、健康で元気ならちょっとした楽しみ、例えば旅行に使えます。貯蓄というのは、何にでも使える。困った時には困った問題に、そうでないなら楽しい事がらに使えるのです。

 

先に申し上げたように、生命保険は、生命保険に入っているという安心感はあるのですが、例えばお金を給付してもらうときにはいろいろと手続きをする必要や、自分じゃもらえると思っていたお金が契約内容での免責事項(保険会社の支払い義務がない)ことになっていると余計なストレスになるものです。

私はそんなよく分からない安心感のために病気やケガ、もしくは、あの世に召されなくては払われないお金のために使うよりは、スポーツクラブに通うとか、病気の早期発見のための人間ドックを受けるとか、健康増進のためのサプリメントに当てるといったことにもっとお金を廻すほうがポジティブだと思います。

 

もしかしたら、私が知らない、ものすごくお得なシニア向けの生命保険があるのかもしれません。

そうだとしても、困った時のための保険にお金を使うより、困ったことができるだけ起きないようにするためにお金を使う、健康を確保するために使う方がいいと思うのです。

そして、生命保険金が支払われるときは、たいてい哀しい辛いときです。それは経済的な支えの一部にはなるかもしれませんが、保険では哀しい辛いことを先延ばしすることはできません。先延ばししたいのであれば、もっと日々の生活の健康のために気配りし、必要なお金を使うことです。

 

もうひとつ気になるのが、「せめてお葬式のお金くらいは残したい」という考えです。

子どもたちに余計な負担をかけさせたくないという気持ちからの考えだと思います。しかし、そういう想いがあるのであれば、気を使うべきことはほかにありのかもしれません。

それは、幸せに楽しく、時には自分の分相応以上に贅沢に生きるということです。この世の人生で与えられた時間を全うする。完全燃焼。子どもや孫のためにガマンなどしないことです。美味しいものを食べ、いろんなところに出かけ、自分のしたいことをして、多くの友人知人といい時間を過ごす。そのようにして人生を生ききってくれれば、残された人はこう思うはずです。

「ああ、私の父は、母は、楽しく人生を過ごしてくれた。若いころは苦労したかもしれないが、晩年は本当に楽しそうだった」。そう笑顔で思ってくれるでしょう。

ボランティアで社会の困った人たちのために時間を使うのも、将棋や囲碁、テニスなどをして汗をかくのもいいです。

小説やエッセイを書いていろんな賞に応募してみるのもいいものです。

 

こういう話をすると、また多くの人がそんなことはできない。無理よという。その理由のひとつが経済的な余裕がないということからです。年金はほとんど日々の生活費に消えていく。楽しいことに廻す余裕などない。こう言われる、

確かにそうかもしれません。それでも、もう一度、皆さんの廻りを見回して頂きたいのです。

多くの人にやってもらいたいこと、自分と子どもや孫のためにするべきシニア時代の心構えをお話ししたい。それは、また別の機会にいたします。ヒントは「宝探し」。いったいどいうことなのか?皆さまもぜひ考えて見て下さい。

 

Profile

経済評論家。1961年生まれ。慶應大学商学部卒業、東京大学社会情報研究所教育部修了。大学卒業後、外資系銀行でデリヴァティブを担当。東京、ニューヨーク、ロンドンを経験。退職後、金融誌記者、国連難民高等弁務官本部でのボランティア(湾岸戦争プロジェクト)経営コンサルタント会社などを経て独立、現職に至る。『年収300万~700万円 普通の人が老後まで安心して暮らすためのお金の話』(扶桑社)、『普通の人が、ケチケチしないで毎年100万円貯まる59のこと』(扶桑社)、『お金をかけずに 海外パックツアーをもっと楽しむ本』(PHP)、『アジア自由旅行』(小学館/島田雅彦氏との共著)『日経新聞を「早読み」する技術』(PHP)など、多数の著作がある。 Facebook

第11回 僕が特上のにぎり寿司を食べられない理由。

まもなく終わる平成が、昭和や大正、明治と比べてひとつ特筆されることがあるとすると、それは一度も日本が戦争の惨禍を起こさなかったばかりか巻き込まれもなかったことだと思います。戦争がまったくなかった時代。それが平成だったと100年後の日本人は言うのではないでしょうか?

昭和には死なずに済んだはずの300万人もの国民が亡くなった太平洋戦争がありました。

明治時代には日清、日露戦争があり、短い大正時代にも第一次世界大戦があり、日本も出兵しました。そして、戦争で多くの若者が戦死しました。私は平和な時代に生きていることに心から感謝しています。

世界各地で21世紀になっても戦争や紛争の悲劇は続いています。そして、多くの人が巻込まれている。

戦争は一部の人は覗いて、多くの国民の財産を大きく損ないます。命を守るために築き上げた財産を捨てて着の身着のままで生き延びる選択を迫られる。この半世紀をみてみても、アジアではそういう苦難な時代を経験した国が山ほどあります。そして、そういう国は概していまも国民の生活レベルは他国から大きく遅れてしまうのです。

私の両親は昭和一ケタ生まれ。母は同時多発テロを生中継するテレビ番組でワールドトレードセンターが崩れ落ちるのを見て、不安そうに呟きました。また戦争が起きるのかしら?と。21世紀になったばかりの世の中の流れを心配したその半年後。2002年の5月2日、憲法記念日の前日に病院で亡くなります。まだ69歳でした。

太平洋戦争中はソウルで過ごし、引き揚げのときに広島を列車で通過したときの驚きを話してくれました。本当に何にも無かったの、と。医者の家庭だったのですが、戦争中に医師だった父親が亡くなってしまい、また詐欺のようなことにも合って母や祖母の経済環境は大きく変わります。貧しい生活を強いられた。終戦時はまだ12歳だった母は高校を卒業して東京に出て来て劇団俳優座の養成所に通った。食べていくためアメリカの軍人の家で手伝いをしたこともあったようです。きっと豊かな生活を垣間みたのでしょう。アメリカ流の生活スタイルが僕の幼いころの毎日にはありました。いっぽうで夜遅くまで内職をしてピアノを買ってくれた。こどもたちをヤマハの音楽教室に通わせただけでなく、35歳を過ぎてから自らピアノやギターを習い、手伝い先からもらったピアノの楽譜にある簡単な曲を幾つか弾いていました。きっと、アメリカの軍人の家庭の奥さんが弾いた曲だったのだと思います。優しくしてもらったのでしょう。ジュディという人の写真が幼いころは家に飾られていました。

若いころの母は食べるものにも困った時にたびたび病院に売血にいったそうです。血を売ってお金に替える。ただ栄養が足りないからか、買ってもらえない時も合ったそうです。そんな辛い日々でしたが、まだ若かった。頑張れた。そして、思ったそうです。「病院にいって、待合室に座っているのと思うの。何よりもいまは平和だし、自分は健康だから感謝しなくちゃいけないって。そうして辛い日々を耐えられたの」。時おり用事が無かった時にも、とても辛くなったら病院の待合室のベンチに座って時間を過ごし自分にそう言い聞かせたそうです」

戦後の母をもっとポジティブに支えてくれたのは、ラジオなどから流れてくる音楽だったようです。お金持ちの家の中からクラシックの音楽が流れてくると、窓の外でじっと立ち止まって聞いたそうです。それが、音楽の流れる家庭につながり、ピアノになっていくわけです。

僕の幼い頃に山ほどの内職をして、豊かな生活をこどもたちには送らせた。ただ内職の時に強い圧力を無理やり指に掛け続けたためなのか、リウマチなのか分かりませんが両手の指がすべて50代のころには変形してました。さらに、きちんとした食事もしなかったからでしょう。60歳前にほとんどの歯が入れ歯になってしまった。若いころにハミガキの広告のモデルをしたとのことですから、相当ショックだったようです。高血圧で倒れることがあって、僕は母に言いました。無理をしてきたのだから、健康には気をつけて欲しいと。それは繰り返し頼みましたが、健康診断に一度も行くことがなかった。

僕は就職してから、年に何回か、外国からやってくるオペラや、良さそうな演目が掛かった時の歌舞伎座に連れて行き、日比谷の帝国ホテルでランチなどをごちそうした。パリでアクセサリーや洋服も買ってくれば喜んでくれましたが、自分で何か自分の楽しみのために財布を開くことはほとんどなかった。こどもたちのためにと死ぬまで質素倹約に勤しんだのです。

晩年の父はひとり、生まれた長岡で過ごしました。2009年2月。寒い冬の日、2回目のワールドベースボールクラシックの直前に死にました。寒い新潟の冬なのに、広い部屋に小さなストープひとつしかつけなかった。節約のつもりだったのでしょうが、それが命を落とす原因になりました。父は熱烈な巨人ファンでしたから、3月が来るのをとても楽しみにしていたと思います。あとひと月もすれば、原監督率いる日本代表・侍ジャパンの活躍をテレビにかじりついて見たと思うのです。77歳でした。

父は新潟県長岡の弁護士の家に生まれました。父も優秀で東京外国語大学の英米科を出ています。学生時代の集合写真に書き込まれた父のあだ名は辞書。僕が慶應に入ると語学の教授に何人も同級生がいた。ただ、人間関係を作るのが苦手で家族を含めてほとんど誰とも心を交すことができなかった。だから、会社員としても上手く行かなかった。趣味はサイクリングで週末はひとり安い自転車で近県まで遠乗りしてました。もうひとつは、神保町で安い古本を買って来ること。ただ、買うだけでほとんど読んでいなかったようです。いつか読もうと買うのですがほぼ読まずに人生を終えた。買ったけれどもそのまま廃棄となったのです。

出世もしなかったので高収入だったわけではありませんが、このように2人とも質素な生活だったので、死んだ時には財産を残してくれた。僕は自分で十分稼げるようになっていたので、学者肌の妹にほとんど譲りました。

父が死んだころに、質素なアパートにひとり亡くなった高齢の独居老人のことをテレビが報道した。通帳に3、4千万円も残して死んだけれども、遺産を渡す人がいなくて国庫に行くことになりそうだというニュースでした。それがどうも父の人生の終りに重なって仕方がなかった。

老後の不安をまとまった貯蓄があることに安心感を感じる人は少なくない。また、40代も半ばを過ぎるころから、老後の不安を感じて生活をダウンサイジングして質素節約にして、少しでも老後のためにお金を残しておこうとする人も多い。

人それぞれの人生だから私はそれを否定することはしない。

しかし、私は両親に言いたいのです。遺産などいらなかったから、若いころに苦労をしたのだから、もっとお金も使って人生を楽しんでもらいたかった。若いころは戦争のために、成人してからはこどもを育てるために、辛い人生を過ごしたというのは、残された子どもとしてはとても悲しいもの。すぐにその思いが心を支配してしまいます。

そんな辛い思いを引き継ぐ必要などないのです。

母は死の直前の病床で長崎に行ってみたいと言い始めた。そんなことを聞いたのは初めてだったので本当に驚いた。それ相応の資産ができたあとも質素すぎた。いや若いころに質素な生活ばかりしていると、それに慣れてしまってもう変えることができなかったのでしょう。

 

老後のことを心配し準備をしようと心がける人は多いものです。しかし、自分の人生を思う存分楽しんだ、と言って幕を下ろせる人はどれだけいるのでしょうか?

私は、老後のお金を作るために質素節約な生活をして老後資金を作ることも大切だとは思うのですが、人生を楽しむためのお金を使う術を身につけていくことも重要だと思うのです。お金を使って人生を楽しむことを、ぜいたくだ、分不相応だと、なぜか罪悪感さえ感じる人もいるようです。苦労して得たお金を使うことは案外難しいものなのです。しかし、老後を笑顔で暮らすためにも、若いころも中年の時もそれぞれの人生の時を彩る楽しいことを綴っていくことは必要ではないでしょうか。老後のために、今をガマンし過ぎることをしていませんか。思ったような長さの将来が無かった時に大きな後悔の思いを作ってしまうことはありませんか?

 

僕はいまでも特上の寿司が食べられません。いや、注文できない。たいていは一番安い梅、並のにぎり寿司を頼む。そして、ひとつかふたつ、お好みを注文する。本当は大トロも大好きです。

ある程度の資産ができても、私の両親は質素で倹約家でした。にぎり寿司が大好きでしたので、時おり、家の近くのお寿司やさんから出前を取ることがありました。来客があった時には、松竹梅の真ん中の竹を取ってましたが、家族だけで食べる時には並寿司の梅しか食べたことしかありませんでした。店に行って食べる時にも同じです。タコやタマゴから食べて、鉄火巻きやまぐろを最後に残してほうばっていました。

僕は、成人して親を誘い、寿司やさんで上寿司を頼んだことがあるのですが、いつもの寿司とは違うからでしょうか、楽しく食べられなかったみたいです。職人さんが握る寿司なら並で十分。平和で家族揃って食べられればそれで幸せだと思っていたのでしょう。気軽な並のにぎり寿司を食べているときが一番幸せそうでした。

そんな親との思いが染み付いているからか、今も安い並のにぎり寿司しか注文できない。もちろん、高い寿司を食べたこともあります。でも、食べている時に親のことを思い出して、何か後ろめたい気分になってしまうのです。親が時には奮発して、時には特上のにぎりを食べていてくれれば、僕も気持ちよく注文できると思うのです。

30代の僕は仕事がとにかく面白くて、収入にはあまり興味がありませんでした。世の中の平均を大きく上回る所得がありました。苦労をかけた親に少し豊かな生活を送って欲しかった。そう思って所得の大半を渡しました。

しかし、僕の親は幾らお金を渡しても、生活はそのまま。質素そのものでした。わがままな若い私の行いを許容してくれたこと、何よりお金を山ほど使って立派な教育を授けてくれたのだから、あとは何もいりません。若い時には、戦争もあって苦労もしたのだから、親自身にもっとぜいたくな事をして欲しかった。僕は人に「親は、好きなこともできて人生を楽しんで生きた。美味しいものも食べたし、良いものも着た。ぜいたくもね」という自慢話がしたかった。僕はなじみの寿司やさんで、一番安い、梅のにぎり寿司を頼みながらそんなことを思い出しています。

 

人生100年時代と言われ始めた今日も若くして亡くなることもある。子どもはそんな親の不幸を長く哀しみ続けるでしょう。子どもに財産を残そうとする前に、子どもに自分の親は人生を思う存分に謳歌した。本当に幸せな人だったと言ってもらう人生の姿を残すことをもう少し大切にして欲しいと思うのです。

Profile

経済評論家。1961年生まれ。慶應大学商学部卒業、東京大学社会情報研究所教育部修了。大学卒業後、外資系銀行でデリヴァティブを担当。東京、ニューヨーク、ロンドンを経験。退職後、金融誌記者、国連難民高等弁務官本部でのボランティア(湾岸戦争プロジェクト)経営コンサルタント会社などを経て独立、現職に至る。『年収300万~700万円 普通の人が老後まで安心して暮らすためのお金の話』(扶桑社)、『普通の人が、ケチケチしないで毎年100万円貯まる59のこと』(扶桑社)、『お金をかけずに 海外パックツアーをもっと楽しむ本』(PHP)、『アジア自由旅行』(小学館/島田雅彦氏との共著)『日経新聞を「早読み」する技術』(PHP)など、多数の著作がある。 Facebook