第1回 「ダーウィニアン・レフト」再訪

いまわたしたちが直面している社会的諸問題の裏には、「心理学や進化生物学から見た、動物としての人間」と「哲学や社会や経済の担い手としての人間」のあいだにある「乖離」の存在がある。そこに横たわるギャップを埋めるにはどうしたらよいのか? ポリティカル・コレクトネス、優生思想、道徳、人種、ジェンダーなどにかかわる様々な難問に対する回答を、アカデミアや論壇で埋もれがちで、ときに不愉快で不都合でもある書物を紹介しながら探る「逆張り思想」の読書案内。  

1999年に出版されたA Darwinian Leftは、英語版の原著が70ページ、2003年に出版された邦訳である『現実的な左翼に進化する』でも本文が100ページほどしかない、薄くて小さな本だ。出版当時はともかく、それから20年経った現代では、あまり振り返られることがないような本である。

しかし、この本で提唱されている「ダーウィニアン・レフト」という考え方は、いまなお現代に通用するものだ。

『現実的な左翼に進化する』の著者は、オーストラリア出身の倫理学者であるピーター・シンガー。功利主義の理論に基づいて、動物の道徳的地位の擁護や重度障害を持った新生児の安楽死の容認などの様々な主張を展開しており、たびたび論争を呼んできた。また、最近では、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットなどの世界的富豪が実践している「効果的な利他主義」の提唱者としても有名になっている人物である。

あまり知られていないことであるが、シンガーはヘーゲルやマルクスといったドイツの哲学者たちについての入門書も著している。そして、『現実的な左翼に進化する』のなかでも、冒頭からマルクスが取り上げられているのだ。……ただし、否定的にではあるが。

左派に新しい息吹を与える考え方

『現実的な左翼に進化する』の冒頭では、十九世紀の無政府主義者であるミハイル・バクーニンの著書に対して共産主義者であるカール・マルクスが伏したコメントが、取り上げられている。

バクーニンは、共産主義体制は「少数の特権階級による多数の人民の支配」になるだろうと予言して、「……彼らは人民の代表ではなく自分たち自身の代表となる。人民を支配するという自らの要求の代表となるのだ。こういったことに疑いをさしはさむ者は、人間の本性についてまるでわかっていないと言えるだろう」と論じた(p.10)。マルクスは、バクーニンのこの主張を「権威についての悪夢」だと断じて、取り合おうとしなかった。……しかし、その後に共産主義が辿った歴史を見てみれば、バクーニンの予言はまさに的中していたのである。

バクーニンの指摘通り、マルクスは人間の本性についてまるでわかっていなかったのかもしれない。シンガーは、「フォイエルバッハに関するテーゼ」からマルクスの人間観の核心となる文章を引用している。

……人間の本性というものは、それぞれの個人に固有の抽象的な観念や作用ではない。実際には社会的関係の総和なのである。(p.11)

そして、シンガーはこう論じるのだ。

この信念からすれば、もしあなたが「社会的関係の総和」を全面的に変えることさえできれば、人間の本性もまるで違うものに変えられるだろう。この主張はマルクス主義の根幹をなすものであり、小文字のmで始まるマルキスト(広い意味でのマルキスト)の考え方の基本である。結果としてこれは左派の思想の全体に大きな影響を及ぼしている。(p.11)

実際には、「人間の本性」は「社会的関係の総和」ではない。それぞれの人間がどんな思考や欲求を抱いてどんな行動をするかということは、社会的なものとは別の要素にも影響されている。それは、進化の歴史によってどんな人間にも生まれつき備わさせられることになった、生物学的な側面だ。

私はここで、左派に新しい息吹を与える新しい考え方を生み出すための、ある方法を示したい。 それは、人間の社会的、政治的、経済的活動に対して、人間の本性についての現代的な理解をもとに、アプローチすることだ。今や左派は、我々は進化によって出来てきた動物であること、それは解剖学的なものやDNAだけが関係するのでなく、行動についてもまた然りなのだということを真剣に捉えるときにある。ダーウィン主義的左派(ダーウィニアン・レフト)が生まれるべきときが来ているのだ。(p.13-14)

虐げられ搾取されている人々の苦しみを和らげる

『現実的な左翼に進化する』の核となる主張は、以下のようなものだ。

まず、「左派の本質」とは、「弱者や貧者、虐げられ搾取されている人々、あるいは単に低いレヴェルの生活でさえ維持できない人々」(p.16) の痛みや苦しみを和らげるために、彼らに苦痛をもたらす状況を改善することを目標とすることにある。しかし、マルクス主義にすがり付いたままでは、その目標を達成することはできない。マルクスは人間の本性について誤った理解をしていたために、人々に苦痛をもたらす状況の原因についても誤った分析をしてしまった。そして、原因についての分析が誤っているために、原因に対処して目標を達成するための手段も誤ったものしか考え付かない。だから、マルクス主義は失敗した。

左派の目標を正しく達成するためには正しい手段を考える必要があり、正しい手段を考えるためには問題の原因について正しく理解しなければならない。そして、人間の社会に存在する問題の原因を理解するためには、人間の本性についての正しい理解も不可欠だ。だから、左派はマルクスからダーウィンに鞍替えしなければならないのである。

『現実的な左翼に進化する』では功利主義に関する議論はほとんど出てこないとはいえ、左派の本質を「痛みや苦しみを和らげる」という目標に見出すダーウィニアン・レフトの発想は、明らかに功利主義的(または帰結主義的)なものであるだろう。

左派のなかには、目標を達成すること自体は最重要ではなく、不正義を認めないという態度を明らかにすることや、抵抗を行いつづけることなどの方が重要だ、と考える人もいるかもしれない。また、シンガー自身も留意しているように、苦痛を軽減することよりも平等な社会を実現することの方が重要である、と考える左派も多いだろう。……とはいえ、「目標を達成するための正しい手段を考えるうえでは、原因についての正しい理解が必要だ」という主張自体は、文句の付けようもない正論でもあるはずだ。

『現実的な左翼に進化する』の出版から20年経ったいまとなっては、統計や資料を駆使して原因についての正確な理解を得ること最適な対策を打ち出すことを重要視する「データ主義」は、一部の左派のあいだではトレンドとなっている。

たとえば公衆衛生学者のハンス・ロスリングの著書『FACTFULNESS:10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』は、その題名からして「正確さ」を重要視していることが明確だ。進化心理学者のスティーブン・ピンカーも『暴力の人類史』や『21世紀の啓蒙』などでデータと科学的事実に立脚した思考の重要性を説いている。……世間的には彼ら二人が左派というイメージは薄いかもしれないが、世界中の弱者たちの苦痛ができるだけ和らげられることを重要視している、という点では二人とも「左派の本質」に正しく適っているのだ。

そして、人間の本性には生物学的な側面があるという主張は、多く知識人たちや学問分野において、もはや当たり前の事実として定着している。心理学や哲学はもちろんのこと、経済学や政治学などでも、ダーウィニズムに基づいた議論が様々に展開されるようになっているのだ。

左派のダーウィン嫌い

その一方で、多くの左派のあいだでは、ダーウィニズムはいまだに受け入れられていない。それどころか、ダーウィニズムに基づいた議論が嫌悪や拒絶の対象となりつづけている側面もあるのだ。

『現実的な左翼に進化する』では、「左派のダーウィン嫌い」という現象についても論じられている。

まず明確であるのが、ダーウィニズムは右派に好まれて利用されてきた、という歴史的経緯である。たとえば、アンドリュー・カーネギーやロックフェラー2世といった資産家たちは、放任的資本主義を正当化する根拠として適者生存の原理を持ち出していた。また、「有害」な遺伝子の拡散を予防するという名目で医療費を削減して弱者を切り捨てる優生学的な社会政策が主張されてきたという歴史もある。「これまでダーウィニズムを強調してきた連中は自分たちとは正反対の主張ばっかりしてきたのだから、ダーウィニズムに基づいた左派なんてあり得るわけがない」という懸念を左派が抱くことには、もっともなところもあるのだ。

このような懸念に対するシンガーの回答は、過去の右派たちは進化の歴史という事実から「社会はこうあるべきだ」という規範を導いていたが、「〜である」から「〜すべきだ」を導くことはそもそも自然主義的誤謬であり誤った論法であった、というものだ。これをふまえたうえで、ダーウィニアン・レフトが守るべき心構えの一つが、「そういうのが本性である」から「それが正しい」へと決して推移しないこと」(p.102)である。

ダーウィニアン・レフトの目標である「弱者の苦痛を和らげる」もひとつの規範ではあるが、この規範は人間の本性に関する事実とは別のところから導き出されたものである。事実が重要になってくるのは、この目標を達成するための手段を考える段階になってからだ。つまり、ダーウィニズムから規範を導き出そうとした放任資本主義者や優生主義者とは主張の順路が異なるのであり、ダーウィニアン・レフトは自然主義的誤謬を犯しているわけではないのだ。

ブルジョア社会の産物か?

左派がダーウィニズムを嫌うもうひとつの理由が、「人がどうあるかを決めているのは意識ではない。その逆であり、社会的な存在が意識を規定するのだ。」(p.41)というマルクスの言明に象徴されるような、「人間の本性は変わりうる」という信念である。

空想的ですらある理想主義は左派を特徴付ける要素のひとつであり、彼らの多くは「誰もが仲良くて、協力しあい、自由で平和に生きていける社会を追求してきた」(p.45)。人々の仲が悪くなったり、裏切りやズルが発生したり、抑圧や争いが発生したりする理由が生物学的なものであったとしたら、社会や文化やどれだけ変えても限界はある。だから、左派はダーウィニズムを否定して、「悪い事態が起こっている原因はすべて社会や文化に起因する」と断定することで、理想的で完全な社会がいつか到来するかもしれないと夢見つづけてきたのだ。

マルクスとエンゲルスはダーウィニズムに対する関心を大いに持っていたが、結局は、自分たちの理論にとって都合の良いところだけをつまみ食いするかたちでしか取り入れなかった。彼らはダーウィンの理論をブルジョア社会の産物であると見なして、全面的に受け入れることは拒否したのだ。……そして、ソ連のルイセンコのような科学者は、ダーウィニズムのブルジョワ性を非難しつつ、それよりもずっとイデオロギーまみれな科学理論を展開したのである。

1970年代に行われた社会生物学論争でも、リチャード・ルウォンティンやスティーヴン・グールドのような左派寄りの学者たちは、人間の行動や社会について進化論に基づいて考えようとしたエドワード・ウィルソンやリチャード・ドーキンスの主張をイデオロギー的なものだとして批判した。現代でも、ロスリングやピンカーの主張を否定しようとする人たちは、彼らの主張の「隠れた前提」を暴こうとしたりポジション・トークであると非難したりすることに熱心である。

「社会が意識を決定する」というマルクス主義的な発想は、自分たちにとって不都合な事実を突きつける理論の「社会的」な側面を殊更に強調して、見たくない事実から永遠に目を逸らしつづけることを可能にしてしまう。だからこそ、左派はいつまで経っても理想主義的な人間観を抱きつづけて、完全な社会を夢見ることができる。しかし、現実の世界において事態を改善することを目標とするのならば、夢から目覚めて事実を直視しなければならない。

利他行動や協力についての進化論的見方

『現実的な左翼に進化する』の後半では、人間における競争や私利私欲の追求、地位への執着、そして互恵的な利他行動や協力などについての進化論的な見方が具体的に取り上げられている。ネガティブな結果をもたらす行動を抑制するにせよポジティブな結果をもたらす行動を促進するにせよ、それらの行動の背景にある原因を正しく理解できなければ適切な施策を採用することはできない、という問題意識に基づいてのことだ。

これらの具体的な問題についての議論は興味深くはあるが、人間の進化や心理に関する知識は日々更新されていることを考えると、20年前になされていた議論を現代の読者がそのまま受け入れることは難しいようにも思える。特に、協力や利他行動については進化生物学者たちの間でも意見が分かれており、現在でもなお激しい議論がなされているトピックであるため、20年前のものではなくアップデートされた知見に基づいて考えるべきところであるだろう。

また、この本のなかでは経済的な競争や地位の不平等についての議論については紙幅を割いて取り上げられている一方で、人種差別や性差別といったトピックについてはごく僅かにしか触れられていない。そもそも小著であるから取り上げられるトピックの数は制限されざるを得ないとはいえ、現代の左派の多くは経済の問題だけでなく人種や性の問題についても熱心に主張していることをふまえると、これらの問題についてダーウィニアン・レフトの立場からはどのような議論がなされるかについても詳しく知りたくなるところだ。

ただし、『現実的な左翼に進化する』の終盤では、ダーウィニアン・レフトの心構えの一つとして、「全ての不平等が、差別や偏見、抑圧や社会条件に原因があると決めてかかる」べきでない(p.101)、と論じられている。経済の不平等と同じように、人種間の不平等や性別間の不平等についても、その問題の社会的な原因と生物学的な原因の両方について正確に理解したうえで適切な処置をとるべきだ、ということになるのだろう。

不愉快で不都合な事実と向き合うために

先述したロスリングやピンカーのようなビッグネームに限らずとも、経済の不平等や差別の問題に対処して人々の苦痛を和らげようとする様々な活動の現場において、ダーウィニアン・レフト的な発想を実践している人々が今日では数多くいると思われる。人間の本性についての知識は日々蓄積されているのであり、自分が直面する課題に対処するためにその知識を利用しようとする人は、自然とあらわれるはずだからだ。その一方で、先述した通り、左派の多くには現代でもダーウィニズムに対する反発が根強く残っていることも確かである。

もしあなたが左派であるなら……すくなくとも、弱者の痛みや苦しみを和らげるために現状を改善することを望む人であるなら……、『現実的な左翼に進化する』を読むことには多いに意義があるだろう。ダーウィニズムに限らず、たとえば「資本主義のメリット」や「社会が同質性が高くて抑圧的であるときにもたらされる利点」といった、左派が目を逸らしたくなりがちな不愉快で不都合な事実全般について、それらに対してどのように向き合うべきであるかということを考える土台となる本であるからだ。

左派でない読者であっても、自然的な事実と価値や規範との関係というテーマについて平易に論じたこの本は、倫理学的な考え方への入門書として役に立つかもしれない。

また、「社会が意識を決定する」というマルクスの発想や、バクニーンが共産主義に対して向けた「人間の本性をまるでわかっていない」という批判について知っておくことは、現代の学者たちや論説家たちが交わす議論について検討するうえで大いに参考になるはずである。

『現実的な左翼に進化する』が出版されてから20年が経過したとはいえ、ダーウィニアン・レフトの考え方に触れることには、いまなお意義があるのだ。

参考文献:ピーター・シンガー(著)、竹内久美子(訳)、『現実的な左翼に進化する(シリーズ 進化論の現在)』、新潮社、2003年。

 

1989年生まれ。批評家。立命館大学文学部英米文学専攻卒業(学士)、同志社大学グローバル・スタディーズ研究科卒業(修士)。
個人ブログでは「デビット・ライス(Davit Rice)」名義で、倫理学・動物の権利運動・ポリティカルコレクトネス・ジェンダー論などに関する文章や書評・映画評論などを発表している。初の著書『21世紀の道徳』が好評3刷。
ブログ:「道徳的動物日記」「the★映画日記