気の迷いと偶然で飛び込んだ出版の世界。そこで直面した矛盾と葛藤。マイノリティを支援し社会的な課題の解決を目指すことと、商業的に利益を上げることは両立可能か? 毒親もヤフコメ民やアンチフェミニストからのクソリプも飯のタネ。片手で社会的ルールを遵守しつつ、もう一方の手で理不尽な圧には抵抗する。宗教2世、精神疾患当事者、ポリアモリーという特質をそなえた編集者(見習い)による、「我らの狂気を、生き延びる道を教えよ」の叫びが聞こえるエッセイ。
「医者の不養生」とはよく言ったものだが、編集者にも似たような事象はある。
例えば、仕事に追われると、本が読めなくなっていく。昨年『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という本がベストセラーになったが、編集者である私たちも例外ではない。単純に忙しくて担当書のゲラや参照すべき関連書以外読む時間がない、ということもあるし、あらゆる書籍が仕事に結びつく「飯のタネ」に見えてしまって、心が休まらない、ということもある。先日、漫画編集者だった知人に「編集者を辞めたらのびのび漫画を読めるようになりました!」と満面の笑みで自慢されてしまい、思わず「私も辞めようかな……」とつぶやいてしまうくらいには、深刻な悩みだ。本が好きでこの仕事を選んだはずなのに、なんたる理不尽。
また、私はメンタルヘルス、その中でも特に依存症に関する書籍を手掛けていたが、当該書籍の刊行直後に処方薬のOD(オーバードーズ、過剰摂取)に手を染めてしまったことがある。昨今メディアを賑わせることの多い市販薬依存や薬物依存への啓発の一助を担いながら、自身は処方薬を手のひらいっぱいに乗せて一気飲みしていた。担当書では、著者の希望で編集者の私もコラムを執筆することになったが、「私は依存症当事者ではないんですが、共感できますね〜」という趣旨の文章が白々しく掲載されている。そもそも依存と乱用は厳密には異なるものなので間違ってはいないのだが、どの口が言うのか、という話だ。
精神医療や心理に関わる専門家からは度々「精神医療や心理に関わりたがる人には病んだ人が多い」という愚痴を聞く。当然だ。健全な肉体に健全な精神を宿らせている人にとって、身体や心は透明なもの。不自由がなければ意識することもないのだから。身体や心が不健全だからこそ、それらのままならなさに意識的になる機会を得るのである。
私の薬物の過剰摂取との付き合いは、遡ると17年程前。中学生の時からになる。当時は医療に繋がっていなかったものの、今思うと私はその時からすでに精神疾患を患っていた。希死念慮と抑うつ的な気分に悩まされ、不登校気味だった。薬局で売られている睡眠導入剤をいつでも飲めるようにセーラー服の胸ポケットの中に入れてお守り代わりにしていた。市販薬で確実に死ねると思っていたわけではない。「死にたい」ほど苦しい気持ちを一時的にでも紛らわせることが目的だった。嘔吐してしまうと過干渉な両親に大騒ぎされて面倒だと思い、量は加減していた。
ある日、馴染みの薬局で睡眠導入剤を購入しようとしたところ、薬剤師のおばちゃんが会計をしながら「ホットミルクとかもね、寝る前に飲むと眠たくなるかもしれないよ」と言った。私はその言葉を聞いて、涙が止まらなくなった。久しぶりに触れた人からの優しさだった。私に身体的・精神的な虐待を加えていた両親や、ブラック校則を押し付ける教員に対しては、私が死んで一生不幸になればいい、くらいに考えていたが、もしうっかり私が死んで、そのことが回り回ってこのおばちゃんの耳に入ったら、おばちゃん、かわいそうかもしれない、という気がした。それから薬局に通うことも、新たな薬を購入することもなくなった。
そして15年後。再び私の手元には薬があった。同居人にうつ病の既往歴があった。寛解後、彼は精神科に通うことを厭い、近所の適当な内科で抗不安薬を大量に処方してもらっていた。その薬は、独特の脱力感があり、ワンシート飲めば確実に眠ることができた。これが癖になった。
過剰摂取するのは、きまって同居人と意見が衝突した時だった。自分の願いや意見が聞き入れられないという状況でこみ上げてくる怒りや悔しさを、薬で飲み込んだ。そういう時、彼のことが、絶対に崩すことのできない鉄壁のように感じられた。私の心は、その壁に当たっていとも簡単に割れてしまう生卵のようなものだった。
しかしそれでも、私にとって、彼との同居は、ようやく見つけた「居場所」だった。彼の強すぎるルーティンへの執着や感覚過敏、こだわりに対する非妥協的な態度を差しおいても、不機嫌や体罰の耐えない実家よりはるかに居心地が良かった。映画鑑賞や読書など共通の趣味があり、ポリアモリーに対して理解があり、私と共にいる時間を「人生で一番幸せ」と言ってくれていた。それで十分だと思っていた。些細な葛藤は、薬を飲んで眠って忘れてしまえばいい。薬と共に飲み込まなければならないような葛藤は、まるで些細なことではないのだと、その時は気が付かなかった。
ある日、彼が随分とため息をついているので、話を聞こうか、と声を掛けた。すると、思いもかけないことに、それは私に対する不満で、家事や家賃の負担が偏っている、また私との付き合いによってメタモアや先妻との間の子どもとの付き合いに支障が出ており、彼らに負担が偏っている、と述べた。
彼には彼の言い分があったようだったが、私にも私の言い分があった。家賃については互いの年収に応じて按分したこと。家事については彼の感覚過敏や強迫的な思考から、私にとっては過剰と感じられること。また、度々私が担ったケアについては顧みられないことも多いこと。私からメタモアとの交流に制限をかけたことはないこと。子どもたちが毎週この家を訪れることについて、子どもを持たない選択をした私にとって、相応の負担になっており、それを調整するのは私ではなく、私のパートナーであり、子どもたちの父親である、あなたの役割であること。
すると彼は突然過呼吸になって、その後数日間殻に閉じこもるようになった。生卵だったのは、彼の方だったのだ。一週間後、彼は私に家を出るように告げた。そして「子どもたちがあなたに遠慮してこの家に来たがらないから」と言った。幼少期に彼の不貞行為により離婚した経緯がある。離婚からは随分年月が経っており、私がその不貞行為の相手ではなかったとしても、いままさに思春期まっさかりの彼らが毎週訪れる父親の家にいる女性のことを、気まずく感じるのは道理だった。だからこそ、私も気を回して彼らが家に来る日は、外出の予定を入れることが多かった。同様に、彼もその困難を乗り越えるための労力を割くものだと考えていた……のは、私だけだった。
薬で飲み下してきたはずの怒りが、腸(はらわた)から逆流して来るのを感じた。そして口から溢れ出した。彼は「それはあなたがいま、そういう“気分”だっていうことだよね」と鼻で笑った。気がつくと私は彼の胸ぐらをつかんで、彼の身体を壁に叩きつけていた。へぇ、そうか。私だけが、理性を欠いていて、感情的で、頭がおかしいってことか。ほら、頭がおかしい女にいじめられました(涙)って、警察にでもSNSにでも言ったらいい。っていうか、なんであんたの都合で私が家を出ていかなきゃいけないんだよ。子どもが父親に会いたがってるんだろ。行けよ。おまえが今すぐこの家から出ていけ。子どもたちも喜ぶよ。
私が胸ぐらをつかんでいる間、彼はほとんど身動きも取れずに固まっていた。そして「今すぐ出ていけ」という言葉通り、逃げるように荷造りをして、出ていった。私は新居を探して、引っ越しを決めた。新居へ引っ越しするまでの間、彼と育てた猫三匹との別れを惜しんだ。怒りは逆流を続け、私はそれを薬で飲み下そうとしたが、足りなかった。怒りは身体を蝕み、うつ病として顕在化して、1か月の休職が決まった。
友人に「ODしながら続けなきゃいけない関係なんて、ないんだよ!」と言われるまで、私は自分が無理を重ねていたことに、全く自覚がなかった。もともと持病があって気分が落ち込みやすく、ネガティブな思考を程よく遮ってくれる他者との暮らしに救いを求めてすがってしまっていた。模索すべきはODによってようやく継続できる異性とのつながりではなく、持病の治療だったのに。
引っ越し先での一人の時間は、やはり苦しい。抑うつ的な気分や、幼少期に両親から受けた虐待のフラッシュバックに悩まされている。自治体のゴミ出しに、プラスチックが二種類あり、発泡スチロールがどちらの区分に入るのかうまく理解できず、間違えると付箋を貼られて持っていってもらえないため、地団駄を踏んで、エイブリズム(健常者至上主義)め! うつ病の人間にやらせることかよ!! と悪態をついている。しかし、言動に制約の多かった同居人の呪縛から解放され、少しだけ呼吸が楽な気がしている。同居を解消してからは、ODは不要になった。医師も私も、経過については楽観的だ。
某出版社勤務。複数愛者(ポリアモリー)。文筆と編集。寄稿「図書新聞」/『みんなの宗教2世問題』(横道誠編、晶文社)/朝日新聞社「かがみよかがみ」山崎ナオコーラ賞大賞/note「女の子なんだから勉強しなくていいよ、と言った父は死にかけるまで仕事をやめられなかった」他。